神さまなんて大嫌い!

緑青あい

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汪楓白、忌地で人外の者を見るの巻

其の壱

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 神隠しの森――それは、天凱府てんがいふで最も広大かつ強大な、鬼業禍力きごうかりきで汚染された上忌地じょういみちだ。
 今までの清浄な黒い土壌が、森の入口を境目に、くっきりと切り分けたが如く、深紅に染まっている。これを赤腐土あかふどと云う。鬼の血と呪いが染みこみ、赤く穢された土壌である。
 忌地の中は、常に危険で一杯だ。上忌地となれば、なおさらだ。
 僕はまだ、一度も入ったことはないけれど、噂でよく耳にする。尤も、ひとたび足を踏み入れれば、常人なら無傷ではすまない。無事に生還できる確率は、かなり低い。なんとか出られても、正気でいられることは滅多にない。忌地とは、そんな恐ろしい禁域なのだ。
 そして僕らは今、赤い忌月いみづきに照らされ、神隠しの森の前に、横一列で佇んでいた。
 僕は空からの突撃を提案したが、あまりに危険すぎると却下された。ゆえに神々廻ししば道士の命令で、呀鳥あとりは忌地を前に着陸し、人の姿に戻った。
 それにしても……さすがの神々廻道士も、三妖怪ですら、ためらっているのだろうか。急に口数は少なくなり、みんな黙りこんでいる。森の中は物凄い瘴気しょうきで、なにも見えない。時折、不気味な奇声も聞こえて来る。
 すると、神々廻道士が突然、僕に問いかけた。
「……ところで、シロ。腕の傷は、もう治ったのか」
「腕の傷……ああ! そうだった! 非道いじゃないですか、いきなりあんな……アレ?」
 プリプリと怒りながら、袖口をまくった僕は、そこに一刻ほど前、神々廻道士につけられた例の斬り傷を見つけられず、唖然となった。
 両腕とも、ない! なんで? なんで?
「どうしてだ……いつの間に、消えたんだ?」
「俺さまが聞いてんだ! どうしてそう、完治が早いんだ! てめぇ……やっぱり!」
「な、な、なんです? やっぱりって、どういう……」
 拳を振り上げ、威喝する神々廻道士だったが、いきなり怒気を抜いて、長嘆息した。
「……まぁ、いい。傷口があると、鬼業の毒素が祟りやすいからな。ないなら、往くぞ」
「あ、はい!」
 てっきり殴られると思ったのに、拍子抜けだ。だけど、今はそんなことに気を取られている場合じゃないよな。ここからは、本当に気を引き締めて往かなきゃ、命の保証はないんだ。
 僕はついに、赤黒二分された土壌の境界を超え、上忌地の中へと足を踏み入れた。
 先頭は無論、神々廻道士、次いで蛇那じゃな、呀鳥と続き、僕をはさんで、しんがりが蒐影しゅうえいだ。
 性格はどうあれ、一時は山篭もりし、道教の修行を積んで来た神々廻道士は、さすがにシャンとしている。
 三妖怪も、まったく問題ないと云った感じだ。妖怪だけにね……問題なのは、僕だけだ。
 忌地内をドス黒く満たす瘴気は、否応なく悪心をもよおさせる。その上、不自然にゆがんだ古木の枝ぶりや根、赤錆色で刃のような葉は、まるで意志を持っているかのようにうごめき、侵入者の進行を邪魔する。斬りつけたり、からみついたり……すべて、神々廻道士と三妖怪が、追い払ってくれたけど、それにしても執拗しつこい。
 しかも、忌地に生息する不気味な禽獣や虫のたぐいまでもが、容赦なく襲いかかって来る。
 何度も何度も、危険な目に遭う内、一度は凛樺りんかのためと、振りしぼった僕の勇気も、だんだんと萎え始めていた。
 だが、そんな時である。
 あの声が、聞こえて来たのは!
「あぁん……あん、あん、もう、ダメぇえ……焦らさないでぇ!」
「いいのぉ……気持ちいぃい、あぁあ、あっ、あっ……ひうっ!」
「はぁ、はぁ……もっとぉ、もっとぉ……ふあ、いぃんむっ!」
 な、なな、なんだ、この声は!?
 これって、僕の幻聴!?
 だって、この声……まるで、例の……ほら、あの時の……だよねぇ!?
「この声は……まさか!」
 神々廻道士も当然気づき、顔色を変えた。僕は呆れて周囲を見回し、声の主を探した。
「まさか、こんな忌地の森の中で、アレ……ですか? 一体、なに考えて」
莫迦ばか! そうじゃねぇ! 鬼業の核心は近いぞ! 気を抜くなよ、シロ!」
「えぇえ? は、はい!」
 神々廻道士に叱咤され、僕はあらためて気合を入れた。
 こりゃあ、いよいよ体調不良を訴えてる場合じゃないな。
 そうして、足早に進む神々廻道士の背中を追い、広場に出た途端!
「なっ……なな、なんだ! アレは!?」
 僕は、かつてない衝撃を受け、その場に棒立ちとなった。
 樹海の切れ目なのか、突然、開けた広場の中心に、異様な巨木がそびえ立っていたのだ。
 一体、なにが異様なのかと云うと……とにかく、全部だよ、全部!
 約一町ある広場の土壌は、同等に広がった樹冠の分だけ、いよいよ禍々しい深紅に染まっているし、刃と棘でできた巨木の枝葉は、うねうねと妖しくうごめいているし、なによりも複雑にからみ合った太い幹には、幾人もの女性たちが捕りこまれ、半身を喰われ、絶えず激しいあえぎ声を発しているし……そう、この巨木は確実に生きていた!
 樹木としてではなく、雄の動物として……いや、おぞましい鬼畜として、女性たちを虜にしていたのだ!
 しかも、その中には、琉樺耶るかや茉李まつり、そして凛樺の姿まであった!
 みんな衣服を剥がれ、紅潮した素肌には玉のような汗を浮かべ、荒い息づかいで、裸体をのけぞらせ、襲い来る絶頂の波にもまれ……悦楽の極致を味わっているようだった!
 思わず、耳をふさぎたくなるほどの、がり声が、森中に木霊している!
「……あぁ、あっ……凛樺! 琉樺耶さんも、茉李ちゃんも……なんて、こと」
 僕は頭が混乱し、フラフラと、赤腐土と、さらなる深紅腐土の、境界線へ歩み寄った。
 途端に、神々廻道士の怒声が飛ぶ。
「シロ! この赤腐土の境界から向こうにゃあ、迂闊に踏みこむなよ!」
 三妖怪も、ゴクリと生唾を呑みこみながら、凄絶すぎる光景に見入っていた。
「嫌だぁ……私まで、体が熱くなって来ちゃったわ」
「うむ……見ているだけで、腰が抜けそうになるな」
すげぇ……こんな光景、二度とお目にかかれないぜ」
 蛇那はゾクリと身震いし、蒐影は黒目をしばたかせ、呀鳥はソワソワ落ち着かぬ様子。
 だが神々廻道士は、見るのも厭わしいといった感じで、忌々しげに吐き捨てた。
「母上の陥落以来か。こんなモン、二度と見たくなかったがなぁ……チッ、面倒臭めんどくせぇ」
「で、でも……早く助けてあげないと、苦しそう……ってか、気持ちよさそうで……え?」
 今、なんて? 母上の陥落以来? どういう意味ですか? それ?
「あの、今のって……」
「そりゃあ、アレだ。この呪木の主が、雄だからだろ。好きモンなんだな、うん」
 神々廻道士は、僕の疑問を勘ちがいし、適当に返答した。僕は驚いて、語気を荒げた。
「鬼に、好きモンもなにも、あるんですか!?」
「莫ぁ迦。鬼ってなぁ、女好きと昔から決まってらぁ。だからてめぇの分身を、雄は人間の女の子宮で育てたがる。雌だって、人間の女の胎内に、吾子あこを産みつけたがるんだろ? それに、こいつの苗床は【鵺醜女ぬえここめ】って鬼神級のヤツでな……厳密に云うと、雌雄同体なんだ。けど、雌の方は、かなり醜いご面相でなぁ。つがいの雄が美女を抱こうとするたび、激しく嫉妬して、捕りこんだ女を突き殺しちまうんだとさ……丁度、吐精の瞬間によぅ」
 吐精の瞬間、突き殺す……って、まさか、アソコを!? ざ、残酷すぎる!
「そ、それじゃあ! いよいよまずいじゃないですか! 早く、助けなきゃ!」
 愛する凛樺が、それに琉樺耶や茉李が、鬼子を産む破目になるなんて、そんなの嫌だ!
 醜い雌鬼に、醜い嫉妬の挙句、突き殺されるなんて、そんなの、もっと、もっと嫌だ!
 絶対に阻止しなきゃ! 神々廻道士が、二の足踏んでるなら、僕が……僕が彼女たちを助けるんだ!
 そう決意した僕は、居ても立ってもいられず、境界線を踏み越えて、巨木の幹に突進しようとした。神々廻道士と三妖怪は、そんな僕を、呆れ気味に見守っている。
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