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第5章 旅の終焉

それぞれの懐古

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マリアとの決戦から数時間がたった。
もう、いろいろありすぎて今日の夜中の出来事が何日も前に起きたように思えるが、痛みに苦しむアキとヴァイシュを見るとやはりアレは事実だったのだと否が応でも認めざるを得なかった。

四人はハサンの紹介でフィル研究室という場所に運ばれたのだが、あくまでここは研究室なのでということでフィルとハサンを乗せ帝国病院へと向かった。
まず、見た目からして重傷だったのはアキとヴァイシュだった。
アキもヴァイシュも大分失血しており、もともと白い肌がさらに青白くなっていて、二人とも呼びかけに対し緩慢になっていたのだ。
そもそもこんな状態で生きていることが奇跡だった。

まず、ハサンはヴァイシュの足を診た。
こちらはマリアが適切に止血をしたおかげでもう出血自体はほとんどなかった。しかし、斬り飛ばされた方の足を一応は持ってきたが、時間もたってしまっている上に、そもそもハサンの腕をもってしても再縫合は難しいとのことだった。
とりあえずヴァイシュの手当としてできることは、痛み止めの処方と生理食塩水による補液しかなかった。

一方アキの方も、かなり重症で開胸手術となった。
ハサンは最近開発に成功したという血液診断キッドを用いてアキの血液型を特定した。
幸いハルと同じくA型だったので、ハルの血をできる限り輸血した。
ハサンは素早い手つきで次々と作業をこなすが、やはり細かな血管が大量に集まっている肺の出血を止めるのはなかなかに苦労しているようだった。ただ、右の鎖骨下動脈や大動脈、食道といった臓器は健在で、刺し傷も胸腔の後壁までは到達しておらず前壁の穴を埋めるだけで済んだのは不幸中の幸いだったかもしれない。
彼女もまた、術後は痛み止めと補液を受けて絶対安静状態を指示された。

しかし、意外と厄介だったのがマルクだ。
彼は目立った外傷がないと思いきや、病院に着いてからいろいろと様子がおかしくなったのだ。
それに気がついたのは、ユートピア人のフィル先生だった。

「両腕を水平に保って」

フィルはマルクに前習えのような格好をさせたが、なんとマルクは左の腕がだらんと下がってしまっていたのだ。

「これは、まずいかも・・・」

深刻そうな様子でフィルは話しかけるも、マルクはうまく返事をすることができなくなっていた。
すると、フィルはハルに質問をした。

「ハルさん・・・彼が頭を強打したのっていつか分かりますか?」

「ええと・・・たぶん六時間くらい前だと思います・・・」

「ありがとうございます・・・硬膜外出血だといいんだけど・・・」

するとフィルはアキの手術を終えたばかりのハサンに相談し始めた。

「おそらく硬膜外出血だと思うんですが・・・右側頭部からの緊急開頭手術が必要かと・・・」

「なるほど・・・ではフィル先生麻酔の準備をお願いします」

そんな会話を聞いてかマルクがひどく怯えた様子になった。

「なぁ・・・にい・・・ちゃん・・・お、おれ・・・・」

言語機能と意識レベルに低下が見られた。
ハルはベッドに横になっているマルクにぐっと顔を寄せると優しく語りかけた。

「大丈夫だよ・・・なんてったってあそこにいる二人は世界で一番のお医者さんなんだから」

そう言ってハルはマルクの手を握った。

結果はフィル先生の予想通り、硬膜外出血だった。
右側頭部からのアプローチで、頭蓋骨と硬膜の間にたっぷりたまった血腫を次々に取り出していく。
幸い脳の実質の方に被害はなく、そのまま頭を閉じて手術は終了した。
ハサンによればこの様子なら予後も良いだろうとのことだった。

そしてやっと昼過ぎになって、ハルの右腕を診てもらっているのだが、彼はギプスを巻かれてはい終了といった感じだった。なんか他の三人と比較して雑な気もしなくはないが、手術にならなくてよかったと思っている自分もいた。
その後、なんやかんやで時刻は夕方になり、四人は同じ病室に入れられ、各々痛みにうなされているといった感じだった。
すると、病室に見覚えのある人がやって来た。

そこに立っていたのはココローヌだった。
今まともに話ができるのはハルくらいなので、ハルはベッドから起き上がると病室の外にある談話室へ彼女を連れだした。

「昨日は大変な思いをされましたね・・・私の側近のマリー・・・いえ、マリアが本当に申し訳ありませんでした」

ココローヌは深々と頭を下げた。
しかし、ハルはとてもではないが許しますとは言えなかった。

「アキは胸に一生消えない大きな傷を受け、ヴァイシュは左足を失い、マルクは脳にダメージを受けたんです・・・」

「・・・」

ココローヌは言葉を失ってしまった。

「僕はあなた方を許せません・・・ですが、それを決めるのはあの子たちなんです・・・だから、謝罪はあの子たちが元気になったらまた各々にしてあげてください」

「分かりました・・・必ず」

ココローヌは深く頷いた。
すると、ハルは話題を変えた。昨日の奴らがどうなっているのか少し気になったのだ

「それと・・・昨日の方々は・・・」

「三人とも地下牢に収容されています・・・ただ、マリアは皇族、ナツ・ハミルトンはカターヌの王様、エリー・ブリトーニャはブリトーニャ王国の姫というそうそうたる面子でね・・・扱いに困っているというのが正直なところです」

ハルはあのブロンド髪の少女がブリトーニャ王国の姫と聞いて驚きを隠せなかった。

ブリトーニャ王国とはエウロパ大陸の北西部に浮かぶ小さな島国で、大陸とは異なる言語や文化を持っているのだが、現在はユートピア帝国から少なからぬ圧政を受けている。
そういう状況から、ブリトーニャ王国民は独立の気持ちが強く、ユートピアに対するレジスタンス団体が数多く存在し、テロが起きることもある。

「ひとまず、今日のところは失礼します・・・それでは、お大事に」

ココローヌはそう言うと病院を後にした。

その後、ハルはハサンから三人の現在の病状の説明を受けた。
とりあえず、命の危機は脱したといってもいいとのことだった。
しかし、今後は感染症などのリスクも考慮していかなくてはならないと、あくまで油断は禁物という物言いだった。




そして、その夜。
ハルが窓際のカーテンを閉めようとした時だった。

今まで麻酔で意識があいまいでうわ言を言っていたアキが覚醒したのだ。

「あ・・・ハルさん・・・」

ハルは彼女の呼びかけに思わず体がビクンとなった。
しかし、すぐさま彼女の横に寄ると手を握った。

「ア、アキ・・・」

しかし、そのあまりにも痛々しい彼女の姿に言葉を失った。
なにせ自分を庇ったせいで右胸に刀傷、正中部には胸骨に沿って大きな手術痕が残ってしまったのだ。
もちろん、この世界の医療技術ではそれらをどうにかすることなどできない。

そんな思いが顔に現れてしまっていたのか、アキはにこりと笑ってみせた。
ハルはもうそういう彼女のけなげな態度がたまらなく胸に刺さった。
そして、うつむくと自然と涙が溢れた。

「アキ・・・ごめんね、僕が不甲斐ないばかりにそんな傷を負わせてしまって・・・」

ハルはヴァイシュとマルクを起こしてしまわないよう、それとカッコ悪いところをアキに見られないよう嗚咽を必死にこらえた。
すると、アキは体を動かすことができないので目線だけをこちらに向けるとハルに語りかけた。

「ハルさん・・・かける言葉間違ってますよ」

「・・・そう・・・だね」

アキはこれっぽっちも謝ってほしいとは思っていなかった。
むしろ彼女が欲していた言葉は・・・

「うん・・・ありが・・・とう」

ハルは泣きながら感謝の気持ちを最大限伝えた。
彼女がいなければハルは今頃土の中だ。

「はい・・・よくできました」

アキはそういうと少し痛みに顔をゆがめながら笑顔を見せた。
しかし、彼女は全くしゃべり足りないようだった。

「私の方こそ・・・お礼をさせてください」

「・・・?」

ハルは彼女が何を言っているのか、意味が分からなかった。

「カターヌから私を連れだしてくれなかったら・・・私は今もあそこに暮らしていて・・・お兄様にも会えなかったでしょう・・・だから」

ハルはその言葉を聞いた瞬間、泣き叫びたくなった。
そんな言葉かけてくれなくていい。
むしろ、蔑み、罵ってくれた方がこんなにも、こんなにも苦しい思いはしないですんだのだ。

「アキ・・・ちょっとごめん」

ハルはもう感情の抑制が効かなかった。
アキの言葉を最後まで聞かずに病室を飛び出すと、声が漏れないように口を押え、夜の病棟の廊下を足早に駆け抜けた。
そして、病院の正面入り口を抜けその先にある噴水の前にうずくまると今まで堪えていたものをすべて吐き出した。

「うあああああああああああ!!!」

どうして、どうしてこんなにもやるせないのか。
ヴァイシュは左足を失い。
マルクは後遺症の可能性もある。
そして、なにより自分を庇ってアキが受けた代償はあまりにも大きすぎた。

それにひきかえ、自分は上腕骨の骨折だけ。
ハルは自身の腕を恨めしそうに眺めた。

お前が、あの時しっかりしていれば!!

ハルはこの結末を悔やんでも悔やみきれなかった。
自分が三人の保護者だと粋がっていたのに、逆に守られてしまったのだ。

ハルは、力任せに折れた腕を反対の手で殴った。
ものすごく痛かった。二回目を殴ろうとしても体がこわばる。
しかし、あの子たちはこの何倍もの苦痛に耐えているはずだ。
それなのに二発目をためらう自分にももう嫌気がさした。

ひとしきり泣き続け、ハルは対に涙も枯れた。
もう、何もかもが遅すぎたのだ。

しかし、今日も月だけは相変わらず綺麗だった。
なんとか、どうにか一日だけ時を戻せないだろうかと月を見上げたが、そこには昨日よりも少しだけ痩せた月がたたずむだけだった。













そして、マリアたちとの決闘の日から三週間がたった。
この日は最後まで入院していたアキとヴァイシュが退院する日だった。

「退院おめでとう!」

ハサンはアキとヴァイシュにそう言うと笑顔を見せた。

「ありがとうございます」
「ありがとうございました」

そう返す二人の表情も明るかった。
アキは完全回復とまではいかないが、日常生活は何とか送れるようにはなっていた。
一方のヴァイシュは、松葉杖がないとまともに歩けない体になってしまっていた。
あの重症からの復活は、彼女たちがまだ若く生命力に満ち溢れているのを考慮してもまさに幸運と言えた。

すると、病院前にはココローヌとロバート・ユーフラテス中尉が立っていた。
ココローヌは一歩前に出ると話を始めた。

「二人とも退院おめでとうございます・・・体の具合は大丈夫ですか?」

「はい・・・なんとか」

アキは少しだけ遠慮がちに返した。

「もう大丈夫です」

ヴァイシュも片足が無くなったことを思わせない口調でそう言ってみせた。
しかし、ロバートの彼女を見る目はどこか痛々しいものを見るようだった。
確かに、彼は少年士官学校時代からの同期で付き合いも長い。
同情してしまうのは当然の反応といえた。

「それでは、ハルさんとマルクくんが滞在している私の自宅に行きましょう」

ココローヌはそう言うと四人を車に乗せた。
運転手はロバートだった。
ココローヌはというと相変わらず粉雪という名前の白馬に乗っていた。

そして、馬が走り出すとそれについて行くように車も発進した。
しばらくすると、アキが口を開いた。

「そう言えば・・・ココローヌ殿下のお屋敷ってどこなんでしょうか」

その質問にはハルが答えた。

「皇帝陛下の愛娘だから・・・さぞ中区の一等地に住んでるんだろうなと思ってたんだけど・・・実は中区の中でもちょっと田舎の小高い場所に建ってる木造の家に住んでて・・・」

その話を聞いたアキは少し驚いた顔をした。

「ユートピアの皇族なのに木造の家・・・しかも中区の外れに住んでいるんですか?」

すると今度はヴァイシュが口を開いた。

「ココローヌ殿下の本家は宮殿傍の石造りの豪邸です・・・しかし、覇者になるには庶民の生活も心得なければということで家族の反対を押し切って最小限の警備で一人家を飛び出してしまったそうです」

ハルとアキはその話を聞いてなるほどと思った。
すると、そうこうしているうちに車は何やら草原地帯を走り始めた。
どうやらここらの草原地帯は帝国の許可なく開拓することは許されないらしく家という家はあまりなかった。

そして、しばらくすると車は坂を登り始めた。
方角的には南でこの先はアルペの山へと続く森に差し掛かる。
すると、森との境界のあたりに一軒の二階建ての木造の屋敷が見えた。
ココローヌはその家の前で馬を止めると、颯爽と馬から降りてみせた。

そして、ロバートも運転席を降りると後部座席のドアを開けた。

「ようこそ、我が屋敷へ」

ココローヌは得意げな様子でハルたちを迎えた。

そこにあったのは二階建ての木造の洋館だった。確かに、庶民が暮らすような一軒家よりは大きいような気もするが、皇族が暮らしているとはだれも思わないような、そんな見た目だった。

「意外・・・というような顔ですね」

ココローヌはアキにそう語りかけた。

「はい・・・帝国のお姫様のお屋敷と言えばもっと・・・」

しかし、アキはもう何も言えなくなっていた。

「まぁ・・・私とマリアで住む分には十分すぎたくらいです・・・」

過去形で話すココローヌの顔はどこか寂しそうだった。


アキとヴァイシュの荷物はロバートが各部屋に置いておくとのことだったので、四人はココローヌに言われるがまま応接室へとやって来た。

「まずは・・・本事件について、改めてあなたたちに謝罪申し上げます・・・私の側近のマリアが取り返しのつかないことをして大変申し訳ございませんでした」

ココローヌは深々と頭を下げた。
四人はもういいですよという気持ちをそれとなく伝えた。
すると、ココローヌは卓のお誕生日席に座ると話を始めた。

「さて、それでは早速お話をしたいと思うのですが・・・皆さんが気にしていらっしゃるのは、やはりあの三人のことでしょう・・・」

アキは彼女の言葉を聞くと静かに頷いた。

「お兄様は・・・今どうしていて、それとこれからどうなるのでしょうか・・・?」

アキのその声色は不安を含んでいた。

「現在、帝国貴族議会の間では、三人を国家反逆罪で、殊にマリアはそれに加えて皇帝陛下殺害の容疑で提訴を考えているようです」

国家反逆罪という言葉にハルたちは思わず息をのんだ。
日本にも内乱罪という似たような法律があり、その首謀者の刑は死刑か無期禁固刑である。
だが、皇帝陛下を殺害したのだ。どこをどう譲ってもマリアは死刑というのが妥当と判断されるだろう。
しかし、ナツとエリーに関しては禁固刑で済む可能性が残っていた。

「国家反逆罪・・・ということはお兄様は死刑に処されるのでしょうか・・・」

アキは少し俯きがちに尋ねた。

「いえ・・・その可能性はむしろ低いかと・・・国の事情聴取に対してマリアは一貫してすべて自分の命令だと供述していますから・・・」

「ですが・・・マリー・・・いえマリアの方は・・・」

ヴァイシュが険しい表情でつぶやいた。
ヴァイシュにとって彼女は三年間も衣食住を共にした友人であり、この話はやはり堪えるものがあるようだった。

「マリアは死刑でしょうね・・・」

ココローヌはそう言い切った。
実際、ハルたちは散々彼女に苦しめられてきており、特にヴァイシュは足を失くしたのだ。ハルは到底彼女を許すことなどできなかった。
しかし、いざ彼女が死刑となると聞いた時、やはり複雑な気持ちが胸の中を駆け巡った。
すると今度はアキが違う話題の質問を投げかけた。

「あの・・・お兄様に面会は可能なのでしょうか?」

「ええ・・・被疑者の面会は時間などに限りがあるとか、条件付きだけど認められてはいるわ・・・」

ココローヌは静かに答えた。

「会わせていただけますか?」

「ええ・・・では、明日の昼頃に調整しておきます」

ココローヌはアキの頼みを快諾した。
心なしかアキの表情が柔らかくなる。

「退院したばかりだというのに長々と話してしまいましたね・・・皆さん今日はゆっくり休んでください」

ココローヌは申し訳なさそうにそう言うと席を立った。

四人は各々の部屋に向かうべく、談話室を出る。
そして、最後にハルが部屋を出ようとした時だった。

「ハルさん・・・少しだけお話しよろしいでしょうか?」

そう尋ねてきたのは、談話室に残っていたココローヌだった。

「ハル兄ちゃん・・・どうかしたか?」

目の前をいくマルクが心配そうに尋ねた。

「いや、大丈夫・・・すぐ戻るから先に行っててくれ」

「うん・・・」

ハルはマルクにそう促すと扉をしめた。
そして再び、ハルとココローヌは談話室のソファーに座った。

「呼び止めてしまい申し訳ありません・・・」

「それで・・・・お話って」

「マリア・・・それと私自身のことです・・・」

「・・・・」

何やら深刻そうな顔をする彼女にハルは思わず構えてしまう。
だが、ココローヌは話を続ける。

「先ほど私はマリアは極刑しかありえないと言いました・・・・」

「確かに・・・」

「ですが・・・実は死刑には抜け穴があるんです・・・」

「え・・・」

ハルは彼女の言っている意味が分からなかった。
死刑とは死をもって罪を償う刑だ。
そんな極刑に抜け穴など存在するはずがない。

「死刑の抜け穴・・・それは死刑の失敗です」

「!!」

ハルは彼女の言わんとしていることが理解できた。
現実世界でも、死刑執行に失敗したものは赦免とするといった例が実際に存在する。

「つまり、意図的に死刑を失敗させろということですか?」

「さすがね・・・ええ、我が国では死刑を受けつつも生還した者は赦免とするという文言が法律に記載されているの」

「ですが・・・」

しかし、ハルは進んでこの話に乗ろうとは思えなかった。
それは個人的な恨みから頼みを聞きたくないという側面もあるが、そもそもこの世界の人間ではない自分がこの国の理を捻じ曲げてまでマリアの運命に介入すべきではないと思ったのだ。

「お気持ちは察します・・・ですが・・・」

ココローヌの声はだんだんと弱くなっていった。

「ですが・・・私はマリアと約束したのです・・・なんとかすると」

そう言葉をひねり出す彼女の瞳からは涙が溢れていた。
ハルはふと彼女とうり二つの一ノ瀬ココロのことを思い出した。
あの時もあいつはこんな風に泣いてたっけ。
自分を不当に解雇しやがってという気持ちが一瞬現れるかと思ったが、彼女の涙を見て同情の気持ちしか湧いてこなかった。
それは、ハルが人間的に成長したのか、はたまたそんな嫌な記憶すら過去の思い出になるくらいこの世界に長くいすぎたせいなのかは分からなかった。
しかし、ただ一つ言えることは彼女の気持ちは、嘘偽りのない本心であるということであった。

「私では無理なのです・・・ですが、ハルさんなら・・・」

「・・・」

しかし、ハルは何も返すことができなかった。
ココローヌもハルの少し苦しそうな表情を感じ取ったのかそれ以上お願いをしてくることもなかった。

「それでは・・・僕も失礼します」

そして、一通り話し終えたハルがそう言って席を立とうとした時だった。

「待ってください・・・」

ココローヌはもう一度彼を呼び止めた。
ハルはまたマリアの件で話があるのかと少し嫌気がさした。
だが、今度はそういうわけではなさそうだった。

「先ほども言いましたが、もう一つの・・・私自身の話がしたいのです」

「・・・はい」

ハルは小さくそう返すと再びソファーに腰を下ろした。
少しだけ沈黙が続く。だが、ココローヌは心に何かを決めたのかゆっくりと話し始めた。

「私・・・多分、病気なんです・・・あと十年、いや五年生きられるか・・・そんな気がするんです」

「え・・・?」

ハルはココローヌの話が唐突すぎてよく分からなかった。

「身体が・・・言うことを聞かないんです・・・最近ではちょっと走ったり、長く馬に乗ったり、剣を数十回振っただけで体が鉛のようになるのです」

そう言う彼女の表情は真剣そのものだった。

「私には成さねばならないことがたくさんあるんです・・・でも残されている時間はあまりにも短い・・・」

「・・・どうして・・・そんな話を僕にするんですか?」

ハルは気がつくとそう尋ねていた。
ココローヌはその質問に臆することなく少し考えると再び口を開いた。

「どうしてでしょうか・・・誰かに病気のことを聞いてもらいたいという気持ちもあったんですが・・・ハルさんと初めて会った時からあなたはこの世界の人ではないような気がして・・・そういうこの世界の常識とかに左右されないあなたになら、話してもいいと思ってしまったのかもしれないです」

なんとも曖昧な言い回しだが、彼女の言っていることはまさしく正解であった。
つまり、病気だと打ち明けても今までと態度を変えない・・・そういう人になら、打ち明けたうえで今後どうすべきかを話してもらえる。
ココローヌはそんなことを思っていたのだろう。

「この国の改革にはマリアの力が絶対に必要なんです・・・だから・・・」

しかし、ココローヌはその先を口に出すことはできなかった。

「殿下のお気持ちは理解します・・・しかし・・・」

ハルは自分自身で答えを出せずにいた。
マリアの刑についてはもちろん、ココローヌの病気についても突然すぎて思考が追いつかない。

「いえ、私の方こそ・・・いろいろと申し訳ありませんでした・・・それと、私はまだ城で公務が残っていますので失礼しますが、ハルさんは部屋でお休みになられてください・・・それでは」

ココローヌはそう言うと部屋を出て行ってしまった。
ハルはその後もソファーにしばらく座ったまま考え込んでいた。
それは彼女の病気のこと、そしてマリアの件に関して自分はどうすべきであるかということだった。




そして、ハルたちがココローヌの屋敷にやって来てから一日がたった。
今日はマリアたちとの面会の日である。

「それでは、早速出発しましょう」

ココローヌは今日も相変わらず愛馬の粉雪に乗っている。
ハルたちもロバートの運転する車に乗り込むと、城を目指した。
心なしかみんなの表情が硬い。
帝国の心臓部に行くことはさることながら、やはりつい先日命の奪い合いをした相手に会うのだ。
緊張しない方がおかしい。

「みんな緊張してるな・・・」

「はい・・・城内へはよほどのことがないと行かないので」

ヴァイシュもいつも以上に凛々しい顔つきだった。

「当たり前だぜ・・・」

「・・・・」

マルクも緊張しているようだったが、アキは一言も発さなかった。
やはり、生き別れた兄に改めて会うということに少なからず思うところがあるのかもしれない。

「そうだよなぁ・・・」

ハルは独り言のようにそう言うと、窓の外で揺れる草を眺めた。





そして、十分くらい走っていくと、車は城の周りを囲むようにある堀にかかるとてつもなく大きな石橋の前で止まった。
石橋の前には帝国軍の兵士が厳重な警備をしていた。
ココローヌが粉雪から降りると、警衛の者たちが一糸乱れぬ敬礼を見せた。
彼女もそれに応えるように会釈を返した。

「ココローヌ・ウィッチノーセ・ユートピアです。本日は拘置されている者たちへの面会で来ました」

「はっ!!」

警衛の兵士はそう言うと車止めをよけ始めた。
一方のハルたちは車から降りるように指示された。

「ロバート・ユーフラテス中尉であります。本日はココローヌ殿下の護衛で随伴しております。こちらは、今日面会をする方々で右からハルさん、アキさん、ヴァイシュさん、マルクさんです」

「身分証明書の提示を」

ロバートは胸ポケットから皇族の紋章が刻まれた金のプレートを取り出した。
警衛の兵士たちがそのプレートをまじまじとみると、お互いに顔を見合わせ頷いた。
どうやら、確認が取れたようだった。

「それと、そちらの四人に関してはボディーチェックを・・・」

警衛の兵士たちはそう言うとハルたちの持ち物や衣服のポケットをチェックした。
ハルはマルクがウルマン人であるがゆえに少し心配していたのだが、その兵士は特に気に留めるような様子はなかった。
そして、それらの厳しいセキュリティを通過した後に、ハルたちには石橋を渡る許可が下り、大きな大きな城門をくぐった。

「やっぱりすごく厳しい警備なんだな・・・」

マルクはそう言いながら車の窓から見える城の内部を目に焼き付けていた。

「おそらくウルマン帝国と双璧をなす世界最大の城ですから・・・」

ヴァイシュも軍を退役し一般市民に身分が戻ったとはいえ、その頃の癖が抜けるわけもなくいつも以上に背筋が伸びていた。
そして、車はとある石造りの館の前で止まった。

「粉雪、お前はここでお留守番よ」

ココローヌは愛馬にそうつぶやくと石造りの館の前に立っている近衛兵のいるところへ向かった。
近衛兵はココローヌを見るや凄まじく綺麗な敬礼をした。
帽子をかぶっていないココローヌもそれに一礼で返す。

「ココローヌ・ウィッチノーセ・ユートピアです。昨日申請した面会に来ました」

「はっ!!面会室へご案内いたします!」

近衛兵はそう言うとココローヌとロバート、ハルたちの六人を面会室へと案内した。

「失礼します!第一面会室にはマリア・ルフェーブル・ユートピア殿、第二面会室にはナツ・ハミルトン殿、第三面会室にはエリー・ブリトーニャ殿がおります」

「ええ、ご説明ありがとう・・・」

ココローヌは丁寧に対応する。

「それでは、私は外で待機しておりますので面会が終了し次第お声がけください」

近衛兵はそう言うとまたピシッと敬礼をして面会室の並ぶ廊下を後にした。





そして、廊下には静寂が訪れた。
この鉄の扉の向こうには、つい先日殺し合いをした者たちがいる。
そう思うと足取りが重くなったのだ。
しかし、その沈黙をアキが破った。

「私・・・お兄様と話をしてきます」

彼女はそう言うとゆっくり第二面会室の重い鉄の扉を開くと中へと入っていった。

「それでは私も・・・・」

すると今度はヴァイシュがマリアの待つ第一面会室へと入っていった。

残るはハルとマルクの二人だった。
しかし実を言うとハルはあのアキとヴァイシュとは違い、どうしても今日面会しなければならないというわけではなかった。
だが、意外にもマルクがエリーに会って話がしたいというのでそれに付き添うことになったのだ。
二人も彼女たちに続いてゆっくりと第三面会室の扉を開いた。

すると、扉の先には鉄格子越しにブロンドの髪の小さい女の子がいた。
投獄生活のせいか、先日よりもやつれて見える。

「こ、こんにちは・・・」
「どうも・・・・」

ハルとマルクが遠慮がちに挨拶をした。

「私との面会を希望している人がいるというのはあなた達でしたか・・・」

エリーは至って落ち着いた様子だった。
ハルとマルクはお互いに一瞬目を合わせるとエリーの正面の椅子に腰をかけた。

「それで、ご要件はなんですか・・・?」

エリーは少し目線をそらして尋ねた。

「ブリトーニャ王国のことをいろいろ聞いてみたくって・・・」

マルクにしては珍しく、丁寧に静かにそう返した。

「そんなこと聞いてどうするのです?」

エリーはマルクの態度が理解できないようだった。

「俺たちは今は世界の遺跡や歴史を調べて、見て回ってるんだ・・・君はブリトーニャのプリンセスなんだろ?だったらいろいろ知ってるかなって・・・」

「・・・・プリンセスとは名ばかりです・・・結局マリーにも裏切られ、このザマです・・・何も成すことをできずに死刑を待っているのです」

エリーは自嘲するようにそう言ってみせた。
マルクと同い年くらいであろう彼女の憐れな姿にハルは思わず口を挟んだ。

「まだ死ぬと決まったわけじゃ・・・それに、僕らがなんとか殿下に掛け合って・・・」

「それには及びません」

エリーは毅然とした態度で言い放った。

「これは、私自身の戦いなのです・・・もとよりいかなる刑であろうとも覚悟はできています・・・馬鹿にしないでください!」

「す、すみません・・・」

ハルはすっかりエリーの迫力に押されてしまった。
すると、今度はマルクが話し始めた。

「こっちとしてはブリトーニャ主観の情勢をただ聞きたいだけなんだ・・・その見返りとしてココローヌさんに口を聞いてもいいって話であって、勘違いしてるのはそっちだぜ」

「・・・・」

マルクの冷たい一言にエリーは一瞬驚いたような表情を見せた。ハルも今のでエリーが話してくれるものも話してくれなくなるのではと思った。
しかし、彼女は口元を緩めると嬉しそうに話し始めた。

「・・・あなた、面白いですわね・・・いいわ話してあげます」

エリーはマルクの態度が気に入ったようだった。
彼女曰く、今のブリトーニャ王国はユートピア帝国とは必ずしもいい関係とは言えないようだった。

「まず、王家の歴史ですが・・・神話に基づくブリトーニャ暦からも分かるように今年で831年続いていることになります・・・王家について書かれた最古の文献が550年前のものですから、少なくとも550年は史実として続いてきました」

「なるほど・・・つまりユートピアの建国よりも、少なくとも約200年以上前から存在するってことか」

「ええ・・・」

つまり国家としてはユートピアよりもブリトーニャの方が先輩なのだ。

「ユートピア帝国の誕生についてはRICHARD DYNASTYという史料の第三章The born of EUTOPIAという章節に記録が残っています」

ハルはエリーの口から発せられたネイティブな英語に驚きを隠せなかった。

「英語・・・」

「英語?・・・これはブリトーニャ語ですよ」

エリーはハルの言葉を一瞬奇妙に感じた。
しかし、彼女はそれ以上気にする様子はなく、その後もマルクにブリトーニャの歴史や情勢を語った。

彼女曰くエウロパ大陸北部の利権をめぐって、かつては帝都ユートピアから北に100キロほどの場所がブリトーニャ公国だったこともあるようだが、現在大陸はすべてユートピア帝国の支配下にある。それに加え、貿易、海運などの面において不平等な状態にあるらしい。具体的な例でいえば、ユートピアはブリトーニャの石炭を不当に格安で購入したり、人や船の行き来などを制限したりしているようなことがあげられる。

「とてもじゃないけどこんな所では、話しきれないですね・・・」

エリーはやれやれと言った様子だった。

「とても興味深いはなしだったぜ・・・また今度詳しく聞かせてくれよな!」

マルクはそれだけ言うと席を立った。

「ありがとうございました」

ハルもそうお礼を言うと面会室を後にした。
そして、エリーはまた一人になった。

「今度・・・・ね」

彼女はそう独り言を言うと少しだけ笑みをこぼした。







一方第二面会室ではアキが実の兄であるナツと対面していた。

「ごきげんよう・・・お兄様」

アキはそう声をかけると鉄格子越しにナツの正面に座った。
しかし、ナツはうつむいたまま目を合わせようとしなかった。

「お久しぶりですね・・・こうしてきちんとお話をするのはほぼ一年ぶりくらいでしょうか」

「・・・・ああ」

ナツは相当やつれていた。
そんな彼の姿を見ると、アキの胸も締め付けられるようだった。

「きちんと・・・食事は取られていますか?」

「・・・・ああ」

ナツの反応はあまり良くなかった。
そして、ナツはしばらく黙った後ようやく口を開いた。

「この間は・・・すまなかった・・・」

そう言う彼は相変わらずうつむいたままだった。

「・・・もう、気にしていません・・・幸いまたこの世に生きる機会をいただけたので・・・」

「そうか・・・・」

アキは少しだけ表情を柔らかくしてそう言った。
心なしかナツの返答にも先ほどよりも人間味があるように思えた。

「そんなことよりも・・・謝ってほしいことが他にあります・・・」

アキは真剣な表情になるとそうつぶやいた。

「お兄様はなぜあの日私を連れて行ってはくださらなかったのですか・・・」

アキはそう尋ねると少しだけうつむいた。
やはり、たった一人で数か月生き続けた彼女の中ではそのことが気がかりだったのだ。

「・・・すまない」

ナツは再び謝罪の言葉を口にした。
すると、アキは椅子から立ち上がり手を鉄格子の向こう側に滑り込ませた。
そして、ナツの力の抜けた手を取ったのだ。

「カターヌに帰りましょう・・・そしてまたカターヌを素敵な国にするんです」

アキはニコリと笑うとそう語りかけた。

「アキ・・・・」

ナツはその日初めて顔を上げると、目の前に満面の笑みで佇む妹の姿を見た。
その柔らかな表情にかつて幸せだったころの記憶がよみがえり、自ずと目からは涙がこぼれた。

「私は、最初から間違っていたのかもしれないな・・・・」

ナツは城中から湧き起こる兵士の悲鳴や迫り来る炎と戦いながら、アキを城外に逃がした日のことを思い出した。
あの時は、あれが最善策だと思っていた。しかし今となってはそれはアキを悲しませてしまう結果になっていたのだ。

「過去に自分を否定なさらないでください・・・今こうして出会えているのは、あの時の決断あってこそなのですよ」

すると、アキはナツの心の中を見透かしたかのような言葉を投げかけた。
ナツはこの一年でアキが肉体的にも精神的にも大きく成長したことを感じ取った。
お兄様お兄様といつも自分の後を追いかけてきていた彼女が、いつの間にこんなにも大人になったのだろうか。
感心する気持ちと共に少しだけ寂しさも覚えた。

「アキ・・・また私と一緒に、カターヌを復興してくれるか」

ナツは先ほどとはうって変わって決意に満ち溢れた表情で尋ねた。
すると、アキはどこか得意げな表情になった。

「当たり前です!・・・なんて言ったって私はアキ・ハミルトンですから!」

「そうだったな・・・お前は私の妹、ハミルトン家の人間だ」

ナツは涙をぬぐうと必ずアキと共にカターヌに戻ることを心に誓った。







一方、第一面会室ではヴァイシュとマリアが対峙していた。
マリアは木綿の囚人服を着せられてはいるものの、彼女からは相変わらず美しかった。
ヴァイシュは松葉杖をつきながらゆっくりと椅子に座った。

「久しぶり、マリー・・・じゃなっくって、マリア・・・殿下」

ヴァイシュはいざ本人を目の前にすると彼女のことを何て呼べばいいか分からなくなっていた。

「マリーでいいわよ・・・」

そんな戸惑いの表情を読み取ったのか彼女はそう助け舟を出した。

「あ、ありがとう・・・」

ヴァイシュはマリアの気遣いにそう返すものの、今度は何を話せばいいのかが分からなくなってしまった。
すると、そんなヴァイシュの様子を見かねたのかマリアから話を始めた。

「あなたの足・・・調子の方はどうなの?」

「まあまあかな・・・先生が処置が適切だったから助けられたって・・・ありがとうね・・・」

ヴァイシュはそうお礼を返した。
すると、マリアは少し顔をそらした。

「相変わらずね・・・あなたから左足を奪った張本人が目の前にいるのに・・・そんなんじゃ・・・もう剣なんて振れないじゃない」

そう言う彼女の表情はどこか苦しそうだった。

「ええ・・・でも、別にマリーを恨んだりはしないわ」

「・・・・」

マリアは顔をそらしたままだった。

「私たちは本気で殺し合った・・・いえ、正確に言えばあなたに私を殺す気はなかった・・・でも私は違う・・・私は確実にあなたの命を奪おうと心臓を突いたの」

ヴァイシュも少しだけ表情を暗くした。
彼女は生まれて初めて自分の確固たる意思で他人の命を奪おうとしたのだ。

「それは詭弁よ・・・現にあなたにはもう足がないじゃない」

「でも・・・生きてる」

ヴァイシュはそう言うとにっこりと笑った。

「そう・・・」

マリアはそっけない態度を取ったが、内心では彼女の笑顔に救われていた。
一通り挨拶を終えると、ヴァイシュは早速本題に入った。

「あなたが皇帝家の人間だったとは・・・・思いもよりませんでした」

「まぁ・・・言ってなかったからね・・・」

マリアは自分の出自に関しての話には興味がないようだった。
しかし、ヴァイシュは話をつづけた。

「あなたのミドルネームのルフェーブル・・・それはお母様の旧姓ですよね」

「ああ・・・・」

「つまり、あなたのお父様はこの間崩御されたジュール皇帝陛下のお兄様に当たるレオ・フォンテーヌ・ユートピアということですか?」

「そうだ・・・」

ヴァイシュは戸惑いを隠せなかった。今まで、同じ庶民の出だと思い込んでいたからだ。
しかし、ヴァイシュには聞いておかなければならないことがまだあった。

「それと・・・もうひとつだけいいですか?」

「ああ・・・・」

「どうしてビアンカ様を・・・・」

ヴァイシュは少し俯くと、声にならない様子で尋ねた。

「愚問だな・・・私はジュールを殺すために今まで生きてきたんだ・・・あいつを失墜させうることなら何でもやったさ・・・・現に今までの対ウルマン外交がダメだったという世論をあの事件を皮切りに作り上げることができたし、ウルマン侵攻の作戦草案も相まって私の評価はうなぎのぼりだったよ」

「本当にそれだけですか・・・・だって私の知っているあなたは、いつも優しくて、理知的で・・・慈悲深かったではありませんか!」

「そうか・・・君には私がそう見えていたのか・・・・」

マリアはそう言うと笑みをこぼした。

「私は止まるわけにはいかなかった・・・なんとしても父母と兄の無念を晴らさねばならなかったのだ・・・・たとえすべてを失っても」

彼女は静かに語ったが、その言葉には確固たる意志が込められていた。
ヴァイシュはどんな顔をすればいいのか分からなくなっていた。
ただ、今の彼女を心の底から恨むことはできなかった。

「ビアンカのことについては今更だがすまなかったな・・・君にとってそれほど大きな存在だとは知りもしなかった・・・」

マリアはヴァイシュの方を見るとそう謝罪した。
ヴァイシュは彼女のその言葉に俯くことしかできなかった。
しかし、ヴァイシュはマリアが残忍極まりない人間であることをどうしても認められなかった。
辛く苦しい士官学校時代の訓練や演習のとき、ヴァイシュを含めた同期の人間がどれほど彼女のやさしさに救われてきたのか。
あの優しいマリアを全否定などしたくなかった。

「嘘です・・・あなたは優しい方です!!今だってあの二人を庇って一人ぼっちで死のうとしているのでしょう!?」

ヴァイシュは涙を流すと立ち上がった。
しかし、松葉杖が滑りその場で思い切り転倒した。

「痛っ・・・・」

「大丈夫か!!ヴァイシュ!!・・・・おい!誰か!」

マリアは目の前で大転倒したヴァイシュを気遣い部屋の外にいる誰かに呼び掛けた。
しかし、ヴァイシュは笑みを浮かべながら立ち上がった。

「ほら・・・やっぱりあなたは優しい」

「・・・」

マリアは彼女の痛々しい姿に言葉を失った。
ヴァイシュは何とか立ち上がると、鉄格子によりかかった。

「やはり君にも敵わないな・・・・」

マリアも少し呆れた様子でそうつぶやいた。
そして、彼女の本心がポロリとこぼれた。

「そうさ・・・君の言う通り・・・私は弱い人間なんだ・・・剣が好きだったことなんて一度もないし、ビアンカの時も、ルーマの司祭の時も、ジュールを殺した時も、いつだってどうすべきかを悩んでいた・・・・やっぱり、私は今でもお花を育てたり、本を読んだりする方が好きなのかもね」

そう言うとマリアは席を立った。
そして、ヴァイシュに背を向けるとゆっくりと鉄の扉に向かって歩みだした。

「だからこそ・・・曲がった自分とは正反対の君が好きになったんだよ・・・それじゃあ元気でね」

ヴァイシュは直感で彼女を行かせてはいけないと思った。
こんなのまるで最期ののお別れではないか。

「待ってマリー!!いかないで!!そうよ!私、まだあなたに一度も剣で勝ってないのよ!!また手合わせしてくれないと・・・・」

ヴァイシュは涙ながらに叫ぶ。
しかし、マリアは何の反応も示さない。
そして、マリアはドアの向こうで待機していた兵士に連れられて部屋の外に出された。

「待って!!!」

しかし、無情にもその鉄の扉はがちゃんという音を立てて閉められた。
ドアが閉まったのを確認するとマリアは緊張の糸を緩めた。
ドアの向こうからはヴァイシュの泣く声が聞こえてくる。
マリアの頬には涙が伝った。
マリアにとってヴァイシュはかけがえのない存在だったが、ヴァイシュもまたマリアをかけがえのない存在だと思っていたのだ。
ただ、今のマリアにはそれが分かっただけでももう十分だった。








面会を終えたハルたちがココローヌの屋敷に戻って来たのは夕方ごろだった。
四人は面会を終え、各々思うところはあったのだが、特にヴァイシュの元気のない様子が目立った。
というのも帰って来てからずっと自室にこもっているのだ。

その後夕飯の時間の前に遅れてココローヌが帰宅した。
ハルたちは夕飯をココローヌと共に食べたのだが、その時もヴァイシュは姿を現さなかった。

そして夕食後、ココローヌは真剣な表情で大事な話があると四人を談話室に呼んだ。
ここでもヴァイシュは来ることを渋ったのだが、ココローヌがめずらしく絶対に聞いてほしいということだったのでハルが呼びに行くことになった。

ハルはヴァイシュの部屋の前まで来てはいるのだが、なぜかノックをためらってしまう。
しかし、下でココローヌとアキとマルクを待たせている。
ハルは息を大きく吸うと、扉を三回たたいた。
しかし、中から返事はない。

「入るぞ~・・・」

ハルは恐る恐る部屋の中へと入る。
ヴァイシュの部屋は真っ暗だった。
ハルは、部屋の入口にあったランプに火をともすとヴァイシュが寝ていると思われるベッドまで寄った。

「おーい・・・」

ハルはそっと毛布越しに彼女の肩を叩いた。
すると、ヴァイシュは飛び起きた。

「は、ハルさん!?」

「ごめん・・・びっくりさせちゃったみたいだね・・・ココローヌさんがどうしても話したいことがあるって」

ハルはその時、ランプで照らされた彼女の目が腫れていることに気がついた。

「シロ・・・目が腫れてるけど・・・どうかしたのかい?」

「いえ・・・なんでもありません。すぐに下りていきますから先に行っててください」

「分かった・・・」

ハルはランプを机の上に置くと部屋を後にした。


そして、五分後。
ヴァイシュも下りてきて全員がそろった。

「それで・・・大事な話っていうのは・・・」

ハルは少し表情の暗いココローヌにそう話した。

「はい・・・単刀直入に話します・・・ナツ・ハミルトンとエリー・ブリトーニャの二名には禁固三年、執行猶予二年の刑が・・・そしてマリア・ルフェーブル・ユートピアの死刑の判決が下りました」

その言葉を聞いたとたんにアキとマルクは少しだけホッとしたような表情を見せた。
この二人に関してはナツとエリーが死刑にならずに済んだという喜びの方が大きいのだろう。
しかし、ヴァイシュだけはうなだれていた。

「そうですか・・・」

彼女はそれだけ言うと、白く綺麗な髪の毛を前に垂らして動かなくなった。
彼女の生気を失ったその姿に他の人たちは言葉を失った。
だが、ココローヌは意を決して話を続ける。

「マリアの死刑執行は城前広場にて明朝九時に行われます」

ココローヌの非情なひとことにヴァイシュは肩をびくりとさせた。

「いくらなんでも・・・早すぎませんか・・・面会は?」

ヴァイシュは力なく尋ねた。
しかし、ココローヌは黙って首を横に振るだけだった。
それを見たヴァイシュは再びうつむくと、悔しそうに拳を強く握った。

「休んでいるところ申し訳なかったわね・・・」

ココローヌはそう言うとソファーを立った。
しかし、すぐさまヴァイシュが口を開いた。

「待ってください・・・・その、なんとかならないんですか?」

ヴァイシュは引きつった笑顔で尋ねた。
アキの両親はマリアの作戦草案を元に行われたカターヌ侵攻の末に命を落とした。
いつもの彼女なら、今の言動が不謹慎であることなど考えるまでもなく分かっているはずだ。
しかし、今のヴァイシュにそんな余裕などなかった。
ハルもアキもマルクも彼女のその哀れな様子を直視できなかった。

「やれることはすべてやりました・・・あとはなるようになるだけです」

ココローヌは真剣な面持ちでそう返した。
すると今度、ヴァイシュは立ち上がると激しい形相でココローヌに食って掛かった。

「なんで・・・何でそんなに冷たいんですか・・・あなたの側近を二年近くも努めていたんですよ!!!」

彼女の怒声が部屋中に響きわたり、直後に静寂が訪れた。

「ごめんなさい・・・・」

ココローヌはそういってヴァイシュから目をそらすと部屋を後にした。
ヴァイシュは立った状態でうつむいたままだった。

「すみません・・・ちょっと取り乱しました」

直後、ヴァイシュはそう謝罪した。
ハルを含めた三人は茫然と彼女を見上げることしかできなかった。

「少し外の空気を吸ってきます・・・」

ヴァイシュはそう言うと、松葉杖をついて部屋の外へと出ようとする。
ハルは思わず彼女を止めようとした。

「待って!」

すると、彼女は立ち止まり振り向くと静かに口を開いた。

「大丈夫ですよ・・・この足じゃ何もできませんから」

「・・・」

ヴァイシュはそれだけ言い残すと談話室を出て行ってしまった。






ヴァイシュはゆっくりと玄関を目指していた。
そして、玄関の扉を開けると冷たい空気が彼女の全身を撫でた。
そうか、もう冬になるんだな・・・。
そんなことを思いながら彼女は玄関前の石段に腰を下ろした。
空には星が瞬いている。
この星だけは、昔からこれっぽっちも変わっていない。

すると、後ろから男が現れた。

「何の用です・・・ロバート中尉」

ヴァイシュは涙をぬぐうとそう尋ねた。

「星が見たくなってね・・・」

ロバートはそう言うと石段を下り、ヴァイシュの左前に立つと空を見上げた。

「あなたはマリーのことは知っているのですか・・・?」

「当然だ・・・」

星を見上げるロバートの表情もどこか寂しげであった。
すると、不意にロバートが尋ねた。

「覚えているか・・・?アルペ山脈の行軍訓練」

「忘れるわけないわ・・・」

「あの時見た星も綺麗だったな・・・・」

「ええ・・・」

ヴァイシュは適当に相槌をうった。

「そういえば・・・お前が谷底に落っこちた後・・・マリーの奴取り乱してな・・・俺と取っ組み合いになったんだぜ」

するとロバートは思い出したかのように笑顔を見せながら語り始めた。

「そんなの初耳です・・・」




今から二年前の夏。
それは、ヴァイシュとマリーとロバートが士官学校の三年生の時にアルペ山脈の山越え行軍の訓練を行っていた時の話である。
南からウルマン軍の侵攻にあったという想定で行われるもので、士官学校でも一位二位を争うほど過酷な訓練とされている。

事件が起こったのは三日目。
その日は朝から雨が強く降っていたが、上官は行軍を強行した。
ヴァイシュとマリーは先頭の集団である第一小隊にいたのだが、昼過ぎあたりから猛烈な雨に襲われた。
山岳地帯の道は岩がむき出しなので、地盤が緩みきっていた。
そしてちょうどその時、不幸なことにマリーの頭上から落石が襲ってきたのだ。
岩が降って来るくるのを後ろから見ていたヴァイシュは咄嗟にマリーのことを突き飛ばしたのだ。
マリーは大きく前に転倒したが、ヴァイシュのお陰で土石流の流れには巻き込まれなかった。
しかし、彼女を助けた時に土石流のコースに入ってしまったヴァイシュはそのまま土砂とともに谷底へと姿を消したのだった。

「ヴァイシュ!!」

マリーはすぐさま崖の上から顔を出し谷に向かって叫んだ。
しかし、眼前に広がったのは底がよく見えないほど深い渓谷だった。
マリーを含めたその場にいた生徒たちは彼女の生存が絶望的であることを悟った。
しかし、彼女は諦めようとはしなかった。

「第一、第二小隊はこれよりヴァイシュ・ホフマン候補生の捜索を開始する!第三、第四、第五小隊は今日の目的地まで引き続き行軍せよ」

マリーは雨の中でも通る声でそう命令を下した。
というのも、本訓練には成績が優秀な者が各小隊長に選ばれており命令権が付与されていた。
とりわけ第一小隊は主席と次席がそろっていたのだ。
もはやマリーの命令は絶対に等しいものであった。

しかし、第二小隊の隊長を務めていたロバートが彼女の命令に異を唱えたのだ。

「マリー小隊長!その命令は承服しかねる!!」

「何だと・・・」

マリーは鬼の形相でロバートを睨みつけた。

「全軍、現在の行進を継続・・・天候悪化の前にキャンプ可能な地点まで峠を下るのが最善だ」

ロバートは代替案を提示した。

「ヴァイシュを見殺しにするのか!!」

マリーは怒りをあらわにした。

「今助けに行けば二次被害が起きる!!それは最も避けるべきことだ!!ひとまず第三、四、五小隊の命令は一致している・・・彼らを先行させろ」

「・・・第三、四、五小隊は我々を追い越してキャンプ可能地点まで下れ!」

マリーはロバートの提案をひとまず飲むとそう命令した。

「言っておくが、第二小隊だけでなく第一小隊の他の学生も捜索に当たらせることには反対だ」

ロバートはすぐさまマリーにそう言った。

「本軍の全指揮権は私にある・・・四の五の言わずにやれ」

マリーは完全に冷静さを失っていた。

「ならば、貴様を行動不能にすれば三位の私に全指揮権が移るというわけだな・・・・」

「・・・・面白い、やってみろ」

ロバートはそう言うとマリーにタックルをした。
剣か体術で勝負を仕掛けてくると思っていたマリーは、彼の泥臭い戦法に驚きを隠せなかった。
マリーはタックルに合わせ思い切り彼の頭に蹴りを入れた。
完全に決まったのだが、ロバートは止まることなく彼女に突進し、馬乗りになると彼女の頬を平手でたたいた。

「冷静になれ!!君らしくないぞ!!」

「でも・・・ヴァイシュが・・・」

マリーはそのまま天を仰いでポンチョの袖で目をぬぐうと、涙を流した。
そして、先ほどのマリーの蹴りがクリーンヒットした額から血を流しながらロバートは叫んだ。

「マリー小隊長殿はご乱心だ・・・だれか傍にいてやれ・・・それと第一、二小隊はこれより先行に続いて峠を下る!!」

彼のこの判断は後に正しかったことが証明された。
翌朝、生徒たちが通っていた山道のあらゆる場所で土石流やがけ崩れが起こっていたのだ。
そして、この時ヴァイシュは運よく下流の村ツェルンで保護され、村長カルロスに剣の稽古をつけてもらっていたのだ。






ロバートは一通り話し終えると再び星を見上げた。

「そんなことがあったのですか・・・・」

ヴァイシュは驚きを隠せなかった。
なぜなら、マリーの泣いているところなど一度としてみたことがなかったからだ。
しかし、なぜ彼がそんなことを今になって話すのか分からなかった。

「それをなぜ私に話したのですか・・・」

「さぁ・・・」

彼はヴァイシュと顔を合わせようとしなかった。
そして、一呼吸置くと再び話し始めた。

「君はもう軍属ではないのだろう・・・?」

「ええ・・・」

「うらやましいな・・・・」

ロバートは意味あるげにそうこぼすとヴァイシュの方に向かって歩み寄って来た。

「俺は今日疲れたからもう寝る・・・多分何があっても知らないし、朝まで起きない・・・何があってもな」

「は・・・・?」

ヴァイシュは彼が何を言っているのか意味が分からなかった。

「それとこれは個人的な話だが・・・今日は夜空の星灯りを反射していて白銀の月がきれいだ・・・だからと言ってあまり夜更かしはするなよ」

「はあ・・・・」

的を射ない彼の発言を半ば聞き流すようにしてヴァイシュは彼の顔を見やった。
彼はそれだけ言い残すとそのまま屋敷の中へと戻っていった。

「あいつ何言ってるんだろう・・・・今日は新月なのに」

ヴァイシュは不思議そうにそうつぶやいた。





一方その頃、ハルはヴァイシュのことがやはり心配になり外の様子を見に行こうと玄関へとやって来た。
すると、そこにはちょうど外から戻って来たロバートの姿があった。

「ロバートさん・・・ヴァイシュは・・・?」

ハルは彼女の様子を尋ねた。

「ああ・・・相変わらずだよ」

そう言うとロバートは肩をすくめた。
そして、ロバートはエントランスでハルとすれ違う時にぼそりとつぶやいた。

「あいつは危なっかしいからな・・・・ちゃんと手を引いてやってくれ・・・・」

ロバートはそれだけ言うと二階へと消えた。
ハルは彼の意味深な発言に首をかしげながらも外に出た。

ハルはヴァイシュを探すことを覚悟していたのだが、彼女は意外にも玄関先に座っていた。

「シロ・・・」

「あ、ハルさん・・・」

ハルがそう呼びかけて、ヴァイシュの横に座ろうとした時だった。
ハルは何かが玄関前に落ちていることに気がついた。
それは、カギだった。

「ねぇ・・・これシロの?」

ハルはそのカギをヴァイシュに見せて尋ねた。

「いえ・・・しかしこれは何のカギでしょうか・・・珍しい形をしていますね・・・・カギと言えばもっとこう棒状では?」

ハルはヴァイシュの発言にピンときた。
これは、家のかぎなどではない。
もっと特殊なものをロックしておくためのものだ。

「これ・・・車のキーだ・・・ロバートさんに届けないと・・・」

ヴァイシュはハルのその発言にロバートの意図を読み取った。

「ハルさん・・・車で城前広場に行きましょう」

「え・・・」

ハルはヴァイシュの唐突な提案に驚きを隠せなかった。

「ロバートは言っていたんです・・・これから何があっても知らないし、朝まで起きないと」

ハルはヴァイシュのその一言ですべてを理解した。

「分かった・・・でも本当にいいんだね?」

「はい・・・」

ハルとヴァイシュはお互いに頷くと急いで車に乗り込み、城前広場を目指した。








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