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第三十二話 不意打ちと戸惑い

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京都旅行から帰ってきて、早くも6日が過ぎてしまった。
相変わらず優一は朝から晩まで夏のロケや収録、そして雑誌の表紙撮影などで仕事が立て込んでいて、のんびりする暇もないようだった。

一方葵はというと、友達と出かける予定も特に立てていなかったし、明からも伊豆の件に関しては何も連絡が来ていなかったため、家でダラダラする日々が続いた。
別にだらけているという訳では無いが、家事は優一さんがいないとやることが無いし、ご飯だってしっかり食べる気力もしなかった。

夏休みって一人だとこんなにも暇なのか、と葵は改めて絶望に近い感情を抱きつつ、ふと傍にあったリモコンを手に取った。
そういえばあまりテレビを見ていなかったけど、今年の夏はどんな特集をやっているのだろう?

葵がリモコンのスイッチを押すと、見覚えのある顔が画面上にパッと映し出された。
その人物の名前を、葵は既に知っていた。

「栄人さんだっ!!」

栄人は半袖にジーンズというラフな格好をしていて、芸人2人と共に話しながら街を歩いていた。
右上には【かき氷巡り~秩父編~】と書かれていた。どうやらロケだ。

「すごいなぁ……」

(テレビをつけると大体優一さんか栄人さんが出ている気がする…)

そんなテレビに引っ張りだこの人気俳優二人と、葵はなんの関連性もなかったはずなのに、一緒に暮らしていくうちにいつの間にかこういう世界に慣れてしまったのだ。

(ほんと慣れって怖いな…)

葵はそんなことを思いながら、特にやることも無かったのでその番組を見ることにした。

【芸人A:いやぁ、あの東栄人さんがね、まさかかき氷好きなんて知りませんでしたよ!】

【栄人:夏以外でも結構食べちゃうんですよね。キーンと来る感じが癖?というか。ハマるんですよね。】

【芸人B:あーわかりますわかります!めっちゃ頭にきますよねぇ!!カチーンって!】

【芸人A:いや怒っとるやないかーい!】

芸人BはすかさずAをバシッと叩きながらつっこんで笑いを誘う。
最近売れてきた芸人だが、やはり俳優の前では緊張しているのか、結構つっぱってる感じがした。

まああの東栄人なのだから仕方ない。
だとすると、それ以上に親密な絡みをしている自分って本当に凄いのではないか?

何だか優越感とでもいうのだろうか、そんな誇らしい感情が葵の中に芽生えてくるのだった。
遊ぶ相手もいないし暇にしてるだけの夏休みのどこも羨ましくない自分の日々、だけと誰も知らない秘密が、それ以上にないくらい、みんなが羨ましがるような事だった。

(俺、本当に羨ましい立場だよなぁ…)

葵がテレビを見つつ、自分をそんなふうに励ましながらゴロンとソファに寝転んだ、その時だった。


ピンポーン!

突然チャイムが鳴った。

(ん…誰だろ?)

葵はすぐさま玄関のテレビドアホンを確認する。
そこにはなんと、今さっきテレビに映し出されていた栄人の姿があったのだ。

「え、栄人さん!?」

【おーっす!遊びに来てやったぜ。】

葵は驚く間もなくロックを解除し、扉を開けた。

「こ、こんにちは!」

「よう!突然悪ぃな。夏休み楽しんでるか?」

「あ、た、楽しんでます!どうぞ、上がってください!」

葵は自分の家でもないのにそう言うと、栄人をリビングに招き入れた。
いまさっき氷を補充したところだし、なにか冷たいものでも出さなければ。
(そういえばまだレモンティーのパックあったよな…)

葵がキッチンの棚の中からティーパックの袋を取り出していると、栄人はドスンとソファに座り、テレビを見て、「あー!」と声を上げた。
まだテレビは栄人と芸人2人のロケのところで、丁度栄人がかき氷を試食している映像が流れていた。

「俺じゃん!ていうか、葵この番組見てたの?」

「あ、はい。さっきテレビつけたら丁度やっていたので…。かき氷お好きなんですね」

「おう。すげぇ好きなんだよなぁ。」

(だとすると、抹茶かき氷とか好きそうだな…)

「そういや、優一はまた仕事か?」

「あ、はい。今日も寝坊しそうになったのを無理やり起こして行かせました…」

「はは、大きいお子様がいて葵も大変だな?あんま無理すんなよ?…ま、俺は葵がやってくれてるから優一を起こしに行く手間が省けて良かったって思ってるけどな!」

栄人は綺麗な歯を二カーッと剥き出しにして悪戯に笑った。
栄人の武器とも言えるような、優一とは真逆の全開の笑顔だ。

「まあ、ほぼ毎日だと慣れますね…。」

(いい加減ちゃんと起きて欲しいけど…まあこれも家賃の分だと思って乗り切るか…ってそういえばーーーーー)

ーーーーーーあれから、キスとかしてないな。


「はい。レモンティーです。」

葵はソファでくつろぐ栄人に冷たいレモンティーを差し出す。

「お、ありがとな!」

栄人は満面の笑みでそれを受け取ると、ガブッと一気飲みをした。
外は34度超の猛暑だし喉も乾いていたのだろう。

「ぷはーっ。うめぇな」

「優一さん、前はローズティーにハマっていたんですけど最近はレモンティーにもハマってるらしいです。それで今度はこっちを大量購入し始めて…。」

「あいつ、ハマるとすぐ大量購入するよなー!」

「そうなんですよねぇ。ホットケーキも食べたいってなるとすぐホットケーキミックス大量に購入するし…」

(でも結局料理するの俺だし使う機会なんかほぼなくて棚の奥に敷き詰められてるだけっていう…)

「ほんと、優一さんには困ってますよ。」

葵は笑いながら栄人の方を向いた。
しかし栄人は急に真顔になって、「ふーん。あ、そういえばさ」と何やら違う話を切り出してきた。

(あれ、俺今なんか変な事言ったか…?)

「は、はい?」


「葵、優一と京都旅行、行ったんだって?」

「あ…はい!六日前に行きました。」

「へぇー。どうだった?」

「え、た、楽しかったですよ…?思ったよりも色々行けましたし!扇子もプレゼントして頂いて…」

「ほーん……そうか。」

栄人は何かを考えるように腕を組むと、突然立ち上がった。

「なあ、葵。」

「は、はい!」

「来週、出掛けねぇか?」

「え?!」

葵はまさかの誘いに思わず言葉を失ってしまった。

「ん、そんな驚くことか?前、またドライブでどっか連れてってやるって言っただろ?」

「あ、あぁ!あの時言ってましたね!ありがとうございます!ぜひ、行きたいです!」

(あれ、建前じゃなかったんだ!)

「おう!」

「でも、来週だと…優一さんは多分仕事ですよね。」

「そうだろうな?」

「そしたら別の日の方がいいんじゃないですか?」

「なんで?」

「え、なんでって…?」

(元々栄人さんと優一さんって親友みたいな感じだし、前は面倒見てくれるってことで俺をドライブ連れてってくれたんだからまさか今度も2人で…なんてことーーーーーー)

「俺は葵を誘ってるんだけど。」

「え?で、でも俺なんかより優一さんと出かけた方がよっぽどーーーーーー」

「あいつは忙しいし、あいつのことはいいから。とにかく来週予定空けとけよな。んじゃ、今日は帰るわ。レモンティーご馳走様。」

「えっ…あ、は、はい!わかりましたっ」

「おう。」

栄人はそう言うと、そそくさと家を出ていってしまった。
葵はその姿をぽかんとしながら見つめるしかなかった。


(え、俺…今…栄人さんに遊び誘われた…?しかもまた2人だけで…もしかして、もしかして…俺…!!!)

「栄人さんにめっちゃ気に入られてるんじゃね!?」

そう思うと喜びが湧き上がってきた。

(遊ぶ人いなかったし、優一さんは忙しそうだし…良かった!!それにまた栄人さんに優一さんの話も沢山聞けるじゃん!!)

葵は栄人に出したコップを片付けると、気持ちを舞い上がらせつつ、カレンダーに予定を書き込んだのだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「はぁ、疲れた…」

「優一さんお疲れ様です」

その晩、23時を過ぎて帰ってきた優一は、撮影だったのがリビングに着くなり、ソファに倒れ込むように突っ伏した。

凄く疲れているようだ。


「あぁ…またリビングなんかで…!疲れてるのはわかりますけどちゃんとベットで寝てくださいよ。」

「だめ。もう動けない。」

「だめって…。それに冷房もガンガンだし…また風邪引きますよ?」

「んー……」

優一は暫く横になっていたが、次第に体を起き上がらせた。

「ほら、俺が支えますから、部屋行きますよ!」

「ふぁあ………」

優一の体を少し支えつつ、ベットまで運ぶ。

「明日も頑張ってくださいね。」

「ふぁ…んー…」

「お仕事沢山詰まってるかもしれませんけど、無理はダメですよ。優一さんのファンとかスタッフの人とかも心配しますし……」

「ありがとう。」

「はい。あ、そうだ。そういえば今日…栄人さんが来たんですよ。」

「え、そうなの?」

「はい!それで色々話して、そしたら来週ドライブ連れてってもらえることになって…!」

「へぇ……。そうなんだ。」

「はい!」

葵が元気よく返事をすると、突然改まったように優一がベットから体を起こした。

「ねぇ、葵くん」

ふと名前を呼ばれた。

「はい?どうしました…」

「キスしよう」

「ふええ!?」

(まーたこの人は何言って!!!ーーーーーーって…)

「あ……もしかして家賃分のキスですか?確かにココ最近するの忘れてましたけど…」

「違う。」

「え?」

「家賃分じゃないキスしようか。」

「は…!?」

(それってどういうーーーーーー!)

その瞬間優一は思いきり葵の腕を引いた。
そして首に手を回して、葵が聞く間もなくキスをしてきたのだ。

「んんっ…優一さんっ」

(し、舌がっ…)

ドクン…

(なんか、いつもと違う…)

舌がしつこく絡みついて、でもなんかそんなに苦しいわけじゃない。
でもそれ以上に優一と手の力が強くてーーーーーー

どうして?

今すぐに聞きたいのに、言葉さえも出なかった。
優一の綺麗な瞳が葵の目をじっと見つめる。

「ぷはっ……はぁ…優一さん…なんですか急に…。相当…つ、疲れてるんじゃないですか?」

葵は心の動揺を抑えつつ、苦笑いなんかをして問いかけた。
けれど優一はまっすぐ葵を見つめるだけだった。

「優一さん…?」

葵が困惑の表情で見つめると、暫くして優一が、優しい笑顔を向けてきた。
けれどそれのせいで尚更、意味がわからなくなってしまった。

(なんでそんな優しい顔…)

本当に何を考えているのか、なんで急にこんなことをしたのかわからない。
葵はモヤモヤして、頭の中がごちゃごちゃになりそうだった。

「あ、あのーーーーーー」

「じゃ、おやすみ。」

「え?」

優一はそう言うと、ベットから起き上がって部屋の電気を消した。

「え、ちょっと…待ってください。家賃分じゃないキスの意味がわからないままなんですけど…」

「したくなったからしただけだよ。」

(は!?)

ドクン…

「したくなったって、ま、ますます意味わからないんですけど!」

高鳴る鼓動の音が、ますます葵の余裕を無くしていく気がした。

したくなった、なんて言われたらどう答えていいかわからない。

ていうか、どうして?

なんで?


「意味わからなくないでしょ」

「わ、わからないです…!だからなんでしたくなったのかを俺は聞いてるんです…!」

「そんな事言われてもね…」

「答えてくださいよ!」

葵が前のめりになって言うと、優一に手を掴まれた。

「なっ…なんですか。」

「じゃあ葵くんは僕になんて言って欲しいの?」

「えっ?」

不意打ちの質問に葵は言葉を失ってしまった。


なんて言って欲しいか……?

そんな事、別に頼んでないだろ。

なのに、言葉が出なかった。

葵が暫く固まっていると、優一は暗い闇の中でふふっと笑った。

「じゃ、おやすみ。」

「え…?ち、ちょっと……!」

「ごめんね。疲れてるから。」

優一は葵から手を離すと、ベットに潜り込んでそのまま寝てしまった。


(本当に…なんなんだよ……)

意味がわからなかった。
優一が何を考えて、キスしたくなったのか。
どうしてこんなことをするのか。
それでもいつも詳しく話してくれない所とか、よくわからない表情を浮かべるところとか、葵の頭の中では追いつけないことばかりだった。


ただーーーーーー


ーーーーーー葵くんはなんて言って欲しいの?ーーーーーー

たしかに。言われてみればそうだ。
したくなったからした、それでいいじゃないか。
それ以上の答えを求めているとするならば、本当に自分はなんて言って欲しかったのだろう?


なんて言ったらーーーーーー


自分は納得でもしたのだろうか?


(あぁ、もう寝よ…)



考えるだけ、空回りする気がする。

葵はそんな疑問を浮かべながらも、大人しく眠ることにしたのだった。

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