カレー専門店『ナルセ』へようこそ〜小さな恋の話たち

ひろたひかる

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理乃の話

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 チョコレートは細かく刻んでおく。
 温めた生クリームにチョコレートをよく混ぜる。熱くしすぎないように生クリームはふつふつ言い出したら火を止めること!
 バットに流し込んで冷蔵庫で冷ます。冷めたら切り分けてココアパウダーをまぶす。


「生チョコ、出来上がり!」


 理乃はココアパウダーまみれのエプロンのまま会心の笑みを浮かべた。四角く切り分けた生チョコは、21年生きてきた中で初めて作ったにしてはいい出来なのではないだろうか。カットした後に出た不格好な端っこを口に放り込んで、口の中に広がるとろりとした甘みに更に笑顔が深まった。


 事前に買っておいたチョコレート用の箱にそっと詰め、金のリボンを形よく巻く。蝶結びが苦手だけど、何とか上手くできた。


「バレンタインのチョコ――もらってくれるかなあ」


 この箱を渡す相手の顔を思い浮かべそっと目を閉じる。それだけでドキドキする。


「『理乃ちゃんありがとう。嬉しいよ』なんて笑ってくれるかなあ。でも、受け取ってくれなかったらどうしよう」


 気持ちも表情も、上へ下へ揺れ動く。甘酸っぱい想像が理乃の心を満たし、ほう、とため息が漏れてしまう。


「ああ、どうしようー!」


 大きな声が出てしまった。


「理乃、騒いでないでちゃんと台所片づけなさいよ!」
「はぁーい!」


 母親の声で現実に戻ってきた。慌てて理乃は片づけを始めるのだった。




 そしてバレンタインデーがやってきた。
 チョコを入れた箱をトートバッグに忍ばせて理乃はお目当ての彼がいる店を訪れた。「準備中」の札がかかった扉のガラスから中を覗くと、目当ての人の姿が見える。
 カウンターの奥で料理をしているのはカレー専門店『ナルセ』店長の成瀬廉。優しげな瞳と物腰の柔らかい態度に、通っているうちに「いいな」と思うようになっていた。
 開店したら一番に店に入って、真っ先に渡すんだ。チョコには手紙が添えてあり、自分の気持ちと連絡先が書いてある。仕事で忙しいだろうから今は渡すだけでいい。気持ちは手紙で伝えようという作戦だ。彼の迷惑にならないよう、昨夜必死に考えた。


 渡す時を妄想し、ドキドキしながらチラッと店の中を覗いた時だった。


 キッチン内にいる成瀬に、店員の女性――たしか『さくら』さんという名前――が近寄り、顔を赤らめながら何かの包みを手渡した。成瀬はそれを素直に受け取る。が、その顔は蕩けるばかりに笑み崩れていて、理乃の胸をズキンと痛みが走る。
 成瀬が包みからチョコレートを1つ取り出し、口に入れた。さくらが恥ずかしそうにうつむくが、成瀬に何かを告げられてから嬉しそうに顔を上げている。少しの間幸せそうに話していたが、やがて二人の距離が縮まり、成瀬の手がさくらを引き寄せ二人の顔と顔が近づいて重なって――


 理乃はその先が見られなくて駆け出した。




 しばらく走って大きな公園に出た。隅の方にある目立たないベンチで息を整える。


「あーあ……告る前に失恋かぁ」


 目から零れ落ちそうな水分を逃さないように上を見上げた。木々の隙間から見える空は冬とは思えない明るい水色で、キラキラと葉の間から光が降り注ぐ。曇っていなくてよかった。天気まで悪かったら際限なく落ち込んでしまいそうだ。


 トートバッグからチョコの包みを出した。もう用無しになってしまったチョコレートは投げ捨ててしまおうかと考えていたけれど、頑張って作ったものだし、それに食べ物を無駄にするのは抵抗があるので思いとどまった。金のリボンをほどき箱を開けると、走って揺らしたからか中はココアパウダーが結構散乱した状態になっている。


 一粒取り出してそっと口に含んだ。柔らかい生チョコは、口の中でふわりと蕩けて――


「ちょっぴり、苦い」


 グスッと小さく鼻をすすって小さく笑った。


 失恋してショックで悲しいと思う反面、あの二人はお似合いだなと思う気持ちがあって少し驚いてしまう。
 今見た光景が成瀬とさくらが恋人になった瞬間なのか、以前から付き合っていてチョコレートを渡した瞬間なのかわからないけれど、あの幸せそうな成瀬の顔を見てしまうと何故だかスッキリとした敗北感があった。
 理乃は既に恋が破れたことを認めてしまっているのだ。


「私の店長さんへの気持ち、もしかしたらただの憧れだったのかもしれないね――でも、それでも」


 我慢していたはずの涙が一筋だけ零れ落ちた。
 そうだったとしても悲しいものは悲しいのだ。


 理乃はそのまま声を抑えてほんのちょっぴり泣いた。








「あーあ、もっとステキな人を見つけなきゃ!」


 やがて気持ちを切り替えた理乃は、まだほとんど残っているチョコレートを横に置いて吹っ切るように伸びをした。
 いつかまた新しい出会いがあるだろうか。燃え上がるような恋じゃなくて構わない、自分だけを見てくれて、お互いに愛し愛される穏やかな恋がしたい。――あまり遠い未来じゃないといいけど。


 公園を行き交うたくさんの人の中にそんな相手がいたりして。理乃は遊歩道の方を見た。犬の散歩をしている人、ランニングをしている人、立ち止まって景色を眺めている人。ひょっとしたらあそこでこっちを見ているランニング中の男性が自分の運命の相手だったりして――なんて考えていたからだろうか。
 その男性が近寄ってきた。


「理乃先輩? 梅里高校テニス部の堀内理乃先輩じゃないですか?」


 見覚えがある。高校のテニス部にいた、眼鏡をかけた後輩の面影が男性の中に見えた。


「――ひょっとして、中島くん? 中島隼人くん?」


 ベンチにチョコレートを置いたまま理乃は立ち上がった。
 うららかな冬晴れの空の下、チョコレートが日差しで少し溶けていく。


 ――意外と出会いはそんな遠くない未来の話かもしれない。
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