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『食女鬼・前編』
其の九 ★
しおりを挟む翌日は、小雨そぼ降る水無月の昼過ぎ。
後宮奉仕で忙しい女官の、わずかな自由時間を狙い定め、裏門出城にある奥所帯へ現れた出入商人は、馴染みの小間物屋である。売物は、市井で流行の化粧道具、簪笄、造生花や刺繡布子、瓔珞に耳玉、艶やかな領巾、御香など……女心をくすぐる華飾品、実用品の他、大きな葛篭の二重底には、滑稽で怪しい商品も多数。
早速、裏手の長屋門へ押しかけた女御衆は、框で広げられた性具の品定めに余念がない。
「これなんか如何です? 牛の角と豚皮で造った特別製ですよ。しかも、この赤い筋には、催淫液が染みこませてある……一度こいつを使っちまうと、とても本物の男なんざぁ、相手にしてられません。ホラ、こうして#かかと__#踵にくくりつけて……あとは云わずもがなでしょう」
いつもの小間物屋が急病のため、代参したという弟は、たぐいまれな美貌の持ち主だった。浅葱の長袍に藍染め前掛、ゆるくまとめた束髪が艶めかしい、美男子である。
それが、淡々と性具を取り出しては、ことこまかに使用法を説明するのだから、欲求不満の女御衆にはこたえられない。
「嫌だわぁ……なんだか、恥ずかしい形!」
「でも、ウチの三妹が愛用してるモノは、もっと凄いのよ! 両端がアレの形してて、同室の娘々と二人で、仲良く容れっこするの!」
「あら! そう云うあなたは、好みの閹官に擬似道具をつけさせて……この間の晩は、随分とお愉しみだったじゃない! 好色者ねぇ」
実は本職の小間物家業より、性具売買の方が、この女護ヶ島では、倍以上の金になる。
後宮女御は、すべて皇帝一人の者。ところが、皇帝の寵愛を受けられる幸運な女御など、一舎殿に五、六人が精々だ。皇帝が殊更お気に入りの菊花殿とて、十数人がやっとだから、後宮権妻四花殿全女官から鑑みれば、たった百分の一程度。数千人が暮らす女の園で、長い禁欲生活を強いられ続けては、あまりにやるせない。ゆえに、こうしたさまざまな性欲解消法が流布するのも、当然だった。
女御衆の規律を守るためにも、後宮監吏や寮部連中とて、目をつむるしかない。胡乱な小間物屋や、【夜飛白一座】のような若い男たちの出入を、一部で黙認するのは……結局、争乱を避ける苦肉の策なのだ。
「でも……やっぱり、こんな張形なんかつまらないわぁ」
「ねぇ、小間物屋さん。あなたのは、いくらで買えるのかしら?」
まだ歳若い小間物屋は、端整な顔立ちを若干ゆがめたようだが……すぐに莞爾と答えた。
「私の……を、ご所望ですか? 哈哈、困ったなぁ。こんな綺麗な娘さんがたに、誘われるなんて、夢みたいだが……生憎と、まだ命は惜しいですからねぇ……相すみません」
低頭する美男小間物屋の返答に、女御衆はさも残念そうな様子で、当てこすりを云う。
「以前の小間物屋さんなら、ただでなんでもしてくれたのに、がっかり! あなたのほうが男前だし、こんな張形じゃあ、すぐに飽きちゃうわ!」
あけすけなセリフで、小間物屋を挑発する。
その瞬間、彼の瞳に妖しい光が宿った。
「でしたら皆さまがたに、最高の道具をお貸し致しましょう。これは、ウチの工匠がこしらえた新作で、まだ世に出回っておりません。しかし兄嫁が試したところ、その乱れようといったら……義弟の私が欲情するほどの凄まじさでねぇ。試作段階なので、色々な女性に具合を確かめてもらいたいと、考えていた次第……そういうわけなので、御代は頂きません。その上、この張形には、魔除け鬼難避けの効果もありましてね……芳しい香りがするでしょう? 樒と白檀から抽出した、特殊な薬剤を染みこませてあるのですよ。これがまた、強烈な催淫効果をもたらしまして……というのも、ちょいと小耳にはさんだのですが、近頃『菊花殿』では、〝鬼憑き〟騒動が持ち上がっているとか……だけど、常にこれを身につけていれば、おぞましい【鬼胎】を享ける心配もありませんよ。無論、本業の方もおこたりません。鬼畜以上の刺激を与えてくれる……如何です、試してみませんか」
小間物屋が差し出したのは、幾重もの木蔦をおおいかぶせたような、なんとも猛々しい尾籠な張形だった。しかも、表面の管に浮かぶ瘤が、血管の如く脈打っている。
八寸半と長大で色は全体に赤黒く、触れるとかすかに熱を含んでいた。
さすがに淫猥な女御衆とて、これには絶句。
しかも情報通の小間物屋は、すでに菊花殿の機密事項〝鬼憑き〟騒動まで、聞き及んでいると云う。口さがない女御衆も、いささか当惑した。
「私はね……あなたがたのように、お美しい女御さまが、無惨にも鬼業の魔手でからめ捕られはしないかと、不安でならないのですよ。これは、必ず皆さまの御身を守ってくれる……それに、得も云われぬ、悦楽の極致を味わわせてくれる……ですから、どうぞ恥ずかしがらず……さぁ、お取りください」
真剣な眼差しでにじり寄る美男の体と、怪しい張形からは、甘ったるい香気が漂っていた。女御衆は、かんばしい匂いで鼻先をくすぐられ、早くも夢心地になった。
うずく体とは裏腹、頭はなかば朦朧状態で、最初の一人が張形をつかむ。
「私……頂くわ、今すぐにでも、欲しい」
「啊、私もよ……お願い」
「どうせ、只なら……試してあげる」
「まだ、あるんでしょう? ねぇ、頂戴」
「早く、使ってみたいわ」
「私も、欲しい……我慢できないわ」
「凄い……ドクドクと、脈打ってる」
「まるで、生きてるみたいよ……ふふ」
淫蕩な眼差しで、きわどい淫語を口走る女御衆。美男小間物屋は、そんな女たちの欲望をどこか冷めた目で見守りながら、笑みは崩さず、次々と同形の性具を葛篭から取り出す。
「どうぞ、まだまだ沢山、ありますからね」
その夜の効果は、てき面だった。
硬軟、伸縮、変幻自在の生きた張形は、本物の男根より、はるかに女体を歓喜させた。
噂が噂を呼び、二日後、再来した小間物屋の元には、さらに大勢の女御衆が押しかけて来た。客の中には、高位中臈職の姫君や、年増の世話役までまじっていた。
小間物屋は喜色満面、いよいよ商魂を発揮して、高価を要求する。
それにもかかわらず、奇怪な張形性具は飛ぶように売れ、その勢いたるや、あっと云う間に、後宮妾妃全員の常備品となりそうなほどだった。
「小間物屋さん、見てぇ。今もつけてるのよ」
侍女の一人が、平然と裙子の裾をまくり上げ、秘処を見せつける。赤黒い性具は、使い手の思惑通り気ままな動きをする。下腹部全体をおおい、吸盤の如く張りついた張形は今、当初の半分以下まで収縮していた。蠕動運動もない。
「閨房に入ると、すぐに始めるの……ホンのちょっと、刺激を与えてやれば……うふふ」
侍女は含み笑い、腰をくねらせた。小間物屋も、微笑している。
「そうです、娘々。常に肌身離さず、つけておいてくださいね。前にも云った通り、それは邪鬼避けの御守りにも、なるのですからね」
数日間、怪しげな性具を売り続けた美男小間物屋は、どこからそんなに大量の張形を調達して来るのか……とにかく、菊花殿女御衆全員にほぼ、〝魔物〟と渾名される性具が往き渡った頃、ぷっつりと姿を見せなくなった。
半夏生の初更、《朱牙天狗》が逗留する仮住まいでは、実に奇妙な現象が起こっていた。
「聖人さま、どうか……御祈祷を……」
「あなたさまの加持力で、私をお救いください」
「聖人さまが望むことなら、なんでも致します。この身を捧げても、かまわない……」
薄汚い襤褸蓬髪の天狗面行者に、しどけない姿態ですがりつくのは、いずれも高位中臈『姐々』ばかりであった。しかも、奥向きの涼殿に集まった女たちは皆、妊婦とおぼしき孕み具合である。豪奢な襦裙を脱ぎ散らし、這い寄る美女の奇行には、さしもの朱牙天狗とて愕然とした。
【鬼胎術】へ貶められた女は、腹の鬼子に急かされるまま、餌をもとめて半狂乱となる。最早、高家出身の自負心など、どこへやら……ひたすら、肉欲と男の精気を欲し、淫蕩な獣の雌と化す。今、朱牙天狗の居室へ押しかけ、足元に平伏す女御衆の念頭には、邪淫しか存在せぬ。和合水を作る意志しか存在せぬ。
皆、彼の【鬼胎術】で赤蛭の鬼子を孕んだ、妊産婦ばかりである。総勢十二人。
中には、大姐『胡蝶の君』もまじっていた。
――朱牙天狗よ……そなた、いよいよ忙しくなるな――
過日の宵、菊花大夫が含みのある声音で、うそぶいたセリフが、現実となったわけだ。
半裸で先を争い、痴態を見せつけ、男体へむさぼりつこうとする女御衆は皆、皇帝陛下の寵愛を受けるだけあって、いずれ劣らぬ美姫ぞろい。
しかし今や、朱牙天狗の胸には、菊花大夫への恋慕しかない。
「やめよ! 疾く、離れなさい! 私は、そなたたちのヤヤ子に、精気を与えるつもりなど毛頭ない! どうあっても堪えられぬとあらば、【夜飛白一座】へ往くがよい! あの人形使いどもは、後宮専門の男娼だと聞き及んでおる! えぇい、埒が明かぬ! とにかく、人目に触れる前に、はよう出て往け! 祈祷なら後日、懇意にしてやる!」
厳しい叱責を受けてもなお、執拗こくまとわりつく雌犬どもに、嫌気が差し、朱牙天狗は涼殿から裏庭へ飛び出した。振り返れば、女たちは恥も外聞もなく、手淫や張形での自慰行為にふけっている。凄まじい光景だった。
同時に、見るも無惨な【孕女鬼胎】の犠牲者の姿だった。
「なんということだ……私は取り返しのつかぬことを……啊! 天帝、どうかお許しを!」
朱牙天狗は恐れをなし、女たちの嬌声に耳をふさいで駆け出した。
こうなることを予想した上で、菊花大夫とも話し合い、用意させた奥向きの離れだったが……あの様子では女御衆が乱気して、相手かまわず情をねだり、痴態を見せつけるのも、時間の問題だろう。やはりここは菊花大夫のすすめ通り、自分が身を粉にせねばなるまい。
最悪の鬼業を隠すためにも、詮方ない。遊水地をまたいだ小さな中庭で、ひとしきり思案に暮れた朱牙天狗は、面を外し、深呼吸した。
「ふふ……よもや、この醜いご面相で、後宮妾妃相手に、男娼役をこなす破目に相なろうとは……なんとも皮肉ではないか……これも、菊花大夫の【魔障】がなせる業か……哈哈」
朱牙天狗は、中庭の深池が写す素顔を見て、長嘆息した。エラが張り、痘痕だらけ、鼻は左右へひしゃげ、口角は下顎まで裂けている。白髪まじりの蓬髪も、いかつい猪首も、猫背気味で風采が上がらぬ体躯も、醜悪の一語に尽きる。
「斯様な男でも、欲しがる女御がいる。ならば、功徳と思い、精を与えてやるべきか?」
水鏡の自分に対し、独語する朱牙天狗。
「莫迦な!」
答えはすぐに出た。
石塊を投げこみ、不気味な悪相男へ怒気をぶつける。波紋が、静謐な水面から彼の醜貌をかき消し、やがて……奇妙な物体を浮かび上がらせた。朱牙天狗は、目を見開いた。
約一町の心字池が、ユラユラ映し出したのは、信じがたい現象だった。
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