異世界司書は楽じゃない

卯堂 成隆

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第一章

第48話 法と倫理

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「めえぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 それは突然、天に向かって顔を上げると、すさまじい声を張り上げた。
 お分かりだろうか、犯人は羊だ。

「あぁ、あれは仲間というか眷属を呼んだわね」

 鏡を通して聞こえてきたヴィヴィのつぶやきに、俺は首をかしげる。

「あの羊に眷属なんているのか?」

「そりゃいるわよ。
 森の王ですもの。
 たぶん、しばらくしたら羊系の魔獣が大量にやってくるわよ」

「魔獣!?
 それ、味方なのか?」

 どうにも不穏な単語である。
 もしも敵対的な生き物だったら、いますぐ逃げなればならない。

「それは帝王羊本人……いえ、本羊に聞いてほしいわ」

「むちゃ言わないでくれよ。
 オウムの人形を使って翻訳しようとしたけど、俺じゃなぜか通じなかったし」

 そう、イオニスに聞いて試してみたのだが、俺とあの羊の間には会話が成立しなかった。
 ……というか、話しかけても答えないんだよ、あの羊。

 かわりに、俺の髪をもしゃもしゃと噛むのは止めてくれ!
 おいしくないだろうし、ヨダレでベチョベチョになるんだよ!!
 ヨハンナに言わせると愛情表現らしいのだが、まさにお互いの意思の疎通がクロスカウンター状態である。

「まぁ、いずれにせよ夜の森の中でトシキたちが魔羊たちから逃げることは不可能よ。
 トシキ一人だけなら空を飛んで逃げればいいだろうけど、エルフたちがいるしね」

 たしかに、それは不可能だろう。
 ……というか、俺一人でも本当に逃げられるか怪しい。

「あ、あの……何か危険が迫っているの?」

 俺たちの会話を聞いて心細くなったのだろう。
 エルフの娘、アムスティローネが不安げな声をあげつつ擦り寄ってくる。
 いやな予感を覚えてその場から離れようとしたが、それよりも彼女の動きが早かった。

「ねぇ、お願い。 傍にいていい?
 すごく……怖いの」

「いいけど……離れて……ぐぇぇ……」

 エルフの細腕が俺の顔に巻きつき、予想外の力で締め上げる。
 まえまえから思っていたが、なんで俺を抱きしめに来る女性は腕力が強くて、しかも加減が下手なのだろうか!?

 それよりも、彼女の胸の装甲が薄いせいか、あばら骨がゴリゴリと俺の顔をえぐって……かつてないダメージ……が……。
 しかも、気がつけばアムスティローネばかりか母親のレスペルミナまでもが俺の方を抱きしめたそうに見ている。

 やめて、かんべんして!
 アムスティローネだけで俺は限界なの!
 今、俺は抱きしめられるのを嫌がる猫の気持ちがわかる気がしていた。

 なお、捕らえた斥候を引きずって戻ってきたヴィヴィがその様子を見て腹を抱えて大笑いし、俺がぶんむくれたのは言うまでもない。

「あ、敵が来るより羊たちのほうが早かったみたいね。
 聞こえる? 羊たちの声が」

 ヴィヴィの台詞に耳をすませると、たしかに遠くからメェメェと羊らしき声が聞こえてくる。
 とくにおどろおどろしいわけでもないが、知らない生き物がやってくるというのはどうにも落ち着かないものだ。

 まぁ、落ち着かないというなら……俺が用意した別室で行われていることのほうがよほどひどいんだけどね。
 実は今、エルフの父親が捕らえた斥候を尋問しているのだが、たまにコンクリートの分厚い壁を抜けて悲鳴がきこえるのよ、これが。

 しかたがないって言えばそうなんだけど、これがガリガリと精神を削るんだわ。
 ほかのエルフたちが平然としているのを見ると、生まれ育ってきた環境の差を感じずにはいられないよ。

 しばらくすると、エルフの父親……エルヴェナスが戻ってきた。
 ぼろ雑巾になった斥候の男をつれて。

「こいつがようやくしゃべる気になったようだからつれてきた。
 好きなように質問してくれ」

 無造作に捕虜の男を転がすと、エルヴェナスはその男が身動きしづらいように背中を踏みつける。
 この乱暴な扱いにも、顔をしかめているのは自分と痛めつけられている本人だけだ。

「率直に聞くわ。 本隊の数はどのぐらいかしら」

 ヴィヴィの質問に、男は痛みにうめきながらに答えた。

「……三十人ぐらいだ。
 正直に話すから、足の治療をしてくれ!
 歩けなくなっちまう!!」

 あ、こいつ、最初にエルヴェナスに足を射抜かれた奴だな。
 しかも、信号弾を放ったのがエルヴェナスの癇に障ったのか手当てがされていない。
 矢がぶっすりと刺さったままだ。
 まずいな、このままだと死んじまう。

 俺はせめて止血だけでもとおもって、ヨハンナが作り置きしてくれた包帯を手にとったのだが、その動きをさえぎってアムスティローネが前に出た。

「なぜ……こんなひどいことをしたの」

 彼女の目にはやりきれない怒りがあふれていた。

「その前に手当てをしてくれ……痛くてたまらない」

「答えなさい!!」

「ちっ……わざわざ口に出して言わなきゃいけないようなことか?
 売れるからだよ。
 お前みたいな、子供っぽさを残した奴は特に高く売れる。
 男はダメだ。
 中には買ってゆく貴族の女もいるが、売れ行きが悪い」

 手当ての邪魔をするので当てこすりの意図もあったのだろうが、あまり良くない交渉術だ。
 案の定、エルフたちの目に殺意が灯る。

「黙らせていいか?」

 兄エルフ……カスティネックの言葉に、俺は首を横に振った。

「気持ちはわかるが、殺しは勘弁して欲しい。
 あと、目覚めが悪くなりそうだから、せめて足の止血ぐらいはしてやってくれないか?」

 さもなくば、本当に死んでしまうかもしれない。
 出血が多いのか、斥候の男の顔色はかなり悪かった。
 おそらく、このままでは自分が死ぬのがわかるからこそ、こちらの取引に応じる気になったのだろう。

「正気か?
 こいつは奴隷狩りに加担するような奴だぞ」

「それでもだよ」

 嫌だというなら、ここでエルフたちとは別れるつもりでそう告げた。
 もしも彼らがこの斥候の男を殺したなら、俺は彼らを人殺しとして認識してしまうだろう。

 だでさえ、俺は彼らのことを知らない。
 この奴隷狩りの斥候とどちらが信用できるかといわれたら、どちらも信用はできないと答えるしかなかった。

 さらに大きな問題がある。
 俺を含めて五人もの存在が一日に消費する食事の量は馬鹿にならない。
 もしもこの先、少量の調達がうまくゆかなかったら、彼らは俺をどうするか?
 少なくとも、自分の家族より俺を優先させることはないだろう。

 そのとき彼らがとる行動は……簡単に予想がつく。
 それができることを、彼らはいまここで半ば証明してしまった。
 それを笑って受け流すようなメンタルは、俺には無い。

「優しいのねぇ」

 褒めているのか馬鹿にしているのか判断できない声で、ヴィヴィがつぶやく。
 やめてくれ。
 今は誰に何を言われてもつらくなるから。
 今まで彼らの安心のためにと、武器をもったまま自分の拠点を自由に歩かせていた自分が甘すぎることぐらいわかっている。
 いや、ただの現実逃避だったことを認めよう。

「俺からも質問がある。
 このエルフをはじめとする人身売買は、そもそも合法なのか?
 俺がいた町では奴隷っぽい人間を見なかったけど」

 すると、斥候の男はなぜか黙り込んだ。
 エルフたちに視線を向けると、困惑したような視線がかえってくる。

「……私たちは知らないわ。
 人間の町なんてぜんぜん興味なかったし」

 そう答えたのは、レスペルミナだった。
 なるほど、本当に人間の社会とは隔絶して生きているんだな。

 そしてエルフたちのかわりに答えをくれたのは、ヴィヴィであった。

「私の知っている範囲だけどね、国によって法律が違うみたい
 トシキの今いる国だと、特定の業種のみ奴隷の使役が許可されているわ。
 ただし、犯罪奴隷に限るけど。
 ここからさらに西にゆき、別の国に変わると奴隷が一般的になるわね」

 あぁ、なるほど……。
 俺はなんとなく男が黙っている理由に察しがついた。

「つまり、こいつらは奴隷が違法であるこの国でエルフ狩りをして、奴隷が合法である国で売るつもりだったってことか。
 だから、国境を越える前なら官憲に突き出すことはできるけど、その後だと警吏に引き渡してもすぐに無罪放免なわけだな。
 そしてそれを隠したまま、歩けないから保護してくれとかなんとか理由をつけて一緒に国境を越える方法を探っていたというわけだ」

 俺の台詞に、斥候の男の顔が青ざめる。

「頼む……死にたくない」

「殺す気はない。
 だが、エルフたちを襲った罪は償うべきだ。
 悔い改め、法と倫理に従うがいい」

 悄然とする男に、俺は冷静な声でそう告げるのだった。
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