遥かなる遺言

和之

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 インターホンを押すと女性の声で応答があった。玄関では待っていたように喪主の清一が野々宮を迎えた。玄関脇を通ると開いた戸の透き間から割と広い洋室が見えた。一人の男が床にモップを掛けている。それをこの前の執事が監督していた。喪主が野々宮に「さあぞうぞ」と和室に通じる廊下へ招いた。
 庭に面しして奥の居間へ行く前に、仏さんに線香を上げてからにしますと云う野々宮に喪主は仏間へ案内した。
 居間の座卓に座ると早速、喪主に入会手続きの催促をされて四通の書類を提出した。奥さんはお茶を出すと直ぐ引き上げた。約束どおり喪主名義と奥さん名義で七千円の会員を二口判を押してもらった。残りの二口は弟夫婦で、三千円の会員で引き受けてくれました。
  わざわざあの日は丹後まで行ってもらってと恐縮して喪主はまず礼を述べた。わしの名義でよければ四口同じ金額で引き受けるのだが、それではそちらさんがお困りなんでこう云う金額になりましたと同じように恐縮した。
 先方にすれば面倒臭いが会社の規定だから仕方が無い。新規も増口も会社に入る月々の積立金額に変わりがないのに、サブロクには同じ名義の増口は新規の十分の一でしか買い取らない。名義はともかく住所、連絡先、振り落とし先等、とにかく増口される場合は一カ所でも書類に変更が有れば新規扱いになった。ただ住所、連絡先等が他になければ増口扱いになり、話の上手いサブロクは親戚の名義借りを勧めた。 
「ご覧の通りみんな末娘を残して夕べ帰りましてひっそりしていますので、書類は弟に判を押してもらってから届けるか受け取りに来てください」と言ったが野々宮はとんでもない取りに来ますと言いながら、清一の求めに応じてもう一度、弟さんの書類の説明をした。ひっそりとして奥さんとさっきの別棟に居る執事以外は誰もいない。とても夕べ遺言書が開封された雰囲気じゃなかった。
「礼子は今朝、永倉から電話が有って行きました」
 いったい何の話が有るというんだ。
「永倉さんが来られたのですか?」
「夕べあなた方と入れ違いにね、父の顧問弁護士だった岩佐さんがどうも知らせたらしいんです」
 弁護士が知らせた理由は一切話さなかった。だが訊くわけには行かない。
「彼は遠いんですかその住まいは」                     
「いや堅田、山向こうですけど、まあ昨日は電車が無いと言って直ぐに帰りました。娘夫婦たちは遅く迄居てタクシーで帰りましたよ」
 素面(しらふ)だとこの人は打って変わって手持ち無沙汰になるらしい。礼子は永倉と一緒だからいつ帰って来るか分からない。書類は間違いなく弟名義で後日入会させると背中を押されるような説明を受けて野々宮は家を出た。
 垣根越しに伸びる広葉樹の枝ぶりの狭い路を抜けると区画整理され整った住宅街に出た。真っ直ぐな路は十字路ごとに遠くまで見通せる。野々宮は急に車を止め、バックして行き過ぎた先ほどの十字路を駅の方に曲がった。前方から歩いてくる礼子に声を掛けると彼女は驚いた。
 永倉と一緒じゃないのと訊くと、さっき別れたと短く答えた。短すぎて後を聞きそびれてお茶に誘うと、快い返事とともに助手席に座った。
「来るなら来るで連絡すればいいのに」と礼子は言ったが「まずは喪主にアポを取るのが普通ですから」と答えると、そうねと彼女は笑った。
「お父さんが言ったの? あの子を送ったからそれで今日は遅くまで帰って来ないって」
「いえ、それはなかったです」
「お父さん、夕べの岩佐さんの言い方が気になったのね」
「あの帰る間際に来た弁護士ですか」
「そうね。一寸ややこしいの。あ! そこの喫茶店にしましょう」
 車を止めて二人は店に入った。そこでみんな期待していたのにがっかりしたのよと注文もそこそこに切り出してきた。十字路で見かけた礼子は少し俯き加減に歩いていた。初秋の光がその憂いを帯びた表情を照らしていた。声を掛けるのを躊躇うほど、これはこれで絵になるひとコマだった。声を掛けた瞬間に枝に落ちた淡雪のように一瞬に解けて、さっきの表情は見せたくなかったかのように振る舞う昨日の礼子がそこにいた。物足りなさそうに見る野々宮の眼を礼子は振り払った。
「あのあと何があったのか知りたいのでしょ」
 意味ありげに言う礼子に野々宮は急かすように短く二度頷いた。
「おじいちゃんは本当に喰わせ物よ、死んでからもあたしに指図するのよ野々宮さん、あなた名前は何て云うの?」
「裕慈(ゆうじ)、お父さんに名刺渡してあるんだけど?」
「時々そのお名前で呼んでもいいでしょう(返事も待たず続けた)それで岩佐さんが預かっていたおじいちゃんの遺言状って云うのがなかなかの曲者なのよ彼あの世へ逝ってもまだ企んでいるんだから」
 何かを愉しむようにクスッと笑った。            
「何を企んでいるんですか」              
「祖父は遺言であたしたち三人の孫にも与えると書いてあります。ただし奇妙な条件が付けられているんです。あたしが結婚した時にこの遺言は実行されると。しかも期限は四十九日以内と、四十九日目の深夜の零時を持ってこの遺言の効力は失効されると云うことは遺言は無かったことになるの。名付け親として三人の幸せを見届けたい。それがおじいちゃんの趣旨らしいの。岩佐さんの話だとおじいちゃんはしきりにあたしと永倉君の行く末を案じていたとおっしゃるの。いかがなものでしょう」
「期限を短く切っているのもその辺に意味があるんでしょう。それは永倉さんも知ってるんでしょうね、弁護士がわざわざ呼んだくらいですから」
 まだ結論を下してない礼子に祖父は重い決断を促していた。財産分与の遺言はその決定に従うことが条件になっていた。期日は指定しても相手は指定されてない。岩佐もこの点を指摘したらしい、短い期日が言い換えれば他の男を捜す猶予がないから、わざと相手を指名しなかった。おそらく祖父は死が迫ってなければ他の孫同様、じっくりと手の込んだ筋書きを作ったに違いなかった。   
「一族みんなが、中でも姉二人は気を揉んでいるのまるで腫れ物にでも触れるように扱うの発表の後は『それまでにあんたが死んだらどうなるのあたしたちの遺産は』なんて言うのよ。まあ冗談でしょうけれど、ああごめんなさい話がそれたわね。今朝彼があたしを呼び出した理由もそこなの。だって今まで結論が出なかったものが数時間で出る訳ないでしょ、今朝の覇気のない顔を見られたわね」
「何で躊躇ってるですか、彼を」
「・・・ウーン。ねえ裕慈さん、気晴らしにドライブしません。どうせ父は遅くなると思ってるんだから」
「別にかまいませんけれど・・・」
「お仕事?」
 店長は今日の成果を首を長くして待ってるだろうなあ。
「いえ、いや、もう通常のひと月分をゲットしましたからハメを外す余裕はあります」と言ってしまった。
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