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情熱は黄金の薔薇

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本日のみ2話同時投稿しております。
この後にもう一話ございますのでご注意ください。

【注】BL表現(表現だけ)ございます。

★★★★★★★★


「どうした、まだ体調が悪いのか」

 ヨハンが大きくため息をついたところを見咎めて騎士ラッセルは声をかけた。ここは王城内の一室、騎士団に関する事務を統括する部署だ。ヨハンはここで文官として働いている。
 ヨハンは先日からしばらく仕事を休んでいた。聞くところによるとひどい熱を出していたらしい。よほど辛かったのだろう、見るからにやつれている。
 ラッセルから、というか誰が見てもヨハンは穏やかで真面目な青年だ。淡い金色の髪、ブルーグレーの瞳。線の柔らかな甘い風貌は、王城で働く女性たちにファンクラブを結成させるほどだ。幼い頃から病弱だっただけあって、「サナトリウムで療養中の薄幸の美少年」的な雰囲気をかもし出している。それが「サナトリウムで今にも死にそうな薄幸の美少年」にクラスチェンジしているのだ。心配するなという方が無理だろう。
 同じ王城で働いていても、がっしりとした筋肉に覆われた長身、鋼色の短い髪がトレードマークの騎士であるラッセルとは正反対の存在だ。それが幼馴染の親友同士だということは王城七不思議に数えられている。

「いや、大丈夫だよラッセル。心配かけたね」

 そう言いながらも笑顔に力がないヨハン。ラッセルがますます心配になるのも無理はない。

「調子が悪いなら早めに帰ったほうが」
「いや、休んでいる間の遅れを取り戻さなきゃいけないから。早退はしないよ」
「そうか……」

 言いながらもラッセルはヨハンをじっくり観察していた。体調は今ひとつ分からないが、気鬱の種が取り除けずにいるのは確かなようだ。目の下の隈が雄弁にそれを物語っている。
 こういう時の解決法はひとつ。

「どうだヨハン、今日の仕事が終わったら久しぶりに飲みに行かねえか。快気祝いに奢るぜ」
「――――そうだね、いいね。行こう」

 ヨハンの顔に少しだけ赤みがさす。少しはこれで気分が上向いてくれればいいが、とラッセルはヨハンのいる執務室を後にした。


★☆★☆★

 深夜、といってもまだポリーも起きている時間だったが、アウグスト伯爵家を訪れてきたのはラッセルだった。

「まあお久しぶりですラッセル様――――いやだ、お兄様ったらどうなさたったの」

 ポリーが驚いたのも無理はない。少しだけ赤い頬をしたラッセルが、すっかり眠ってしまっているヨハンに肩を貸して立っていたからだ。

「申し訳ない、仕事帰りに快気祝いだと一杯飲みに行ったんだが、ヨハンの奴悪酔いしたみたいで。本調子じゃないのに悪いことした」
「まあ、そんなことが。いいえ、病み上がりなのにお酒を自重しなかったお兄様が悪いんですわ。お手間をお掛けして申し訳ありませんでした」

 優雅に礼をするポリーにラッセルの頬が更に紅く染まるが、残念ながら彼女はそれに気がついていない。

「何か悩みがあるならと思ったんだが。話す前に飲み過ぎたみたいで潰れちまったよ」
「そうだったんですね。お兄様ったら……ご心配をおかけしました、ラッセル様。今使用人をよんで兄を運ばせますので」
「いや、それには及ばねぇよ。このまま部屋まで運んじまうから」

 そう言うとラッセルは階段までヨハンを引きずっていった。が、肩を組んだ状態では階段を上がることは難しい。ヨハンはすっかり潰れてしまっている。

「仕方ねえな――――よっ、と!」

 ラッセルはヨハンの膝裏に腕を当て、一気に胸の前へ抱え上げた。横抱きにしてそのまま階段をすたすたと上がっていく。ポリーとおつきの侍女のエッタはそれを背後からまんじりともせずに見入っている。

 ごくり。
 どちらともなく喉が鳴った。

 筋肉質で逞しい野性的な騎士ラッセルに横抱き、いや、お姫様抱っこされている気を失ったたおやかな兄。腕をだらりと下げ、美しい金髪がさらりと流れ落ちている。今やヨハンはラッセルにされるがまま、寝室へと運ばれていく――――

 ポリーとエッタは無言で視線を合わせた。そこには確かに同じ感動を共有する同志の光がギラギラと輝いている。そう、エッタは「ポリー文庫」開設初日からどっぷりと沼に浸かってしまった1人なのだ。
 無言でラッセルの後を追って、開いたドアからヨハンの部屋を覗く。その時まさにラッセルがヨハンをベッドに寝かせ、そっと上着のボタンとアスコットタイを外しているところだった。

「――――!」

 ポリーとエッタは声にならない悲鳴を上げた。二人の頬は紅く、興奮のあまり互いの袖を力任せに掴んでいる。

「ん……」

ヨハンが身じろぎして小さく声を漏らす。ラッセルがその声に一瞬動きを止める。
ポリーとエッタは今にも鼻血を吹きそうなほど真っ赤になっている。

――――その時。

「ラッセル様、そのようなことは私どもがいたしますので」

 後から部屋に入ってきた老執事のピーターが声をかけた。

「そうか? それでは頼む」

 ラッセルはあっさりとあとの世話をピーターに任せてヨハンから離れた。

「ピーター! 余計なことを……!」

 ポリーとエッタはぎりぎりと歯を噛み締め悔し涙を流したという。





 ★☆★☆★

「ああ……! すばらしかったわ、あんな素敵な世界があったなんて」
「尊い。まさに尊いですわ、ポリー様!」
「あのね、友人に薦められた『情熱は黄金の薔薇』っていう本があるの。男性同士の物語だって聞いてあまり興味がなかったんだけど……」
「あり、ですね。お嬢様」
「ええ、ありよ」

 次の日もポリーとエッタはポリーの自室でめちゃくちゃ盛り上がっていた。

「ラッセル様がお兄様を大切に抱き上げて(注:ポリーの主観)寝室へ連れて行ったときの後ろ姿! がっしりと逞しいラッセル様のお背中、そこから流れるお兄様の御髪。まるで一枚の絵画のようでした」
「ええお嬢様。私には聞こえておりましたわ、ラッセル様の内なる声が!」
「え、何て」
「『俺とお前は結ばれぬ運命。だが、このひと時だけはお前を腕に抱いていられる』とか!」

 キャーッ、と黄色い悲鳴がこだまする。

「えっ、えっ、じゃあ『眠っていてくれて助かった。お前の麗しい寝顔、今は俺だけのものだ』とか!」
「そしてそして、ヨハン様をベッドに横たえて上着とタイを緩めてあげるラッセル様は気がつくのですわ。実はヨハン様が目を覚ましていたことに」
「そ、それで?」
「ヨハン様は少しだけ潤んだ瞳でラッセル様を見上げるのです。『ラッセル……もう僕に触れてはくれないのかい?』『駄目だ、俺は騎士、いずれは死地に赴く身の上。お前の中に何かを残せば、それはお前の無駄な荷物にしかならない』『嘘だ! それは君の本心じゃない! ならば何故僕に構うんだ! ――――お願いだよ、ラッセル。熱いんだ。体の奥が熱くていられない。もし本当に君が僕の前からいなくなるというのなら、せめて思い出をくれないか』」

 キャーッ! また姦しい悲鳴が上がる。ちなみに彼らの住んでいる国は平和そのもの、戦争も侵略も無縁ののほほんとした牧歌的な国民性である。当然騎士団は死地に赴く予定はない。

「そ、そしてラッセル様はついに耐えきれずお兄様をベッドに押し倒すのですね! ぎしりと軋むスプリング、手と手を絡めてシーツにお兄様を縫い止め、その白い首筋に唇を這わせるのよ。次第に上気してくる肌、溢れるか細く甘い声……!」
「お嬢様、それから? それから?」
「衣服をすべて剥ぎ取られ、ラッセル様の愛撫に感極まったお兄様は遂に告げるのですわ。『あぁっ、ラッセル、愛してる……!』するとラッセル様は辛そうな表情で返すのです。『駄目だ。駄目だ、駄目だ! 言わないでくれ、二度とお前を手放せなくなる』そんなラッセル様にお兄様は噛みつくようにくちづけを。ハァハァ」
「ラッセル様はそれで辛抱たまらなくなるのですね! ヨハン様の白い肌に次々と紅い印をつけていくのです。『すまないヨハン、もう……止められそうに、ないっ!』『あ、ああっ! ラッセル、ラッセル……うぁあっ!』『すごい、こんなに硬くなって。お前も俺を欲してくれているんだな。――――先に一度イッておくといい』『ふあっ、ラッセル、そんなっ! 口でなんて、は、あんっ、汚……い、やぁああっ!』『汚くなんかない、お前の体はどこもかしこも……甘い』
 音を立てて舐めあげられる感触に呆気なく達せられてしまうヨハン様ですけれど、昂ぶりは一度くらいでは萎えることなく……するとラッセル様がおっしゃるのです。『じゃあ次は俺の番だな』」
「エッタ! 素晴らしいですわ! そうして二人は許されない愛を確かめ合うのですね!」
「はい! お嬢様!」




「おや、ヨハン様。いかがなされました」

 執事ピーターは、廊下にうずくまっているヨハンに声をかけた。さっきまで寝ていたはずだが、いつの間に起きたやら。けれど起き抜けなのは間違いないようで、ガウンを羽織った姿だ。
 そばに寄ると、ひどく顔色が悪く、胃のあたりを押さえているのがわかる。

「は……吐きそう……」
「二日酔いでございますか? お薬を」
「違う……酒はもう抜けた」

 ピーターはヨハンに肩を貸してゆっくり立たせ、彼がうずくまっていたポリーの部屋の前からヨハンの部屋へと向かう。妹と侍女の会話を一部始終聞いてしまったヨハンは、頭の中で「自分がモデルになったホモ話」が強制リプレイを続けていて最早息も絶え絶えだ。

「恐ろしい……我が妹ながら恐ろしい」
「ヨハン様?」

 その時ヨハンの耳に背後からボソボソとしゃべる声が届いた。

「ジジ専……?」
「いいえ、ラッセル様亡き後(勝手に殺すな)の心の隙間を埋めてくれたピーターに絆されて」
「さすがですわ、ピーター。大人の手管でお兄様を骨抜きに」

 振り返るとポリーの部屋の扉が少しだけ開いていて、ギラギラした二対の瞳がこちらを覗いているではないか。

「ひ、ひいいいいっ!」

 ヨハンは咄嗟にピーターの手を振りほどいて走り出した。吐き気をこらえつつクロードの執務室へ飛び込むと、叫んだ。

「ち、父上! 縁談、私の縁談を整えてください!」
「どうしたヨハン、急に」
「誰でもいい、とにかく女性、欲を言えば貞淑な方を! いいですか、女性、女性です!」
「何を言っているんだお前は」
「僕は! 女性が! 好きなんだああああっ!」

 ヨハンの絶叫が屋敷に響き渡る。
 後に「ヨハン様は女好き」「実は泣かせた女は数しれずらしい」という噂がまことしやかに流れる原因となったのである。
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