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正直者は恋をするか? (4)

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 教科担当ではないし、年度始めでもないのだから、勉学の時間を割いて行う着任式は必要ないと断ったのだが、校長代理は聞き入れてくれなかった。

『レナス・フローディアも変わらなければならない時期に来ているのです。伝統や慣例に従うばかりで変化を嫌う。保守的で何事も先送りにする旧体制では破綻するでしょう。新たな風を吹き込むためにも、あなたのお披露目をしなくては』

 業務開始はそれからで構わないとエヴァに言われたけれど、家具が揃った職員寮と食堂の往復だけでは腹も空かない。  
 とりあえず職場の環境作りに取りかかった茉冬の気力はみなぎっていた。
 この世界の日常にも、その内順応出来るだろう。履修の必要なく言語は通じるし、文字も読める。
 守るべき少女とは離れ離れになってしまったが、身体を鍛える趣味はここでも続けていたかった。
 
 転移と転職。覚えることや成すべきことが多くても、年度ごとに担当するクラスや学年が変わり、指導内容や委員会の方針転換に対処してきた茉冬には、漠然とした不安などない。
 成せばなる。そんな気持ちであらゆるトラブルを乗り越えてきた。
 今回は特殊なケースだが、きっと自分ならやっていける。
 もうすぐ振り込まれる予定だった賞与の査定や楽しみにしていた映画の公開は気になるけれど、今すぐ戻れないなら考えても仕方がない。

『演技なんてやったことなかったけど、なんかちょっと面白かった。いつかドラマにも出てみたいかな』

 ストーリーのあるCMで舞香が演じたのは人気俳優の妹役だった。
 テレビで見るより実物の方が良かったか聞くとお兄ちゃんにするなら絶対茉冬がいいと即答した彼女の傍にいてやりたい。
 それだけはあきらめられないから、魔法の習得や情報収集もしていくつもりである。

 
 カフェで提供されるコーヒーとケーキで満足しそうな印象のアスベルは、職員割引適用の食堂で揚げ物が盛られた今日のランチを三人前平らげていく。
 茉冬がもらった局長としての制服とは少し違うデザインの衣服を身につけた彼は、カフェスタイルと違い、髪を左側だけ編んでまとめている。
 深い藍色を基調とした制服は、彼の瞳の翠を引き立て、容姿の良さを誇張していた。
 茉冬の目に自分の姿は映らないが、美少女と美形がテーブルを挟んでいる様子は、鑑賞だけでなく画像で残したいくらいだろう。
 もしゃもしゃと口を動かすアスベルの前から料理がまた消えていく。大食い選手権のような光景に茉冬は苦笑した。
 
「お前は意外と食うんだな。成長期ってわけでもなさそうなんだが」
「朝と晩は基本的に抜いているので、三食分一気に溜めこむんです。この時間帯の方が大盛り無料でお得なんで」

 涼しい顔をして、無茶苦茶な節約術を教えてくれた彼の腹部は、食堂に来る前と変わらず引き締まっている。

「若いうちはそれでもいいんだろうが、臓器に負担がかかる食べ方はやめておけ。量が多くて安いから文句はないが、定食だと成人男子にはオーバーカロリーだ。寮住まいなら、共有のキッチンをうまく利用しろ。仕事とプライベートを分けたいなら強制はしないが、俺が作った飯で良ければ一緒に食うか?」
 食欲が魔力消費に引っ張られるのか、基本的な知識が欠如している。
 もしかしたら何を食べても健康体に戻す魔法があるのかもしれないし、身体の仕組みから違うのかもしれない。
 寂しがりで構いたがりの上司だと煙たがられる前に提案を取り消そう。茉冬が口を開きかけたのと快諾が得られたのは同時だった。

「局長のご飯、すごく楽しみです! あの、もちろん食材は買っていきますし、準備や片付けも任せてください。こっそり媚薬を入れたり、怪しい粉で眠らされそうになったりしたことがあって、他人が用意してくれたものに不信感があるんですけど、局長の手料理ならオレ、エルギウスの睾丸だって完食します」 

 食堂のスタッフも他人だろうと言いかけたけれど、好意が行き過ぎて犯罪に走った女性たちが想像出来る。
 エルギウスというのがどういう生き物なのかさっぱりだが、おそらくこちらではゲテモノの類だろう。
 美形が発音すると睾丸も何だか良い感じの食材のように聞こえるのは不思議だ。

「麺類ならなんでも好きですし、野菜も肉も魚も喜んで食べます。局長の好物とかも食べてみたいです!」

 はいはいと元気良く応える新人は見慣れている。初対面でこちらを否定してきたアスベルとの落差が酷すぎて脳内処理が追いつかないが、寛容な大人として振る舞う術は身につけている。

 倉庫代わりにされていた備品管理室の掃除や整理で、彼は活躍してくれた。
 汚れるのも構わず黙々と作業を進める彼の三倍速で茉冬は動いていたため、適切な指導が出来たとも思えないのだが、真面目に働く美少女には人の心を揺さぶる何かがあったのかもしれない。
 
 まさか、こいつ俺に惚れたとかじゃないよな。

 いきなり忠犬タイプに切り替わったアスベルの真意が茉冬にはわからない。
 自分に興味がなく、仕事に打ち込む上司を慕ってくれるにしても出会ってから日が浅い。
 もしかして、強気な美少女に命令されたい性癖だったのか。
 色々な可能性を考えて、食事の手を止めてしまった茉冬にアスベルは告げる。

「オレのこと、生意気でわがままなヤツだって思ってますよね。第一印象悪かったから仕方ないです。でも、局長にはオレのいいところをこれから見てもらうつもりなんで、期待していてください」

 キラキラとした眼差しで抱負を語る若者の感情は純粋なものだった。
 アスベルは舞香の代わりにはならないし、性別や性格だって全然違う。 
 けれど、茉冬に向けてくれる優しい矢印が懐かしく思えて、目頭がふいに熱くなる。
 ここには家族もいないし、友人も同僚もまだいない。弱音を吐くつもりはなかったのに、こんな風になつかれたら絆されてしまう。
 
「激務になっても逃げ出すなよ」
「飯食う暇がなくなったら困るんで、しっかりやりますね」

 楽しそうにウインクする部下の魅了にやられてしまった周囲の女性が、甲高い声を出す。
 やりすぎましたと舌を出すアスベルのあざとさに惑わされることはない。
 無反応な茉冬に安心して笑う彼は、最初に見た時よりも幼く、やんちゃな子供のようだった。



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