幼なじみの距離

暁月 紺

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前編

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 俺こと川添尚至は、副島真琴と保育園時代に知り合った。
 新築分譲住宅を親が購入したら、隣を購入した家庭の子どもも同じ年だったいう縁で、さばさばした性格の真琴の母親と、何かにつけ巻き込まれやすい性格の母親が仲良くなった。というより、巻き込まれやすい母親は何かと真琴の母親を頼り、男前な真琴の母親は色々と助言してくれていたようだ。その相談中は子どもたちはまとめて父親に面倒をみられたり、子ども同士で放置されたりで、兄貴と俺と真琴はまとめて兄弟のように扱われて育った。
 兄貴のお古を俺と真琴はよく着せられていて、服の枚数の必要な保育園では大変重宝していたらしい。兄貴が着倒した服は既にぼろぼろで、俺たちは出かけるときだけ新品の服を着せられていた。今なら兄貴のお古なんか、趣味嗜好が違いすぎていてイヤだが、その頃は近所じゅうで服を回していたので、どこの家の子も女か男か、元は誰の服かよくわからないものを平気で着ていた。
 真琴の母親は俺たちが小学校高学年の頃に、体調を崩し仕事を辞めて、遊びたい盛りの真琴に家事を教え込みはじめた。今思えば、すでに余命が宣告されていたのかもしれない。中学校一年の終わり頃に、入院したまま帰らぬ人となった。真琴は呆然とすることもなく、父親と黒い喪服を着た親戚に囲まれ、淡々と葬儀の手伝いをこなした。
 俺の母親は泣くばかりで、ちっとも役に立たなかった。それどころか真琴に、
「おばさん、お母さんのために泣いてくれてありがとう」
と言われて、その背中をさすられていた。
 もちろん、俺と兄貴はそれに輪をかけて役に立たなかった。人が死ぬということが、理解出来なかった。もう会えないということが、その時は理解出来なかった。ただ、真琴が淡々としているので、そういうものなのか、と受け止めて葬儀に参列していた。
 葬儀が終わって、親戚の集団も帰って、真琴にも俺たちにも以前の日常が戻ってくるのだと、なぜか信じていた。

 それから数日後、真琴が夜中に家を抜け出した。父親は疲れきって眠っていたのだろう。俺がそれに気がついたのは、隣の門が開き、自転車のキーというきしむ音がしたからだ。決して、真琴の家の音に耳を澄ませて、異変を感じ取ろうとしていたからではない。真琴が親戚に引き取られていったらどうしようという不安があったとかではない。
 真琴の自転車は癖があった。修理が必要な場所があったと言い換えてもいい。母親のゴタゴタでずっと自転車を買いなおして欲しいと言えなかったのだろう。気をつければ乗れるからと、真琴は笑っていた。
 新興住宅地はちょっと走れば街灯がなくなり真っ暗になる。俺は急に不安になって、ばたばたと部屋着のジャージに上着を羽織った。春とはいえ夜は冷える。
 急いで家を出ると、真琴の自転車の反射板が街灯の下にキラリと光った。俺は急いで自分の自転車を引っ張りだして後を追った。

 真琴は、どんどん街灯のない方へと走ってゆく。川を越えて、山の麓の小さな神社とも言えない祠の前で止まった。こんなところに祠があったなんて、俺は初めて知った。
 自転車を留めて、真琴は祠の隅の石に腰を下ろした。そして、声をあげて泣いた。

 俺は真琴に見えないように隠れたまま、ただただ驚いていた。真琴は兄貴に柔道の練習台にさせられて受け身を取れずに投げ飛ばされても泣かなかったし、逆に兄貴にかみついてひるませるくらいには気が強かった。近所の悪ガキどもの上に保育園時代からしっかりと君臨し、弱いものいじめを許さず、年上とは拳で語り合い、喧嘩が始まれば先生よりも真っ先に呼び出される存在だった。喧嘩の助っ人としてではなく、仲裁役としてである。葬儀の際もずっと泣かず、情の強い子だと親戚や近所の人が聞こえよがしに言っていたのがしっかりと耳の奥に残っている。

 そのまま真琴は泣き続け、しまいには泣きつかれて、ぐったりしてしまった。俺はそっと近寄って上着を掛けた。真琴は寝ていた。目の下にはクマが出来ていて、やつれていた。
 その晩、俺は真琴からは見えない位置で真琴を見守って一晩を過ごした。朝日とともに目覚めた真琴は俺の上着を不思議な顔をして眺め回してから、羽織って帰っていった。俺は真琴に見つからないように時間を置いてから帰った。
 朝に家に帰って眠気から倒れた俺は、そのまま風邪を引き、高熱を発して数日寝込んだ。真琴に掛けた上着は洗濯されて、母親経由で戻ってきた。


 真琴は中学二年になった時に、有望だった陸上部を正式に辞めた。以前から母親の病気で休みがちではあったので、部員には当然と受けとめられたようではあったが、顧問はずいぶん引き留めたらしい。しかし真琴は潔かった。男前な母親の性格をきっちりと引き継いだらしい。そして、母親が自分が亡くなっても生きていけるようにと仕込んだ家事の腕もしっかりと引き継いだ。
 家庭科の調理実習では、男女ともに、真琴の手際よさに手を出す隙がなかった。真琴は色々なことを同時進行しながら、一人で特に気負うことなく料理を完成させてしまった。家庭科教師が、
「お味噌汁薄いんだけれど、ちゃんとお味噌の量は計ったの?」
と、聞くと、
「慣れないお鍋で目分量でやったから、薄かったかもしれません」
と答えていた。その時の家庭科教師の唖然とした顔は今でも忘れられない。

 その後も男前な性格を発揮し、真琴は目分量で料理を続けた。たまに塩辛すぎたりすることもあったが、おおむね出来は良く、うちの親とおかずを交換するなんていう近所づきあいも見せて、副島家の家庭生活を軌道に乗せた。副島の父親のスーツはいつ見てもビシっと決まっていたし、靴もピカピカだった。真琴の制服にもきちんとアイロンがかかっていて、最近発売した洗剤の汚れの落ち具合や匂いの好みを母親と話せる高度な技術の持ち主になった。
 父親の帰りが遅いときは俺の家で待ちながら、そのまま寝てしまうということもあったが、きちんと毎朝起きて父親と自分の弁当を作り、制服に着替えて中学に通った。
 高校は何とかひっかかった俺とは違い、余裕の進学だった。部活にばかりにせいを出す俺の部屋に勝手に入り、マンガ本やエロ本を眺めていた。相変わらず兄貴のお古をもらっていて、自分の服飾には興味がないようだった。着るものの少しの差に気を使って女の目を意識している俺とは大違いだった。
 バレンタインはキッチンスケールではなく、計量カップでお菓子を作り、父親と仏壇の母親と俺達兄弟に分けてくれた。また自分もよくもらっていたようだ。ホワイトデーにはまたお菓子を作っており、俺達もまたお裾分けという名の毒味につき合わされていた。
 兄貴が大学に入り、家を開ける時間が長くなると、真琴の足もだんだん川添家から遠のいていった。
 ぐんぐん背が伸びた俺達と違って、真琴は平均身長止まりで、次第にお下がりも合わなくなっていた。気にした母親や兄貴がバイト代で新品を贈っていたようだが、真琴は、
「似合わないよ」
と、笑ってその服が着られることはなかった。


 そして、今年もバレンタインの二月がやってきた。
 教科書を借りに真琴のクラスに行くと、手作りチョコの作り方を聞きにくる女の子たちに、
「チョコを刻んで形を変えただけなら、買った方が面倒くさくなくていいんじゃないかなあ。怪我してもつまんないし。自分もタマネギみじん切りして爪を包丁で切っちゃって、見つからないからそのままハンバーグにいれたことあるし」
と、身も蓋もないことを答えていた。あのお裾分けされたハンバーグに真琴の爪が入っていたかもしれないのかと、俺はまさしくガクリときた。爪のアカを煎じて飲むとはいうが、爪そのものを食わされていたのか。
 女の子があからさまにがっかりした顔になっていくのを見て、毎度のことながら口を出した。
「こいつにそういうのを期待するのは無理だ。ケーキやレシピのあるものはシェフの味。真琴の料理は目分量がすべてのが主婦の味だ。家でイモジャー着ている奴にそんな繊細な技はない」
「うん、まあそういうことかなあ……。ごめんね、お菓子は他をあたってくれるかな」
 真琴も否定することなくあっけらかんとうなづいて、俺を見上げた。
「どしたの? 忘れ物?」
「うん。辞書と英文法貸してくれ」
「重いならさ……。もう大丈夫だから、一人で行けるよ?」
 机をガサゴソ漁り、辞書と教科書を重ねながら、真琴は小さな声で言った。幼なじみだからってもう気を使わなくていいんだよ、とつぶやく。
 真琴は中学校の時に壊れた自転車を買い換えなかった。高校に通うのに、毎朝、駅まで俺と二ケツをしている。これはほとんど俺が無理矢理そうしているもので、真琴は荷物と自分の重さを常に気にかけていた。
 ちなみに帰りは部活があるので別々になるが、真琴はスーパーによってから帰っているようだ。進学校の制服を着た子がスーパーで買い物をしている姿は近所ではもう珍しいものではなくなった。
「単に鞄に入れ忘れただけだ。後で返しにくる。それから、今日は生徒会当番だろう?」
 真琴は帰宅部なのをいいことに、各種委員会・生徒会役員などをさんざん引き受けさせられている。常に何かの会に所属させられているといってもいい。これでは部活並みだと思う。委員会も部活扱いされないものだろうか。
「あー、そういえば。生徒会室の当番やってから帰るよ」
「じゃあ、帰りも送ってく。だから、終わったら体育館の横の部室棟で待っててくれ」
「えー。ぶーぶー言われるし、もういいよー。先に帰る」
 真琴は口をとがらせた。こういうところは昔から変わらない。
「もうすぐテスト期間だろう。勉強教えてくれよ」
「やだよ。尚至すぐ寝るもん。和至兄に教えてもらいなよ」
「あんな名ばかり大学生が何の役に立つんだ。酒飲んでばっかりじゃないか」
「和至兄はきちんと勉強してるよ。家庭教師のバイトもしてるじゃん。この間、教え子の女子コーセーに迫られてるんだってぼやいてたよ」
 真琴がにやにや言うと、真琴の隣の席の相模が身を乗り出してきた。
「なになに。不純異性交遊? 未成年同士ならともかく、成人が未成年に手を出したら捕まるぞ」
「そお。だから『わたしが大学受かるまで待って』って言われてるんだって。それまで誰ともつきあわずに待っててくださいって。今時、珍しいくらい純じゃーん。問題はそこに和至兄の気持ちがあるかだけれどさ」
 声色を真似して真琴は言って、大口開けてげらげら笑った。
「やりたい盛りのコーコーセーとダイガクセーがガマンできるわけないじゃん」
「副島……、お前その情報どこで仕入れたんだ?」
「尚至の部屋のエロ本。ベッドの下って基本すぎると思う」
 思わず辞書の角で突っ込みを入れると、真琴が頭を押さえて机に突っ伏した。
 相模がアワレミの感情を浮かべて俺を見る。
 真琴は「たんこぶできたから、冷やしに行く」とサボる気満々で立ち上がろうとする。
「そんなに強く叩いてない。放課後、コレも返すから部室棟でな!」
 真琴の肩を押さえつけたところでチャイムが鳴り、俺は肩を落として自分の教室に戻った。



 放課後、部室棟に真琴は来なかった。
 野暮用があったので、遅れてくれたのはありがたかったのだが、生徒会室に迎えに行くと真琴は帰ったあとだった。生徒会長が出てきて教えてくれた。顔も頭も良いと評判の人気者。俺の所属するハンドボール部の主将と並んで学校の女子の人気を二分するらしい、人目を引く存在。アクセサリーみたいに女をとっかえひっかえして恨みを買わない、希有な人物だが、俺は友達になりたいタイプではない。
 お礼を言って帰ろうとすると、引き留められた。
「ねえ。副島君のそばに、自分はふさわしいと思っているの?」
 嫌味な言い方するな、と思ったのがまず最初。はなから喧嘩売ってやがる。
 確かに真琴は優等生で成績優秀で、運動部はやめたけれど、体育もそこそこ出来て、教師の信頼も厚い。おまけに家事を一手に担う、現代における苦学生だ。真琴が努力家なのは誰より知っている。ずっとそばで見てきたんだ。
 反対に俺は軟派な野郎に見えるのだろう。腰パンはフツーで、授業中は寝てるし、周囲には女子がいる。別に自慢じゃなくて、誰とでも仲が良いだけ。モテるのとは違う。俺を踏み台にして誰かに近づきたい奴らばっかり寄ってきている。目の前のこいつみたいに。
「先輩こそ、真琴にふさわしいんですか」
 俺は売られた喧嘩は買う主義だ。
「高校生にもなっても洒落っけもない、女物の服も着ない、家のこと一筋で、遊ぶこともしない、俺と兄貴のぶかぶかのお下がり着てそれで満足している真琴に、香水の匂いを振りまいている自分がふさわしいとでも?」
 そうだ。真琴が俺と兄貴の洋服を着てるのなんか、お泊まりした女が彼氏の服着てるみたいで鼻血が出そうと言えば聞こえは良いが、あいつは制服以外はそれしか着ないので、決してエロチックなもんじゃない。あれは落差があるからいいのであって、毎日お古しか着ないようでは、意味がないのだ。男前に育って家計簿をつけるようになってからは、自分が遊びに行くこともなくなって、家のローンの繰り上げ返済を楽しみにして節約している。家事が得意で、娯楽は俺と兄貴のマンガ本くらいの真琴に、チャラチャラした生徒会長なんかがふさわしいわけがない。真琴がそんな奴を選ぶはずがない。
「真琴に誰がふさわしいかなんて、真琴が決めることです。少なくとも、俺はそう思っています」
 俺は一呼吸おいて、ぎゅっと拳を固めた。
「先輩のまつげバサバサな女友達みたいに遊びで手を出して良い奴じゃないですよ」
「それって遊びじゃなかったら手を出すのはかまわないってことかな?」
 相変わらずキザったらしい言い方で腹が立つ。
「イエスかノーかは真琴が決めることですよ。自信があるならどうぞ。俺は先輩を止める権利はありませんよ」
「ふうん。番犬君が案外気弱なのはほんとなんだ」
 腕組みしていた手をほどいて、何かおもしろいおもちゃを見つけたように、肉食動物の笑みを会長は浮かべた。
「じゃあ、気をつけて帰りなね。もう下校時刻だ」
 その笑みをきれいに消して生徒会長としての顔を取り戻すと、俺の返事を待たずに生徒会室に入っていった。


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