鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『最期の宴』

其の壱

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――さぁさぁ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 巷説世間を騒がせている神出鬼没の夜盗一味【刃顰党はじかみとう】が、またも豪商宅を襲ったよぉ! 狙われたのは、南方増長区虚空蔵門町なんぽうぞうちょうくこくうぞうもんちょうで知らぬ者など皆無、老舗薬種問屋『七宝屋しっぽうや』だぁ! 一族奉公人、宅守やかもりから奴婢ぬひまで皆殺し! 女たちは残らず陵辱され土蔵は空っぽ! 残酷無比なやり口は、前三軒の時とまったく一緒だぁ! 役人どもは頼りにならず自警団も逃げ腰の今、正体不明の夜盗一味を止められる者はいないのか! ところが吃驚びっくり! なんと今度の『七宝屋』では唯一人、生き証人がいるって噂だぁ! くわしい経緯はこの瓦版かわらばんに載ってるよぉ! さぁ知りたい御仁は、買ったり買ったり! 一枚十螺宜じゅうらぎだぁ! 見といて損はさせないよぉ!――
 

 天凱府てんがいふの南方増長区・虚空蔵門町では近頃、血生臭い凶悪事件が頻発していた。
 正体不明、神出鬼没の夜盗一味、【刃顰党】の暗躍である。
唵縛鶏淡納莫おんばけいだんのうまく……唵縛鶏淡納莫」
 目抜き通りの辻番小屋で、売り口上を垂れる瓦版屋に、物見高い野次馬が群れ集まる。
「唵縛鶏淡納莫……唵縛鶏淡納莫」
 托鉢たくはつに訪れた物乞い僧は、そんな人々の間を縫い、念仏唱えて鉦鼓しょうこを鳴らし死者を弔う。
「世の中、殺伐としてやがるぜ」
 人垣を抜けた物乞い僧は、何故か瓦版を一枚手に持ち、ヤケに砕けた口調でつぶやいた。
「ええ、同感ですな」と、目前を通過する物乞い僧に相槌を打ったのは、掘割の路傍に寝転がる昼休みの車力夫しゃりきふだった。身形とそぐわぬ上品な口調である。一見、なんの接点もなさそうな二人が、すれちがいざま交わした奇妙で短い会話を、聞き咎めた者は誰もいない。
「決行は今夜だぜ、しくじるなよ」
 物乞い僧は、瓦版で陽射しをさえぎる車力夫に、そう云い残すと、売り手買い手の喧騒いちじるしい川沿いの辻から、足早に立ち去った。


 戊辰暦ぼしんれき十三年中秋。深沈の水明月すいめいづき
 
 虚空蔵門町の吉隠宿よなばりじゅくにある『孔雀大酒楼コンチュエだいしゅろう』は、閑静な竹林に佇む高家富裕層向けの老舗料亭だ。広大で入り組んだ平屋建て寝殿造しんでんづくりは、池畔ちはんにせり出す上客用別邸『十六夜亭いざよいてい』の、奥ゆかしくも清雅な風情が、とくに評判高かった。
 八方宝形はっぽうほうぎょうの鱗葺き屋根の下は、二部屋続きの二十帖大広間に、次の間、奥の間と仕切られ、かわやも設置、池畔に面した回廊と渡殿わたどのを通らねば、母屋へは往けぬ設計がなされていた。
 正面は深池みいけ、母屋から向かって右手は枯山水の庭園、左手は潅木林かんぼくばやしをはさみ本家の黒塀。
 まさしく周囲の視線から完全に遮断された、陸の孤島である。斯様な立地条件ゆえ、機密性が高く一般客が迷いこむこともなく、大切な商談や秘密会合に、しばしば利用された。
 そして青白い弓張月ゆみはりづきが中天に懸かるこの夜、高尚な釣殿別邸を貸切で、にぎやかな祝宴を催していた『十六夜亭』の一夜主いちやあるじは、【劫初内ごうしょだい(国政の中枢機関)】最高の学術機関『護劫志学館ごこうしがくかん』を、優秀な成績で卒業した同期生八名……高家出身の、青年官吏たちであった。
 彼らは別の官職に就いたあとも、定期的に集まっては酒肴や芸妓をまじえ、乱痴気騒らんちきさわぎに興じていた。高級料亭の奥まった別邸で、豪遊三昧の無礼講。時に破目を外しすぎ、問題を起こすことも間々あったが、毎度大金を落としていく最上客なので、店側も多少の悪巫山戯わるふざけには目をつむってくれた。若い官吏もこれ幸いに、上司同僚の悪口合戦、芸妓や舞姫転がし、謀議の密談など……なにせ八人が八人、家柄だけはいい放蕩息子ぞろいである。
 では簡略に、八人の顔触れと略歴を紹介しておこう。
夙圭琳しゅくけいりん劫貴族こうきぞく宮内大臣光禄王くないだいじんこうろくおうの妾腹で八人の頭目格、怜悧で眉目秀麗な白面はくめん美男子。
櫂翔雲かいしょううん》劫貴族、左右衛士府左竜王そうえじふひだりりゅうおうの嫡男、圭琳の幼馴染み、部門に秀でた精悍な剣客。
秦彩杏しんさいあん檀族だんぞく刑部大臣附少傳右判官ぎょうぶだいじんづきみぎはんがんの倅、名門秦家しんけの入婿、好色で軽薄な洒落者優男。
楊朱茗ようしゅめい掌酒族さかびとぞく十二守宮太保酒司じゅうにすくたいほうみきのつかさの総領、赤ら顔の呑み助、笑い上戸の道化役肥満漢。
幡陬慎ばんすうしん聖真如族せいしんにょぞく神祇府陵守太鑑じんぎふみささぎもりたいかんの長子、役職上の総髪閹官えんかん、柔和で女性的な兵学者。
鵰榮旬ほうえいしゅん》聖真如族、抹香宗まっこうしゅう大僧正の御落胤、陬慎の乳兄弟、僧門に入った剃髪の青道心あおどうしん
黄佑寂おうゆうせき》劫貴族、六官隋申忠隊長官ろくかんずいしんちゅうたいちょうかんの跡目、小柄で寡黙かもく凡庸ぼんような顔立ちだが怪力武術家。
橙隆朋とうりゅうほう》劫貴族、禁裏典薬方侍従長きんりてんやくがたじじゅうちょうの次男、鷲鼻に口髭、神経質そうな痩せ身の厭世家。
 皆二十三歳、頭頂部でたばねた元結髷もとゆいまげに、詰衿の長袍大衫ちょうほうだいさん、あるいは水干すいかんや僧衣をまとい、腰帯には『玉佩五条ぎょくはいごじょう』を提げている。彼らは、剣術【鸛散大老派こうじゃんたいろうは】に師事した偃月刀えんげつとうの使い手で、床の間には、八本の大刀がかけられている。
 雪洞ぼんぼりの燈火またたく三更さんこう(午前0時頃)夜分。気心が知れた悪友八人の酒宴は、昨今巷を騒がせている残虐無比な夜盗【刃顰党】の話題で持ちきりだった。
「――金品だけに止まらず、女子衆おなごしゅうの貞操から尊い人命まで無慈悲に奪う手口は、前三軒と同様だ。此度襲撃された薬種問屋『七宝屋』でも、一族奉公人宅守に奴婢も含め、計三十六名がことごとく斬殺されている。但し今回、枯井戸に身をひそめ、難を逃れた生存者一名を発見。ついに夜盗一味【刃顰党】の、鬼面で隠された正体が、明らかになるはずだった。ところが生き証人の宅守、阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図に堪えきれず発狂。捕吏ほりや取調べ官が止める間もなく自害。刑部省ぎょうぶしょうの期待は裏切られ、またも捜査は往き詰まった。いまだ正体のつかめぬ【刃顰党】の鬼面集団。凶悪な犯人につながる唯一の手掛かりを断たれ、治安部隊は困窮。信用は、いよいよ失墜するばかり……哈哈ハハ。こン時は危なかったよなぁ! まさか鼠が一匹、隠れていやがるとは、まったく気づかなかったぜ!」
 瓦版を読み上げ、大笑いする太鼓腹の肥満漢は《楊朱茗》である。陽気な笑い上戸だ。
 彼の足元へ、乱雑に散らばる瓦版には、【刃顰党】が起こした犯行の数々が、詳細に刷られていた。昨夜、襲われた『七宝屋』で四枚目だ。
「確かに、〝鬼面で素顔を伏せた黒尽くめの八人組〟としか判らぬよう、上手くやって来たつもりだが、ほころびが見え始めたか」と、瓦版を一枚拾い、退屈そうに目を通す男は《夙圭琳》だ。脇息きょうそくにもたれる端整な白面は、妾腹ながら出自も高く八人の頭目格である。
「盗賊らしく金を奪うようになったのは、人形細工の『蝶樂堂ちょうらくどう』からだったな。尤も下手に怪しまれぬための方便、俺たちには無用の長物ゆえ、帰途でそのまま川中に投棄したが」
 圭琳の右隣で、豪快に酒盃をあおる幼馴染みは、色黒精悍な体躯の武闘派《櫂翔雲》である。気性の荒々しい剣客で、八人中最も腕が立つ男だ。
「死んでくれて助かりましたね。天網恢恢疎而不失てんもうかいかいそにしてもらさずとは申しますが、我々には天運も味方する、といったところでしょうか」と、柔和な微笑を浮かべるのは、聖真如族の閹官《幡陬慎》である。役職上の規定に従い、総髪を背中でゆるくたばねた女性的容貌の持ち主だ。
 彼は博識な兵法学者で、口調や所作も上品だが、内奥の残酷さにおいては、仲間内でもとくに抜きん出た、恐ろしい存在なのである。
「人を殺して憂さ晴らし、女を嬲ってお愉しみってかぁ。すっかり、病みつきになっちまったな。存外に上手くできたのも、いけねぇや」
 扇子叩いて調子づく《秦彩杏》は、好色な洒落者で、唯一の既婚者だ。彼が婿養子に入った秦家は、先の戦争で武功を立て、皇家【斎宮いつきのみや】とも縁づいた名門である。
 厳格な義父が、南方治安部隊・総司令官を勤めている。
「婿入り先の妻女殿では、斯様に下衆なふるまいなぞ許してくれまいよなぁ、彩杏君。商家の侍女相手なら、犬戯いぬたわけだろうが、菊花責きっかぜめだろうが、尺八の強要だろうが、思いのまま」と、隣で鼻を鳴らし辛辣しんらつに皮肉るのは、神経質そうな面長痩身の《橙隆朋》である。
 大きな鷲鼻と、細い口髭が目立つ、若いがどこか虚無的な厭世家だ。
「あぁ~子ぅを~楽ぅ土に~却らぁし~」
 突然、聞き苦しい濁声だみごえで、隆朋の痛烈な嫌味をさえぎったのは、酒癖の悪い《鵰榮旬》だ。
 剃髪し、僧門に入ったばかりの青道心だが、破戒の限りを尽くす暴れ者である。彼は幡家で育てられた孤児で、陬慎の乳兄弟だが、実は抹香宗大僧正の御落胤という噂だ。実父のことを調べるため、柄にもなく修行を始めたわけだが、やはり彼の性には合わぬらしい。
 ますます放埓ほうらつな暴虐性を、強める結果となった。
 事情を知る陬慎は苦笑、肩をすくめている。
「あ~あ、またうるせぇのが始まった! その酔っ払いを、誰か庭へ連れ出してくれよ!」
 彩杏が、面倒臭そうに榮旬を指差す。小柄で寡黙な《黄佑寂》が、彼の注文をすかさず代行、容赦なく榮旬の禿頭とくとうを殴打した。ガクリと気絶した榮旬の巨体を、軽々と担いでは、広縁に放り出す佑寂。小男の怪力ぶりに、宴席からは哄笑こうしょうと拍手が巻き起こった。
 もうお判りだろうが、ここに集った八人こそ、凶悪な夜盗一味【刃顰党】の面々なのだ。
 夙圭琳を首魁に、刺激と快楽をもとめて徒党を組んだ、人面獣心レンメンショウシンの餓狼連中である。
 彼らは、己の身分階級を笠に着て、放埓三昧を繰り返す内、市井に生きる民草たみくさの命を軽んじるようになった、救いがたい大罪人である。
 金持ち息子の、卑劣で血生臭いお戯れは、すでに商家四軒、計百余名もの犠牲を出してなお、止まるところを知らぬ。彼らにとって、金など二の次。元来気質の似通った者同士、志学館を卒業しても、定期的な邂逅を続けるのは、残虐非道な遊び心を満たすためなのだ。
 だが圭琳の脳裏には、前回襲撃時、紺屋元締こうやもとじめ『縹屋はなだや』で見た異様な光景が、今も焼きついて離れなかった。寝ても、覚めても、思い出すのは、『縹屋』主人の強張った表情と、圭琳に向けて発した、不可解なセリフである。
《そ、そんな……莫迦ばかなことが……ああ! 若君が、何故だ! これは大臣の命令ですか! あなたは……まさか、出生時の密約を知った上で、我らを口封じに……ぎゃあぁぁあ!》
 五十がらみで恰幅のいい福相主人は、驚愕に顔を引きつらせ、圭琳を指差し叫んだ。
 暴れる侍女を嬲り終え、外れた鬼面をつけなおす途中の圭琳だった。
 主人は、そんな彼の素顔を見て震撼したのだ。しかし『縹屋』は、圭琳の不審を払拭する間もなく、駆け寄った翔雲に斬り伏せられ、絶命してしまった。
〈奴は何故、あんなにうろたえたのだ? しかも、確かに俺を「若君」と呼んだ。その上「大臣の命令か」とも、問いただしたのだぞ! 俺たちの素性や、親父にかかわるなにか重大な秘密をにぎっていたのか? 理由を聞き出す前に、口封じしてしまったことは悔やまれるが、致し方ないさ。どうせ、殺さねばならん相手だったのだ……とはいえ、やはり不安をぬぐいきれん! 『縹屋』とは一体……何者なのだ!?〉
 圭琳の心裏で、いまだに疑念はくすぶっていた。だが、仲間たちと遊興にふける内、そんな些細なことなど忘れ果てた。早くも時刻は、四更しこう(午前二時頃)に入ろうとしていた。
「失礼します。酒肴をお持ち致しました」
 障子に人影が写り、若い給仕の女声がかかるや、祝宴の一同は北叟笑ほくそえみ、目配せした。
「来たぞ、圭琳。お前のお気に入りが」
 からかい気味に、翔雲が親友の脇腹を突く。
 実は圭琳、表玄関で見つけた新入り給仕にいたく執心し、顔馴染みの料亭主人へ因果を含ませた。四更過ぎ、彼女にここへ酒肴を運ばせるよう、金で段取りをつけておいたわけだ。
 仲間たちも当然、承知済みだ。彼らもご相伴に預かろうと、淫靡な企みをいだいていた。
「入れ」
 障子戸を開け、楚々と広間に入って来た娘は、小柄で色白、二十歳なかばの【劫族こうぞく】だった。美人ではないが、大きな瞳の愛くるしい童顔で、男好きする手弱女たおやめだ。
 彼女は終始無言で、うつむきながら、銚子盆を銘々に配って回った。
「お前の名……確か、麻那まなと云ったか」
 一巡して、圭琳の前まで来た侍女は、端座したまま、じっと目を伏せている。主人に説き伏せられ、ここへ来ただけあって《麻那》は殊勝にも「はい」と、うなずいて見せた。
「指名され、ここへ呼ばれたワケも判るな?」
 翔雲に問われた麻那、今度は緊張で身をすくめ、やや間を開けてから、小さく答えた。
「……はい」
 覚悟を決めたのか、麻那はようやく顔を上げた。うるんだ瞳で圭琳の端整な顔を見すえる。
「では、話が早い」
 圭琳は膳をどけると、いきなり麻那の細腰をつかんだ。胡坐あぐらをかいた肢の上へ、小柄な麻那を強引に乗せて、じゅの衿元に手を入れた。
「ま、待ってください! ここでは嫌です!」
 周囲で酒宴を続ける男たちの衆目に晒され、麻那は激しくあらがった。その目が宿す哀願には、自害をも辞さぬ必死の気概すら漂っていた。
 かたわらの翔雲が、なおも無理強いせんとする圭琳の耳元に、さりげなく忠告を与えた。
「圭琳、この女は自尊心が高い。強制すれば死ぬぞ。続きは奥の間でるんだな。一人受け容れてしまえば、あとはいかようにもなるさ」
 圭琳は、腕の中でもがく麻那の逼迫ひっぱくした表情を睨み、ため息をついた。
 翔雲のすすめに従い、麻那を広間中央へと突き放す。
 麻那は嗚咽をこらえ、乱れた裾をなおしつつ、自ら奥の間に歩き出した。主人の厳命を受けた以上、逃げることなど叶わぬと、重々悟っている麻那だった。
おい、圭琳! 精々頑張れや!」
「しっかりモノにして来いよ!」
 彩杏と朱茗が、調子づいて軽口を叩く。
「うるせぇ、黙れ!」
 仲間たちの冷やかしを浴び、圭琳はおどけた風に歯をむいた。
 麻那のあとに続いて、薄笑いを浮かべ、圭琳は奥の間へと姿を消した。
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