妖精使いの孫

九軒

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第3話 妖精と人の距離

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 さて、それから7年の月日が経ちました。

「ん…………っ」
 私は朝陽を瞼に強く感じ、8歳のバルメは目を覚ました。
 細い蔦が幾重にも絡まり、編み建てられた揺りかごの中で、私は体を猫のように丸めて横たえていた。
 あちらこちらに白や青のかわいい小花が沢山咲いて私を囲み、とてもいい匂いがしている。
 身体は温もっていたけれど頬には朝のしんと冷たい空気を感じた。
 ゆっくり体を起こすと、そこは邸の庭の奥にある小さな林。
「もう……またなの?」
 木々のざわめきに混じってくすくすと笑う子どものような声が聞こえた。
 遠くでボリスが私を探す声がする。また寝室に居ないことがばれてしまったのだろう。
「兄さまー! 私ここよー?」
 大声で返事を返すと、すぐさまボリスが飛んできた。
 面積が狭いと言ってもそこそこの林なのだ、かなり探し回ったのだろう。ボリスは肩で息をして額に黒髪が汗で張り付いていた。
「おはようございます。ボリス兄さま」
「おはようバルメ。……また攫われたんだね?
 お邸へ帰ろう。寒くないかい?」
 ボリスは涼し気な目元を小さく綻ばせながら、蔦の揺りかごに座る私に手を差し出した。
「大丈夫です。兄さまありがとう」
 ボリスのエスコートを受けて手を取る。彼は私の手を引き寄せて飛び降りてきた私を抱きとめ、抱えたまま邸へ足を向けた。
「バルメからはいつも花の匂いがする」
「そうでしょうか? 兄さまからはそうね、今は草の匂いがします」
 広い林の中を探すうちに、色々なところを駆け抜けてきたのだろう。柔らかく艷やかなストレートの黒髪には葉っぱが絡まっていた。
 それを指でつまむと、また頭上から小さな笑い声たち。
「……今日も僕は彼らにからかわれている」
「今度強く言っておきますね。……聞くかどうかは自信がないのですけど……」

 温かい春の晴れた朝に限って、私はよく睡眠中に妖精に連れ出され、林のどこかで寝かされている。という珍事が発生するようになった。
 邸の近隣に住む妖精の仕業なのは明白で、どうやら人に対する警戒心が薄くていたずら好きな若い妖精が多いみたいね。
 昔は兄二人総出で私を探してくれていたけれど、ブルーノは学業と跡取りとしての仕事がが忙しく今はほとんどボリス一人の仕事になった。
 しかしボリスは頭の回転がよく、妖精の行動パターンがだんだんわかってきたようで、最近ではすぐに見つかっちゃう……と妖精たちは零していた。
 いたずらが過ぎる気もするが、根は悪い妖精たちではないのだ。

 私は5歳より淑女としての立ち居振る舞い、語学などの勉強が始まった。
 しかし私の実態は60歳越えの老婆。マナーも勉強もすでに一度通って来た道なので、教師たちは両親に口々にこう言った。
「バルメ様はすべてが完璧です。我々には何も教える事がありません……」
「日常の姿勢から、音楽や絵画の見識、会話のイントネーション、お食事のマナーにいたるまで……もう何方かに教えて頂いていたのでしょうか?」
 私の何もかもが規格外すぎたため、勿論両親は困惑した。
 終いにはヴァイオリンを渡された直後に軽々3曲弾きあげ、教師は何かを叫びながら邸を飛び出して帰った。
 私は一度習得した事を再度やるのは大変気詰まりだったし、もっと知らない分野の勉強に時間を費やしたいと考えていた。
 二回目の人生なのだから、一回の人生では足りなくて読めなかった本を時間の許す限り読みたい。
 私には知らないこと、知りたかったことがまだまだ沢山あるの。


   ◇◇◇◇◇


「ははあ……それでお屋敷に出入りする教師の数が減っておられたのですね」
 1歳の誕生日以降、ハンスは昼下がりの庭に時折現れるようになった。
 林を軽く散策している時や、ティータイムなど、短時間だけ近況を話して彼は去るが、ボリスはハンスが来た時は必ず私の近くにいた。
 ボリスは妖精の気配にとにかく敏感で、本の読みすぎで目を少々悪くしたが問題ないほどに妖精に対する目が良い。
 バロック男爵家は彼の才能を知り近々修行させようかと父に打診していたが、当の本人がここを離れることを嫌がっていた。
「はい、私に教えられることがもう無いんですって。今では数日に一度課題を確認されて、すぐに帰られますよ」
「ここの妖精たちが『お嬢様はとんでもなく天才でおられる』と噂していたと言っていましたよ。フッフフ……」
 大体の事情を知るハンスは腹を抱えて震えながら笑っている。本当に悪い妖精ね。
「……私に邸の方々の噂を話されても」
 私はその爆笑を見て、世の中には聞きたくないことばかりなのよ。と不貞腐れた。
「時にボリス様」
「……何」
 声をかけられたボリスは、切れ長の目で冷たくハンスを睨む。ハンスは何ら表情を変えずに笑顔でにこにことしていた。
「おっと、そんなに警戒なさらないでください! 私は貴方とも仲良くしたいと思っているんですよ」
「……何故?」
「それはですね、ボリス様が妖精使いとしての才能に富んでいらっしゃるからですよ」
「……それが?」
 ボリスは家族や邸で働く以外の者には冷たい態度を取ることがある。
 それは大抵、当家にあまり良い感情を抱いていない者であったり、当家に下心を持って接してくる者であったり……
 実のところ、妖精たちのこともあまり肯定的な感情をいだいていない。ハンスもそれが分かっていながら、そんな反応を楽しんでいた。
 ハンスはボリスの前に立ち、ボリスの顔を至近距離で覗き込む。ハンスの横顔に影が差し、その横顔には妙な迫力があった。
「これより先、ボリス様が望む望まざるに関わらず、貴方様は妖精稼業に絡め取られて来ることでしょう。
 ここまで妖精に対する感度が高いお方は、残念ながらヒト寄りの仕事にはまったく向きません。
 私は思うんですよー、それならば我々とはもう少し冷静に向き合うべきではないかと? 我々のことを偏見なく正しく知るべきではないかとね。
 そうすればバルメ様に今後降りかかる障害から守ることができるかもしれません。
 バルメ様もまた……我々妖精らにとっては魅力的な存在なのですから」
「…………っ!」
「敵を知り己を知ればー、と言うではありませんか昔から。フッフフ」
「……ハンス」
「おっと、ではそろそろ私はこれで。ごきげんよう我が君」
 ハンスはぱっといつもの調子に戻り、極上の笑顔で恭しく指先にキスをして消えた。
「……」
 少し動揺した様子で目を伏せたボリスと、苦虫を噛み潰したような表情の私を残して。

 この日からしばらく後、ボリスは妖精に関する勉強を始めた。
 相変わらず朝は私を起こしに来て、林にも迎えに来てくれるけれど、学業との両立もあって会える時間は減った。
 こうやって少しずつ大人になっていくのよね。と、私はどこかしんみりとしてしまった。
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