対異常犯罪課

noa

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第0章

限界突破症候群

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眠れば眠るほど、母さんと美咲の記憶が蘇ってくる。

遠足の朝、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた母さんの手作り弁当。
服を買いに行くとき、似合う似合わないで騒ぎながらも、最後には必ず笑っていた。

どれも優しくて、温かい記憶だ。
だけど、目が覚めるたびに、それが過去になっていく。

…どれくらい、ここにいるんだろう。

病院に運ばれてから、大学の友人や親戚が何度か面会に来たらしい。
でも、記憶は霞がかったようで、ほとんど残っていなかった。

「妹さんの面会、許可が出ました」

看護師のその言葉に、反射的に身体が反応した。

「今から……行けますか」

「ええ。車椅子をお出ししますね」

「……大丈夫です。歩いて行きます」

足元に自信はなかった。
でも――どうしても、自分の足で、会いに行きたかった。

美咲がいるという部屋まで、看護師がそっと支えてくれながら歩いた。
廊下を進むたび、胸の奥で何かが軋んでいく。

到着した部屋の前には、名前を隠すようにテープが貼られ、物々しい雰囲気が滲んでいた。

扉をゆっくり開ける。
そこに――美咲がいた。

車椅子に座るその姿は、あまりにも変わり果てていた。
虚ろな瞳。頭部と首、左目、四肢に巻かれた包帯。
その包帯の端からは滲出液がにじみ、黄ばんで染みを作っている。

「み……さき……」

声が震えた。
気づけば、頬を生ぬるい涙が伝っていた。

「真也くん……」

看護師がそっと声をかけてきた。
でも、俺にかけるな。美咲を……どうか、美咲を助けてくれ。

首元の包帯が、風にふわりと揺れていた。
そこから覗く傷口――まるで喉をえぐられたかのような深い裂傷が見え隠れしていた。

「美咲……なにが……あったんだ」

問いかけても、美咲は微動だにしない。

ただ、呼吸をしている。それだけ。
魂の抜けた人形のように。

看護師に訊ねた。

「美咲は……どういう状態なんですか……」

看護師は少しだけ口を噤んだあと、申し訳なさそうに答えてくれた。

「あなたもだけど……彼女も、PTSD――心的外傷後ストレス障害の診断が出ているわ。
声が出ないのは、喉の傷のせい。医師は、そのうち回復すると言っているけれど……50針近く縫合したの。出血性ショックも酷かったから、まだ予断を許さない状況なの」

その言葉が、心の奥に鈍く突き刺さった。

「……すみません……」

そう呟くと、看護師は優しく俺の肩に手を添えてくれた。

「あなたも、玄関先で倒れていたの。あれは……身体が自分を守ったのよ。無意識に、限界を超えてたの。今は、部屋に戻って……少し休みましょう?」

俺は、ただ小さく頷くしかできなかった。

病室に戻る途中、背後から声をかけられた。

「大神くん」

低く、耳に残る声だった。
振り向くと、白髪混じりの中年の男が立っていた。

「や、こういう者でね」

片手で慣れた様子で手帳を開く。

「対異常犯罪課……?」

手帳を閉じると、男は名乗った。

「濱崎。君の事件を担当することになった。よろしく頼むよ」

事件……。

そう、これは事故じゃない。
未だに、何も解決していない。

「母には……会えますか」

それは、ずっと聞けなかったことだった。

入院してから誰一人、母の話をしなかった。
誰も言わない。……だからこそ、わかってしまっていた。

「真也くん、今は……」

看護師が言いかけたとき、濱崎が口を挟んだ。

「亡くなったよ。遺体は見ない方がいいだろう」

「刑事さん……!」

看護師が声を荒げる。

「彼には知る権利がある」

「何を根拠に……!」

「目が、知りたがってるじゃないか」

その瞬間、俺の中で何かが、静かに崩れた。

「……そうですか……」

頭が真っ白になっていく感覚。
あの火の中で、母さんは――

「畳みかけて悪いけど、もうひとつ。これを見てほしい」

濱崎は懐から保存袋を取り出した。

中には、一枚の手紙。

袋の向こうに見える赤茶けた文字。
「Merry Xmas」

それは、まるで指で塗りつけたように描かれていた。

「ちなみにね……これは、君の妹さんの血だ」

頭の中に、イメージが浮かんだ。

――あの夜、喉元を切り裂かれた美咲の血を、指で掬い取り、紙に描いた誰かの姿。

心臓が、急に熱を持ったように脈打ち始める。

誰が?
なぜ?

怒り。
悲しみ。
恐怖。
すべてが混ざって、身体を突き破る。

「真也くん!!」

「大丈夫か!?」

気づけば、俺は床に崩れ落ちていた。

濱崎が看護師に問いかける。

「またか……彼、以前にも?」

「彼がここに入院してるのは、LESを併発しているからです!」

看護師の声が、鋭く響いた。
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