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「あ、あき兄?」

 駅の入り口に立っていたらしいあき兄は、厳しい顔つきでずかずかと私と店長に歩み寄る。私は瞬間どうしていいかわからなくなってしまった。この間あき兄と言い合いになってしまったのは店長の話題だ。その肝心の店長が今ここで鉢合わせしているわけだから、まさに役者が揃ってしまったわけで。

 あき兄は私達の目の前で足を止め、私と店長を何度か見比べた。

「失礼ですが、貴方は?」

 あき兄の声が鋭い。

「俺は服部史孝。久保川さんのバイト先の店長だ。そういう君は?」
「俺は岡村彰人、瑠璃の幼なじみで――」

 名乗った店長に対抗するようにあき兄が名乗って言いよどんだ。それから「大切な、友人だ」とぼそっと付け加えた。
 友人、か。妹って言われるよりはましかな?

「そうか、なるほど」

 なぜか横で店長が納得してる。いったい何に納得してるんだろう? と思っていたら、私にやっと聞こえるくらいの小さな声で

「彼だろう? よかったな」
「え」

 言われた意味を理解する前に店長が半歩私と距離を開けた。

「迎えの人が来たなら良かった。いつもより遅くなったから駅まで送ろうと思っていたんですが、あとはよろしくお願いします――久保川さん、それじゃ俺はこれで。今日もお疲れ様」

 そう言うとそのまま来た道を歩いて行ってしまった。

「あ、てんちょ……」
「今のが例の店長さん?」

 あき兄が私の腕をとって聞いた。この間ほど怖い顔はしていなかったけど、それでも難しい顔をしている。

「そうだよ、心配して送ってくれたんだよ。部下思いのいい人でしょ?」
「部下思い、ね。うん、そうだな」

 それきりあき兄が黙ってしまったのでなんとなく居心地悪くなる。

「あき兄、帰ろうよ」
「なあ、瑠璃」
「え?」

 見上げると難しいままのあき兄の顔。この間の言い合いを思い出してちょっとだけ身構える。が、それは単なる杞憂に終わった。

「こないだは悪かったな。そうだよな、あんな言い方されたら誰だって怒るよな。お世話になってる人なのに」

 ストレートなあき兄の謝罪。

「え! ううん、私もついかっとなって言い過ぎた。ごめんなさい」

 私が言うとあき兄はほっとした顔でほほえんだ。そっか、謝ろうと思ってくれてたんだね。それで難しい顔をしてたんだ。

「じゃ、仲直りな。やっぱ瑠璃とけんかしてるなんて寝覚めが悪いや。どうだ、仲直りの印にちょこっと飲みに行くか」
「うん、そしたらお母さんに連絡する」

 その場ですぐに電話してオッケーをもらい、二人で居酒屋を探して駅前から離れた。
 その様子を店長に見られていたなんて思いもしなかった。

★★★

「ねえ、なんか今日店長機嫌が悪くない?」

 翌日の夕方、商品の補充をしていた私に皆川さんがこそっと聞いてきた。

「ほんとですよね~。何かあったんでしょうか」
「うーん、プライベートなことを話す人じゃないからね、店長。でも、仕事の時にそういうのを持ち込む人でもないんだけど」

 やっぱり店長は怖いけど仲間からの信頼は厚い。いい人だしなあ。

 商品を補充しながらちらちら見ていると、機嫌が悪いと言うより落ち込んでいるかんじだ。時折小さくため息をついていたりする。そして時々自分を鼓舞するように握り拳を作っていたりして。もちろん仕事の手を抜いていないのがさすがだ。

 そんなときだった。

「いらっしゃいませ」

 他の店員の声ではっと見ると、二人の女性が入店してきたところだった。私も条件反射的ににっこり「いらっしゃいませ」と言って――固まった。

 ひとりは高校生くらいの女の子。ふんわり長い髪の、おとなしそうな感じの子で、ノーメイク。
 もうひとりは私と同い年か少し上くらいの人で、スレンダーなスタイルとあごのあたりで切りそろえた黒髪が綺麗な――――

 あの、黒髪美人さんだ。

(え、ええええ! いやそりゃ全然あり得ない話じゃないけれど、こんなことってあるの?)

 内心パニックになっている私をよそに、皆川さんが二人の接客についている。

「最近評判を聞いたんで来てみたんですよ。どんな感じかと思って」

 黒髪美人さんが正直に言っている。皆川さんが案内しながらいろいろ説明しているみたい。高校生っぽい子は物珍しいのかしきりにきょろきょろしている。

「お好きなサンプルをこちらでお試しいただけますので……」

 皆川さんが黒髪美人さんを鏡の前に案内したとき。

「――カヨ?」

 はっとして振り向くと、驚いた顔の店長が立っていた。え? 知り合い?
 一方の黒髪美人さん――カヨさんというのか――も驚いているみたい。アーモンド型の目をまん丸に見開いて店長を見てる。

「なんでここに……って、そうか、ローズヤードの店だもんね、おかしくないのか」

 あーびっくりした、と言いながらカヨさんは店長の方へ足を向けた。ちなみに彼女の言う「ローズヤード」とはこのロージィ・ルームを運営している親会社、ローズヤード化粧品のことだ。

「この間はごちそうさま。びっくりしちゃった」
「ああ」
「お邪魔なようだったら帰るわよ?」
「いや、大丈夫だ――皆川さん、こいつの接客は俺がするからいい」
「はい、店長」

 皆川さんが離れ、店長がカヨさんと並ぶ。
 うわー、美男美女が並んでる! カヨさんの連れの女の子もふんわり可愛い雰囲気だし、目の保養だなあ。

 ――と普段ならテンションが上がりそうな場面なのに、私はなんか変だ。
 カヨさんに対して、ひどく苛ついている。

 だって、あき兄は貴女のことが好きなのに。
 どうして貴女は店長の隣に立っているの?
 「こいつ」なんて呼ぶほど親しい関係、まさか店長の……

 ぐるぐると頭の中を渦巻く嫌な感情。
 あき兄が可哀相だと思っている自分がいる。
 彼女が店長の隣にいることに腹を立てている自分がいる。
 他にも自分で理解できない気持ちがまぜこぜになって、なんだか苦しい。

 その時、連れの女の子がそっとカヨさんの袖を引いた。

「カヨさん、お知り合い?」
「ああ、ごめんね。この人、私の兄なの」
「あ、お兄さんなんだ!」

 兄。お兄さん。ブラザー。

 な、なんだ、妹さんだったのか!

 ストンと体の強張りが取れた。よかった、本当によかった。

 ――何が?
 カヨさんが店長の恋人とかじゃなかったことが?
 そうだよ、そうに決まってる。そうすればあき兄が悲しむこともなくて……だよね。
 大好きなあき兄を悲しませたくない。そういうことなのよ。
 少し噛み合わないものを感じながらも自分を納得させる。

 でもこの時「店長の妹には婚約者がいる」って情報がすっぽり抜けてしまっていたことは、しばらくしてから気がついた。
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