鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『最期の宴』

其の四

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――まだ判りませんか! 貴殿はそれほどご子息が……いや、己の身が可愛いのか! この際だ……身分の上下にかかわらず、はっきりと云わせてもらいますぞ! 好い加減、目を覚ましなさい、宮内大臣くないだいじん! 【光禄王こうろくおう】の尊名が泣きますぞ!
――黙れ! 貴様の如き若造に、なにが判ると云うのだ! えらそうな口を利くな!
――ですが、光禄王君……神祇府太鑑殿じんぎふたいかんどのも、六官巡察隊長殿ろくかんじゅんさつたいちょうどのも、酒司みきのつかさ太保殿たいほうどのも、すでに覚悟を決めております。今更、あなたのご子息一人だけを、見逃すわけにまいりませんよ。
――あの、お話中失礼致します。幡家ばんけの小姓です。太鑑さまよりご依頼のあった伝文、返書がようやく届きましたので、お持ち致しました。
――そうか、ご苦労……下がってよいぞ。
――こんな大事の最中さなかに、どなたからです?
――相すみませぬ。私が養父として育てた御落胤の、実父君からです。此度の件、召集を受けた三日前、すぐに一筆したためました。僧正の許可なく勝手な処罰はできかねますゆえ、事態をつつみ隠さずお伝えした次第。その返書がこれなのです。父君のご回答は……、
――太鑑殿、あなたはご自分の息子を、すでに放逐なされたはず……なのに血のつながらぬ養子の処分は、いまだ決めあぐねておられる。解せませんな! 国教擁護の神職にありながら、あなたには肉親の情というものがないのかね!
――おやめなさい、宮内大臣! 人を叱責できる立場ですか! 太鑑殿が、誰よりつらいのだ! そんなことさえ、判らないのですか!
――そうです、うえ! 私は長年、あなたの下で宮廷監理の職に就き、粉骨砕身勤めてまいったつもりです! それはひとえに、あなたを尊敬していたからだ! しかし此度の件で、あなたというかたの本質が、逆によく判りましたよ! 私は息子の始末が終わった時点で、十二守宮太保じゅうにすくたいほうの職を辞したいと存じます! それが、あんな性根に育て上げてしまった息子への、そして世間に対するせめてもの罪滅ぼし……名誉を守り、肉親を切り捨て、己だけ安全圏に逃げることなど、とても……私自身が許せません! そして宮廷を離れたあとは、あなたの行った不正を、残らず告発させて頂きます!
――貴様らぁ! 寄ってたかって、このわしを愚弄する気かぁ! どいつもこいつも、潰してやるぞ! 儂の持てる、政権すべてを賭してでも、必ずや一人残らず、劫初内ごうしょだいから追い落としてくれるぞぉ! 覚悟しておけよぉ!
――宮内大臣、見苦しいですぞ!
――権威を振りかざすのも、大概になさい、光禄王!
――それで……太鑑殿、返事は如何いかがです?
――正直、安堵致しました。救いがたい奸物かんぶつと申せど、我が息子のみ成敗して、同罪の彼奴だけ免罪せよとの沙汰が下ったなら……きっと、私の手で彼奴を成敗していたでしょう。
――では……やはり、大僧正も!?
――処分をまかせると……英断が出ましたよ。
――おお、信じられん! なんという悲劇だ!


 涼風にたな引く雲が、かすかな弦月を細らせる。
 清雅な湖水の淵に建つ八方宝形ほうぎょう離宮『十六夜亭いざよいてい』は、深奥しんおうな寂莫に圧しつつまれていた。
 明鏡止水めいきょうしすいに映える蛍火、虫の声音が凛々とすだく草むら、初秋の宵が紅葉色もみじいろに染まる。
「ここには……善からぬ邪念が、渦巻いております。一人、二人でない……数多あまたの魂魄が、死霊も生霊も合わせて、さらなる怨霊を招き寄せている模様……とくに、そこのあなた!」
 霊視を始めて寸刻、膳や酒盃をどけた広間中央で端座瞑想する阿礼雛あれびなが、唐突に叫んだ。
「あなたの左肩口には先刻から怨霊が喰らいつき、離れようとしないのです! あなたを、泥梨ないりへ引きこもうと狙っている! なにか恨みを買うような、身に覚えはありませんか?」
 阿礼雛は白払子びゃくほっすで、まっすぐ圭琳けいりんを指し示し、ズカズカと広間を横切った。
 閻浮提巫女えんぶだいみこの気魄と圧倒的な霊波に、尻込みした圭琳は、息を詰め、あとずさった。
 女祈祷師の静謐せいひつ青瞳せいどうが、彼の左肩付近を、じっと見すえている。
「その男……藍染めの長袍ちょうほう前掛けに恰幅のいい福相で、歳は五十がらみ……多分、劫族こうぞくの大店主人……身形みなりから察するに紺屋こうやでしょう! おびただしい血が流れ落ち、額には深い刀傷が見えます! ああ、きっとあれが、致命傷だったのですね……なんと痛ましい死にざま!」
 目を伏せ、長嘆息する阿礼雛のセリフは、圭琳のみならず、仲間七人をも震撼させた。
 恰幅のいい福相紺屋主人……思い当たる男が、一人いた。【刃顰党はじかみとう】三度目の襲撃時に、斬殺した『縹屋はなだや』主人こそ、阿礼雛が圭琳の肩口に見ている、怨霊の特徴と合致するのだ。
「な、なんだと!? 云わせておけば、このれ者め! 根も葉もない誹謗中傷で、俺を愚弄する気だな! それ以上、俺に近寄るな!」
 圭琳はうろたえ、床の間の大刀に手を伸ばそうとした。
 それを、何故か麻那まながさえぎった。
「どうかお待ちください、旦那さま! 私は是非とも、このかたの話を伺いたいのです!」
「そこをどけ、麻那! 一緒に斬り殺すぞ!」
 しかし、麻那は一歩も引き下がらなかった。怒り狂う圭琳にしがみつき、いよいよ激情にむせび泣くのだ。料亭侍女が見せた必死の形相に、青年官吏たちは仰天。
 圭琳も呆気に取られ、わけが判らず憤懣のやり場に窮している。
 麻那は圭琳を抑えたまま、哀切な瞳で女祈祷師をかえりみ、上ずった声音で叫んだ。
「阿礼雛さま、先を続けてください! あなたには本当に見えているのでしょう? 残虐な夜盗一味【刃顰党】に殺された『縹屋』主人の亡霊が……私は『縹屋』の娘なのです!」
「「「「「なんだって!?」」」」」
 青年官吏八人に、激震が走った。麻那が明かした素性は、彼らに凄まじい衝撃を与えた。
 圭琳の戦慄は殊更だった。当然である。
 彼らが殺した縹屋主人の娘を、そうとは知らず、すでに陵辱してしまったあとなのだ。
 大きな瞳一杯に泪をにじませ、嗚咽する麻那へ、阿礼雛はまたも脅威の宣告を下した。
「判っておりますよ。あなたが今宵、この場に居合わせたのも、単なる偶然ではありません。これこそ、天のお導きでしょう。お父さまの声は聞こえませんが、あなたに向ける眼差しに、邪念はまったく感じません。いいえ、それどころか父上は、とても悲しそうな瞳であなたの身を案じ、非常に強く嘆いておられる……その理由もおしなべて、今からご覧に入れる【閻浮提式巫術えんぶだいしきふじゅつ】の交霊『生口いきくち』が、つまびらかに語ってくれるでしょう。では早速、始めたいと存じます。皆さまがたも、異論はありませんね?」
 その間にも、着々と交霊の準備を進める異形従者。五尺茅ごしゃくちを座敷へ布いて、周回に八つの雪洞ぼんぼりを並べる。四垂幣束しでへいそくを立て、紅米べにごめで結界線を描き、各所に清めの盛り塩をおく。
 逼迫ひっぱくした八人は、交霊を阻もうと武具を手に取った。
 なおも邪魔する麻那を蹴り倒し、完全包囲で抜刀、物々しく阿礼雛を恫喝する。
巫山戯ふざけるな! この詐欺師どもめ!」
「貴様らの如き下郎に、なめられてたまるか!」
「即刻やめねば、この場で斬り捨てるぞ!」
 翔雲しょううんの抜いた偃月刀えんげつとうが、阿礼雛の白いおとがいにヒヤリと触れても、彼女は臆さずたしなめた。
「やめなさい。私の云うことが、虚偽か真実かはじきに判明します。それとも、交霊を恐れるやましい理由が、あると云うのですか? 胸に一片の曇りもなければ、黙って見物できるはずですものね。見ればこの刀も……随分と血を吸っておりますな」と、大胆にも偃月刀の切っ先を、細い指ではさむ阿礼雛に、さすがの翔雲も、気おくれして刀身をのけた。
 苦々しく舌打ちする。仲間たちも、不承不承後退する。
 たとえ、どういう結果になろうとも、彼らは美貌巫女を、無傷で帰す気など毛頭なかった。勝手に飛びこんで来た以上、こちらも好き勝手にふるまうつもりでいた。
 重大な秘密をにぎっているなら尚更だ。異形従者は即座に始末、縹屋の娘と知れた麻那も口封じすればよい。その前に、心ゆくまで絶世の美女を嬲り者にする。
 そう強がってはみても、得体の知れぬ恐怖に取り憑かれ、八人は慄き始めていた。
「皆、落ち着け。うろたえるな。予定通り傍観すればいいさ。どうせ皆殺しと決めたんだ。腹をすえるしかないだろう」と、小声でつぶやく圭琳に促され、仲間たちは刀を戻した。
〈そうだ、なにも恐れることはない。ここは我らが主の宴席。主導権は我らにあるのだ〉
 同期生だからこそ、互いの動揺を知られるのも気まずい。八人はあえて、冷静を装った。
 指定された通り円陣を組んで、ドッカと座る。彼らは怖気を隠し、心新たに交霊へ臨んだ。
「では、ご覧に入れましょう……皆さま、円陣外側で座禅を組み、動いたり騒いだりなさらぬよう心がけてください。怨霊に憑依されても困りますので、先にお渡しした魔除けの樒葉しきみばをくわえ、決してしゃべらず、口を開かぬよう、かさねておすすめ致します」
 茅の輪で座禅を組む異形『生口』男、囲む八つの雪洞。
 紅米結界陣の外側で円座する九人は、口に樒葉をくわえたまま、深くうなずいた。
 皆、緊張した面持ちで、女祈祷師の一挙一動に注目する。異質な空間の中、阿礼雛は練絹水干ねりぎぬすいかん襦裙じゅくん白装束を、スルリと脱ぎ去った。惜しげもなく、瑞々しい白皙はくせきを露にする。
 蜉蝣かげろうの羽に似た水衣みずごろも一枚だけで、薄皮の如く細い肢体をつつみ、女祈祷師は白払子をかざす。煌々と凄艶な阿礼雛の美しさに、青年官吏たちは魅入られ扇情され、見惚みとれていた。
『バン・ウン・タラク・キリク・アク』
 巫女は不可思議な言葉をつむぎながら、『生口』の座る茅の輪周回をゆっくり歩き始めた。白払子で雪洞をかすめるたび、燐粉のような青白い光烟こうえん白毫びゃくごうの毛先からほとばしる。
『バン・ウン・タラク・キリク・アク』
 ひるがえる蜉蝣の羽、漂う伽羅香きゃらこう玲瓏れいろうなる呪禁じゅごん瓔珞ようらくがまたたき、阿礼雛の歩は徐々に早まる。やがて彼女の白肌は、熱をおび、朱色の模様を浮かび上がらせた。
 それは白粉彫おしろいぼりした経文字だった。一見【穢忌族えみぞく】のようだが、入れ墨でも観音経でもない、まったくの別物だ。恐らく、閻浮提特有の言語なのだろう。
 食い入るほど見つめる一同は、その文字の形態が、五種類のみであることに気づいた。
 全身に、くまなく浮かぶ朱文字の正体――あるいは彼女が唱える耳なれない呪禁と、同一なのかもしれぬ。なんにせよ淫靡いんびな光景である。
『バン・ウン・タラク・キリク・アク』
 やがて阿礼雛の白払子にいざなわれ、八つの雪洞から次々と、青白い光玉ひかりだまが漂い出した。
 なんと燈火が、無数の蛍火へ転化したのだ。
 雪洞ひとつが百余の蛍を吐き出し、計八百超。
 どの雪洞も必ず一匹だけ、他より大きく真っ赤な蛍火を誕生させた。
 代わりに燈火を失った雪洞、青暗い薄闇へ沈む広間、樒葉をくわえ絶句する九人。
 彼らの鼻先をかすめ、青白く、時折、赤い蛍火だけが、延々と乱舞する。
 先導する阿礼雛を、追尾する蛍群。九人が囲む円陣一杯まで広がり、回遊し続けた。
 まるで、夢幻世界へ迷いこんだような錯覚に囚われ、青年官吏たちと麻那は呆然自失。
 蛍群の火輪にめまいを覚え、気が遠くなった。
『バン・ウン・タラク・キリク・アク』
 すると、降魔坐ごうまざで瞑想する異形従者の方にも、ここに来て大きな変化が生じ始めた。
 男は小刻みに震え、うっすらと血汗をかき、口をふさぐ護布を乱暴にはぎ取ったのだ。
「「「「「うっ!?」」」」」
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