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一章 アスカとルミ①
一 早起きした朝 ─二〇一九年 三月二十八日─ 一(改)
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妹との電話で
すっかり目が覚めてしまった私は、
店に下りて時間を潰すことにした。
「大変だねぇ、こんな朝っぱらから」
開店前の静かな店内で、
私は優雅に紅茶を淹れた。
カウンター席から眺める窓の向こうでは、
サラリーマンや高校生が
T駅に向かって歩みを進めていた。
脇目も振らずに歩いていく彼らを、
私はのんびりと頬杖をついて眺める。
普通なら忙しい朝も、
私はテレビの音を聞き流すことができる。
住居一体型のお店だから、
出勤が極めて楽なのだ。
それに、駅も近い。
物凄く近い。
窓からT駅の様子が丸見えなのだ。
所要時間は徒歩十秒。
油断しすぎて
逆に電車に乗り遅れることもしばしば。
だから、仮に会社員であったとしても、
朝はゆったりと過ごしていただろう。
外で、バスが唸り声をあげた。
駅前通りを走り去るバスは
たくさんの高校生を乗せていた。
バスが走り去ると、今度はサラリーマン。
電車の発車時刻が迫っているのか、
鬼気迫る表情で
私の視界を駆け抜けていった。
忙しい朝を過ごす彼らを肴に、
私は紅茶を一啜り。
ホッと、ため息一つ。
もう少し甘みがあってもいいなと、
角砂糖を一つ投入。
ちょうどその時、テレビの中で
とあるニュースが読み上げられた。
『続きまして、
今月の一日から行方不明になっている
鮫島秋文さんに関する話題です。
現在も捜索が続いていますが、依然、
有力な手掛かりは見付かっていません』
大々的に情報提供を求められているのは、
私と同い年──二十五歳の男性。
どこにでもいるような男性の顔に、
私はどこか見覚えがあった。
「誰かに似てるのかな……」
このニュースを目にするのは、
これで二回目。初めて見たときも、
私は今と同じことを思った。
あれは、
タッちゃんが来ていた日だったから……
そうだ、ちょうど二週間前のことだ。
ああ、またあの痛みを思い出してしまう。
『ひとつ、頼んでもいいか?』
あの日、彼は私にそう言った。
三年間お世話になった母の喫茶店を離れ、
ここに店を構えたのが二年前。最初は
喫茶店一本でやっていくつもりだった。
けれど、お店のビラ配りの最中にいくつか
人助けをしていたら、あろうことか
そっち方面のお客さんが増えてしまい、
やむを得ず
何でも屋を並行して営むことにした。
当初は、
喫茶店が軌道に乗るまでの副業として
考えていた何でも屋。
いざ始めてみれば
お客さんが途切れることはなく、
それどころか喫茶店と並走して
軌道に乗り始めてしまったのだ。
私は迷った。このまま二つの仕事を
並行して続けていこうか、それとも
何でも屋をやめて喫茶店だけにするべきか。
迷った末に、
私は二つの仕事を続けることを選んだ。
決め手となったのは、ある思い。
困っている人達を、私を頼ってくる人達を
見捨てることはできない。
その思いを、私は今も胸に抱き続けている。
だから私は、
タッちゃんからの依頼も引き受けた。
鋭い牙に咬み千切られるような
失恋の痛みに耐えながら。
『もしあいつがこの店に来たら、
俺のことを伝えておいてくれないか?』
彼の依頼から早くも二週間。
「ミユキさん……来ないな」
元より一度も店に来たことない人だから、
今後も来るかどうかわからない。
多分、来ない可能性が高い。
でもそうすると、いつまでも
この依頼を抱えたことになる……。
「本当、なんでデート前日に
飲み会なんて行くかねぇ」
それがなければ、
タッちゃんは酔い潰れることはなかった。
酔い潰れなければ、
デートに遅刻することもなかった。
遅刻しなければ、
振られることもなかった。
振られなければ、
私がこんな依頼を受けることもなかった。
「ていうか、ミユキさんもミユキさんだよ。
音信不通はやり過ぎだって……」
私なら笑って許してあげたのにな。
いや、嘘です。
さすがに四時間遅刻は怒ります。けど、
それでも一方的に振らないのは確かだ。
「私なら……か」
二週間前にタッちゃんから聞かされた話は、
いまだに現実味を帯びることなく
私の脳内で渦を巻いていた。
その渦に巻き込まれるように、私は上半身を
カウンターにぐでんと横たわらせた。
すっかり目が覚めてしまった私は、
店に下りて時間を潰すことにした。
「大変だねぇ、こんな朝っぱらから」
開店前の静かな店内で、
私は優雅に紅茶を淹れた。
カウンター席から眺める窓の向こうでは、
サラリーマンや高校生が
T駅に向かって歩みを進めていた。
脇目も振らずに歩いていく彼らを、
私はのんびりと頬杖をついて眺める。
普通なら忙しい朝も、
私はテレビの音を聞き流すことができる。
住居一体型のお店だから、
出勤が極めて楽なのだ。
それに、駅も近い。
物凄く近い。
窓からT駅の様子が丸見えなのだ。
所要時間は徒歩十秒。
油断しすぎて
逆に電車に乗り遅れることもしばしば。
だから、仮に会社員であったとしても、
朝はゆったりと過ごしていただろう。
外で、バスが唸り声をあげた。
駅前通りを走り去るバスは
たくさんの高校生を乗せていた。
バスが走り去ると、今度はサラリーマン。
電車の発車時刻が迫っているのか、
鬼気迫る表情で
私の視界を駆け抜けていった。
忙しい朝を過ごす彼らを肴に、
私は紅茶を一啜り。
ホッと、ため息一つ。
もう少し甘みがあってもいいなと、
角砂糖を一つ投入。
ちょうどその時、テレビの中で
とあるニュースが読み上げられた。
『続きまして、
今月の一日から行方不明になっている
鮫島秋文さんに関する話題です。
現在も捜索が続いていますが、依然、
有力な手掛かりは見付かっていません』
大々的に情報提供を求められているのは、
私と同い年──二十五歳の男性。
どこにでもいるような男性の顔に、
私はどこか見覚えがあった。
「誰かに似てるのかな……」
このニュースを目にするのは、
これで二回目。初めて見たときも、
私は今と同じことを思った。
あれは、
タッちゃんが来ていた日だったから……
そうだ、ちょうど二週間前のことだ。
ああ、またあの痛みを思い出してしまう。
『ひとつ、頼んでもいいか?』
あの日、彼は私にそう言った。
三年間お世話になった母の喫茶店を離れ、
ここに店を構えたのが二年前。最初は
喫茶店一本でやっていくつもりだった。
けれど、お店のビラ配りの最中にいくつか
人助けをしていたら、あろうことか
そっち方面のお客さんが増えてしまい、
やむを得ず
何でも屋を並行して営むことにした。
当初は、
喫茶店が軌道に乗るまでの副業として
考えていた何でも屋。
いざ始めてみれば
お客さんが途切れることはなく、
それどころか喫茶店と並走して
軌道に乗り始めてしまったのだ。
私は迷った。このまま二つの仕事を
並行して続けていこうか、それとも
何でも屋をやめて喫茶店だけにするべきか。
迷った末に、
私は二つの仕事を続けることを選んだ。
決め手となったのは、ある思い。
困っている人達を、私を頼ってくる人達を
見捨てることはできない。
その思いを、私は今も胸に抱き続けている。
だから私は、
タッちゃんからの依頼も引き受けた。
鋭い牙に咬み千切られるような
失恋の痛みに耐えながら。
『もしあいつがこの店に来たら、
俺のことを伝えておいてくれないか?』
彼の依頼から早くも二週間。
「ミユキさん……来ないな」
元より一度も店に来たことない人だから、
今後も来るかどうかわからない。
多分、来ない可能性が高い。
でもそうすると、いつまでも
この依頼を抱えたことになる……。
「本当、なんでデート前日に
飲み会なんて行くかねぇ」
それがなければ、
タッちゃんは酔い潰れることはなかった。
酔い潰れなければ、
デートに遅刻することもなかった。
遅刻しなければ、
振られることもなかった。
振られなければ、
私がこんな依頼を受けることもなかった。
「ていうか、ミユキさんもミユキさんだよ。
音信不通はやり過ぎだって……」
私なら笑って許してあげたのにな。
いや、嘘です。
さすがに四時間遅刻は怒ります。けど、
それでも一方的に振らないのは確かだ。
「私なら……か」
二週間前にタッちゃんから聞かされた話は、
いまだに現実味を帯びることなく
私の脳内で渦を巻いていた。
その渦に巻き込まれるように、私は上半身を
カウンターにぐでんと横たわらせた。
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