女神の使いは使命が不明

ひろたひかる

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23.

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「サーナが倒れた?!」

 執務中に届けられたその報せはレーンハルトを驚かせた。
 時間はまだ日暮れ前、サーナが倒れてからそれほど時間は経っていない。知らせを持ってきたアシュレイもいつになく青い顔をしていたので、話を聞いて飛んできたのだろう。

「それで、容態は」
「今は持ち直しています。たまたま近くにメルファス師がいらっしゃったのが幸いでした。クリストファー殿下の証言もあり、原因がすぐに特定できたことも功を奏しました」
「原因?」

 アシュレイが持ってきた紙に目を落とす。

「虫に刺されたようです」
「虫?」
「といってもただの虫ではありません。セベートです」

 セベート、と聞いてレーンハルトの背筋が凍る。蜂に似た小さな虫だが、その針には猛毒を持っている。刺されたときにはチクリとしか感じないのに、毒は体内を一気にめぐり五分もかからず昏倒、一時間以内に解毒しないと命に関わるとされている。

「メルファスが解毒してくれたわけだな」
「はい。しばらく熱は下がらないかもしれませんが、命に別状はないと」
「ーーよかった」

 メルファスは神官長、神殿は病院の機能も備えているのでメルファスは適任というわけだ。

「サーナのところへ行くぞ。経緯は歩きながら聞く」
「はっ」

 二人で執務室を出て案内の兵士に先導されて廊下を早足で歩く。

「クリスは?」
「サーナ様が倒れられた直後はパニックを起こして泣いていたようですが、何とか少し落ち着いてサーナ様が倒れられたときの様子を話せたようです」
「そうか――」

 やがてサーナが収容されたという部屋についた。中庭からそれほど離れていないそこは医務室になっていて、部屋に入って真正面にメルファスが机に向って書き物をしていた。

「メルファス、サーナは――」

 レーンハルトが尋ねようとしたが、メルファスは指を一本口の前に立てて「お静かに」というジェスチャーをしてみせた。病人が寝ているというのに大きな声を出してしまったことに気がつき、レーンハルトはぐっと口をつぐむ。

「いま報告書を書いておりました。サーナ様はひとまず危険なところを超えたと思います。今はそちらの扉の奥、隣室でお休みでございます」
「セベートの毒というのは本当か」
「はい、殿下が話してくださいました。サーナ様は倒れる直前に肩のところ、こう、右肩の背中側ですな、そのあたりでチクッとしたと言っていたそうです。確認いたしましたら小さく赤く腫れておりまして、その訴えから倒れられるまでの時間も殿下が把握していらっしゃって。そのあたりからセベートを疑い魔法で確認いたしましたら確かにセベートで。幸いここにはセベートの特効薬がございましたから大事に至らずにすみました」
「クリスが――」
「本当に聡明な方ですよ、殿下は。今もサーナ様の横にずっとついていらっしゃいます。本当にサーナ様のことがお好きなんですねえ」

 レーンハルトは扉の向こうのクリストファーに思いを馳せた。まだ小さいあの子がどれだけ心を痛めたか、今現在も不安と寂しさでいっぱいなのではないか。メルファスは「峠は超えた」と言っていたからまだいいものの、もし万が一のことがあったらサーナ自身と、そしてサーナに懐いているクリストファーの心までも壊して失ってしまうのではないか。レーンハルトはそう思い至ってゾッとした。

「陛下、サーナ様と殿下に会いに行く前に、もう一つお話が」

 メルファスが言った。

「何だ?」
「護衛をしております騎士タウロスからの報告では、サーナ様が倒れられたあと殿下がサーナ様にしがみついておられたので、サーナ様から離そうと殿下に触れようとしたそうです。搬送できませんからな。
 そうしたら突然伸ばした手がビリッときましてな、触れることができなかったそうです」
「ビリッ? なんだそれは、まるで魔法結界――」

 そこまでつぶやいてレーンハルトは固まった。けれど目だけは大きく見開かれている。
「まさ……か、まさか」
「はい。すぐに消えてしまったようですから一瞬のこととは思いますが、クリストファー殿下がサーナ様を守ろうと魔法結界を無意識に展開されたのでは、と」

 言葉が出ない。クリストファー自身が魔法が使えないことをどれだけくやしく思っているかを知っているからだ。
 今すぐクリストファーのところに飛んでいって抱きしめてやりたい。けれどサーナのことも気がかりだ。峠を越したとはいえ未だ意識のないサーナ、彼女のことを考えると心臓を握りつぶされそうな気がする。

「陛下、クリストファー殿下の魔法の件は少し置いておきましょう。確かなことは今の段階では何も言えませんし、サーナ様のことで心を痛めている殿下に余計な刺激はないほうがよろしいかと。それより当面問題は――」
「問題は?」
「セベートがどこから侵入したか、ということです」
「侵入――そうか、そうだな」

 セベートは危険な生物だ。羽があり空を飛ぶ虫だが、羽音はほとんどしないので接近には気づきにくい。口には針のような牙があり、それで食いつき毒を注入する。即効性の毒なのは、倒した動物を食らうからだとか卵を産み付けるためだとか言われているが、その生態は未知の部分が多い。
 ただ、生息地がごく限られた地域であることが人には幸いしている。一年を通して暑い地域の、それも水辺にしかいないのだ。

「つまり、冬の近いこの季節、王都にいること自体が異常ということだな」
「左様でございます」
「わかった――アシュレイ」
「は」
「まずはサーナを刺したセベートを探せ。他に被害が出る前に、緊急だ。場内での探知魔法の使用を許可する。捜索に当たる兵士にも注意するよう伝えてくれ。それから、城全体を結界で覆う。セベートを街に出させるわけには行かない。いいか、城内でかたをつけろ」
「かしこまりました」

 アシュレイは一礼し、指示を出すために部屋を出ていった。レーンハルトはその後ろ姿を見送ることもなくメルファスを振り返る。

「すまないメルファス、ここで魔法を展開する」
「はい、もちろんです」

 レーンハルトはソファーに座ったまま目をつぶる。そして慎重に魔力を紡ぎあげ、王城の敷地全体を取り囲むように結界を広げた。寸分の隙もない堅固な結界は美しく、宮廷魔法使いであるメルファスから見ても思わずため息が漏れるような出来だ。

「これでいい。最低でも二時間はもつ。その間にセベートを探しだし捕獲を」
「父上? 今のは父上の魔法?」

 結界を張り終わり、自身もセベートの探索に出ようとした矢先、奥の扉が小さく開いて声がした。扉から覗いているのは金の糸のような髪、そして赤くなった目をじっとこちらに向けている息子クリストファーだ。

「クリス」
「今、父上の魔力を感じて――城内では魔法は禁止でしたよね。なにかあったんですか?」
「よくわかったな。実は虫を一匹探している」
「虫……ですか?」
「ああ。セベートといって――」
「セベート?!」

 扉の向こうから顔だけを覗かせていたクリストファーが勢いよく扉を開けて飛び出してきたので、レーンハルトはびっくりした。どう見ても「セベート」という単語に反応したとしか思えないが、まだ幼いクリストファーがセベートなどという知名度の低い虫を知っているとは思わなかったからだ。
 だがクリストファーの様子を見るに、彼はセベートがどんな虫でどんな危険性を持っているのかを理解しているようにしか見えない。

「クリス、セベートがなんなのかわかっているのか」
「はい、南の方の水場に住んでいる虫ですよね。ものすごい毒を持っていて、ものすごく危険だって本に書いてありました」

 本か。なるほど、クリストファーは本が好きだとサーナから聞いたように思う。そう思っている間にもクリストファーの話は止まらない。

「確か刺されてもたいして痛くないけど、すぐに毒が回って――」

 そこまで言ってクリストファーがハッと言葉を止めた。

「まさか、サーナは」
「そのまさかだ。治療はもう終わったようだが、肝心のセベートがまだ城の中にいる。それを何とかしないと他の人間も危ない」
「そんな――」
「ここには私が結界を更に施しておく。メルファスもいるしここが一番安全だろう。いいかクリストファー、おまえはサーナを――」
「セベート……セベートのせいで、サーナが」

 レーンハルトの言葉が聞こえているのかいないのか、クリストファーは厳しい顔つきでうつむき手をにぎりしめている。

「クリス」
「セベートを探してやっつければいいんですね?」
「やっつけるのはダメだ。なぜここにセベートなんて危険な虫がいたのかを調べなければならない」
「じゃあ捕まえればいいんですね」

 クリストファーがすっと顔を上げた。いつも青いクリストファーの瞳が深い青に染まっている。瞳の色が深くなる、それは魔力を使うために体内を循環させ、練り上げて放出する、その兆候だ。
 つまり、クリストファーは魔法を使おうとしている。

「――!」

 レーンハルトは咄嗟にクリストファーを止めようと手を伸ばすが、それよりも速くクリストファーを中心にさざ波のような魔力が拡散していく。次々にあふれ出し広がっていく魔力にレーンハルトもメルファスも我が目を疑った。とても子どもが持っている魔力の大きさではない。もともとクリストファーの魔力は大きかったはずだが、それでも二年以上魔法の魔の字も使えなかった幼い子どもが突然放出した膨大な魔力にただただ呆気にとられる。

「――みつけた。やっつけないで、捕まえる……どうしたら」

 クリストファーがぽつりとこぼし、レーンハルトははっと我に返った。

「クリス、セベートはどこにいる」
「中庭から城の西門のほうに向かってます」
「よし、ではそのままセベートを見失わないようにしているんだ」

 レーンハルトはクリストファーを抱き上げ、そのまま走り出した。中庭に出て、西門の方へと急ぐ。

「父上、あそこです。あの木に留まっています」

 中庭から西門への距離の三分の一ほどのあたりに生えている小さな木をクリストファーが指さす。そこに注意を向けるとクリストファーの言ったとおり、セベートらしき黄色い虫が見える。

「あれがセベートだな、クリス」
「はい、父上。城の中にはほかにセベートはいません」
「よくやった」

 言うなりレーンハルトは城全体を覆っていた結界を消滅させ、瞬時にセベートを取り囲むように極小の結界を作り上げた。気配で気がついたのか、セベートは結界の中で慌ただしく飛び回っているが、当然レーンハルトの結界から出ることはかなわない。
 すぐに着いてきていた護衛の騎士たちが結界の上から虫かごをかぶせてがちりと厳重に蓋を閉めた。

「これで一安心だ。だが、念のため他の危険な虫がいないかどうか、引き続き警戒するように」
「はっ」

 セベートについてはメルファスたちが詳しく調べるだろう。ならば今のレーンハルトがやることは一つだけだ。

「クリス、おまえのおかげでセベートを捕まえられた。これからサーナの所へ――」

 一緒に行こう、そう声をかけようとしてレーンハルトはさっきよりも抱き上げる腕が重いことに気がついた。くったりとレーンハルトに寄りかかったクリストファーはいつの間にかすうすうと可愛らしい寝息を立てていたのだ。

「陛下、殿下をお運びいたします」

 騎士の一人がクリストファーを受け取ろうと手を伸ばす。が、レーンハルトは大きく首を左右に振った。

「大丈夫だ。俺が運ぶ」

 レーンハルトはさっき来た道をとって返した。いきなりこんな大量の魔力を使ったのだ、疲れているかも知れないし、どんな影響があるかもわからない。
 息子を起こさないようにそっとレーンハルトは医務室への道を歩いて行った。
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