何でも屋と季節外れの夢

水之音 霊季

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五章 アスカとルミ③

二 最悪な私 ─二〇一九年 五月十日─ 二

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「ごめんなさい、定休日なのに」

「いえ。ルミのご友人となれば、
 開けないわけにはいきません。
 それより、なにか飲みますか?」

「え? でも……」

「遠慮しなくていいですよ。
 なんでも好きなものをどうぞ」

「ありがとうございます。
 では、アイスティーを」

「じゃあ、
 俺はアイスコーヒーとピザトーストで」

「お兄ちゃんは少し遠慮して!
 ごめんね、アスカ。
 朝ご飯食べてこなかったみたいで……」

 金曜日。

 本来なら定休日だけど、
 ルミの同僚である凛子りんこさんと
 尊さんがルミに会い来るということで、
 今日だけは特別に店を開けている。

 二人とも
 今日しか予定を空けられなかったらしい。

 家の方に招こうと提案してみたけど、
 ルミはルミで、元気に働いてる姿を見せて
 安心させてあげたいとのことだった。

「凛子さんも食べますか、ピザトースト」

「私? あ、じゃあ……お願いしようかな」

「りょーかいです。せっかくだし、
 私も食べようかな。ルミも食べようよ」

「だね。じゃあ、私が作ってくるよ」

 得意気に胸を張って、
 軽い足取りでルミは材料を取りに行った。

 そんな彼女の背中を、
 凛子さんと尊さんは顔を綻ばせながら
 見送っていた。

「ルミ、笑えるようになったんだ」

 凛子さんの安堵のため息。

「最後に会ったときは、
 本当に辛そうだったから」

「そっか。休職中なんでしたっけ」

 毎日一緒に働いているから忘れていた。

 ルミは今、仕事を休んでいるのだ。

 私は彼氏さんの本名を知らず、
 顔も忘れていたから、
 行方不明の事実に気付けなかった。

 でも、だからこそルミは私のところに来た。

 私となら、恋人の失踪から目を逸らせる。

 そう思って。

 私のところに来る前、
 ルミは違うことで気を紛らせていた。

 それが仕事だ。

「本当、見てるこっちが苦しいくらいでした。
 後輩の仕事を片っ端からサポートして、
 自分でも色々な仕事を引き受けて、
 毎日毎日遅くまで残業して……」

 仕事に忙殺されることで、
 ルミは彼氏さんの失踪に
 意識が向かないようにしていた。

 オフィスに止まることもあったと言う。

 上司が『体を壊す前に休め』と
 直々に命令を下し、
 ルミの多忙は終わりを迎えた。

「本当、元気になってよかった」

「穂波さんには感謝しかない。これであとは、
 秋文君が戻ってきてくれたら──」


 全部元通り・・・だ。


 尊さんの言葉が、私の心臓に突き刺さった。

 今まで隠されていた真実が顔を覗かせて、
 私の傷口を容赦なく抉り始める。

 痛みを手で押さえ込もうとしても、
 指の間をすり抜けて流れていく。

「また聞きたいな、ルミの惚気話」

「俺は瑠美子の花嫁姿が見たいな」

 ルミは、私を求めた。

 彼女しか知らない苦しみを、
 彼女しか知らない不思議な夢を、
 それによってもたらされる悲痛の涙を、
 私は全て受け止めてきた。

 尊さん、それに熊田さんも言ってくれた。
 ルミがまた笑えるようになったのは、
 私のお陰だと。

 この私があったから、今のルミがいると。

 私は勝手に思い込んでいた。

 ルミを支えてあげられるのは、
 私だけなんだと。


 本当は、わかってたはずなのに……


 今のルミは、まだ元のルミじゃない。

 凛子さんも尊さんも、
 皆が彼氏さんの帰りを待っている。

 また惚気話が聞きたい。

 花嫁姿を見てみたい。

 皆の頭の中、ルミの隣に立っているのは、
 他の誰でもない彼氏さんだ。


 私じゃない。


 彼氏さんがいなくなり、
 ルミは笑顔を失った。

 その笑顔を取り戻したのは、私だ。

 でも、皆は彼氏さんの帰りを待っている。

 ルミの笑顔を奪った男の帰りを。

 そんな人、ルミの隣に相応しいのかな。

「どしたの、アスカ? 顔怖いよ?」

「ルミ……」

「できたよ、ピザトースト。食べよ」

 彼氏さんが帰ってきたら、
 ルミは嬉しいのかな。

 いや、嬉しいに決まってるよね。

 泣いて喜んで、そのとき浮かべる笑顔は、
 今この瞬間の笑顔よりもずっとずっと
 可愛らしく幸せに満ちているのだろう。

 それならいっそ、
 このまま帰ってこなければ──

「──っ!」

 私……今なにを思った?

「アスカ?」

「……ごめん」

 呼び止めるルミの声を無視して、
 私は洗面所に駆け出した。

 冷たい水で何度も顔を洗った。

 冷水が跳ね、服を濡らしていく。

 風邪をひきそうなほど水に濡れても、
 優しさの欠片もないあの思考は
 べったりと脳に張り付いて離れなかった。

「私……最悪だ」

 頬を伝い、顎から落ちる一滴ひとしずく

 それは真っ黒な排水溝へと
 真っ直ぐに吸い込まれていった。
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