鬼凪座暗躍記

緑青あい

文字の大きさ
107 / 125
『難破船』

其の壱

しおりを挟む

〈何故、こんな目に遭わねばならないの!?〉
 せまい船倉に閉じこめられた娘たちは、誰もがそう嘆いていた。
 いずれも歳は十七、八。色白で目鼻立ちの整った、美形ぞろいである。
 それぞれが別の場所で、黒尽くめの怪士あやかし集団に拉致されて、気づけば帆船はんせんの中だった。
 異国へ向かう洋上、波間を漂う彼女たちの運命は、すでに決まりきっていた。
 奴隷として、異邦人に売られるのだ。
 娘たちは青ざめ憔悴し、絶望に心を蝕まれていった。
 監禁されてから、早三日。質素だが、三度の食事は与えられる。
 釣灯篭つりどうろうひとつの、薄暗い船倉の隅には、糞尿用の桶も用意されていた。
 娘たちは、外部の様子を知ることも叶わず、陽光を浴びることも許されず、潮騒のかすかな波音を聞きながら、ひがな一日、ぼんやりと過ごすことしかできなかった。
 その時、天井部の羽目板はめいたが開き、吊階段が降ろされた。
 風になびく、大きな帆が垣間見える。やはりここは、帆船の中なのだと思い知る。
 季節は初夏……まぶしい陽光が、燦々と降り注ぐ。まだ、明るい真昼なのだと判る。
 さわやかな潮風が吹きこむ。外の空気を吸える、わずかな時間である。
 そして、囚われの娘たちにとって、恐怖の時間でもあった。
おい、『牡丹屋ぼたんや』の佳澄かすみ! お前の番だぜ! 早く上がって来い! 可愛がってる!」
 革衣かわごろもで身をつつんだ海賊は、日に一度、必ず娘を一人、船倉から連れ出した。
 そしてその娘が、二度と戻って来ることはなかったのだ。
「あ、ああっ……そんな、嫌っ! どうか、お許しください! 他のことなら、なんでもします! お金なら、父母がいくらでも払います! お願いだから、見逃してください!」
 藤紫に紅殻染ベんがらぞめの襦裙じゅくんをまとった清楚な娘、華細工『牡丹屋』の佳澄は、両掌を合わせ必死に懇願した。暗い船倉を見下ろす蓬髪ほうはつの男は、口元に卑猥な笑みを浮かべ、娘を急かす。
「早く来るんだ! 手間をかけさせやがると、海に放りこんで、ふかの餌にしちまうぞ!」
 佳澄は震え上がり、周りの娘たちにしがみつき、泣きわめいて助けをもとめたが、所詮は無駄なあがきだった。下手にかばい立てすれば、今度は自分が犠牲になってしまうのだ。
 娘たちは心を鬼にして、佳澄を突き放した。
 そうこうする間に、屈強な髭面ひげづら男が、吊階段を降りて来た。娘たちが逃げ惑う中、凶悪な海賊は、佳澄の頬を二つ三つ叩き、黙らせると、肩に担いで、甲板かんぱんへと戻って往った。
 直後、羽目板は、乱暴にバタンと閉じられ、船倉を再び陰鬱な闇がつつんだ。誰かのすすり泣きが聞こえる。これで、残ったのはあと七人……元々いた娘の数は、十人だった。
 たった三日間の航海中に、もう三人が生贄にされてしまった。
 連れ出された佳澄が、男たちからどんな辱めを受けているのか。
 また、欲望の餌食にされたあと、どんな運命が待ちかまえているのか。
 想像しただけでも、背筋が凍りつく思いだった。
「きっと皆、殺されるんだわ……あの野卑な海賊どもに嬲られて、玩具にされた挙句、海へ放りこまれるのよ!」
「もうこれ以上、堪えられない! 頭がおかしくなりそうよ!」
「陵辱して殺した挙句、生き残った娘たちは、異国へ売り飛ばされるのよ! 海賊の次は、見たこともない異国人の男たちに、蹂躙されるんだわ! ああっ、そんなの嫌よぉお!」
「いっそ、死んでしまった方がマシだわ……あんな奴らに、汚されるくらいなら!」
「恋人がいるのよ! 結婚が、決まってたのよぉ! お金ならあげるから、解放してぇ!」
 娘たちは、一斉に号泣し始めた。
 いずれも良家や大店の、なに不自由ないお嬢さま育ちである。
 それが、発狂寸前まで追いつめられていた。
「好い加減にしなさい! ここでいくら泣いたって、わめいたって、どうにもならないでしょう! 気をしっかり持つのよ! 皆で力を合わせて、命懸けで奴らと闘うのよ!」
 突如立ち上がり、娘たちを力強く叱咤したのは、紙問屋『草々堂そうそうどう』の《千尋ちひろ》だった。
 浅葱七宝繋あさぎしっぽうつなぎに、高価な華籠織襦裙けこおりじゅくんで、長身をつつんだ美少女は、残る六人の娘たちを見やり、闘志をむき出しにした。勢いに押され、泣き声は一瞬収まったが、娘たちの不安は到底ぬぐえない。逆に、怒りの矛先を千尋へ向け、ますますわめき散らすばかりだった。
「一体、どうしろというの! 海賊が上に、何人いるかも判らないのよ! 女の非力であらがえる相手じゃないわ!」
「下手に逆らえば、どんな酷い目に遭わされるか……怖いわ!」
「連れ出された娘たちが、戻らないのは何故だと思う? 奴らに、嬲り殺されたからよ!」
「女七人で叛乱を起こし、成功すると本気で思っているの? だとしたら、大莫迦おおばかだわ!」
「死ぬのは嫌よ! でも……このまま、奴らの好き勝手に貪られるのは、もっと嫌だわ!」
「そうね、でも私は……千尋姉さんの意見も、尤もだと思うわ……だって、大人しく云いなりになったって、助かる見こみは皆無……私たちの命運は、奴らの気分次第なのよ?」
 最後にこう云ったのは、油問屋『旺璽堂おうじどう』の娘《梨緒りお》だった。
 十六歳と一番若く、美しさでも群を抜いていた。
 同じ女性でさえ、見惚れてしまうほど容姿端麗で、神々しいぐらいの美貌を誇る娘だ。
「梨緒、あなたは賢い娘だわ。それに、他の女とちがって、勇気もある。若いのに立派ね」
 千尋に褒められ、梨緒は、いささか気恥ずかしそうだった。梨緒は、この船倉に監禁された当初から、草々堂の千尋を、誰よりも頼もしく思い、心のよりどころにしていた。
「とにかく、次の犠牲者は決して出さないわよ! 皆も協力して頂戴! もし、失敗したら、私が責任を取って犠牲になる! だから、お願い……非力な女なら、なおのこと、助け合わなきゃ奴らは倒せない! ここで死を待つしかないのよ! それでもいいの!?」
 千尋の諄々じゅんじゅんたる説得に、娘たちの心は揺らぎ始めた。おびえながら、死を待つより、戦って殺された方が、いくらかマシだろう……確かに、皆も内心では、そう考えていた。
 だが実際に、決行となると、恐怖が先立ってしまうのだ。
「だけど千尋さん……絶対に上手く往く、という保障でもあるの?」
「大人しくしてれば、助かる、という保障の方が、圧倒的に少ないわね」
 絶望の淵に立たされ、恐怖と不安で疲弊する娘たちを口説くため、彼女はさらに続けた。
「大丈夫よ、まかせて! この三日間、寝ずに考えた作戦があるの! あとは、皆の協力が必要なのよ! お願い! これ以上、犠牲を出したくないのよ! だって明日は、あなたかもしれない! いえ、私かもしれない! 危険は皆、同じなのよ! だったら……」
「ならば、その作戦とやらを、まずは聞いてみようじゃないの! 返事は、そのあとよ!」
「いいわ……皆も、集まって!」
 だが、その時であった。
 ゴゴオォオォォォォォウウンッ……凄まじい轟音を響かせ、船体に衝撃が走った。
「「「きゃあぁぁぁあぁぁぁぁぁあっ!!」」」
 突然、かたむき始めた帆船……船倉には、あっと云う間に海水が流れこみ、娘たちは一方向へ総崩れになり、けたたましい悲鳴を上げた。灯火は一瞬で消え、闇と海流にもまれ、娘たちは必死でもがく。すると、天井の羽目板が開き、かすかな光が差しこんで来た。
 娘たちは、その光を目指し、懸命に泳いだ。但し、泳げない者は、憐れ……船倉の壁に空いた大穴から、たちまち海へ吸いこまれ……一人、また一人と、姿を消していった。
 一体、なにが起こったのか。船が座礁したのである。
 そして、ここからが、本当の地獄の始まりであった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...