鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『双つの心』

其の拾

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朴澣ほおかん……いつまでも、一人で悩んでないで、好い加減、われらに種明かししてはどうだ?』
 黒光る八尺巨体の半鬼人はんきじん顰篭しかみごめの宿喪すくも》が、いつものように【緇蓮族しれんぞく】風黒衣で身を隠し、亀甲墓きっこうぼの上に腰かけ、獣声じゅうせいで訊ねた。
「宿喪の云う通りだぜ、朴澣! 今回の仕事ときたら、まったくワケが判らねぇ! 俺たちぁ、お前の指示通りに、水沫みなわの死の真相を探り、犯人を追いつめ、李蒐武官りしゅうぶかんをあぶり出した! その上、お前と俺と、一角坊いっかくぼうとで、以前片づけた三莫迦さんばか楽師に化け、婚礼宴席に乗りこんだ! 女体化した宿喪にゃあ、侍女を演じさせ、情報収集と裏工作をさせておいた! 水沫の幽霊に見せかけるため、にわか座員として琉衣るい(第六話で登場した女幽霊)まで呼び出した! 夜叉面やしゃめんにゃあ、典磨老家宰てんまろうかさいのニセ者役を振り分け、一角坊の仮死の毒酒を楚白そはくに呑ませた! ついでに夜叉面には、惑乱香粉わくらんこうふんで、列席者一同の心理操作までさせた! 全部お前の脚本通り、文句も云わず動いたんだぜ!? せめて、大金出した依頼主の正体くらい、教えてくれたっていいだろ!」
 一気にまくし立てる美男喝食かっしきは、【穢忌族えみぞく】出身の色悪いろあく夜戯よざれの那咤霧なたぎり》だ。
 彼の隣では、一角坊もうなずいている。亀甲墓を掘り返し、ようやく楚白の遺骸を、埋葬し終えたところだ。瓢箪酒ひょうたんざけを豪快にあおり、咽の渇きを癒やしつつ、文句を垂れる。
蛍拿けいなにゃあ、ケンツク喰わされるし、最期にゃあ、斯様な重労働までさせられるし、ほんに厄介な仕事じゃよ! 十万螺宜らぎなぞ、安いモンじゃあ!」
 一角坊は、うんざりした顔で、くわを放り出した。
 夜叉面冠者やしゃめんかじゃも掘削道具を捨て、亀甲墓にもたれかかる。彼は薄々感づいていたらしい。
「依頼主は……すでに、土の中でしょう」
 ため息まじりに、そう云った。
『土の中だと?』
「そりゃあ、一体……」
「どういう意味だ!」
 宿喪、一角坊、那咤霧が、胡乱うろんな眼差しで鬼面を見やる。
 これに、朴澣が重い口を開いた。
「さすがに、夜叉面は鋭いな……そうさ。依頼主は、《董楚白とうそはく》だよ。尤も、初見から奴は《青耶せいや》と名乗ってたがねぇ。なんとも奇妙な話さ」
 吃驚びっくりして顔を見合わせる座員たちにも判るよう、朴澣座長は舞台裏の秘密を語り始めた。

――董楚白……いや、青耶は、どこからか【鬼凪座きなぎざ】の、後宮菊花殿こうきゅうきっかでん事件の暗躍話を聞きつけ、依頼文を送って来た。『自分の双子の兄が、戴星姫うびたいひめ《蛍拿》を拉致監禁し、日毎夜毎にさいなんでいる。可哀そうで、とても見ていられないから、なんとか助け出して欲しい』とな。《蛍拿》の名を聞いて、俺は正直、気が引けたぜ。古傷が痛むってぇのかなぁ。ま、そこは皆も同じだろ? けど、無視することもできず、俺は結局、そいつに逢って見ることにした。皆には内緒でな。《青耶》は、後宮監吏かんり闈司みかどのつかさ姑洗太保こせんたいほう』の息子でありながら、丁寧で生真面目、評判の悪い兄貴《楚白》とちがって、純粋朴訥ぼくとつな好青年だった。だから、俺は決心したのさ。依頼を受けるってな。しかし、お前らに伝える前に、ちょいと《董家》の内情を探っておこうと考えた。そこで判明したのは、董家に双子男児など生まれなかったって事実さ。俺は再び《青耶》を呼び出し、依頼を断ろうとした。ついでに、【鬼凪座】を騙すため、デタラメな依頼でっち上げた阿呆アホを、懲らしめてやる算段だった。けど奴は、泣きながら信じがたい告白を、俺に聞かせたんだ。『実は自分は、この世に生まれ出ること叶わなかった楚白の片割れで、今は楚白の体に同居している。楚白は気づいていないが、二人でひとつの体を共有しているのだ』とねぇ……嘘みてぇだろ? だけど《青耶》は真剣だった。それに奴は自分の母親を殺した犯人を、捜して欲しいとも云った。蛍拿を、母親と同じ目に遭わせたくないとも……そして奴は、依頼主の正体を、誰にも明かさないで欲しいと、俺に懇願した。どうせ信じてもらえないと、思ったんだろ。とくに、蛍拿だけには絶対、知られたくないとね。《青耶》は、蛍拿を愛してたんだな。多分《楚白》も、本気で蛍拿のことを……奴らはきっと、長い間、心を病んでいたんだろう――

 朴澣の告げた真相は、座員たちを戦慄させた。
「水沫殿は自害でなく、董朱薇とうしゅびに成敗されたのです。夫を裏切り不貞を働き、家名や体面を傷つけた姦婦かんぷとしてね……当初、鳥篭離宮は牢獄でなく、水沫殿を守る砦だった。【唯族ゆいぞく】特有の夜盲体質を利用して、狼藉を働いた怪士あやかし……それは調査の結果、李蒐武官でしたが……匹夫ひっぷ爪牙そうがから、彼女を守りたかったのですよ。夫の『姑洗太保』殿はね」
 言葉を継いだ夜叉面に、那咤霧は瞠目どうもくした。
「待てよ! そんなの、おかしいぜ! 鳥篭こしらえてまで、守ろうとした大事な妻女を、なんで朱薇は殺したんだ!? 大体、あんなところに幽閉しとくなんて、本当に護身のためだけだったのかねぇ!」と、興奮気味に云いつのる。
「いや、疑心暗鬼だったんだろうぜ。朱薇殿は。もしかしたら、水沫も合意の上だったんじゃねぇかってな。実際はそうじゃなかったのに、心優しい水沫さんは、まだ歳若い李蒐の蛮行と気づいたが、それを隠しかばった。李蒐の親父は、朱薇が若造だった頃からの功臣こうしんだ。その息子を、罪人にしたくなかったんだろう。けれど下手なかばい立てしたせいで、朱薇の疑念は強まり……ある晩、口論のすえ、朱薇は水沫を斬殺しちまった。その現場を、幼い楚白が目撃しちまったんだな……奴の心が軋み始めたのは、その辺りからだぜ」
――ひとつの体にふたつの心……憐れな奴だよ――と、朴澣は話を締めくくった。
 それきり、黙りこんだ朴澣……説明は、ここで唐突に途切れた。


 数日後、朝モヤに烟る冥加山麓みょうがさんろく白道びゃくどうを、歩む人影ただひとつ……蛍拿である。
 ボロけた衣裳で、浅黒い肌をつつんだ卑族ひぞく少女は、戴星印うびたいいんを泥で塗り隠し、ひたすら険しい山道を登り続ける。最早、俗世へ下山するつもりはなかった。かといって、穢れた身で《朱牙天狗しゅがてんぐ》の墓所がある『夜仏深山よぼとけしんざん』へ、帰ることなどできなかった。
 彼女は人生最期の地に、旧国【納曾利なそり】王朝時代の霊峰『崑崙山こんろんざん』を選んだのだ。
 仲間を、肉親を、故郷を、破滅させた女。
 なんの力も持さぬ『戴星印』ひとつで、皆を死地へ追いやった女。
 憎悪と復讐心で乱気した挙句、己の誇りや貞操を自ら捨てた女。
 果ては、すべての咎を楚白に押しつけて、殺人まで犯した女。
 罪業を背負い、黄泉路へ赴く女。
 寄る辺なく歩む死出の山、晩秋の風が颯々さつさつと肌を射る。
 痛惜の念にさいなまれ、蛍拿は二度と戻れぬ背後の過去道へ、弔辞を告げた。
「さようなら……」
 その時だ。幽玄な霧の中から、不可思議な童謡わざうたが流れて来たのは……蛍拿は瞠目した。

 ……雨のさりに聞く声は、
   耳朶じだを震わす哀歌なり……

『夜さりの残夢ざんむ』である。鳥篭離宮で、水沫の亡霊が口ずさんでいた、物悲しい調べだ。
「まさか……水沫さん?」
 周辺の森を見渡す蛍拿……彼女の向かう先に、不気味な黒尽くめの人影が、五つ立ち現れた。歌曲を奏でているのは、その五人組だった。
吉祥参楽天きっしょうさんがくてん……?」
 琵琶ピーパ楽師、ション楽師、鞨鼓フーグゥ楽師の他、二人は五鈷鈴ごこれいを鳴らしている。
 リィン、と玲瓏れいろうな音色が、澄んだ朝の空気に、心地よく響き渡る。
「そうだ。奴らも以前、ここを通り過ぎたぜ。【鬼凪座】の仕置きを受けてなぁ……蛍拿」
 男の声に、蛍拿はハッと身がまえた。
 左半身が爛れた悪相琥珀眼こはくがんの座長は、緇衣しえを脱ぎ、五鈷鈴で、死者の亡魂を弔った。
 朱牙天狗のために一鈴、李蒐武官のために一鈴、水沫のために一鈴、楚白のために一鈴、そして最期は、青耶のために一鈴……朴澣は微笑した。
「お前ら【鬼凪座】が……どうして!?」
 蛍拿は敵意に満ちた眼差しで、五人組の異相を睨んだ。楽師の扮装を解いた【鬼凪座】役者一味は、蛍拿の往く手をさえぎるように立ちはだかっている。
 朴澣が煙管キセルで差し示した。
「お前が登る山は、ここじゃねぇってさ。だから、早いトコ連れ戻して欲しいと、そこな天狗面の御仁に、頼まれちまってねぇ……」
 朴澣が云う〝そこ〟に佇んでいたのは、夜叉面であった。
 訝る蛍拿に対し、赤毛の道服男は、胸に提げた『幻魔鏡げんまきょう』を裏返し、差し出して見せた。
 すると――、
……蛍拿、蛍拿……
 幻魔鏡が、夜叉面の前に、等身大の天狗面男を投影させた。
 襤褸蓬髪らんるほうはつ、修験者姿……声も立ち居も、まがうかたなき《朱牙天狗》である。
うえ……ああっ、そ、そんな……!」
 そう、本物の《朱牙天狗》……亡魂の出現で、すっかり取り乱し、うろたえ、驚倒する蛍拿に、幻魔鏡の主・夜叉面冠者が、かくの如く云いそえる。
「この『幻魔鏡』は、冥界とつながっております。つまり死者をこの鏡へ自在に映し、現世へ呼び出すことも可能なのです。そこで此度はあなたを救うため、正真正銘本物の《朱牙天狗》殿に、お出で頂いたという次第。どうぞ、お好きなようにお話なさってください」
 蛍拿は、胸が詰まって、言葉にならない。
 朱牙天狗は、おもむろに面を外し、無惨な醜貌を晒すと、愛弟子へ向けて語り始めた。
……ご覧、蛍拿。私にまちがいないだろう……
 蛍拿はただ、泪目でうなずくことしかできなかった。
……お前は五年前のようにまた、死に急ごうとしているのだね。仕方のない娘だ。だが此度の件では、すべて私が悪かったのだ。お前は始め、私の仇討ち目的で劫初内ごうしょだい後宮に潜入しようとしたのだものな……すまない、蛍拿。私は、お前にそこまで想い慕われるような人間ではないのだ。どうか私のことは忘れ、仇討ちなど考えず、懸命に生きておくれ……
「でもっ……私は!」
……自分を責めるな、蛍拿。誰もお前を責めはしない、誰もお前を恨みはしない……何故なら、すでに充分すぎるほど、お前自身が、お前を責めさいなんで来たのだからね……最早、贖罪の行路は終わった。お前は、お前の望む道を、まっすぐに往きなさい。死ぬのは、最後の最期でいい……お前の心は、判っているよ、蛍拿……
 朱牙天狗は、陽炎の如く存在を揺らがせた。去年の七夕、ついに果たせなかった邂逅の時を、今日この瞬間、迎え……だが、再び別れの時は迫っていた。蛍拿は思わず泣き崩れた。
「生きて……いいの? 私みたいな、罪深い女でも、生きていて……本当に、いいの?」
 朱牙天狗は微笑み、うなずいた。
……蛍拿、夜仏山で待っているよ。早く、帰っておいで……私は、いつまでも待ち続けるからね……あの深山の、すがしい風の中で逢おう……
 そう云い残すと、朱牙天狗は瞬く間に、幻魔鏡の中へ吸いこまれ、消え去ってしまった。
 あとには、真っ赤な天狗面だけが残された。
「上……帰るよ、きっと……帰る」
 蛍拿は、その面を拾い上げ、抱きしめると、ひとしきり号泣した。
【鬼凪座】五人組は、彼女の泪が枯れる頃には、もう姿を消していた。
 蛍拿は、冥加山の白道の奥へ深々ふかぶか一礼すると、天狗面を大切そうにかかえ、元来た道を降り始めた。向かうは一路、夜仏山の修行場である。
――大丈夫かな、蛍拿の奴――
――なぁに、心配要らんよ――
――彼女は強いですからね――
==夜仏山に帰るのだろう==
――ああ、必ず生き抜けるさ――
 朝モヤの中で、見送る怪士どもの声が五つ。
 やがて、蛍拿の姿は見えなくなった。


 後日、嫡男《楚白》の婚礼毒殺騒動と、それにつらなる失踪事件が仇となり、《十二守宮太保じゅうにすくたいほう》闈司職を、ついに退任させられた名門《董家》は、衰退の一途をたどり……数年後、当主の朱薇が身罷みまかると同時、断絶したという。
 一方、夜仏山に戻った蛍拿は、朱牙天狗への弔意を胸に修行道を邁進。女性では珍しく【仙術せんじゅつ】を会得、持って生まれた神通力と合わせ、訪れる巡礼者を生涯救い続けたという。
『後宮菊花殿』の【食女鬼うかめおに】騒動から始まった、此度の舞台……唯一の心残りは、【鬼凪座】の暗躍模様が、あまり見えて来なかった点だろうが、たまには趣向を変えて、引き続き舞台裏の楽屋風景をご覧頂きたい。《楚白》と《青耶》の謎も、探求して見たいと思う。
 長丁場だが、もう一部、おつき合い願おう。
 取りあえず、第三幕はこれにて終了である。

 『双つの心』完
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