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プロローグ 次の人生を授かる日
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暖かな昼下がり。
木陰のテラス。
私はうたた寝のうちに、このまま永遠の眠りにつく事を感じていた。
鼓動が少しずつ弱くなり、徐々に体の感覚を失い、落下しているような浮遊しているような不思議な感覚。
そこに苦痛は一切なく、指先から静かに冷えてゆくだけ。
老衰とは、こんなに静かな死だったか……
齢60をとうに越え、波乱万丈でありながらも満たされた貴族としての私の人生は、今生に幕引きを迎えるにあたって、もう十分、満足よ。そう言い切れることがとても幸せだった。
そりゃあ、絶対に何の未練後悔もなく……という訳にはいかなかったけれど。
貴族だったからこそできなかった事、行けなかった場所、学びたかった事もたくさんあった。60余年の人生では全く足りなかったわ。
例えば貴族にとって自由恋愛はまったく一般的ではなかった。家同士が決めた縁で婚姻した私の夫は、先に立つその時まで私と子どもたちをとても大切にしてくれていたし、生きるに困る事は一度も無かったけれど……そこに恋だの愛だのというものは一切無くて、生まれていたものは家族としての親愛。
”こういうもの”と思えば一切不満は無かったけれど、一度でいいから物語的な恋愛をしてはみたかったわね。
でもそれは、贅沢というもの。
貴族、王族、領民たち。誰しも人生への挑戦は一度きり。これは誰にも覆すことはできない。
……次の人生が授かる時は、どうかもっと様々な挑戦が許されますように。
――あら、随分と屋敷の中が騒がしいわね。
聴覚は最後の最後まで残る人間の感覚。そよ風が運ぶ草と花の匂いや美しい木漏れ日ももう感じることはできないけれど、薄れゆく意識の中で私の耳は一つだけ声を拾った。
「バルメおばあ様、母さまの陣痛が始まりました。……おばあ様?」
◇◇◇◇◇
あら、私……
瞼のすき間から強い光が入ってくる。私は眩しくて目をぎゅっと眇めた。
命が終わったと思ったけれど、生き延びたのかしら?
最後に三人目の孫の顔が見れると思ったから、ちょっとだけ頑張ってしまえたのね、きっと。
徐々に目が慣れ、私の目の前に飛び込んできたのは娘であるセレーヌの泣き顔。
そういえば、セレーヌのお産が近いからと、あの子の屋敷に来たんだわ。
末娘のセレーヌは少し遅くに三人目の子供を身籠った。もういつ生まれてもおかしくないというのに、母子ともに経過があまり良くないこともあって、妖精の加護の手伝いをしに来ていた。
私どもの家系は昔から女が”妖精使い”としての使命を授かっていた。
妖精使いとは、妖精と人との間に立つ交渉役。
妖精は人間の隣人として善きにも悪しきにも影響を与える。人間もまた、妖精とテリトリーを共有していることをあまり考えずに過ごしている。
その狭間に生じる諍いを収めたり、また必要な時は助力を願いお互いを思いあえるようにする。これが妖精使いとしての仕事。
そして夫の家系もまた妖精との取引を行う”妖精商”を生業としていた。
妖精が生産する薬や道具を買い付けたり、人間が持つ魔力の高い宝石を妖精に売ったりするのがバイヤーとしての夫の主な仕事だった。
妖精に関するものが見える特殊な目と魔力がないと出来ない仕事であることから、これは永きに渡って血筋の仕事とされている。
王家ですらあまり干渉することの許されない、この国の根幹を支える職業。
私はその末席に属していた。
話は戻るが、ここに来て私は違和感を感じていた。
なにも言葉を発することが出来ない。そして体の感覚がおかしい。
何もかも今までの自分のものではないかのよう。
そして今度は少し悲しげに微笑む娘の夫の顔が近づき、私の体は軽々と抱き上げられ両腕に包まれた。
慣れてきた視界の先では、娘はしゃくり上げながらベッドに横たわっていた。
セレーヌの上の二人の息子達も、沈痛な面持ちで私に頬を寄せる。
「……この子の、名前は、バルメにするわ……ひっく、亡きお母様と同じ名前よ……お母様の最後の加護を授かった……大切な大切な私たちの娘……」
……なんということかしら。
私の次の人生は、私の孫としての生なのね。
木陰のテラス。
私はうたた寝のうちに、このまま永遠の眠りにつく事を感じていた。
鼓動が少しずつ弱くなり、徐々に体の感覚を失い、落下しているような浮遊しているような不思議な感覚。
そこに苦痛は一切なく、指先から静かに冷えてゆくだけ。
老衰とは、こんなに静かな死だったか……
齢60をとうに越え、波乱万丈でありながらも満たされた貴族としての私の人生は、今生に幕引きを迎えるにあたって、もう十分、満足よ。そう言い切れることがとても幸せだった。
そりゃあ、絶対に何の未練後悔もなく……という訳にはいかなかったけれど。
貴族だったからこそできなかった事、行けなかった場所、学びたかった事もたくさんあった。60余年の人生では全く足りなかったわ。
例えば貴族にとって自由恋愛はまったく一般的ではなかった。家同士が決めた縁で婚姻した私の夫は、先に立つその時まで私と子どもたちをとても大切にしてくれていたし、生きるに困る事は一度も無かったけれど……そこに恋だの愛だのというものは一切無くて、生まれていたものは家族としての親愛。
”こういうもの”と思えば一切不満は無かったけれど、一度でいいから物語的な恋愛をしてはみたかったわね。
でもそれは、贅沢というもの。
貴族、王族、領民たち。誰しも人生への挑戦は一度きり。これは誰にも覆すことはできない。
……次の人生が授かる時は、どうかもっと様々な挑戦が許されますように。
――あら、随分と屋敷の中が騒がしいわね。
聴覚は最後の最後まで残る人間の感覚。そよ風が運ぶ草と花の匂いや美しい木漏れ日ももう感じることはできないけれど、薄れゆく意識の中で私の耳は一つだけ声を拾った。
「バルメおばあ様、母さまの陣痛が始まりました。……おばあ様?」
◇◇◇◇◇
あら、私……
瞼のすき間から強い光が入ってくる。私は眩しくて目をぎゅっと眇めた。
命が終わったと思ったけれど、生き延びたのかしら?
最後に三人目の孫の顔が見れると思ったから、ちょっとだけ頑張ってしまえたのね、きっと。
徐々に目が慣れ、私の目の前に飛び込んできたのは娘であるセレーヌの泣き顔。
そういえば、セレーヌのお産が近いからと、あの子の屋敷に来たんだわ。
末娘のセレーヌは少し遅くに三人目の子供を身籠った。もういつ生まれてもおかしくないというのに、母子ともに経過があまり良くないこともあって、妖精の加護の手伝いをしに来ていた。
私どもの家系は昔から女が”妖精使い”としての使命を授かっていた。
妖精使いとは、妖精と人との間に立つ交渉役。
妖精は人間の隣人として善きにも悪しきにも影響を与える。人間もまた、妖精とテリトリーを共有していることをあまり考えずに過ごしている。
その狭間に生じる諍いを収めたり、また必要な時は助力を願いお互いを思いあえるようにする。これが妖精使いとしての仕事。
そして夫の家系もまた妖精との取引を行う”妖精商”を生業としていた。
妖精が生産する薬や道具を買い付けたり、人間が持つ魔力の高い宝石を妖精に売ったりするのがバイヤーとしての夫の主な仕事だった。
妖精に関するものが見える特殊な目と魔力がないと出来ない仕事であることから、これは永きに渡って血筋の仕事とされている。
王家ですらあまり干渉することの許されない、この国の根幹を支える職業。
私はその末席に属していた。
話は戻るが、ここに来て私は違和感を感じていた。
なにも言葉を発することが出来ない。そして体の感覚がおかしい。
何もかも今までの自分のものではないかのよう。
そして今度は少し悲しげに微笑む娘の夫の顔が近づき、私の体は軽々と抱き上げられ両腕に包まれた。
慣れてきた視界の先では、娘はしゃくり上げながらベッドに横たわっていた。
セレーヌの上の二人の息子達も、沈痛な面持ちで私に頬を寄せる。
「……この子の、名前は、バルメにするわ……ひっく、亡きお母様と同じ名前よ……お母様の最後の加護を授かった……大切な大切な私たちの娘……」
……なんということかしら。
私の次の人生は、私の孫としての生なのね。
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