雁字搦めのイノセンス

小戸エビス

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第3話 進路希望と画用紙と

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 まじ、だりい。

「はーい、じゃあ、文化祭の班分けはこれで決定でーす」

 黒板を示しながら学級委員が叫ぶ。書かれているのは文化祭の班分け。
 来月の文化祭、アタシたちのクラスは模擬店とかアトラクションとかの活発なことはやらない。
 代わりに、というか仕方なくやるのは、美術作品の展示。
 好きな人同士で班を組んで、班で一つの作品を作って飾る。

 で、アタシの名前の「三木元」が書かれてるのは、黒板の一番左にある班。一緒に組む希望者がいなくて余った人間が集まるところ。
 クラスの中じゃ既に仲良しグループが出来上がってるから、仕方がない。
 まじ、だりい。

 ……いや。
 班分けのことだけなら、実はそんなにだるくもない。
 班で作るって言っても、同じテーマで一人一枚ずつ絵を描くとかでもいいんだし。
 去年もそうだったし。
 でも……

——先生、多佳子は大学受験なんですよ。そうよねえ、多佳子ちゃん。

 一昨日の土曜にあった、三者面談。
 母親が変にめかしこんで、にこにこ顔でさも自分は立派な身だしなみが出来るんですよって顔して学校やってきて、アタシがどういう進路を選ぶかを勝手に決めて語るあれ。
 あれがまじ、うざかった。
 大体、何が多佳子「ちゃん」だ? 自分の白々しさに気付いてもいないくせに。さも、自分は立派な母親でまだ手のかかる子供のために頑張ってるんですよ、とでも言いたげな顔しやがって。
 気持ち悪い。

——勝手に決めないでよ。アタシは大学行くだなんて言ってない。
——何言ってるの多佳子ちゃん。すみませんねえ、先生。この子、先生の前であがっちゃってるみたいですう。
 
 ……子ども扱いするな、なんてセリフは恥ずかしくて言いたくない。言えばどうせ、子供らしいとか言ってニヤニヤ笑うだろうし。
 というかアタシの意地とかそういうことじゃない。
 この母親が気持ち悪い母親だってだけ。隣にいて、まじ恥ずかしい。向かい合ってた担任、アンドーちゃんもドン引きしてた。
 アンドーちゃんは教師だから母親に対しては強く言えない、というか、普通に理性のある人は子供の前で親に恥かかせるなんてしないだろうから、直接には何も言わなかったけど。

——お母さん、大学だけが進路じゃありません。まだ2年生で時間もあるのですから、お嬢さんとよく相談されてはいかがでしょうか。

 それでもこれくらいは言ってくれた。
 母親は全然聞かなかったけど。
 そして家に帰ってもずっと「多佳子は大学行くのよねえ」なんて言い続けた。
 だから。

——ねえ、アタシを大学に行かせて、何をさせたいの?

 つい、我慢できず、言ってしまった。
 これが大失敗。

——多佳子! お前、大学行きたくないとか言ったんだってなあ!

 その後家に帰ってきた父親に変な風に伝えられてて、これ。
 さすがにアタシもブチ切れた。

——だから、アタシを大学に行かせて、何をさせたいの、って……
——お前なあ!
——何をさせたいのって、聞いたのよ!
——あぁ?!
——だから、アタシが言ったのは、アタシを大学に行かせて何をさせたいのか、ってこと! 行きたくないなんて言ってない!
——じゃあ行くってことなんだな!?
——違うよ! アタシの言った言葉が曲がって伝わってるってこと! お母さんがアタシの言葉を曲げてるの!

 本当は「お母さん」なんて呼び方もしたくなかった。でも「あの女」とか言えば余計話がこじれる。
 だから我慢した、のに。

——お前! 自分を産んでくれた人に向かって、何てこと言ってるんだ!

 それなのにこれが出てきた。
 親は尊敬されて当然だっていう、身勝手。

——アタシは別に、産んでくれなんて言ってない!

 だからアタシも我慢できなくて、ずっと前、小学校のころから抑えていたことが口に出た。
 産んでやった、育ててやってる、だから親に対しては無限の恩がある、親の言う事には黙って従え。平然とそう言いながら、学校や進路の話になると「好きなことを選ばせてやってる」なんて言ってのける。

 もう嫌だ。
 もし、この世に産まれてくるかどうかを選ぶことができてたら、そしてこんな人生になると分かっていたら、アタシは産まれないほうを選んでた。
 でもアタシがどう思ってるかなんて、父親と母親は考えもしない。
 アタシの言葉を聞いた母親は「悲しいわあ」なんて言ってわざとらしくめそめそ泣いて、父親はずっと怒鳴りっぱなしで、次の日の日曜日も一日中アタシのこと睨んでて、今朝もそうだった。
 挙句の果てに、朝ご飯抜き。産んでくれたことに感謝しない娘には食事は必要ないんだとか。

 で、学校じゃ、やりたくもない文化祭の班分け。
 アタシにとっては押し付けられるだけのイベント。
 仲良しグループで班を作った人たちは、何作ろう、どんなの作ろう、なんてはしゃいでる。

 アタシは別に、絶対に大学が嫌ってわけじゃないんだ。
 でも世の中には、専門学校とか、短大とか、就職とか色んな進路があって、そういうのをちゃんと知ってからちゃんと選びたい。それで大学になるなら、それでもいい。
 でもあの親の前じゃ、他の進路の話題を出したらもう終わり。
 三者面談の何日か前、高校でもらった専門学校のパンフレットを持ってただけで「お前は大学に行くんじゃないのか!」なんて怒鳴られたくらいだ。

 ……教室の、皆は。
 仲良しグループで組んでる人たちの親は、どんな親なんだろ。
 近くの席に集まった班は文化祭のテーマそっちのけで進路の話題になってた。で、親に迷惑かけたくない、なんて言葉が聞こえてくる。育ててくれたことへの感謝、とかも。
 その人は高卒で就職したいとか専門学校行きたいとか言っても理解してもらえるのかな。アタシもそんな家に生まれていれば……



 放課後。
 アタシは美術室に来ていた。文化祭の作品のためだ。秋をテーマにした絵。
 4人の班だからそれぞれが1つの季節の絵を描いて、四季ってテーマで展示することになった。
 だからスマホで見つけた写真の楓を描くことにした。よくインスタに上がってるような、赤い葉っぱと空だけ映ってるようなやつ。

 で、アタシの絵は、下書きの線を引いたところで止まっている。
 やる気が尽きた。
 だって、誰が描いても同じじゃん、こんなの。赤一色でギザギザ塗るだけでしょ。
 検索で出た写真も似たようなのばっかだし。
 だからスマホを見ながら、ぼーっとする。別に今日終わらせる必要もない。

 ……なんだけど。
 美術室には他の班の人も来ている。活き活きと作業しているグループが。
 ホームルームのとき進路のことで雑談してたグループだ。デザインから作業手順から話し合ってて、楽しそう。

 だからこの日は道具を片付けて家に帰った。

 一週間後、ホームルームの時間。
 進路希望調査の紙が配られた。進学か就職か、書いて提出するやつ。
 今週中に出すように言われた。すぐに書いてすぐに提出した人もいた。
 そして、放課後。

 美術室にもあんまり行きたくない。早く帰って親と顔合わせるのも嫌。だから教室で何もせずにいたら、いつの間にかアタシ一人になっていた。
 アタシは机にしまってた進路希望調査の紙を出して、上に置く。
 進路、か……

 どうせ、「大学進学」って書かなきゃいけないんだろうな。
 なんで、こういうのアタシが書かされるんだろ。生きるためには夢が必要だってことなんだろうけど、アタシの希望は親に決められてる。
 ならいっそ、アタシに書かせるんじゃなくて、親に書かせればいい。娘を大学に行かせるのが自分の希望です、って。それなら嘘がない。

 アタシの希望はアタシが産まれる前に聞いてほしかった。産まれたいかどうか。
 だから、もう、いっそ……

「死にたい」

 つい、口に出た。
 出て、分かった。
 アタシもう、生きるために何かしなきゃとか、産んでもらったとか、そういうの嫌だ。進路希望があるかのように嘘を書くのも。
 文化祭の絵を描くのも、この紙書くのも、やらなくていいじゃん。全部、やめちゃえば。
 だから……

「三木元、その用紙……」
「ぶわあっ!!?」

 思わず叫び声が出た。
 椅子と、机まで倒しそうになりながら声のしたほうを向く。
 
「あ、アンドーちゃん、な、なに急に?!」

 そこにはアンドーちゃんが立っていた。いつの間に?!
 いや違う、気付けばもう、夕方になってた。アタシ、結構長い間、ぼーっとしてたんだ。

「あの、その用紙な、未定なら『未定』で出してもいいんだぞ、って言おうとだな……」
「そうなの?!」

 どこから驚いていいのか、アタシは机の上の紙とアンドーちゃんを交互に見る。
 
「だって、2年の今の時期からはっきり決まってるほうが珍しいだろ」

 と、アンドーちゃんは説明してくれる。
 これも意外だった。だって、うちの親は……

「いや、保護者が思い込んでるだけってことは、よくあることだから」
「え……」
「保護者方にも告げてはいるんだけどな。子供だって別に何かを背負うつもりで産まれてきたわけじゃないんだからあまり早くに夢を背負わせるのは酷ですよ、って感じで。けど伝わらないこと多くてな。すまんな」
「はあ……」

 アンドーちゃん、そこまで保護者の前で言ってくれてるんだ。
 うちの親みたいなのからは顰蹙買いそうなのに。いや、あの母親じゃ冗談としか受け取らないか。
 というか、アンドーちゃん……だけじゃないな。先生たちもこういうとこ大変なんだ。

「じゃあな。気を付けて帰るんだぞ」

 進路は3年になってからでも遅くない、という話の後、アンドーちゃんはそう言って教室を去っていった。

 夜。
 アタシはアタシの部屋で、進路希望の紙に「未定」と書いた。枠いっぱいの大きな字で。
 すっきりした。
 そしてスマホを開く。なんとなくの癖で、絵に描く予定の楓の写真を見た。

 楓の葉っぱ、たくさん重なってるな。赤色の濃いところとか薄いところとか、葉脈がはっきり見えるところとか、色々ある。
 それに、楓の風景写真なんてどれも同じだと思ったけど、空が映ってる割合とか、少しずつ違う。
 素人のインスタだから似たり寄ったりだけど、やっぱり違いがある。葉っぱの丸まり具合とか、紅葉の進み具合とか。

 そうだ。
 アタシの絵、こういう細かいところ描いたら面白くなるかな。何枚かの葉っぱを大きく描いて葉脈を描き込んでもいいし、濃い赤と薄い赤を塗り分けてもいい。いっそまだ緑の葉っぱが混じってても面白いかも。
 ……よし。
 明日の放課後、美術室で色々イメージしてみよう。なんだか楽しくなってきた。



 そして翌日、放課後。
 アタシが美術室に行って先週使った席に向かうと、前のほうの席に男子がいた。
 小関君だった。
 アタシと同じ班になって、春を担当している。遠目に木のようなものとピンク色が見えたから、多分、桜。
 覗き見る気はなかったんだけど、真剣に描いてるようだから、つい気になってしまう。
 そして……

 すごい。
 思わず声に出そうになるのを慌てて抑えた。
 小関君の絵、凄い。
 描かれているのは、やっぱり桜。でも満開じゃない。五分咲きくらい。それを、画用紙の外側のほうを余白にして、中央の、桜がある場所とその周りにある空の部分だけ楕円形に色を塗っている。
 目をうっすら開けたら桜が咲いてた、みたいな感じになってて、幻想的。
 しかも五分咲きだから、柔らかそうな花びらよりもピンと張っている枝のほうが目立ってて、そのおかげで幻想的な中にリアリティがある。アタシは、桜の絵だと思ったときから花のことばかりイメージしてたけど、小関君の絵は枝が活きている。

 絵って、こういう描き方もできるんだ……

 ……よし。
 アタシは新しい画用紙を用意して、下書きからやり直すことに決めた。
 描くのはやっぱり楓。そして小関君のような、外側を余らせる方法は使わない。でも小関君の絵と並んでも注意を引けるようなインパクトのある絵を目指す。アタシが武器にするのは、細かい部分の描写。
 もともと描き写すつもりだった写真。その写真のほかにも楓の写真を検索して、拡大して、下書きの線と一緒に、一枚一枚書き足していく。
 線を引きながら、色もイメージ。ここは強い赤、ここは暗い赤、ここは薄くて、こっちは緑で。
 下書きはすぐに終わり、色塗りも端っこのほうからどんどん進んで行く。でも何か物足りない。そうだ、ここに楓の枝を書き足せば……

 数週間後。
 文化祭は無事に終わった。去年と全然違う気持ちで。
 そして……

 アタシは放課後、進路相談室を訪ねた。短大、専門学校、就職先。今からでも参加できる説明会に申し込むために。
 ちゃんと、一つ一つ知るために。
 親は関係ない。アタシは自分の意思で、申込用紙に書き込んだ。
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