青色のOverture

東雲 うさ子

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真っ白な曇天

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 二階への階段を上がってすぐを左、いつも空いてる窓側の席。最近のお昼寝スポットはここだ。クーラーの効いた涼しく静かで落ち着けるいい場所なのだがその日は違った。
 ある夏のかなり暑い日。それは7月が始まって一週間、日曜日の午後1時に図書館へ涼みに行っていたときのことだった。
「いつまで寝てる。そろそろ起きたらどうだ?」
 ポコっと一発。国語辞典みたいに分厚く硬い表紙の本で頭を軽く叩かれ、心地よい眠りを妨げられた。
「ん?」
 ぼやけた視界に映る人影、眠い目を擦ってそれを鮮明に変える。向かいの席に座っていたのは学生服の少女だった。
 怒っているのか素なのかキリッと釣り上がった目はじっと俺を捉えている。
「えっと、何?」
「ここは図書館だぞ。本を読む場所であって寝る場所じゃない。そうゆう気なら帰ったらどうだ?」
 彼女が自身と周囲に厳しいのはその華奢な体から滲み出る雰囲気から理解できる。そう、日曜の午後には似合わない装いや飾り気のなくシンプルに整えられた肩ほどまでの髪から。
 しかし初対面の俺に偉そうに軽く説教を始めたのには良い顔できないな。そのまま立ち去っても良かったが、まさかの出来事にムッとした俺はついつい言い返してしまった。
「別にいいだろ。うるさくして周りに迷惑をかけている訳じゃないんだからさ」
「いや、用もなしに席を占領されるのは迷惑だな」
「気にすんなよ。こんだけ席は空いてるんだ。一つぐらい……俺の勝手だろ」
 それを区切りに俺は再び目を閉じて机に顔を埋めた。しかし、嫌な気配はそこから消えない。しかもある予感があった。
「そうか……。うん、なら私も勝手にしよう」
 ポコっと、それは驚きの二発目だった。しかも背表紙だし叩かれたきり後頭部から退かないし。
「おまえ、喧嘩売ってるのか?」
「違うぞ。だが起きないなら三発目を……」
「おまえなぁ!」
 いつまでも後頭部に乗せられた本を退かし勢いよく立ち上がった。ひとこと言ってやろうと、しかし学生服に口元へ指を当てられ口ごもってしまった。
「図書館では静かに、な」
 そこで俺は初めて周りの人達に見られていたことに気づいた。軽く深呼吸をし改めて口を開いた。
「おまえ、やっぱり喧嘩売ってるだろ」
「そんなことはない……し、さっきから私のことをおまえおまえって名前で呼んでくれないか?だいたい……」
 口を閉じれないまま呆然としていた。こいつには驚かされることが多い。予想していない言葉がその口からポロポロ出てくる。
 驚いてる俺にお構いなしにぺらぺらと喋り続けている。
「いや、誰?」
 今度は学生服が口を閉じれないまま呆然としていた。驚きというよりは呆れたような、あるいはがっかりしているような表情だった。
「榊、キミは……クラスメイトの顔と名前くらい覚えたらどうだ。まったく……」
 学生服はため息混じりにそう話した。
「なんで俺の名前……あ、委員長か。名前は知らないけど」
 委員長は俺の名前は知らないという言葉を聞いて机に顔を落とした。再び起き上がったときには呆れ顔をしていて、少し笑っていた。苦笑いだったかも知れない。
「まああまり長居しすぎるなよ。ここはクーラーが効きすぎる。私はすこし冷えたよ。じゃあ学校で」
「あ、ああ……」
 そうして委員長は図書館を出ていった。後ろ姿が見えなくなったところで俺は少し身震いした。確かに体を冷やしてしまったらしい。もう眠くもないことだし、俺も図書館は出ることにした。



 その光景は酷く眩しかった。熱くて痛くて、子供の声が聞こえた。うるさく騒いでいた。すぐに何も分からなくなったが……。



 朝の静かな通学路。まだ気温が上がらないうちに学校へ行ってしまおうと早めに家を出て、無人の道を自転車で走っていた。
 さて、しかし……ああ。理由は他にもあるがあえて言うこともないだろう。嫌なことは忘れたことにするべきだと思うから。
「ああ……昼ほどじゃないとは言え、やっぱ暑いわ」
 額に汗を浮かべタラタラ愚痴をこぼしながら重いペダルをひたすらに漕いだ。
 しばらくするとその通学路の先に見慣れないものを見つけた。太陽に照らされてキラキラと輝く銀髪。しゃがみ込んで自分の自転車をじっと見つめる謎の少女だ。タイヤがパンクでもしたのだろうか。
 そう考えながらも俺はそれを横目に通り過ぎた。しかし、残念ながらそいつはそれを良しとはしてくれなかった。
「ちょっと待てよ!」
 なんか呼び止められたがそれも無視し、振り向きもしなかった。まあ最初から聞いていてやれば余計な手間取らされずに済んだかも知れないと後で思うことになるが。
「待てってんだよ!こーんなかわいい女の子が困ってるんだから声かけろよ!」
 自分でかわいいとか言っているやつにろくなのはいない。さっさと逃げるに限る。
 しかし突然、自転車が俺の意志とは関係なく減速した。振り向くとそこには自転車の荷台に傘の柄を引っ掛けて引っ張る女がいた。
 ああ、小さいくせになんて馬鹿力なんだ。男がこれだけ力を込めてペダルを踏んでるのにほとんど進みやしない。
 その姿はまるで猫だ。獲物を咥えた猫が絶対に誰にも盗られまいと食い縛り、唸って威嚇する猫だ。間違いない。
「おまえ危ないだろ!荷台に傘ひっかけんなよ!」
「じゃあ止ーまーれーよっ!」
「嫌だね!面倒事はごめんだ!」
「絶対に放さねぇっ!」
 その後、互いになかなか健闘したが体力が切れたために、このくだらない格闘はたった1分ほどであっけなく終了した。
 その頃にはふたりとも息を荒くして汗まみれだった。
「もういい、おまえの勝ちだよ。はあ……」
「いえい!」
 自称かわいい少女は勝ち誇ったように両拳を空に掲げて無邪気に笑っていた。それはまるで銀髪のように輝かしい笑顔で。
 その後仕方なく銀髪ツインテールの話を聞いたところどうも自転車のチェーンが外れ、それを直せなくて困っていたらしい。加えて軽音部の朝練にも遅刻しそうなのだとか。
 部活の先輩はどうも怖い人らしく、遅刻したら何をされるか分からないと肩をビクビク震わせながら話した。
「んだよ、こんなのも直せないのか?不器用なのなおまえ」
「うっさい!知んないけど直しても直しても外れるんだよ!」
 俺が銀髪の自転車を直していたら、どうも後ろでガチャガチャと妙な音がするので振り返った。
「え?」
 いつの間にかその銀髪は俺の自転車に跨っていた。俺は驚きのあまり何もできずただ呆然とその姿を見ていた。
「てへっ」
 そんな声を出して頬にピースをあて無理やりかわいらしい感じしようとしていた。だが、やっていることはただの強盗に近い。
「てへって……」
「それじゃ!」
「おい!俺の自転車!」
 俺の呼び止めを無視して少女は自転車を漕ぎ出した。
「後で鍵渡すから!あたしの自転車よろしくー!」
 そして手を振ってついに振り返ることなく更に加速していった。
「なんなんだよ。くそっ」
 すると曲がり角で消える瞬間、あいつの頭から銀髪が剥がれ落ちた。すぽんって音が聞こえそうなくらいの見事な落ち様だった。気づかなかったのか銀髪はそのまま放置されている。
「ズラ……だったのか」
 持ち主に忘れられどこか哀愁漂う銀髪を拾い上げ、自転車を漕ぎ出した。



 あいつの言う通りあれから何度もチェーンが外れて、直しては外れてを繰り返し最終的には徒歩で学校に向かった。朝早くに出たのに結局学校へ着く頃には遅刻となっていた。
 歩いたせいでかなり疲れたので教室へ着くなり俺は机に突っ伏して天板の冷たさを頬で感じていた。しかし残念なことにここは窓側の席、太陽の光がジリジリと反対の頬に突き刺さる。
「おい、来てそうそう寝るなよ」
 ポコっと一発。それはもう意外性も驚きもない衝撃だった。なんだかどこかでこれが来ることを分かっていたんだ。
 しかし同時に信じてもいたんだ。事情を考慮し許してくれるのではないかと。
「んあー、おにぃ~」
「鬼とはなんだ、失礼なやつだな」
 後頭部の本を退けて起き上がった。
 やはり目の前にいたのは委員長だった。委員長は腕を組んでこちらを片目で怪訝そうに睨んでいる。大方、遅刻してきた理由でも訊きたいんだろう。
 そう思っていたのだがよく見ると視線は俺ではなく更に下へ向けられていることに気がついた。
「なあ、それはなんだ?」
 委員長が指さしていたのは俺の鞄から飛び出ている数本の銀色の糸。俺はそれを取り出して銀髪のカツラだと説明してしまった。
「榊、キミは……。そういう趣味があったんだな」
 委員長にそう言われてようやく頭がまわった。慌てて立ち上がって教室を確認した。
 誰もが俺を蔑むような目で見ていた。ヒソヒソと内緒話をしているやつもいる。きっと俺のことを変態か不審者とでも言ってるんだろう。
「違う!俺はそんなんじゃ、誤解だ!」
 必死になって委員長に弁解した。これは決して自身の物ではないということを。軽音部の女子のものだということを。しかし怪訝な面持ちは変わらない。それどころか更なる疑いまでかかってしまった。
「それはつまり、盗んだのか…?」
「あいや、違う!」
 改めて今朝の出来事を細かく説明した。表情からするにまだ完全に疑いが晴れてないようだが、まあひとまずは信じてくれたようだった。
「それ、どうやって返すんだ?」
「そこなんだよな。俺の自転車を後で返すとか言ってたけど、名前もクラスも分からない相手にどうする気なんだか」
 銀髪について唯一分かっているのは軽音部ということだけだ。何かギターのようなものを背負っていたし本人もそう言っていたからきっと間違いはない。
「単純に軽音部に届けるしかないだろう。昼休みに練習していたはずだ。そのときに部を訪ねてみたらどうだ?」
「軽音部の部室って?」
「確か、音楽室がそうだったと思う。昼休みには練習していたと思うぞ」
「そうか。ありがとう」
 話は終わったはずなのだが、委員長は俺から目を離さなかった。何かすこし困ったような表情をしているように見える。
「委員長、どうしたんだ?」
 話しかけても「いや」だの「えっと」だの会話にならない。視線はキョロキョロと泳いで目があっても直ぐに逸らされてしまう。
 やっと話そうと口を開いたところでタイミング悪く鐘が鳴り話すのをやめてしまった。鳴り止んだところで聞き返したが。
「あまり遅刻するなよ」
「お、おう」
 きっと言いたかったのはそんな言葉じゃなかったんだろうなってことぐらいは俺にだって分かるが、それを聞き出す術や理由がなかったのでどうにもできなかった。
 後で委員長の名前を名簿で確認しておくか、いつまでも委員長では変だろうし。いやでも、これはこれであだ名みたいで呼びやすいかも知れないが。



 長い長い午前中の授業が終わり昼休み。いつの間にか隣の席に現れたそいつは初めから居ましたみたいな顔をしてこちらを振り返った。
「榊、昼休みだぜ!購買行こう!」
 この爽やかすぎて逆に気持ち悪い笑顔の金髪頭は空閑悠介。俺の席の隣にいる不良でいつもだいたい昼以降に登校してくる。
 こんな奴はほうって置いて軽音部にこの銀髪を届けよう。いや違う、俺の自転車のが優先だな。
 廊下にカツラを持って歩くわけには行かない。俺は鞄を持って教室を出た。そのあとを空閑も追ってきた。購買は右、音楽室は左なので変に思った空閑は俺に訊いた。
「購買あっちだぜ?行かないの?」
「俺、先に寄りたいとこあるんだ」
 ふーんと言いながら空閑は頭の後ろに両手を回し俺の横に付いて歩いた。
「なんで鞄持ってんの?」
「人に見せられないものを届けなくちゃならなくてな」
「なにそれ?」
 今朝、委員長に説明したことと同じ内容を空閑に話した。説明の途中で委員長と似た反応をするから面倒でならなかった。やっと説明し終わる頃には音楽室に到着していた。
 空閑は気にしていない……いや気づいていないようだったが俺は少し違和感を感じていた。
「変だな」
 委員長の話では昼休みに練習をしているはずだったが、部屋からは特に楽器の音は聴こえてこなかった。しかしノックをしてみればはーいという声が聞こえ人はいるらしかった。しばらく待つと声の主が防音扉から顔を覗かせた。
「はいはーい、軽音部になにか用かな?」
 その人を見て俺は言おうとした言葉が喉の奥に引っ込んでしまった。まあ、きっとカツラなんだろうが頭髪がショッキングピンクだったのだ。流石に初見は驚く。
 ピンク髪の女生徒は眉をひそめ頬に指を当てそしてゆっくりと首を傾けた。黙ってしまった俺を不思議そうに見つめている。
 リボンの色からして三年なので一応敬語で話をしたが。
「あ、すみません。えっと、落とし物届けに……いや、ちょっと人探してまして、そいつ軽音部らしくてそれで、ここで活動してるって聞いて来て……それで……」
 それ以外の問題だ。あまりにもその頭髪が衝撃的すぎたせいか説明がめちゃくちゃだ。
「んふふ。この髪、驚いちゃった?」
 理由を察してくれたのはありがたいがそう女の人に笑われると小恥ずかしいものがある。
「え、えぇまあ……かなり」
「だよね~。ごめんごめん。それでどんな落とし物だって?」
 鞄から銀髪を取り出してみせた。今朝のことも説明して自転車泥棒を呼んでもらおうと思ったのだがそうはうまくいかないようだった。
「あ~、ちーちゃんのだね。ごめんね~今いないんだ~。朝練にも来なかったし、どこに居るかは分からないな~」
「そうですか」
 あのあと朝練には間に合わなかったんだろうか。それとも俺の自転車も壊したんじゃないだろうな。まさかな。
 銀髪は来たときに渡しておこうかと訊かれたが、自転車の件もあって直接合う必要があるので断った。銀髪の名前とクラスを訊いて俺らはその場をあとにした。
 一年B組九重智恵。別のあらゆるところ……主に髪へ意識が集中していてリボンの色まで気にしてなかったが、まさか後輩だったとはな。
 銀髪の教室へ向かう途中。渡り廊下で俺達はひとりの女子生徒とすれ違った。真面目で大人しそうな人だ。たまたま振り返るとその子もこちらを振り返っており目が合った。
「あはは……えっと」
 その女子生徒は気まずそうに苦笑いをして指でほっぺたを掻いた。そしてポケットからなにか取り出した。
「今朝、自転車を貸してくださった方ですよね?」
「え?」
 女子生徒はそう言いながら近づいてきた。持っていたのは自転車の鍵で、しかもそれはうさぎのキーホルダーがついている。男にしては趣味が乙女チックだと評判の悪い俺の物に間違いなかった。
 俺は改めて目の前の女子生徒を良く観察した。黒髪でぱっつんのメガネ女子。やはりこの絵に書いたような真面目キャラには見覚えはなかった。
「おまえ、九重智恵の知り合いか?」
「いえいえ、あの……本人です」
「はっ?」
「私が九重です」
 俺はパラレルワールドにでも迷い込んだかと疑いたくなるほど目の前の女子は今朝の猛獣とは見た目もキャラも全く違った。唯一同じところと言えば小さいことくらいか。
「じゃこれ、おまえのか?」
 鞄から銀髪を取り出そうとしたとき、それに気づいたのか目の色変えてカツラを俺の手から奪い取った。そしてそれを即座に被りメガネを外した。それは全てほんの一瞬の出来事だった。
「お、おい」
 次の瞬間にはもうすべてが元通りになっていた。わんぱく銀髪ツインテール、眼の前にいるのは今朝見た自転車泥棒そのものだった。
「くぅーやっぱりこれがないとダメだな~。拾ってくれてありがとです!センパイ!」
 先程までの弱気な少女はどこへやら。うってかわって陽気な子供となったそいつは腰に手を当て輝く笑顔を見せつけた。自らの復活をその態度でもって宣言した。
「お、おう……」
「ちょっ、何この子、急にキャラ変わりすぎじゃない!?」
 空閑の動揺はもっともだった。二重人格かと突っ込みたくなるほどの豹変っぷりだ。驚きのあまり俺達はどうしたらいいか判断つかなかった。
 そんな俺に九重は手を差し出してきた。
「な、なんだ?」
「いや、あたしの自転車の鍵」
 俺はポケットから九重の自転車の鍵を取り出し、九重の持っていた鍵と交換した。
「あの自転車ダメだ、チェーンが緩んでる。なるべくすぐに交換したほうがいいぞ」
「そうなんですか?じゃあそうしまーす!いろいろありがとです!」
「今度ジュースでも奢れよな」
「はいはーい!ところでセンパイ、それ!うさぎなんていい趣味してますね~」
「お、分かるか?」
 そうかそうか、こんなやつでもやはり乙女。うさぎの良さが分かるんだな。
「うさぎって――」
「かわいいよな!」
「かっこいいですよね!」
「「えー?」」
 残念ながら良さは分かってもその方向性は全くの別物らしい。
「いやいや、うさぎはかわいいもんだろ?」
「違いますね、うさぎはかっこいいです!」
 九重はまるで意地張った小さな子どもみたいにほっぺたを膨らませてんーっと唸っていた。まったく面白いやつだ。
「んーセンパイのアホー!」
「な、なんて口の悪いやつ……!」
 そう言って突然、音楽室の方へ駆け出した。俺達も学食へ行こうと歩き始めたとき、九重が振り返って声をかけてきた。
「あ、そうだセンパーイ!」
 振り向くともう目の前に戻ってきていた。恐ろしく脚が速くて、しかも少しも息を乱していなかった。きっと体育の成績、良いんだろうな。
「センパイ、名前とクラスは?」
「え、なんで?」
「あたしだけバレてるのふこーへーですよ!」
 その理論に共感したわけじゃないが、特に隠す気はないので素直に教えた。そしてそれを聞いた九重は今度こそ音楽室へ向かった。
「慌ただしい子だねぇ」
「だな」
 ふと窓の外を見ると小雨が降っていた。
「えっ雨~?ま、でも置き傘しといて良かったー」
 俺らは時計を見て昼休みが残り少ないことを知り、昼飯無しだけは勘弁だったので急いで購買へ向かった。



 雨、雨が降っている。あれから雨はずっと振り続け本降りとなっていた。俺は自転車での通学なので本当ならカッパにした方がいいところなんだが、準備と事後処理が面倒でいつも傘だ。
 となりで夢心地のバカは放置してさっさと教室を出ていった。そして廊下、大量のプリントを抱えた委員長と鉢合わせた。
「榊、帰りか?」
「ああ……大変そうだな。手伝うか?」
「いいさこれくらい。外は雨だぞ。キミは自転車だろう?気をつけて帰れよ」
「おう、じゃまたな。標」
 休み時間に調べた、委員長の名前は標こはるだった。名前で呼んでやると標はきょとんとした表情のまま俺を見ていた。
「あ、ああ。またな」
 廊下は太陽が雨雲に隠されたせいで薄暗く、はっきりと見えていた訳じゃないが標はすこしにやけていた気がする。
 俺はその横を通り過ぎあいつが見ていたかは分からないが振り返らないまま手を振った。そして昇降口へと向かった。
 上履きを靴に履き替え、傘立てから自分のものを引っ張り出す。ずっと置きっぱなしだったせいか、軸がすこし錆びついていた。近く、新しいのを買ったほうが良さそうだな。
 出口のすぐ外、屋根の下に見知らぬ女子生徒が呆然と立っていた。見たところ傘は持っていない。忘れたのだろうか。それとも人を待っているのだろうか。
 他の生徒は見向きもせず、まるで居ることに気づかなかったというように通り過ぎて行く。その光景には違和感よりも嫌悪感をすごく抱いた。
 周りのやつらと同じように素通りというのはちょっと嫌だったのと、まあまあ良いアイデアがあった俺はそいつに話しかけた。
「なあおまえ傘、無いの?」
 突然話しかけて驚かせたか、肩をビクつかせ目を丸くしてこちらへ振り向いた。
「え?」
 そいつは綺麗な白い肌だった。吹き込んだ雨のせいかすこし髪も制服も濡れている。大きくて透き通るような青い瞳、その姿はどこか幻想的に見えた。人形のようにも見えたがほんのり赤い頬が生き物の温かさを感じさせる。
「あの、私ですか?」
「あ、ああ。もし傘が無いならこれ使えよ」
 俺は女子生徒に傘を差し出した。それを戸惑いながらも受け取った。何を考えているのか、傘を見つめたまま固まっている。
 そんな女子生徒をよそ目に俺は空閑の傘を引っ張り出してちゃんと使えるかを確認した。酷い錆以外に問題は無さそうだった。
「えっと、ありがとうございます」
「おう。返すときはそこの二年用の傘立てに置いとけばいいよ」
「はい、分かりました」
 あのわんぱくツインテールの子供らしい笑顔とは違う……表現が正しいかは分からないが綺麗な、美しい笑顔を見せてくれた。
「……あの?」
 見惚れてまっていたらしい。慌ててじゃあと言って俺はそいつの横を通り過ぎようとしたが、シャツを引っ張られて足止めされた。立ち止まって振り向くと、とても近くに色白の綺麗な顔があった。
 恥ずかしくなった俺は無理やりに目を逸らした。
「あの、お名前は?」
「し……C組の榊学だ」
「私、二年D組の花柳紡です。今度ちゃんとお礼しますね」
「いいって別に、傘くらいで。じゃあな」
 さっさとその場を離れたかった俺は彼女の手を強めに振り払ってしまった。しまったと思ったが……。
「はい。さようなら」
 傘に打ち付ける雨の音、いつもは鬱陶しく感じたそれが今は丁度いいBGMに聴こえた。
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