8 / 47
8:<水曜日> エビのグリーンカレー
しおりを挟むその日は、朝から寒くて大雨だった。
横殴りの土砂降りの中、細い階段を駆け上がって店へ入る。
すでに、染さんは出勤していた。
「おはよう、楓ちゃん。すごい雨だね」
「お、おはようございます。傘をさしていたんですけど、濡れちゃいました」
染さんに差し出されたタオルを、ありがたく拝借して髪や体を拭く。
「今日はお客さん、店に来ないかもねえ」
「配達はどうするのですか?」
「オフラインにしているよ。こんな天気だし、配達員も危ないだろうから」
「私が行きましょうか? 雨の日は配達の需要が多いと思いますよ?」
「余計に駄目だよ、雨の中を何往復もさせるなんて。とにかく、今日は配達禁止」
本当に、染さんは人がいい。
店主の一言で、本日は店のみ営業することが決まった。
「ところで、染さん。調理台の上に乗っている野菜たちは何ですか? 初めて見る形ですが……」
まな板に、赤い球根のような不思議な野菜が置かれている。
「ああ、これ? ホムデンという野菜だよ。赤タマネギみたいなものだね」
「隣の緑色の野菜は唐辛子ですよね?」
「うん。ピッキーヌという青唐辛子だよ。で、その隣はカーという生姜と、ガティアムというにんにく。奥はバイマックルーという、コブミカンの葉っぱだよ。手前がタッカイ……レモングラスと、バイホラパーというバジル。横のビンにはカピというエビの味噌が入っているよ」
今日の食材は、聞いたことのないものばかりだ。彼が何を作るのか想像もつかない。
「一体、どんな料理を作るんですか?」
「グリーンカレーだよ」
「えっ……グリーンカレーって、こういう食材を使うんですね」
楓は、グリーンカレーを食べたことがある。レトルトでも売られているからだ。
(ココナッツミルクの入った、アジアンなカレーだよね)
けれど、こんな未知の食材を用いる料理だとは知らなかった。
「全部、タイの食材なんだ。やっぱり、店で出すからには本場のものを使いたいし」
「調理過程を見てみたいです」
「うん。今日は暇だろうから、作り方を教えるよ。この間、家でカレーを作ったと言っていたよね」
「はい。と言っても、カレー粉を使った簡単なものですけどね。スパイスは、配合がわからなくて……」
「そこは、好みに応じて変えればいいんだよ。店のカレーの配合も、僕が試行錯誤して一番合うと思った分量で出しているから」
まずは、カレーペーストを作っていくようだ。
ミキサーに不思議な材料を投入していく染さん。
「楓ちゃん、棚からスパイスを取ってもらえるかな。ホールスパイスのクミン、コリアンダー、クローブを小さじ一ずつ」
「了解です!」
ホールスパイスは、原型のままのスパイスのことだ。粉にしているものは、パウダースパイスという。
楓は、いつも染さんがするように、小さな皿にスパイスを取り出していった。
コリアンダーは粒が跳ねるので、こぼさないよう気をつける。
まずは、熱したフライパンに油を引き、ホールスパイスを入れて香りを移すのだ。
弱火で五分ほど加熱すればいいだろう。これをテンパリングと呼ぶ。
ちなみに、チョコレートの粒子を整えることもテンパリングというけれど、スパイスのテンパリングとは全くの別物である。
次に、鍋にココナッツオイルを入れて油が分離してくるまで煮る。
そして、いよいよ、ミキサーで作ったカレーペーストを投入。
野菜を入れて味付け。今回使うのは、オクラとナスだ。
煮詰めたら、コブミカンの葉を乗せ、さらに十分ほど煮込む。
最後に冷蔵庫から出した処理済みのエビを加え、火が通ったらナムプラーを垂らす。
ナムプラーは魚醤といって、鰯を塩で漬け込み、底に含まれるタンパク質を発酵、熟成させて作った調味料である。
臭いけれど、大量のアミノ酸が入っているので、おいしい。
「わあ、グリーンカレーの匂いがします」
「うん、問題なさそうだね。今日はこれでいこう。楓ちゃん、食べていいよ」
「ありがとうございます、いただきます!」
実は、楓は朝ご飯を食べていない。染さんの実験カレーを当てにしているのだ。
彼は開店前に、その日店に出すカレーを作って、状態を確かめる習慣がある。
使う素材によって、カレーの味が異なるそうだ。
朝からカレーはきついと思われがちだが、慣れればそうでもない。
楓と染さんは、毎朝おいしくいただいている。
マイルドなココナッツ風味の中に、ほのかに香るナンプラー。
ぷりぷりのエビもカレーに合っている。
そして、市販のレトルトカレーとは異なるフレッシュな味わい。
これは、生の材料を使ったからこそ出る風味だろう。
グリーンカレーのグリーンは、ピッキーヌの色だったという発見もあった。
ちなみに、アジアンカレーのレッドカレーは甘口の赤唐辛子、イエローカレーはターメリックの色らしい。
つまり、グリーンカレーが一番辛い。
「今日はエビだけど、チキンを入れてもおいしいよ」
「チキンバージョンも食べてみたいです!」
楓は、しっかりとリクエストしておいた。
「それと、これもどうぞ」
差し出されたのは、最近メニューに加えられたライムソーダだ。
炭酸にライム果汁を搾ったもので、こちらもドリンクメニューに書かれている。
スッキリとしたのどごしは、グリーンカレーにマッチした。
洋燈堂のライムソーダには、スペアミントやカルダモンも入っている。
「おいしいです」
「お酒を入れても合うんだよ」
「家で作ってみます」
今は業務中なので、飲酒はできない。
もともと染さんのお祖父さんが経営していたバーだったからか、隅にある棚には使われていない外国の酒のボトルが並んでいた。
窓の外を見ると、まだ雨は降り続いている。空はさらに暗くなり、遠くで雷も鳴っているようだ。
開店休業という文字が、楓の頭に浮かんだ。
(うーん、暇)
以前、楓が提案した店内の飾り付けは大体完了している。
メニュー表は、料理の名前の横に説明書きを入れた。
オススメの食べ方も書いて、辛さの調整が可能なことも記載しておいた。
店の名刺は自由に取れるよう、レジの横に置いている。店の名前と連絡先、兎のイラストが描かれた名刺だ。
この兎は、染さんが飼っているヘメンをモデルにしている。
照明や曼荼羅模様のタペストリーは、染さんのアイテムをそのまま使用し、他は楓がカフェ風に改造していた。
音楽も、落ち着いた曲を流している。
古くて黄ばんだカウンターの壁紙も、タイル風のものに張り替えている。
鞄がかけられるよう、机の下にフックも取り付けてみた。
男性客は財布をポケットに入れて持ち歩くが、女性は鞄を持ってくる率が高いからだ。
壁にもフックをつけて、ハンガーをかけている。
これまでは足下に籠を置いていたが、これからの季節、かさばるコートが籠に収まるか微妙なので。
寒さに備えてエアコンの掃除もし、床もきれいに磨いてある。
倉庫から電気ストーブも出してきた。
客用の膝掛けも購入したし、冬支度はバッチリだ。
「雨、止まないですね」
「最近ずっと忙しかったし、たまにはこんな日もあるよね」
静かな時間が店内に流れる。
二人とも口数は少ないけれど、不思議と心が落ち着く。
お店としては困るけれど、楓は心地よい一日を堪能したのだった。
10
あなたにおすすめの小説
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
ずっとヤモリだと思ってた俺の相棒は実は最強の竜らしい
空色蜻蛉
ファンタジー
選ばれし竜の痣(竜紋)を持つ竜騎士が国の威信を掛けて戦う世界。
孤児の少年アサヒは、同じ孤児の仲間を集めて窃盗を繰り返して貧しい生活をしていた。
竜騎士なんて貧民の自分には関係の無いことだと思っていたアサヒに、ある日、転機が訪れる。
火傷の跡だと思っていたものが竜紋で、壁に住んでたヤモリが俺の竜?
いやいや、ないでしょ……。
【お知らせ】2018/2/27 完結しました。
◇空色蜻蛉の作品一覧はhttps://kakuyomu.jp/users/25tonbo/news/1177354054882823862をご覧ください。
龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜
クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。
生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。
母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。
そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。
それから〜18年後
約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。
アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。
いざ〜龍国へ出発した。
あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね??
確か双子だったよね?
もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜!
物語に登場する人物達の視点です。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる