24 / 54
(24)
しおりを挟む
(24)
車はヘアーピンカーブが続く比叡山の坂道をゆく。曲がり角に差し掛かると彼女の身体が寄ってくる。余り傾斜がきついと彼女の両手は野々宮の肩に寄りかかり、そのたびにその甘い吐息も漂う。
「免許持ってないって云うから車が好きじゃないのかなあと思ったけど結構愉しんでますね」
「井津冶は歩くのが好きなのよ、だからいつも歩いてばっかり。だから」
これはカーブのせいでなく永倉に対しての反動だ!
「ぼくも歩くほうが好きですけど仕事上走らないといけないからなあ」
「井津治も早く自立したから免許は必要だと言って取ったのよ。おじいちゃんねその時、彼に『車を買ってやろう』なんて言い出すのよもちろん彼は辞退したけれどそこまですんのかと正直思ったの」
「それは永倉さんじゃなくて彼のお母さんにたいして深い思い入れがあるんじゃないんですか。会ったことはないんですか。お母さんに」
「一度だけ会ったけど小学生のときだから。確かにおばあちゃんとは違う。・・・おじいちゃんの理想の人じゃなかったのかなあ」
「おじいさんの理想?」
「ひとことで云うとあたしたちの名前、優子姉さんと雅美姉さんとあたしの名前から浮かび上がる人を想像すれば井津冶のお母さんに重なるんじゃないの。一度もおじいちゃんはそんなことは言わなかったけれど。そう考えるとこの遺言は奇妙じゃないでしょう」
「確かにそう取れなくも無いですね。永倉さんのお母さんがそうだとすれば望みは叶ったけれど儚く散った以上やはり完遂せにゃあならないと思いなおした。・・・ひょっとして四番目の孫には女の子なら慈って云う字を考えていたんじゃないのかなあ」
「? 慈(いつくしむ)・・・まさか裕慈さんあなたなの」
「これは女の場合だ、だからお父さんは清一でしょう弟さんは?」
「啓(けい)二(じ)」
「おじいちゃんが求めた理想の女性像を男に付ける訳がない。だからぼくは関係ないしあくまでも閃き、インスピレーション。おじいちゃんは違うかも知れない」
「妹まで考えたことがなかったけどなぜ慈なの?」
「失礼ですけどこのお三人に欠けてるものと思って」
「本当に失礼しちゃうけどそれがおじいちゃんのメッセージだとしてもあたしにはあたしの生き方があるでしょう、祖父が何と云おうと。・・・だったら裕慈の慈を追求してみようかしら」礼子はそう言いながら一寸裕慈を見た。彼は正面を見ながらも視野の端にこの礼子の表情を捉えていた。
「で永倉さんはどうなんですか?」
「好意を寄せているけどあたしは迷ってる」
あの人とは長いお付き合い。幼い頃から兄弟のように育って今もその延長線上にある。要するに異性としてのときめきがないまま今日に至ってる。要するに本当の恋を知らなければ一緒になる意義が見つけられないと云う。
「その人のもってるすべてを気に入ればいい」
「悪いところも?」
「当然そこが一番大事なところですよ。長所は皆が認めてくれますよ、傍らに居る人しか見えないものそれを育てるのが慈愛でしょう」
「慈愛か・・・」
礼子は呑み込む様に言った。
「解りきった理屈だけど形が掴めない、見えない。どうしたら感動するのあの人の何に感動すればいいの・・・」と礼子は笑った。自分で答えを見つけなければ何の意味も無いのねと今度は寂しく笑った。
何の前触れもなく行き先を訊かずに、野々宮は車を走らせたが目前の山はとっくに越えて湖岸道路を走っていた。次第に湖が大きくなり対岸が遠のいて、はるか向こうに見えだしても礼子は一向に気にするようすもない。それどころか良い気晴らしになるのか気持ちよさそうにいつまでも眺めていた。
視野に広がる琵琶湖の風景から話題を変えた。彼女は井津治に本を勧めた。彼を追いかけ回した。それから彼は小学校では駆けっこが得意になったと聞かせてくれた。
「すべてあたしが引き出してあげたようなものよ」と帆を上げた船のように颯爽と彼女の心が動き出した。
湖畔のレストランで昼食を終えるとさすがに彼女も時間を気にしだし「帰りたくないけど帰らなくっちゃ」と言い出し、今日は楽しかったわと添えた。帰りはもっと手前から京都に抜ける道はないの? と訊かれ琵琶湖大橋から西に曲がり途中越えから大原へと抜けた。
彼女はなぜか、もう井津治が帰り着いてるはずの堅田を避けた。それを訊くと「だって今朝送ったばかりなのに彼の近くを通るのは冥加(みょうが)が悪い」と云っていた。それだけなんだろうかと黙って聞いた。とにかくなんで此処でこんな言葉を使うんだろうと思った。
車はヘアーピンカーブが続く比叡山の坂道をゆく。曲がり角に差し掛かると彼女の身体が寄ってくる。余り傾斜がきついと彼女の両手は野々宮の肩に寄りかかり、そのたびにその甘い吐息も漂う。
「免許持ってないって云うから車が好きじゃないのかなあと思ったけど結構愉しんでますね」
「井津冶は歩くのが好きなのよ、だからいつも歩いてばっかり。だから」
これはカーブのせいでなく永倉に対しての反動だ!
「ぼくも歩くほうが好きですけど仕事上走らないといけないからなあ」
「井津治も早く自立したから免許は必要だと言って取ったのよ。おじいちゃんねその時、彼に『車を買ってやろう』なんて言い出すのよもちろん彼は辞退したけれどそこまですんのかと正直思ったの」
「それは永倉さんじゃなくて彼のお母さんにたいして深い思い入れがあるんじゃないんですか。会ったことはないんですか。お母さんに」
「一度だけ会ったけど小学生のときだから。確かにおばあちゃんとは違う。・・・おじいちゃんの理想の人じゃなかったのかなあ」
「おじいさんの理想?」
「ひとことで云うとあたしたちの名前、優子姉さんと雅美姉さんとあたしの名前から浮かび上がる人を想像すれば井津冶のお母さんに重なるんじゃないの。一度もおじいちゃんはそんなことは言わなかったけれど。そう考えるとこの遺言は奇妙じゃないでしょう」
「確かにそう取れなくも無いですね。永倉さんのお母さんがそうだとすれば望みは叶ったけれど儚く散った以上やはり完遂せにゃあならないと思いなおした。・・・ひょっとして四番目の孫には女の子なら慈って云う字を考えていたんじゃないのかなあ」
「? 慈(いつくしむ)・・・まさか裕慈さんあなたなの」
「これは女の場合だ、だからお父さんは清一でしょう弟さんは?」
「啓(けい)二(じ)」
「おじいちゃんが求めた理想の女性像を男に付ける訳がない。だからぼくは関係ないしあくまでも閃き、インスピレーション。おじいちゃんは違うかも知れない」
「妹まで考えたことがなかったけどなぜ慈なの?」
「失礼ですけどこのお三人に欠けてるものと思って」
「本当に失礼しちゃうけどそれがおじいちゃんのメッセージだとしてもあたしにはあたしの生き方があるでしょう、祖父が何と云おうと。・・・だったら裕慈の慈を追求してみようかしら」礼子はそう言いながら一寸裕慈を見た。彼は正面を見ながらも視野の端にこの礼子の表情を捉えていた。
「で永倉さんはどうなんですか?」
「好意を寄せているけどあたしは迷ってる」
あの人とは長いお付き合い。幼い頃から兄弟のように育って今もその延長線上にある。要するに異性としてのときめきがないまま今日に至ってる。要するに本当の恋を知らなければ一緒になる意義が見つけられないと云う。
「その人のもってるすべてを気に入ればいい」
「悪いところも?」
「当然そこが一番大事なところですよ。長所は皆が認めてくれますよ、傍らに居る人しか見えないものそれを育てるのが慈愛でしょう」
「慈愛か・・・」
礼子は呑み込む様に言った。
「解りきった理屈だけど形が掴めない、見えない。どうしたら感動するのあの人の何に感動すればいいの・・・」と礼子は笑った。自分で答えを見つけなければ何の意味も無いのねと今度は寂しく笑った。
何の前触れもなく行き先を訊かずに、野々宮は車を走らせたが目前の山はとっくに越えて湖岸道路を走っていた。次第に湖が大きくなり対岸が遠のいて、はるか向こうに見えだしても礼子は一向に気にするようすもない。それどころか良い気晴らしになるのか気持ちよさそうにいつまでも眺めていた。
視野に広がる琵琶湖の風景から話題を変えた。彼女は井津治に本を勧めた。彼を追いかけ回した。それから彼は小学校では駆けっこが得意になったと聞かせてくれた。
「すべてあたしが引き出してあげたようなものよ」と帆を上げた船のように颯爽と彼女の心が動き出した。
湖畔のレストランで昼食を終えるとさすがに彼女も時間を気にしだし「帰りたくないけど帰らなくっちゃ」と言い出し、今日は楽しかったわと添えた。帰りはもっと手前から京都に抜ける道はないの? と訊かれ琵琶湖大橋から西に曲がり途中越えから大原へと抜けた。
彼女はなぜか、もう井津治が帰り着いてるはずの堅田を避けた。それを訊くと「だって今朝送ったばかりなのに彼の近くを通るのは冥加(みょうが)が悪い」と云っていた。それだけなんだろうかと黙って聞いた。とにかくなんで此処でこんな言葉を使うんだろうと思った。
10
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる