漂泊のエトランジュ

ひろたひかる

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カリンガル編

少年とエトランジュ

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 翌朝、ニノは朝一番に雇い主の料理屋に休ませてもらえるよう頼んでくると言い出した。

「じゃあ、私は何か朝食を買ってくるよ」

 リアンナはそう言ってニノから市場の場所を教えてもらった。といっても、ニノが働いている料理屋に行く途中に市場があるので案内してもらった形になるが。

 明るいところで初めて見るこの街は、赤い煉瓦できっちりと景観を整えて作り上げられていた。道沿いにはゆうべ見た街灯が等間隔に設置されている。夕べは暗くてわからなかったが、この街灯はなかなか瀟洒なデザインになっていてリアンナの好みだ。計画的な都市作りに驚かされる。

「ほら、ちょっと高台に大きなお屋敷がみえるだろ? あれが領主様のお屋敷で、あそこを中心に街が出来てるんだ」

 高台と言ってもちょっとした丘くらいの高さだ。そこにそびえる屋敷は高い塔のある、やはり赤い煉瓦の屋敷に見えた。もし空を飛べたら、街の南側にあるという海の青と相まって美しい景色を作り出しているのが見えるだろう。生憎リアンナは空を飛ぶ魔法は知らないが。
 やがて市場にさしかかる。市場は港に沿って長く続いていてものすごく活気がある。売っているものも肉に魚、野菜、果物、香辛料やハーブ、食料品以外にも装身具や布製品、日用雑貨など品揃えが豊富だ。

「すごい賑やかだなあ」
「だろ? この国でも十本の指に入る大きな市場なんだって」
「へえ、ニノは物知りだね」

 褒めるとニノは少し頬を紅くしながら「へへっ」と笑って見せた。

 料理屋に行くというニノと待ち合わせ場所を決めて別れ、リアンナは市場を覗きに行った。
 まずは貴金属を扱っている店で手持ちの金の粒を売ってこの世界の通貨に変える。経験上、どの世界でも金は価値のあるものとして通用するので、世界を転移するたびに通用する財産として持ち歩いているのだ。
 ついでにおすすめの店を聞いて、そこで朝食を買うことにした。
 勧められた店は恰幅のいいおばちゃんがやっている店で、おばちゃんに勧められるまま薄焼きのクレープのような生地で焼いた魚や野菜を巻いたラップサンドを二人分購入した。それを両手に持って待ち合わせした大きな木のところへ行くと、ニノが先に戻ってきていた。

「ニノ」
「あ、リアンナ」

 さっきより表情が暗いニノに近寄っていくと、少し泣いたのか目の周りが赤い。

「どうした?」
「うん――――もう来なくていいって言われちゃった」
「え? ニノが働いてる料理屋が?」
「ネリーがいなくなったから今日は捜しに行きたいって話したんだ。でも全然信じてくれなくて、サボりたいだけなんだろ、だったらもう来なくていいって……」

 じわりとニノの大きな瞳がにじんで、すぐに大粒の涙がぽろぽろとあふれてきた。この小さな子が妹を抱えてこれまでどうやって暮らしてきたのか、どれだけの不安と戦ってきたのか考えると胸の中いっぱいに酸っぱい果実を詰め込まれたように苦しくなる。

「ニノ……」

 どう声をかけていいかわからない。何とかしてやりたいが、ここで手持ちの金をいくばくか渡したところでしのげる期間は短い。やはり収入の手段は必要だろうけれど、この世界に来たばかりのリアンナには何の伝手もない。
 リアンナはニノの頭をそっと抱き寄せて背中をぽんぽんと撫でた。自分がこの世界にいられる時間は短い。が、その間にニノをなんとか助けたい。この純真で非力なのに精一杯生きている子供がこれ以上苦しまなくていいように。

「――――とにかく、腹が減っては戦はできぬと言うからな! ニノ、ほら食べて」

 手に持っていたラップサンドをぐいっとニノの鼻先に押しつけた。空腹のままではいい考えは浮かばない。ニノは少しの間リアンナの顔と目の前のラップサンドを見比べていたが、「いいの?」とおそるおそる聞いてきた。

「当たり前だろ、ニノに買ってきたんだから食べてもらわなきゃ。私一人じゃ二つも食べられない」

 そう笑顔を作って答え、ニノの手に無理矢理持たせた。ニノは潤んだ瞳でぎこちなく笑顔を返してくる。

「――――ありがとう! いただきます!」

 ぱくりと大きな口で端からかぶりつき、もぐもぐとほっぺたを一杯にして食べている様子はまるで小動物のようで愛らしい。「うめぇ!」と騒ぐのを「口の中が空っぽになってから話すんだよ」と頭をなでてやった。



「ところでこの町には孤児院とか、ニノ達みたいに身寄りのない子供が入れる施設はないの?」

 食事が終わり人心地ついたところで肝心の相談を始めた。これは最初にリアンナが疑問に思ったところだ。

「あるにはあるよ、孤児院」
「あるんだ。でもニノとネリーは入れなかったの?」
「う~ん……聞いてくれる?」

 そうしてニノが話し出した。

 もともとニノとネリーは両親と4人でこのカリンガルという街から少し離れた村に住んでいた。両親はごく普通の農民で、家族4人で食べていける程度に稼ぎ、仲むつまじく暮らしていたのだ。
 それが断ち切られたのはほんの一年ほど前。両親が事故で一緒に亡くなったのだ。
 まだニノは7歳、どうしていいのか呆然としているところに「おまえの父親の弟だ」という男とその家族がやってきて、あっという間にニノとネリーは追い出されてしまった。

「追い出されたって、どうして!」
「おじさんが言うには父さんにいっぱいお金を貸してたんだって。だから」
「たとえそれが本当だったとしても、こんな年端もいかない子供を二人だけで追い出すなんて」
「――――だって、おじさん、俺とネリーを別々の所にやろうとしてたんだ。嫌だって言ったら、ばらばらに奉公に出るか二人で出て行くかどっちかだって言われて……だから逃げてきたんだ。ばらばらになるの、いやだったから」
「ニノ……」
「それで一度は一緒に教会の孤児院へ行ったんだ。でも、なんかだめで。ネリーが神父様にすごくおびえるんだ」

 ちょっと神父様がおじさんに似ていたからかも、とニノが首をかしげる。

「それで二人きりで……」
「うん」

 手に持っていたラップサンドの包み紙をくしゃりと握りつぶす。こんな小さな子が自力で生きていくことを選ぶことになってしまった状況、これをどうにかしてあげたい。

「――――ニノ。ニノはその教会の神父様のことをどう思った?」
「う~ん。やさしそうだけど、ちょっとよくわからない」
「そうか……じゃあ、ネリーがいいって言えば孤児院に行ってもいいと思ってる?」
「少なくとも孤児院に入ればごはんはしっかり食べられるよね」
「――――だろうな」

 今ひとつ乗り気でない返事に聞こえたが、現状この子供達を助けるにはそれしかないだろう。
 まあ、その話は置いておいて、今はネリーを探さなきゃいけない。

「ニノ、一度教会に行ってみないか? 孤児院に入るとか入らないとかいう話じゃなくて、ひょっとしたら小さい子が一人でいるから他の大人に孤児院へ連れて行かれた可能性もあるし」
「ああ、そうだね。いいよ」

 とりあえず可能性を一つずつ当たっていこう。


 朝はきらきらとしていた太陽が昼に近づくにつれてだんだん曇ってきた。街から離れて薄曇りの野道を歩き、ほどなく林の向こうに教会の建物が見えてきた。

「あれが教会だよ」

 ニノが指さした方を見た。林が途切れた向こうに見えたのは真っ白い外壁に赤い屋根の小さな建物だ。荘厳な雰囲気と言うよりは牧歌的なイメージで、敷地の正面から見ると正面に教会、背後にはもう少し大きな建物が建っている。教会の右側には大きな物置か車庫のような建物が、そして左側には畑らしきものが見えて、人の声がしていた。リアンナは思うところがあり、ニノには林に隠れていてもらい自分一人で教会の敷地内へ踏み行った。


「だから、そんなに乱暴にやったらだめだって言ってるでしょ!」
「うるせーよ、ラナの鬼婆!」
「ちゃんとやらないと、片付け全部イーサンにやらせるよ!」
「ひでえ! 悪魔!」

 畑には数名の子供がいた。畑はよく手入れされていて、数種類の野菜がなっているのが見える。
 どうやらラナと呼ばれる長い黒髪を三つ編みにした女の子が全員の監督役のようだが、ラナ自身もせいぜい10歳かそこらに見える。あとの子供達も幼くて、ラナが一番年上のようだ。ぐるりと見回した感じでは、ネリーの特徴に合致するような女の子は見当たらない。

「おやおや、悪魔とは穏やかじゃないですよ、イーサン」
「い、院長先生」

 声がして、建物から男性が出てきた。
 黒い修道服をきちんと着込んだ中年の男性だ。40代くらいだろうか、藁のような淡い茶色の髪をきれいに後ろに流した、穏やかそうな風貌の人物だ。

「言葉の乱れは心の乱れ、ひいては生活の乱れにつながります。礼儀正しくいることはあなたの財産になりますよ」
「はぁい」
「はい、ですよイーサン」
「はい、申し訳ありません院長先生」

 イーサンの返事に院長は穏やかな笑顔で頷いた。

「さあ、作業が終わったら手を洗って中に入りましょう」
「はい、院長先生」

 一斉に作業していた道具を片付けて手を洗いに井戸に走って行く子供達を見ていた院長がふとこちらを振り返った。

「――――おや、お客様ですか?」

 リアンナに気がついて院長が近づいてくる。別に隠れていたわけではないのだが、ちょっと決まりが悪い気がして姿勢を正してきちんと頭を下げた。

「失礼いたしました。私はリアンナ=オリエ=エリダールと申します」
「これはご丁寧に。私はこの教会の神父でサイモンと申します。――――して、どういったご用件で」
「いえ、実は旅の途中でして。賑やかだったのでつい気になって覗いてしまいました」
「そうでしたか。ここでは身寄りの無い子供達を引き取っておりましてね、お恥ずかしながら自給自足なのですよ。みんなで畑仕事をしておりました」
「そのようですね――――それで、申し訳ないのですが水を一杯恵んでいただけないでしょうか。のどが渇いてしまって」
「ええ、ご遠慮なさらず。どうぞこちらへ」

 案内されて厨房へ入った。石造りだからか、中はひんやりとしている。さっきのラナと呼ばれた娘がもう一人別な娘と二人で料理を始めたところのようで、入ってきたサイモンと見知らぬ女に不思議そうな顔を向けた。

「サリエ、旅のお方だ。水を一杯さしあげておくれ」
「はい、院長先生」

 サリエ、と呼ばれた年長の娘はきれいに礼をしてすぐに水を汲みに行った。

「それで、リアンナさんとおっしゃいましたか。これからどちらへ?」
「ええ、カリンガルで宿を取って数日見て回ろうかと考えています」
「そうですか。カリンガルはいい町ですよ。活気があって、街並みも美しい。楽しみになさっていてください」
「ありがとうございます」

 そんな雑談をしているうちにサリエがカップを手に戻ってきた。

「ありがとう」

 礼を言って受け取ると、サリエがにこやかに笑った。先ほどのラナもそうだが、サリエも美少女だ。ラナは黒髪だがサリエは長い金髪。二人とも綺麗なほほえみが印象的だった。


 教会を出て林まで戻ってくると、ニノがひょっこりと顔を出した。

「リアンナ、どうだった?」
「お待たせ、ニノ。うん、とりあえずネリーは見当たらなかったよ」
「そっか……」
「ただね、実は――――」

 ぴたり、と言葉が止まった。リアンナの表情が消え、視線が鋭くなったことがニノにもわかる。その視線を向けた先は一際太い一本の木。そこから目を離さずにニノの肩に手を置き、自分の背後にかばうように移動させた。

「誰だ」

 リアンナの声が低く訊く。ぴりぴりとした緊張が木々の間に広がる。
 かさり、と音を立てて姿を現したのは一人の男だ。がっしりとした体格、濃い茶のくせのある短髪、印象的な緑の瞳。服装は市場で見かけたようなごく一般的なのだろうチュニックに長ズボン姿だが、腰に佩いた剣とまとう雰囲気が彼は只者ではないと雄弁に語っている。

「見たことのない顔だ。旅行者か。あの教会に何をしに行った」
「人にものを尋ねるならまず名乗ったらどうだ。腰の剣が泣くぞ」

 リアンナの言葉に男がぐっと口をつぐむ。

「――――失礼した。俺はジュード=ハイデクス。貴女は?」
「私はリアンナ=オリエ=エリダール。旅のものだ。あの教会へはたまたま見かけたから立ち寄っただけで」
「そうか。その割に街から来てまた街の方へ戻ろうとしていたように見受けられるが」

 ここへ来るところから見られていたのか。
 リアンナにはこのジュードという男がどういう立ち位置にいるのかわからない。ただ、なかなかに緊迫した雰囲気にあることは確かだ。

「それにその子供」

 ジュードが向けた視線にニノがびくりと震える。

「教会の子か?」
「ちっ、違うよ、俺は宿無し子……で……」
「宿無し子?」

 ちり、とジュードの気配に剣呑な色が混じる。相変わらず剣に手は伸びないが、気配に瞳にどこかほの暗い感情が見え隠れしている。
 人はそれを敵意と呼ぶ。

「リアンナと言ったな。その子をどうするつもりだ」
「――――どういう意味だ」
「あんたが只者じゃないことはわかる。だが、その子をどこかへ連れ去るつもりなら」

 両足を軽く開き重心を落とす。

「話を聞かせてもらわなければいけなくなるな」

 どんっ、とジュードの足が地面を蹴る。ほんの刹那に間合いを詰め、ジュードの手がリアンナの腕をねじり上げようと後ろへ回る。
 回ろうとした。が、その力を受け流すようにリアンナがくるりと身を翻し、いきおい手が離れたところで大きく後ろに飛び退いた。

「何の真似だ」

 リアンナの声が鋭く響く。ジュードは今起こったことに瞬間驚きを隠せなかったが、すぐに体勢を立て直した。もはや殺気を隠してはいない。

「リアンナ、といったな。おまえはサイモン神父の手の者か。その身のこなし、相手にとって不足は」
「まって! おじさん!」

 だがジュードの言葉にかぶせるように立ちふさがったのは、ニノだった。

「坊主、どくんだ。その女は」
「ちがうよ、リアンナは俺が頼んでネリーを探してもらってるんだ!」
「――――は?」
「だから、リアンナは俺のためにここに来たんだ。リアンナをいじめるな!」
「いじ……」

 ニノがジュードをにらみつける姿ははっきり言って子犬が威嚇しているようにしか見えない。
 リアンナもジュードもすっかり毒気を抜かれてしまい、ばつが悪そうに構えをといた。ニノはまだジュードをにらみつけたままリアンナをかばっている。「もういいから」とリアンナが背中から抱きしめるまでそのままだった。

 ジュードはその様子を見て大きくため息をつき、どっかりと地面に腰を下ろした。

「なにやら行き違いがあるかもしれない。どうだ、お互い腹を割って話さないか」

 リアンナはその言葉に大きく頷いた。
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