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四方山日記

好きな奴の保護者ほど怖いものはない

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 今日は綿貫と約束していたように、綿貫邸で会食に参加することになっている。
 
 道すがら、昨日のことについて、考えていた。
 昨日は萌菜先輩にさかえに連れ出されて、また説教のようなものをされた。
 萌菜先輩は間違っている。俺はそう思った。だがそう思うだけで、その理由を言うことはできなかった。善き人であることが、俺の自然? 俺はそんな聖人めいた存在か? 違うな。……いや、その問いが違うのか。
 特に考えることもなく行うことが、他の人に善行と映っているだけ。聖人は努力して聖人であろうとする。俺は違う。俺はもっと異質だ。
 シマウマを食らうライオンを誰しも悪とは言わない。家畜を食らう人間を悪とは言わない。もちろん善でもない。であるならば、自然として人の役に立つことをする俺も、悪でもなければ善でもない。
 俺は自分に価値を見いださない。食べ物を食う自分を見て、それが善き姿だ、何て批評を誰もしないのと同じだ。
 俺の自然は、人間の理想を追い求める風に見えるらしい。だが、人は理想を追い求めない。現実世界の誰も桃源郷とうげんきょうの存在を信じない。それの実現も追求しない。
 だから俺は他人にとって異質で邪魔な存在だ。そのため、息を潜めることが、十六年生きて身に付けた俺の処世術だった。
 もう変えられない。これが俺なのだ。
 一人でいる時間が長いと、頭の中でエッセイを書いてしまう。どうにかならないかな、この癖。
 それにしても、基本属性が疑心であるところの、この俺でなければ、昨日の萌菜先輩の仕草しぐさは、こいつ俺のこと好きなんじゃね? と思わせるぐらいの威力があった。
 いや、もしかしてだけど、もしかしてだけど、この女俺のこと誘ってんじゃないの? と口ずさみたくなるぐらいの威力はあった。
 けれども、伊達だて世間擦せけんずれした俺ではない。ハニートラップぐらい見抜く。
 狡猾こうかつな女ならば、胸を触らせることや、観覧車という密室空間に連れ込むことぐらいやってのけるのだろう。
 昨日の値踏みするような視線を見るに、俺のことを探ろうとしていたのは間違いない。誰の依頼かは知らない。これからは夜道に気を付けるべし。
 

 名古屋駅から歩いて、綿貫の家へと向かう。先日は自転車でここまで来たが、自転車で会食の場に乗り付けるのは、なんだか躊躇ためらわれたのだ。
 通用門を入ったところの庭には何台か車が止まっていた。高級車が一堂に会している。どうして医者というものは外国車に乗りたがるのだろうか。それも値段にして一千万円を越えるようなものに。
 いや、特別なのは綿貫の周りだけか。何せ近代以前から綿貫家は名家なのだ。
 黒塗りのメルセデスのSクラスやら、やたらでかいBMWの七シリーズやらを横目に、綿貫家の裏玄関の前に行き、綿貫に出迎えられた。
 綿貫さやかは爽やかな服装をしていた。白を基調としたワンピースを着ている。うむ、今日も綺麗だ。
 綿貫に導かれて、家の奥へと進む。向かったのは普段、何の役に立つのか怪しい、大広間だった。大人たちが集まっていてざわざわとしている。

 今日の会食に呼ばれたのは、主に親族で、席の端の方に厚労省の高級官僚がひっそりいたりする、らしい。……。
 綿貫はさらりと事も無げに言った。
 霞が関のお偉方も、本家の人間には頭が上がらないのか。医学界の権威である綿貫家に頭が上がらないのか。どちらかわからないが、とりあえず隅っこで小さくなっている。
 わざわざ東京からきて、ご苦労なことだ。

 綿貫の叔父の、賢二さんが挨拶をし、会食は始まった。始めは元の席の周りで行われた斟酌しんしゃくも、時間が経つにつれ、人がばらけて行き、宴もたけなわになる頃には、座は大いに乱れていた。
 未成年で酒は飲まないので、少々退屈していた俺は、一度外の空気を吸いに出た。
 綿貫は家の人間であるから、遠路遥々えんろはるばるやって来た、客人をもてなすので忙しそうだった。女子高生にお酌してもらって、嬉しそうにするおじさん多数。
 
 縁側に出ると、綿貫隆一がいた。本日の主役がこんなところにいていいのだろうか。
 さっぱりした服装をした彼は、俺に気づき、手をあげる。俺はそれに対して、会釈をした。
「久しぶりだな。深山くん」
 あれだけのことを言われたというのに、俺に対する彼の言動は、人好きのするものであった。
「……どもです」
 気まずさで言えば、宴会場の方がましだったかもしれない。
 俺は過去の問題を、何事もなかったかのように振る舞えるほど、単純にはできていない。そんなうわべだけのものにどんな価値があるというのか。
 それが社会で生きるのに必須のスキルならば、そんな世界壊れればいい。……なにもしないけど。
「隆一さんは飲まないんですか?」
 逃げるわけにもいかないので、場を繋ぐため、俺は彼に向かって尋ねた。
「失礼にならない程度には飲んでいるよ」
「なるほど」
 ……
 話が続かない。十も年が離れていると、当たり障りのないような会話しかできないものだ。
 ……俺の場合、同年代でも、まともな会話は、ようやらんが。いや、できないんじゃなくて、しないだけだからね。
 隆一さんは続けた。
「どうかな、さやかとは?」
「どうと言われましても、まあ、普通です」
「そうか。……昨日は萌ちゃんと出掛けてたみたいだけど、楽しかったかい?」
 萌ちゃん? ……ああ、萌菜先輩のことか。……萌ちゃん。今度呼んでやろうか。
「まあ、つつが無く?」
 説教はされたが。それが萌菜先輩の目的だったなら、問題はなかったと言える。
 けれども、俺としては、昨日のことを思い出すと、少し塞いだ気持ちになる。
「ふーん。まあ、いいんだけど」
 隆一さんは、面白くなさそうに言った。……。
 えっ、なに。俺もしかして非難されてんの、これ。
「どうしてそんなこと聞くんですか?」
「いや、家の者と仲良くしてもらうのは大いに結構だよ。萌ちゃんはともかく、さやかには本当に仲の良い友人というのはあまり多くないからね」
「はあ」
「でも節操せっそうないのは意外だな」
 ……とっかえひっかえ、女とデート。傍目はためにはそう映るかもしれない。
「そういう風に見えますか?」
「ごめん、冗談だよ」
 それから、くっくっくとさもおかしそうに笑った。
 綿貫流のジョークはどれも分かりにくいんだよな。
「まあ、楽しんでいってくれよ」
 隆一さんは手をヒラヒラとさせながら、宴会場へと戻っていった。
 
 縁側に座ってボーッと庭を眺めていたところ、甘い香りをまとったきれいなお姉さんが近づいてきた。……平たく言うと、萌菜先輩がやって来た。
「ああ、いたいた。深山くん、楽しんでいる?」
 そのドレス色っぽいっす。
 とは言わない。
 何がやばいって、乳房間溝にゅうぼうかんこうがもろ見えなところが、有害図書レベル。僕みたいな、健全な少年にはもはや毒。
 健全≠純真無垢じゅんしんむく、であるところが味噌。
 ……色気ムンムンなところは、俺好みじゃないな。やはり綿貫さやかみたいに、素朴さが大事。逆にそこがそそられる。ガードが固いのを崩していくのが至高。
 馬鹿か俺は。
 女性が胸元の開けた服装を好むのは、単にそれがかわいいと思っているからであって、男の目を引きたいからとは限らない。そこを勘違いして死亡する男子は幾千にものぼる。
 ……世の中には、見られることで、快楽に浸る、変わった性癖の持ち主もいるようではあるが。
「……萌菜先輩もいたんですね」
「ひどいな、一応私の家だぞ、ここは」
 それもそうか。
「昨日はありがとう」
 と萌菜先輩は言った。
 説教しといて、お礼をいうのも、妙な人だな。
「いえ、あれくらい手間じゃないですよ」
 それを聞き、彼女はフッと頬を緩める。
 昨日の問いに対する答えを聞かれるかもと思ったが、彼女はそれに触れる気はないらしい。
 その方がいいけれど。
「それで、俺のこと探していたみたいですけど、なんか用でしたか?」
「ああ、そうだった。伯父が呼んでるよ」
 えっと、萌奈先輩の叔父、じゃなくて伯父か? は……賢二さんでいいんだよな。萌菜先輩の父親は確か、綿貫家の三男だったはず。
「賢二さんが?」
 萌菜先輩は頷いた。
「ここをずっと行ったところに応接間があるんだが、そこに行ってくれ。伯父が待っている」
 彼女は指をさしてそう言った。
「なんですか」
 尋ねても、肩をすくめるばかり。
「もしかしたら、さやかのことかもな」 
 何と。
 えっ、なに、俺の覚悟試そうとしてんの? こわい。
 とはいっても逃げるわけにもいかないので、しぶしぶ言われた通りに、賢二さんに会いに行った。

 結論からいうと、俺が呼び出されたのは、綿貫さやかに対する、覚悟を問われるためでも、一週間に二度、別な女(綿貫さやかと萌菜)とデート? をしたことのお叱りを受けるためでもなかった。
 ビクビクしながら応接間に入った俺を、賢二さんはにこやかに迎え、夏の綿貫との旅行の付き添いのお礼だと言って、和服一式を渡された。
 ちょっとびびる。多分十万はくだらないぞこれ。
 羽織に、綿貫家の家紋が、縫われていたのがあれだったが。……俺を養子にでもしてくれるのだろうか。なんてな。
 それにしてもサイズいつの間に調べたのかな。こわいよ。

 翌日、いつも通りの月曜日。
 授業が終わって、部室へと向かう。
 部室には既に雄清がいた。……こいつちゃんと掃除してんのかな?
「やあ、太郎。待ちくたびれたよ」
「なんだ」
 俺は荷物を机にどさりと置きながら尋ねた。
「秋風読んでないだろう。ちょっと興味が出ると思うよ」
 そういって、金曜に文芸部の近藤から借りた部誌「秋風」を雄清は俺のほうへ差し出す。
 俺はページを繰って、めぼしい記事を見つけ読み始めた。

『二人の確執』

 先日起きた生徒会のマスコット倒壊事件は皆の知るところだと思う。
 諸君の人口に膾炙かいしゃした出来事を紙面にくわけは後の文を読めばご理解いただけるだろう。
 あれは単なる事故だったのだろうか? 
 ご存知のように生徒会長は衆目を引く佳人であり、才女である。それに対して、今回被害にあった陸上部の女子生徒も一年生ながらにして、エースとなった優秀な選手だ。彼女らは中学を同じくする。大多数の生徒は彼女らの間に何のいさかいもないと思うだろうし、あるいは切磋琢磨してきたのではという想像をするかもしれない。その予想はおおよそ当たっている。
 ところが、一般に人の関係が恒久的ではないのと同様に、彼女らの仲が微笑ましいもののままだったとは、残念ながら言えなさそうだ。
 能力あるものはそれを称賛されると同時に、ねたまれ、ついには排斥はいせきされる。それが世の摂理せつりであり、誰しも否定はできない。
 陸上部を退部した会長様は優秀な同胞をずっと好ましく見ていられただろうか? 答えは言うに及ばない。

「なんだこれは」
 読み終えた俺はぽつりと言った。
「ちょっと悪意があるかもね」
「ちょっとどころじゃないだろう。邪推もいいところだぜ、これは」
「まあ、そうかもだけど、火のない所に煙は立たぬ、というし」
「こんなのは駄目だ。こんな事件を面白がって書き立てるような奴の記事なんて」
 俺がそういうと、雄清もさすがに渋い顔をする。雄清は普段の様子を見ていると、いい加減な男のように思われるかもしれないが、根は真面目である。そうでなければ俺は付き合わないし、俺のような男と奴も付き合わないだろう。人をおとしめるような行為を大っぴらにするような奴じゃない。
「確かに、この書き手は少なくとも善意をもって書いたとは言えないだろうね。でも、僕は調べたい。おそらくこの記事のせいで、二十年前の会長さんは心を痛めたはずだ。生徒会のマスコットで怪我人が出たのは事実だとしても根も葉もない風評で傷つくなんてあっていいことじゃない。これは二十年越しの意趣いしゅ返しさ。彼女の流した涙を、僕はぬぐってやりたい」
 何か言うべきことがあるような気もするが、うまく言葉にできなかった。
 俺は人に何を言われようと気にしない。外野の評価で俺という人間の価値が決まるわけがないから。雄清も同じように考えるだろう。 
 だが、この世の大多数の人間はそうはいかない。いつでも周りの目を気にして、人とはずれたことをするのを極端に嫌い、群れたがる。他人の評価を自らの帰属意識の担保とし、それがなければ不安で生活していけない。
 別にそれをかわいそうだとか、哀れだとか、劣っているだとかは思わない。俺の生き方が正しいとも思わない。
 結局正解なんてだれにも分からない。
 二十年前の生徒会長がくだらない噂で、苦しんだというのは、あるいは真で、あるいは間違いだ。
「……」
「なるべく太郎には迷惑が掛からないようにする」
「……まあ、それなら」
 俺がそう言ったら雄清は満足げに頷いた。
「で、この後どうすんだ?」
「……どうしよう」
 はあ。結局こうなるか。
「……文芸部というのは日常的に校内の出来事を記事にしていたと思うか?」
「うーん、どうだろ」
「文芸部の本分は言うまでもなく、文学だろう。でも、部誌に記事を書いた」
「うん」
「このことから察するに、二十年前の事故というのは当時の生徒にとって大きなものだったのだろう」
「まあ、学校祭が中止になったわけだし」
「だとするとだぞ、ほかの部活も部誌やらなんやらでそのことに言及しているかもしれないだろう」
「ああ、なるほど! じゃあ」
「うん。手あたり次第当時の資料を校内で探してみるんだな」
「わかった」
 そういって雄清はどこかへと去っていった。
 そういえば、体育祭実行委員のほうはいいのかしら。萌菜先輩に怒られるぞ。
 それを聞こうにも、もう雄清の耳には届かないが。
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