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四章 アスカと一〇一号室
四 あの部屋、再び 四
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昨日の夜、店にやって来た若い男性。
彼からの依頼は、
引っ越しの荷造りを手伝ってほしい
というものだった。
その依頼は長丁場ではあったけど、
滞りなく作業は進み、
日が傾く前には終わりを迎えた。
「ルミ、そろそろ帰ってくるかな」
今回の依頼。
その内容を、ルミは何も知らない。
依頼人が店に来た時、
ルミは電話で家の方にいたからだ。
でも、知らなくてよかったと思う。
と言うのも──
「まさか、またここに来るとはね……」
依頼人──小黒さんが暮らしているのは、
二度と来たくなかったあの場所だったのだ。
恐怖が甦る。
このアパートは、
あの二〇三号室を有していた。
小黒さんの部屋は一〇一号室。
二〇三号室から一番遠く離れた部屋だ。
でも、怖いことに変わりはない。
荷造り中は作業に集中していたから
どうにかなったけど。
「……やっぱり怖いな」
「なにが怖いんですか?」
小黒さんが額の汗を
タオルで拭きながら聞いてきた。
「ああいや……なんでもないです」
「そっすか。それより、ピザ来ましたよ」
満面の笑みを浮かべる小黒さん。
彼の両手は、大きなピザの箱を抱えていた。
この部屋での最後の晩餐だと、
感慨深げに小黒さんは語る。
「これからの活動はT都ですもんね」
U―TUBERとして
音楽系の動画を投稿してきた小黒さんは、
ある程度のお金が貯まったから
活動拠点を移すのだという。
「穂波さんも、
暇があったらライブ見に来てください。
関係者席、用意しときますから」
「いいんですか? ありがとうございます」
大きなピザが小黒さんの
体内に飲み込まれていく度、
妄想混じりの“これから”が
彼の口から溢れ出る。
一切の家具が無くなった部屋には、
空いた空間を埋めるかのように
夢と希望が敷き詰められていた。
まぁ、都会の荒波に揉まれて
再びこの町に流れ着くかもしれないけど、
その時は優しくしてあげよう。
「よっしゃ、そろそろ行くか」
「どこに行くんですか?」
「アパートの人に挨拶です。
皆、俺のことを応援してくれてたんで。
ああでも、日比野さんのところは
どうするかな……」
今の今までキラキラしていた
小黒さんの表情に不意に影が差し込んだ。
光を遮った原因を、
私の耳は聞き逃さなかった。
彼の口から漏れ出た名前。
日比野とは、二〇三号室の住民の名だ。
「……なにかあったんですか?」
「いや、ちょっと行きにくいなぁって。
応援してくれてたから、
行かなきゃなんですけどね」
小黒さんの腰を
重たくさせているものが何なのか、
私の記憶に答えはあった。
あの部屋では、確かに人が亡くなっている。
骨壺がまだあったから、
四十九日もまだなのだろう。
お守りを拾ってくれた日比野さんは
五十代くらいの女性だった。
そして、遺影に写っていたのは
五十代くらいの男性。
恐らく、日比野さんの旦那さんだ。
夫を亡くし、
悲しみに暮れる日比野さんに対して、
夢と希望が詰まった引っ越しの報告は
確かに難しい。
けど、事態はもっと深刻であることを、
小黒さんは教えてくれた。
「……娘さんもまだ帰ってきてないもんな」
「娘さん?」
そういえば、
二〇三号室には子供部屋があった。
「家出しちゃったんですよ。
二月頃だったかな。まぁ、娘と言っても、
二十五の社会人なんですけどね」
「ということは、ろくに探されてない」
「そういうことです。ただ、
親としてはかなりショックだったみたいで、
旦那さんが先月倒れてそのまま……」
「そうだったんですか。
……娘さんは、どうして家出を?」
「嫌気が差したんじゃないですかね」
「嫌気?」
「借金があったみたいですよ。
その返済のせいで家計が厳しくて、
小さい頃から色々なことを
我慢してきたみたいです。
大学に行くのも諦めて、
収入だってほとんど家に入れて。
そんな生活が嫌になったんだろうって、
皆そう言ってます」
日比野さんが
このアパートに越してきたのは、
今から十五年以上前だという。
十五年以上もの間、
苦しい毎日を共に乗り切ってきた。
その家族がある日突然姿を消した。
旦那さんは、どう思ったのだろう。
自分を責めて、後悔して、
一日でも早く娘さんが帰ってくることを
祈って──
「そっか……今も待ってるんだ」
旦那さんは、今この瞬間も待っている。
家出した娘さんのことを。
あの日、私を部屋に招き入れた
姿なき人物は、旦那さんだったのだ。
「勘違いさせちゃったかな……」
そうだとしたら、申し訳ないな。
帰るとき、手を合わせていこう。
「やべ。そろそろマジで行かないと」
「引き留めてしまってすみません。
私もそろそろ帰ります」
帰り際、私は二〇三号室を見上げた。
何か作業をしているのか、
ドアガードが扉が閉まるのを妨げていた。
閉まりきらない扉から漏れ出る光。
寂しげで温かな光に、
私はそっと手を合わせた。
彼からの依頼は、
引っ越しの荷造りを手伝ってほしい
というものだった。
その依頼は長丁場ではあったけど、
滞りなく作業は進み、
日が傾く前には終わりを迎えた。
「ルミ、そろそろ帰ってくるかな」
今回の依頼。
その内容を、ルミは何も知らない。
依頼人が店に来た時、
ルミは電話で家の方にいたからだ。
でも、知らなくてよかったと思う。
と言うのも──
「まさか、またここに来るとはね……」
依頼人──小黒さんが暮らしているのは、
二度と来たくなかったあの場所だったのだ。
恐怖が甦る。
このアパートは、
あの二〇三号室を有していた。
小黒さんの部屋は一〇一号室。
二〇三号室から一番遠く離れた部屋だ。
でも、怖いことに変わりはない。
荷造り中は作業に集中していたから
どうにかなったけど。
「……やっぱり怖いな」
「なにが怖いんですか?」
小黒さんが額の汗を
タオルで拭きながら聞いてきた。
「ああいや……なんでもないです」
「そっすか。それより、ピザ来ましたよ」
満面の笑みを浮かべる小黒さん。
彼の両手は、大きなピザの箱を抱えていた。
この部屋での最後の晩餐だと、
感慨深げに小黒さんは語る。
「これからの活動はT都ですもんね」
U―TUBERとして
音楽系の動画を投稿してきた小黒さんは、
ある程度のお金が貯まったから
活動拠点を移すのだという。
「穂波さんも、
暇があったらライブ見に来てください。
関係者席、用意しときますから」
「いいんですか? ありがとうございます」
大きなピザが小黒さんの
体内に飲み込まれていく度、
妄想混じりの“これから”が
彼の口から溢れ出る。
一切の家具が無くなった部屋には、
空いた空間を埋めるかのように
夢と希望が敷き詰められていた。
まぁ、都会の荒波に揉まれて
再びこの町に流れ着くかもしれないけど、
その時は優しくしてあげよう。
「よっしゃ、そろそろ行くか」
「どこに行くんですか?」
「アパートの人に挨拶です。
皆、俺のことを応援してくれてたんで。
ああでも、日比野さんのところは
どうするかな……」
今の今までキラキラしていた
小黒さんの表情に不意に影が差し込んだ。
光を遮った原因を、
私の耳は聞き逃さなかった。
彼の口から漏れ出た名前。
日比野とは、二〇三号室の住民の名だ。
「……なにかあったんですか?」
「いや、ちょっと行きにくいなぁって。
応援してくれてたから、
行かなきゃなんですけどね」
小黒さんの腰を
重たくさせているものが何なのか、
私の記憶に答えはあった。
あの部屋では、確かに人が亡くなっている。
骨壺がまだあったから、
四十九日もまだなのだろう。
お守りを拾ってくれた日比野さんは
五十代くらいの女性だった。
そして、遺影に写っていたのは
五十代くらいの男性。
恐らく、日比野さんの旦那さんだ。
夫を亡くし、
悲しみに暮れる日比野さんに対して、
夢と希望が詰まった引っ越しの報告は
確かに難しい。
けど、事態はもっと深刻であることを、
小黒さんは教えてくれた。
「……娘さんもまだ帰ってきてないもんな」
「娘さん?」
そういえば、
二〇三号室には子供部屋があった。
「家出しちゃったんですよ。
二月頃だったかな。まぁ、娘と言っても、
二十五の社会人なんですけどね」
「ということは、ろくに探されてない」
「そういうことです。ただ、
親としてはかなりショックだったみたいで、
旦那さんが先月倒れてそのまま……」
「そうだったんですか。
……娘さんは、どうして家出を?」
「嫌気が差したんじゃないですかね」
「嫌気?」
「借金があったみたいですよ。
その返済のせいで家計が厳しくて、
小さい頃から色々なことを
我慢してきたみたいです。
大学に行くのも諦めて、
収入だってほとんど家に入れて。
そんな生活が嫌になったんだろうって、
皆そう言ってます」
日比野さんが
このアパートに越してきたのは、
今から十五年以上前だという。
十五年以上もの間、
苦しい毎日を共に乗り切ってきた。
その家族がある日突然姿を消した。
旦那さんは、どう思ったのだろう。
自分を責めて、後悔して、
一日でも早く娘さんが帰ってくることを
祈って──
「そっか……今も待ってるんだ」
旦那さんは、今この瞬間も待っている。
家出した娘さんのことを。
あの日、私を部屋に招き入れた
姿なき人物は、旦那さんだったのだ。
「勘違いさせちゃったかな……」
そうだとしたら、申し訳ないな。
帰るとき、手を合わせていこう。
「やべ。そろそろマジで行かないと」
「引き留めてしまってすみません。
私もそろそろ帰ります」
帰り際、私は二〇三号室を見上げた。
何か作業をしているのか、
ドアガードが扉が閉まるのを妨げていた。
閉まりきらない扉から漏れ出る光。
寂しげで温かな光に、
私はそっと手を合わせた。
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