105 / 125
『傷心』
其の拾弐
しおりを挟むそしてこれ以後は、ある夜の、李蒐武官と夜叉面冠者の会話である。
「御老体……婚礼の宴席に、《吉祥参楽天》を招聘したというのは、まことですか?」
「おお、李蒐か。相変わらず耳が早いな。その通りじゃ。若君が喃、婚礼の儀は、盛大かつ清雅に執り行いたいとの仰せゆえ、儂が大君に推挙したのじゃ。実は知り合いに、例の楽師たちと面識ある者がいてな。それゆえ、トントン拍子に話が進み、ホッとしたわい」
「ここしばらく、あの楽師たちの噂を聞かなかったのですが、どうしていたのです?」
「なに、新たな楽曲を作るため、しばし興行を中断し、隠れ家に入り浸っておったそうな。此度の宴席で【九献の言寿】を披露したあと、その新曲とやらも演奏してくれるそうじゃ」
「ほう……それは愉しみ、と云いたいところですが、私はやはり……賛成できませんな」
「ここまで来たら、もうあきらめろ、李蒐。若君の選んだ御妻女じゃ。卑族とはいえ【戴星姫】ならば、この先、必ずや董家に幸福を招いてくれるじゃろう。なにせ【戴星姫】は、天帝君の御落胤じゃから喃。あまり、気をもむな。今日だけは羽目を外して宴を愉しめ」
「……しかし、あの娘の眼差し……前にも御老体と話したように、なにか思いつめているようで、気がかりなのです。嫌な予感がする……悪いことが起きなければいいのですが」
「……憂患は身の毒じゃぞ、李蒐。ここまで来たら、なるようにしかならんわい」
それでも李蒐の心は晴れなかった。愛慕する水沫の方の、血を分けた一人息子・楚白。
彼女によく似た若主人を、下等な種族の娘に横取りされるようで、面白くなかったのだ。
無論、これまでの事件調査で、すでに夜叉面には、彼の気持ちは痛いほど判っていたが、それはそれ。これはこれ。あくまで割り切って、典磨老の役を演じ続ける夜叉面であった。
さて、いよいよ舞台は大詰め、最終章である。
「「「このたびは、晴れの婚礼の席に、お呼び頂きまして恐悦至極にございます」」」
声をそろえて、婚儀の執行役一同に、自己紹介する三人組。
「私は琵琶楽師の《十望》と申します」と、朴澣がうやうやしく頭を垂れる。
「私は簫楽師の《恕雲斎》と申します」と、那咤霧も懇切丁寧に頭を垂れる。
「私は鞨鼓楽師の《瑞寵》と申します」と、一角坊もにこやかに頭を垂れる。
「うむ。よく来てくれた喃、お三方。まずはここの家宰として、主人に代わり礼を云うぞ」
夜叉面扮する典磨老は、口の端を少しだけゆがめ、《吉祥参楽天》へ挨拶した。
そこへ――、
「家宰さま、宴の準備が整いましてございます」
宿喪扮する侍女・樺蓮が、楚々と板戸を開け、入って来た。
これにて、ついに【鬼凪座】全員が出そろい、同じ舞台へ立ったわけだ。
その後の経緯は、先の話で語ったので、簡略に説明だけしておこう。
楚白……いや、青耶に、一過性の劇毒だと伝え、呑ませた薬は、無論、一角坊の仕儀である。あとは騒ぎに乗じて、暴れ出した三楽師を横目に、夜叉面と宿喪が《楚白》を一旦、宴席から遠ざけ、解毒剤を呑ませた上で、李蒐の魔手が迫る前に、蛍拿の元へ急行させた。
……雨の夜さりに聞く声は、
耳朶を震わす哀歌なり……
鳥篭離宮からは、水沫の方……でなく、彼女になりすました琉衣が唄う『夜さりの残夢』が、物悲しく響き渡る。夫である董朱薇は、この時になってようやく、李蒐武官の恋情に気づき、成敗せんとしたが、逆に斬られて負傷。その李蒐は、水沫の方の亡霊に手招かれるまま、自ら命を捨て去り……刹那、凄まじい落雷が鳥篭離宮を直撃し、辺りは真っ白になった。そして青耶は、なかば気を失った蛍拿を、ついに董家から連れて逃げ出したのだ。
それを見届けたのち、【鬼凪座】も、琉衣も、素早く撤収した。
そして次の舞台へ……急がねば、最悪の結果を生む。
けれど朴澣にだけは、判っていた。
いつか、彼自身が座員たちへ話して聞かせた通り、此度の舞台は、ある人物に取って悲劇的な終幕になるのだと……動き出した運命の歯車を止めることは、不可能なのだと……そう、判っていながら、最終舞台へ向かう朴澣の心の内は、陰鬱で、足取りも重かった。
「……蛍拿、蛍拿! しっかりして!」
寸刻後……頬を叩かれ覚醒した蛍拿は、目前の光景に、ハッと息を呑んだ。
なんとそこには、懐かしい異相の天狗面があったのだ。
「う、上……上ぇ!」
蛍拿は身を起こし、夢中で《朱牙天狗》に抱きついた。
が、またも彼女の早とちりだった。
「遅くなってごめんよ、蛍拿。僕は、青耶だ」
蛍拿は男から身を離し、あらためて真っ赤な天狗面を見た。
そしてすぐ、人ちがいだと気づいた。
「青耶さん……!? どうして、ここに!?」
蛍拿は、項垂れたのも束の間、やはり待ち続けた相手だけに、訝りつつも、驚喜した。
「先刻の、毒物騒ぎのお陰だよ。楚白には災難だったけど……ドサクサにまぎれて、例の獄吏が僕を逃がしてくれたんだ。それから、変装して君を探してたら、深池の前で見つけた。父上が斬られ……李蒐が自害して……直後に、物凄い落雷だ……皆、衝撃で昏倒してしまったから、難なく君を連れ出せた。そして、前に話した抜け穴を通り、董家から脱出して来たワケさ。僕たちは、もう自由なんだよ、蛍拿!」
嬉々とした声音で語る青耶に促され、周辺を見渡した蛍拿は、いよいよ吃驚し目を瞠った。広大な丘陵である。朝焼けが美しい緑の草原だ。たまに秋草がチラチラと揺れ、芳しい香りを放つ。綿毛が舞い、虫の声音も心地よい。丘の下には、首都天凱府が一望できた。
「青耶さん……ここは一体……!?」
劫初内に、まだこんな自然が残っているとは、思いもしなかった蛍拿だ。
天凱府との境界線に、堅牢な城壁が見える以上、ここは劫初内のどこかなのだろう。
青耶はおもむろに立ち上がり、ゆるやかな丘陵の上に造られた、石組みの亀甲墓を目指した。こんもりと草棘をかぶり、苔生す墓前にひざまずき、彼は祈りを捧げている。
蛍拿も、ゆっくりと亀甲墓へ近づいた。
「ここは《董家》代々の墓所さ。僕の母上も、ここに眠っておられるんだ……【劫初内】を出る前に、どうしても寄って往きたくてね」
青耶は穏やかな口調で、頭を垂れている。けれど彼の頭髪は、過日逢った際とちがって、綺麗な笄で元結髷にまとめられている。服装も、高価で華々しい、紋絽の礼服長袍姿だ。
蛍拿は、奇妙な違和感を覚え、青耶に話しかけた。
「青耶さん、今日は随分、感じがちがうわ。雰囲気も……なんだか別人みたいよ」と、天狗面を留める鬘帯に、そっと手を伸ばした。一抹の不安が、蛍拿を突き動かしたのだ。すると、青耶は気配に感づいたのか、突然振り返り、蛍拿の明衣姿をしげしげと見つめた。
「それは、君だって……深紅の明衣で身をつつんだ君は、まるでお姫さまみたいだよ」
蛍拿は、無理に微笑んだ。だが、疑念は消えない。
楚白と同じ声、同じ背格好、双子だから当然だよ――と、青耶は以前そう云った。
しかし、焼き潰された顔を見せたくないからと称し、かぶり続けた天狗面に、なにか重大な意味が隠されているようで、蛍拿は胸騒ぎを覚えた。
『戴星印』の神通力がゆえか、彼女の直感は恐ろしいほどよく当たる。白く菱形に抜けた御験が、今ではヒリヒリと痛んでいる。危急の報せだ。蛍拿は、ついに意を決した。
「青耶さん、お願い! 素顔を見せて!」
「なんだって……!?」
仰天し、立ち上がった瞬間、青耶は何故か右足がもつれ、腰砕けになった。
深沓と裾細袴の隙間に、一瞬だが確かに赤いものが見えた。
「怪我をしているの!?」
驚いた蛍拿は、すかさず彼の右足を取り、裾をまくり上げた。
「啊っ……!?」
現れたのは、痛々しい古傷の痕。虎鋏に食われた踝両面の引きつれは、卑族の親切心を踏みにじった男の罪業……その確たる証だ。蛍拿は、居すくまる男の天狗面をはぎ取った。
「……楚白」
男の本名をつぶやいたきり、蛍拿は絶句した。
焼き潰されたはずの素顔は、端整な白面だ。右足首に残る傷跡は、憎い仇が持つ物だ。
蛍拿は、天狗面を取り落とし、あとずさった。
「私を、騙したのね……顔を、焼き潰されたとか、双子の《青耶》だとか、毒を盛られたとか……すべて、私を追いつめるための、嘘!」
《青耶》と名乗った楚白は、恐怖に凍てついた表情で、陳腐な云いわけを始めた。
紋絽の礼服は、大袖衫でおおった下地にすぎない。
彼は、毒で倒れた花婿《楚白》に、まちがいないのだ。
「蛍拿……ちがうんだ! 話を、聞いてくれ! 僕は《楚白》じゃない! 双子と云ったのも、真実だし、君を騙すつもりなんて……全然」
「近寄らないで!」
蛍拿は高髷の華簪を抜き、楚白へ突きつけた。
ワナワナと震えながら、泪目で、楚白を睨む。
「あんたは私を幽閉し、責めさいなみ、人を信じる心までもてあそんだ! 許せない……あんただけは、絶対に許せない! 人非人の外道は、あんたよ! 死んでしまえばいい!」
蛍拿は、華簪を振り上げ、楚白に襲いかかった。
楚白は、彼女の憎悪を避けようともせず、両手を広げ、受け入れた。血飛沫、慟哭。
「蛍拿ぁ! よせぇぇえっ!」
伸ばされた枯枝状触手も、今回ばかりは間に合わず……男は無言で横倒しにくずおれた。
蛍拿は、聞き覚えのある大音声に、再度振りかざした手を止めた。気息奄々……男の頬を一筋の泪が伝う。《董楚白》という暴君には、不似合いな雫が、朝陽を浴びて煌めいた。
「蛍拿……お前」
丘陵地帯の亀甲墓へ、駆けつけた五人組は勿論、【鬼凪座】の鬼業絡繰役者一味である。
返り血に穢れて、放心状態で佇む蛍拿。
鎖骨のくぼみを刺され、瀕死の董楚白。
悲惨な結末を迎えた、花嫁と花婿の姿。
左半身が爛れた悪相琥珀眼の座長《癋見の朴澣》は、そんな二人の終章に、長嘆息をもらした。眉宇をひそめ、鬼業を宿した【手根刀】の左腕触手を、イラ立たしげに断ち切る。
「何故……【鬼凪座】が、ここに……」
蛍拿は、朴澣と立ち並ぶ座員四名を見渡し、気の抜けた声でつぶやいた。朴澣が答える。
「ある男の依頼で、あんたを《董家》から救出する手筈だったのさ。その依頼主こそ……」
「蛍拿は……そんな戯言、信じないぞ!」
朴澣のセリフをさえぎったのは、草原に臥す楚白だった。
怒声とともに、おびただしい血を吐き散らす。今度は正真正銘、彼の命を削る鮮血だ。
「そうだな……董家の《楚白》坊ちゃん」
朴澣は男の心裏を察し、後句を呑みこんだ。
「私を助け出すため……? 誰が、そんな」
朴澣は、煙管を取り出し悠々吹かすと、彼女の足元の、真っ赤な天狗面を指し示した。
「天狗面の男さ」
「それじゃあ……やっぱり、上が!? 後宮菊花殿で鬼女に取り殺されたなんて、嘘だったんだね!? 本当はどこかで、ちゃんと生きてるんだ! ねぇ、そうなんでしょう!?」
蛍拿の表情が、パッと明るくなった。瀕死の楚白など、最早眼中にない様子で、朴澣に取りすがる。朴澣は目をそむけ、軽くうなずいた。彼の視線の先には、楚白がいる。今まさに、黄泉路へ赴かんとする男の、懸命な眼差しが、朴澣に苦しい嘘をつかせたのだ。
「蛍拿殿、せめてもの慈悲心だ……最期くらい、彼を看取ってやっては如何ですか?」
赤毛道服姿の鬼面男《夜叉面冠者》が、穏やかな声音で蛍拿を促すが……彼女の反応は冷淡だった。それも、当然の心情だろう。董楚白は、彼女の肉親、仲間、故郷、自由、貞操……理不尽な幽閉のすえ、大切なものすべてを奪った、憎んでも憎みきれない仇なのだ。
「こんな鬼畜に、慈悲なんか要らない! 早く死ねばいい! そうすれば私は、自由になれるんだ! 同朋の仇討ちを、果たせるんだ!」
蛍拿は、血染めの華簪を、楚白に叩きつけようとした。
それを、【巫丁族】の酔いどれ破戒僧《一角坊》が、素早く押し止めた。
「やめんか、蛍拿! お前さんの気持ちも判るが……この男は本気で、お前さんを!」
一角坊も、それ以上は云えなかった。
蛍拿は、泪をぬぐい、明衣をひるがえし、【鬼凪座】が止めるのも聞かず、丘陵を走り去ってしまった。遠ざかる卑族少女の後ろ姿を、楚白は泪目で見送った。
意識さえも、彼から遠ざかる。
「これで……満足かい? 青耶さん」
朴澣の悲痛な呼びかけに《董楚白》……いや、《青耶》は幽かな微笑を浮かべたようだ。
そしてこれが、《董楚白》の最期であった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる