鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『決別・後編』

其の拾

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「そんなに七生ななおのところへ往きたいのか、如風じょふう! お前のせいで長年自由を束縛され、父親まで喪った彼女が、お前を喜んで歓待するとでも思ってんのかよ! 大莫迦おおばか野郎がぁ!」
 朴澣ほおかんの伸ばした【手根刀しゅこんとう】が、鋭利な針先と化して、如風の胸を刺しつらぬいていた。
 瑞茅みずちにおおいかぶさった凶賽きょうさいは、足元で交差する二本の屍毒針しどくばりを見つけ、愕然となった。
 誰かが、もう一本の五寸針を投げ、殺人鬼の狂針を、上手く打ち落としてくれたらしい。
「助かったぜ……おい、大丈夫か? 怪我はないか?」と、問いかけながら、身を起こした途端――、
「凶賽親分っ……凶賽!」
 瑞茅は泣きじゃくり、夢中で凶賽を抱きしめた。
 凶賽も瑞茅の無事を喜び、愛しさあまって華奢な門附人もんぷにんの細身を、力一杯抱きしめた。
 敦莫とんまく庚仙和尚こうせんおしょうも二人の姿に心底安堵し、またしてもその場で腰砕けになってしまった。
 一方で如風も、五人が囲む円陣の中、血を噴きくずおれた。
 朴澣の鬼業きごう触手は、瞬時に引き抜かれ、元通り継半纏つぎはんてんの左袖へと納まった。雪を深紅に染めながら、瀕死でガクリと膝をつく如風は、なおもいじましい妄言をうそぶいた。
「かまわん、さ……た、たとえ、どんなに、嫌われようと……な、七生は、俺の、い、命だ……離れることは、できない……これで、ようやく……」
 死門しもんの前へ夢見心地で立つ如風……次の瞬間、パァンと煙管キセルの雁首叩き、如風を夢から引き戻した朴澣。彼は、泥梨ないりへ沈み逝く空蝉に対し、残酷きわまりない真実を告げた。
「残念だが、死んじまっちゃあ二度と七生さんには逢えないぜ。早まらず思い止まってくれたら、七生さんの居場所を教えてやっても、よかったんだがねぇ……莫迦だよ、あんた」
 如風は、カッと目を見開いた。怪士あやかしの云ったセリフが、すぐには呑みこめなかったのだ。
「い、今、なんと……!? 七生が、生きてるって……そ、んな……うっ、嘘だぁあっ!」
 如風の陰惨な瞳に、燃えるような狂気が宿った。
 憐れ、吐血まじりの怨言わめく男に、怪士一味が示した調査報告は、冷酷非情だった。
「いいえ、本当です。彼女は大河で溺死寸前のところを、夜盗市やとういちの老船頭に救われた。親切なその老爺ろうやと、天凱府てんがいふ各地を転居しながら、隠れ暮らしていたのです。鬼畜の如き門附人と、あなたの過激な愛執から逃れるためにね」と、夜叉面冠者やしゃめんかじゃ
「嘘だと思うなら、地蔵門町八生宿じぞうもんちょうはぶじゅくの【玉輪屋たまわや】って蕎麦屋を訪ねてみろよ」と、那咤霧なたぎり
『夫唱婦随の手打ち蕎麦が、美味いと評判の店だ。美人女将目当ての客も多い』と、宿喪すくも
「尤も、その傷じゃあ、とてもたどり着けねぇよなぁ。あんたがこれから逝けるところは、黄泉路くれぇのモンだろうぜ……憐れな男だねぇ」
「座長! もうよせ!」
 珍しく一角坊いっかくぼうが、朴澣の悪性をたしなめた。
「玉輪屋……夫唱婦随、だと……そんな、本当に、生きているのか……七生、七生ぉ!」
 如風は最期の力を振りしぼり、立ち上がった。
 朴澣の【手根刀】は、微妙に心臓を避けて射たが、無理に動けば血脈が破れ、如風は確実に死ぬだろう。それでも如風は歩き出した。
「如風! 逝くな! 貴様っ……死ぬぞ!」
 一角坊は、如風をなんとか止めようとした。
 脇腹の傷も開いたらしく、出血量もおびただしい。
 如風の足跡が、雪を赤々と汚していく。
だが彼を止められる者は、どこにもいない。
 彼は彼の、ゆがんだ信念にもとづき、自ら命を削り始めたのだ。
 悲愴な死に向けた旅立ちだった。
 勢至門せいしもん、別名『不如帰門かえらずもん』をくぐり抜け、如風は命を賭してでも、愛する女の元へ逝く。
「七生、七生ぉ……せめて一目だけでも、お前に……逢いたい! お前の恋路を邪魔したこと……親父を、殺したこと……その葬式で、お前を傷つけてしまったこと……すべて謝りたいのだ! 神よ……どうか俺に、ほんの少しだけ、時間を与えてくれぇ! 七生ぉ!」
 門下で見送る【鬼凪座きなぎざ】五人のそばに、瑞茅と凶賽、敦莫と庚仙和尚も駆け寄って来た。
「喂、待てよ! 逃がさねぇぞ、畜生っ!」
 門附人殺害犯を捕えようと、意気込む赤毛侠客を、同じ緋幣族ひぬさぞくの夜叉面が押し止めた。
「やめなさい、凶賽殿。彼は、遠からず死ぬ身です。最期は、好きにさせてあげなさい」
「けど奴は、門附人を次々と殺した、凶悪犯なんだぜ!? このまま逃がすワケには……」
「そうだよ、あにさんがたぁ! いくらなんでも、見逃すなんてまずいぜ! せめて役人に通報して、身柄を引き渡しちまえばいいんだよ!」
 如風の後ろ姿を睨みつつ、焦れて喰い下がる凶賽と敦莫の意見に、一角坊が首を振った。
「先刻も説明したが、奴は復讐のかたわら、朝廷の密命通り動いていたのじゃ。十二門附人の犯した所業は、それほど許しがたい大罪だったというワケじゃよ。奴がらずとも連中はいずれ、他の暗殺方に消される運命だったのじゃ」
「そうよ! これもすべて、身から出た錆! 自業自得じゃねぇか! クソ役人が死んで、喜ぶ奴らがわんさといやがんだ! 文句ねぇだろ!」
黒姫狂女くろひめきょうじょ』を演じた美男喝食かっしき舌鋒ぜっぽうに、凶賽と敦莫は言葉を失った。
 だが、恐ろしい裏事情を知った上は、彼らとて如何いかんともしがたい。
『瑞茅、われらを恨むなよ。【劫初内ごうしょだい】が、抹殺命令を下した連中ゆえ、救命は不可能と判断したのだ。ならば、せめて憐れな男の復讐劇を見届けた上で、お前だけは守る。これが、真相を知った吾らの窮策。まちがってはいないはずだ』
 獰悪どうあくな異形に似ず、優しい口調の宿喪だった。
 隣の瑞茅は怖気を忘れ、泪目でうなずいた。
唵縛鶏淡納莫おんばけいだんのうまく」と、庚仙和尚が、遠ざかる如風に六字陀羅尼ろくじだらにを捧げる。
 白道びゃくどうをひた向きに逝く、男の孤影。
 心揺さぶられ、泣き出しそうな瑞茅の懸念は、今やまったく別のところにあった。
「朴澣殿、あの怪我で……彼は、妹君のところへ、たどり着けるのでしょうか? 理由はどうあれ、今は一目だけでも、逢わせてあげたい……」
 瑞茅の深い慈悲心に感化され、悪逆非道な監督兼演出家も、わずかな胸の痛みを覚えた。
「さてな……たとえ、いかなる事情があったにせよ、これこそが奴に科せられた罰なのさ」
 瑞茅の青白い頬を、一筋の泪が伝った。朴澣は、美しい泪だと思った。
 凶賽も同じように感じ、瑞茅の肩を支えた。一同は、《忌告いみつげの如風》がさまよい出した、永い贖罪の旅路を、『不如帰門』から、静かに見送ったのだ。
 

……鬼灯ほおずき揺らぐ、六斎日ろくさいにち
  泥梨ないりいざな十二使鬼じゅうにしき……
――目指すは南方増長区ぞうちょうく、地蔵門町『八生』宿。
「七生……今、往くぞ……お前の、ところに……」
……神々廻ししばあざな阿弥陀門あみだもん
    一夜の夢とおぼし召せ……
――雪白の往来を赤く染め、男の命を削る血滴ちしずく
「お前に、逢うまでは……死んで、たまるか!」
……勃嚕唵ぼろんと鳴らす観音門かんのんもん
    二夜の夢は未だ遠い……
――容赦なく吹き荒ぶ寒風に、儚く揺らぐ灯命とうみょう
「一目だけでも、いい……七生に、逢いたい!」
……荼吉尼だきにを描く如意輪門にょいりんもん
    三夜の夢は尚醒めぬ……
――六花りっかが手向ける有終の美、霞む視界は夢幻。
「神よ、お願いだ! 俺に……今少しの猶予を!」
……魄布施たまぶせ捧ぐ大威徳門だいいとくもん
    四夜は泡沫うたかたかぎろふ命……
――死に赴いてまた一歩、空ろな瞳に面影よぎる。
「七生ぉ……どうか、俺を……許してくれ!」
……不知火しらぬい揺れる普賢門ふげんもん
    五夜には送り火明けがらす……
――熱の失せた体、雪片を散らして転がる路傍。
「もう少し……ほんの、少しで……うぐっ!」
……閼伽凪あかなぎ酔わす大日門だいにちもん
    六夜にぬえは啼きもせず……
――血を吐き、立ち上がり、心だけが先んじる。
「この、十年間は……生き地獄だった……」
……血飛白ちがすり染める虚空蔵門こくうぞうもん
    七夜は赤い玉飾り……
――男の孤影を照らす鬼灯、黄泉路へ続く白道。
「お前を、独占したかった……たとえ、妹でも」
……闇供華やみくげ散らす地蔵門じぞうもん
    八夜に見るは黒暗女こくあんにょ……
――人気ひとけのない夜道を、深々しんしんと非情な闇がおおう。
「だから……親父や、恋人、邪魔者を消した」
……屍神楽しかぐら踊る文殊門もんじゅもん
    九夜に往くがかれかし……
――厳冬の深夜は冷酷だ、赤い泪を凍てつかす。
「そして、お前の、ためだけに……人殺しを!」
……牙舎利げしゃりを弔う旧釈迦門きゅうしゃかもん
    十夜に及ぶ鬼騒動……
――血染めの小袖につつんだ身は、青白い亡魂だ。
「愛していた……だから葬儀の夜、お前を……」
……卒塔婆そとばを手折る弥勒門みろくもん
    十一夜続けば夢現ゆめうつつ……
――ひときわ強く燃え上がった情念は、最期の光か。
「お前に、逢いたい、七生……七生ぉ……!」
……黄泉月よみづき浮かぶ勢至門せいしもん
    十二夜の夢は不如帰ほととぎす……
――雪上へ赤いシミを広げ、男はついに力尽きた。
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