遥かなる遺言

和之

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 コルサコフからカムチャッカのペドロパブロスクに向かう航海で、夏には珍しく発達した低気圧が通過したため海が荒れた。五千トンの船でも珍しく酔わない祖父達が、船酔いしてツアーの係の者もお手上げになった。その時にお世話になった船員があの人です。彼は船乗りだけあって酔いにくいコツをその後の航海で伝授してくれたのです。それが二人共えらく感激してどうしても孫娘に会ってくれと引き合わせたのです。その縁で一緒になったんです。
「それは良かったですね。おじいさんは恋のキューピットなんですね。そんな大切な人を亡くされてさぞかし旦那様もお嘆きでしょうね」
「どうでしょう巡り合わせてくれた人が危篤なら船は降りるべきでしょう、でも航海士がいなければ船は出港出来ませんもの。でも泰宏さんは仕事一途な人ですから私の葬式と出船が重なれば行ってしまうでしょうね。結婚してから近海のクルーズ船から祖父の勧めた北米航路の貨物船に乗り換えた人ですから」
「自分の葬式なんて縁起でもない。雅美どうかしてんの・・・」そこまで言いかけて優子は言葉を置いた。自分にも思い当たるものがあったからだ。
「お姉さん、どうかしたん。そう云えば佐伯さんを近づけたのもおじいちゃんだったわね」
「何いってんの。あたしが見出した人なのよ」
「でもお姉さんは迷っていた。それを焚き付けたのはおじいちゃんなんだから。過程はともかく結果は似たようなものよ。お姉さんもそれは認めるでしょう」
 雅美と同じ様に自分の主人にも重なるところがあった。それはあの棺の主(ぬし)がやはり関与していた。佐伯から最近訊いて、自然に出会うように仕向けたのはおじいちゃんだと知った。最終的には自分の意志なのだが。その決定の過程でも祖父は自分の心の中に忍び寄っていたのだ。それは披露宴が終わり新婚旅行の時まで全身全霊で全てを支配していた。
 ひとつの魂が姿を変えて感情をつかさどり、それは心でなく、知力を蓄える理性の中に飛び込んできた。自分の頭で考えても、おじいちゃんの言葉でしか体が動かないのだ。笑いながら姉から聞いたこの話が自分にも訪れ、このじれったさを雅美も後日苦しんだ。
「なぜおじいちゃんがそれほど私たちにおせっかいなのか分かる?」と雅美が言った。
「あたしたちが生まれた時にこの子はこうありたいと願って名前を付けた。それが勝手に育ったため修正する相手を探したのよ。祖父から反発して自由に育ったつもりでも三つ子の魂をしっかり掴んでいたのよあの人は」と優子は棺に顔を向けた。
「そんなこと此処でべらべら喋ってよろしんでっか」
「いいのよ野々宮さんの人柄で祖父の葬儀を任せたから知っておいてほしいと思って」
「ホウ、良かったなあ野々宮。お嬢さん方に信頼されて」
「幸か不幸か一番下のお嬢さんはもう影響されずに済んだのですね」野々宮が訊いた。
「・・・ウーン。そうでもないのよ。礼子は祖父が昔、連れて来た人と半年前から付き合ってるのよ。おじいちゃんはあの箱の中で今も念力を唱えてるから早いとこ火葬にしなくっちゃ。そうでしょう」と優子は茶化した。そこへ礼子が着いた。
「井津冶さんも一緒じゃないの?」
「連れて来る訳ないでしょう」
「残念ね。でもあなたも話しておいたら。あたしも雅美もお披露目したのよ、おせっかいな祖父のことを」
 祭壇を背景にして祖父の棺が在りその前に居るのは姉達と野々宮と桐山の四人だけだった。姉はこの人たちに何を語ったと云うのだろう。
「何言ってるのよ! 何を話したと云ってるの」
「礼子、今朝あなたが言っていたでしょう、おじいちゃんの葬儀を担当してくれる人にはもっとおじいちゃんの事を知ってほしいわねって」
「そんなこと言った覚えないわ!」彼女は野々宮の視線を浴びてあからさまに否定した。そして二人の姉に喰って掛かった。
「こんなところで喋るもんじゃないわ。恥を知るがいいわ。お節介な祖父の道楽に振り回されるのはもうゴメンだわ。私はもう姉さん達のようにならないわ。あの老人はもう亡くなったのよ。今まで独り占めしていた財産がやっと分配されるのよ。その意味ではこの葬式は新しい一家の門出になるのね、そうだとしたらもっと華やかなものを野々宮さんに頼んでみたら。佐伯さんは優しい人だから優子姉さんはこれから羽目を外せるし、雅美姉さんだっていっそシアトルへでも行ったら、泰宏さんが移住したいって云ってるんでしょう。この家はあたしが相続するから安心して」
「そうかしらみんなあなたの事を心配しているのよ。あなただけは染まってほしくないと」
「何に?」
「あの箱の中の人の、生き方、考え方に」
「どう云うこと、もうおじいちゃんはこの世にいないのよ」
「とにかく葬儀が終わって遺骨になって自宅に戻るとおじいちゃんの顧問弁護士だった岩佐さんから遺言が公表されるの」
「おじいちゃん、遺言残してるの?」
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