鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『闇舞台』

其の弐

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 ……さやけし月のおもてにも
   写す九献くこんの面にも……

「これは一体、なんの騒ぎだい?」
莫迦ばか! 今日は冬至前、最後の六斎日ろくさいにちだぞ? 文殊門安立正見社もんじゅもんあんりつせいけんしゃ、夜神楽千歳楽せんざいらくに決まってるじゃないか! 見ろよ、あの美しさ!」
「しかも、【音曲地方おんきょくじかた】の楽聖さまは、《吉祥参楽天きっしょうさんがくてん》なのよ! 素晴らしい舞台だわ!」
花菱座はなびしざ別嬪べっぴん舞姫に、都随一の吉祥参楽天か! これこそまさしく、夢の饗宴だなぁ!」
 初冬、小雪舞い散る寒空の下、四間四方の黒光る鶯張り露台の周辺は、詰めかけた見物客でごった返していた。
 篝火が、赤々と燃えさかる宵口。
 明衣妓あかはぎの華麗な足さばきは、床板を勇壮に踏み鳴らし、激しく剣舞する。一段低い【音曲地方】と呼ばれる楽師席では、高名な《吉祥参楽天》が、これまた魅惑的な歌曲を奏でていた。

 ……雄蝶雌蝶おちょうめちょう明衣あかはに揺れて
   箜篌くご鞨鼓かっこの音色に舞えば……

 琵琶ピーパの物悲しい調べ、ションの連綿たるわななき、鞨鼓フーグゥの胸打つ余韻……そして明衣妓《迦楼羅かるら》の美しくも鬼気迫る演舞。
 見物客は圧倒され、息を呑んだ。
 誰もが魅了されていた。

 ……現人神あらひとがみ弥栄張いやさかはって
   此の合巹ごうきん言寿ことほぎす……

 通常の明衣舞とは異なり、舞台上には迦楼羅一人だった。敵役の朱漠王すばくおうも、介添役の白酒巫女しらきみこも登場しない。
 だがそこに、あえて異議を唱える者は、誰もいない。
 迦楼羅の情念に満ちた一人舞台は、他の追随を許さない。
 かえって、壇上に登る他者がいては、彼女の壮絶な舞踏の、邪魔にしかならないだろう。

 ……二世にせの契りに弥栄張って
   此の合巹に言寿ぞ生す……

「美しい。いや、凄まじいな。噂以上だぜ。唯族ゆいぞくの美人舞姫と、高名な《吉祥参楽天》か」
「ええ、これで邪気を孕んでおらねば、単なる客として魅惑の舞台を愉しめるのですがね」
「ただ、拝むだけなんてつまらねぇな。やっぱり芸人は舞台が引けたあと、座敷に呼んで」
「これ、やめんか。今はそれどころでないぞ。依頼主は心身ともかなり逼迫しとるのじゃ」
 迦楼羅の舞台に目をこらし、ささやき合う男たち。
 なんと今度は、緇衣しえをまとった怪しい五人組である。
『取りあえず、われは先に引き上げるぞ。雲間に月が出た……ここでは、人目が多すぎる』
 中でもとくに人目を引く巨体の黒尽くめが、舞台に背を向け、仲間四人へと耳打ちした。
「俺たちも、今夜のところは引き上げようぜ。差し当たって、今すべきことはねぇからな」
 緇衣の下でニヤリ口の端をゆがめたのは、左半身が爛れた悪相《癋見べしみ朴澣ほおかん》であった。
 彼らはご存知、【鬼凪座きなぎざ】役者一味の面々である。今回は、緇蓮族しれんぞくに扮しての登場だ。
 雪花の鬼灯夜ほおずきや
 舞台に夢中の見物客をかき分け、先んじて進む巨体は、月齢変化体質が気がかりな《顰篭しかみごめの宿喪すくも》である。
 彼に続き鬼業きごう役者たちは、安立正見社の斎庭ゆにわをあとにした。


「とにかく……彼奴きゃつのお陰で、わしはすべてを失ったのだ! まんまとたばかりおって、あの青二才め! 不正調査に潜入した、六官巡察使ろくかんじゅんさつしだったとは……知っていれば、甘い汁を吸わせてやることもなかったわい! 恩を仇で返すとは、許しがたい裏切り者だ! かくなる上は、地獄へ道連れにしてやるぞ! 鬼道術師きどうじゅつしさまがた! 金に糸目はつけませぬゆえ、散々にいたぶり、出来得る限り、長く苦しめてから、葬ってくだされよ!」
――承知。今夜中には、満願成就と相成ろう――

「あの女だけは、絶対に生かしちゃおけない! 亭主を寝盗った挙句、盆暗男に代わって、私があそこまで大きくした呉服屋を、乗っ取ろうと企んでやがるんだ! あいつはねぇ! 性悪な猫っかぶりの上に、強欲な阿婆擦あばずれ女ですよぅ! カマトトぶりやがって、畜生! あいつが誑しこんだ能なし亭主ともども、地獄に堕ちてくれるなら、私はいくらだって払います! 鬼道術師の皆さまがた、仕置きのほど頼みましたよ!」
――承知。今夜中には、満願成就と相成ろう――

 十二月厳冬、雪景色の深山、六角堂。
 裏社会の窓口を通し、ここに足を運ぶ依頼主は、誰も彼も恐ろしい怨嗟をいだいていた。
 壇上曲彔きょくろくに座し御布施を集める緇蓮族の男たちは、愚かな人心を喰い物にして稼ぐ最悪の【鬼道術師】だった。夕闇まであと半時。隠し扉の隙間から、迦楼羅はすべて見ていた。
「迦楼羅……出て来い!」
 最後の依頼主が帰り、緇衣の男たち三人に呼ばれた迦楼羅は、青ざめた顔で隠し部屋から姿を現した。六角堂の板戸には太い閂が下ろされ、男たちは緇蓮族の扮装を解く。
 露になったその素顔は、《吉祥参楽天》の楽聖たちである。
「今宵はまた、お前に【鬼帰拍子ききびょうし】を踊ってもらうぞ。聞いての通り、邪鬼を二匹、呼び出さねばならんのだ。尤も、嫌とは云わせんが」
 瞳を炯々けいけいと煌めかせ、十望つづもちが非情な命令を下す。迦楼羅は返答に窮し、顔をうつむける。
 途端に恕雲斎じょうんさいの掌が、迦楼羅の白い頬で大きな音を立てた。
 床板に転がり、迦楼羅はうずくまった。
「返事はどうした! ご主人さまの云うことが、聞けないのか!? 莫迦女め!」と、柔和な白面はくめんを鬼の形相に変えて、怒鳴りつける恕雲斎だ。
おい、顔はやめろって云っただろ。邪鬼だって面喰いなんだ。お多福にしちまっちゃ、興醒めだぜ。大事な生餌いきえだ。あつかいに気をつけろ」
 おびえる迦楼羅を抱き起こしたのは、瑞寵ずいちょうだ。好色そうな笑みで、迦楼羅の美貌をのぞきこんでいる。迦楼羅は、ますます震え上がった。
「瑞寵、なぶるのはあとにしろ! 俺は腹が減ってるんだ! 迦楼羅! めしいる前に、食事の支度を急げ! 夜間のお前では、『鬼寄せ』か、ねやの相手しかできんのだからなぁ!」
 十望の辛辣しんらつなセリフに、迦楼羅は打ちのめされた。なんとか瑞寵の魔手を逃れられたが、安息など束の間。彼らと出逢った半年前から、すでに迦楼羅の生き地獄は始まっていた。
 ここへ完全に幽閉され、さらに過酷な日々が始まってからも、早一月が経過している。
 本堂から厨に向かう渡り廊下の途中、迦楼羅は泪と嗚咽をこらえ、ひざまずき合掌した。
夜守爺やすじい……どうか、成仏しておくれ」
 渡殿わたどのの下には、老僕を埋めた土饅頭どまんじゅうがある。
 深山の奥に、ひっそりと佇む六角堂は、夕焼けに染められ、樺色かばいろに照り映えていた。
 遠くで鳥が啼いている。冬至前、最後の夜神楽を舞ったあと、《吉祥参楽天》は大金を投じて花菱座長を黙らせ、迦楼羅を正式に買い取ったのだ。
 所詮は身寄りのない舞々風情。金で売買されるのが、当たり前の世の中だ。 
 しかし、高名な楽聖たちには裏の顔があった。迦楼羅は、彼らの野望を叶えるための、人身御供にされたのだ。
 夜守爺は彼女を守ろうとして、極悪非道な楽聖たちに殺されてしまった。
 初見は夏至の六斎日、二夜目の舞台上がり。
 怪しい緇蓮族に扮した楽聖三人から、ここへ招待された迦楼羅は、最早その時点で、蜘蛛の巣に囚われた、憐れな雌蝶も同じだった。
〈あの夜、ここへ来なければ……座長の折檻くらい受け容れる覚悟で、一座に戻っていれば……夜守爺は、死なずにすんだのに! こんな苦悶を……味わわずにすんだのに!〉
 迦楼羅は泪をぬぐい、半年前の夜、ここで起こった悲劇の幕開けを、思い返していた。
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