鬼凪座暗躍記

緑青あい

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『闇舞台』

其の拾 ★

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 釣舞台つりぶたいの結界を断ち、飛び出した五殺鬼ごさつき
 無我夢中で森陰へとひた走る、呪楽師じゅがくし三人。
 深山の暗闇で幕を開けた、恐怖の鬼戯子おにごっこ
「畜生! 一体どういうことなんだ、十望つづもち!」
 息せききって逃げこんだ洞窟。
 青ざめた顔で身をひそめる三人は、いさかいを激化させていた。
「知るかよ! 迦楼羅かるらが、裏切ったとしか思えん! あのあまぁ……巫山戯ふざけた真似を!」
 恕雲斎じょうんさいの糾弾に、歯軋りする十望だ。外をうかがう瑞寵ずいちょうは、振り返ってわめいた。
「だったら、話は簡単だな! 迦楼羅を殺しちまえば、あの怪士あやかしどもは、消え失せるはずだろ! さっきの釣舞台へ戻り、早く始末しようぜ!」
 鼻息を荒げる瑞寵の提案に、十望と恕雲斎は激しくかぶりを振った。すでに皆、錯乱状態だ。
莫迦ばか! お前も見ただろ、奴らの禍力かりきを! あれは【手根刀しゅこんとう】だぞ! 一瞬で舞台に張り廻らし、円天蓋まるてんがいを木っ端微塵にしちまった! 【泥梨五殺鬼ないりごさつき】だか、なんだか知らねぇが、あんな化け物……俺たちの手にゃあ、負えねぇよ!」
「瑞寵! 死にたきゃあ、お前一人で逝きな! 俺はこのまま、尻尾を巻くぜ! 敗北が判りきってる戦に、乗り出す阿呆は気狂いだけだ!」
 十望と恕雲斎は、冷や汗を飛ばして猛抗議する。
 強がってはみたが瑞寵も、蒼白のていで悪寒に震えていた。落ち着かぬ様子で、歩き回る。
「とんでもない奴らを、呼び出しちまったらしいな……あれは、普通の邪鬼なんかじゃねぇよ……まちがいなく、鬼神級の禍力だった」
 恕雲斎のセリフに、瑞寵は感情を爆発させた。
「じゃあ、どうすりゃいいってんだよぉ!」
われらに大人しく、喰い殺されるがよい』
 瑞寵の詰問に、答えた声は人間でなかった。
 驚倒して、洞窟奥を見すえる三楽師の前に現れたのは【泥梨五殺鬼】が一鬼……ギラつく凶眼、突き出た豺狼口さいろうぐち、黒光る獣毛じゅうもうにおおわれた八尺巨体の顰面しかみめん、最も獰猛どうもうな鬼神だ。
「「「ぎゃああぁぁああぁぁぁぁぁあっ!!」」」
 雄叫び放って襲いかかる巨獣に、恐慌を来たした三楽師。半狂乱で洞窟から転がり出た。
 命辛々三方向へ、死に物狂いで遁走する呪楽師たち。
 彼らを執拗に追跡する、不気味な影。
 素早い身ごなしで、裏山の森陰を疾駆した。

「もう、駄目だ……心臓が、破裂する」
 山道脇の祠に身をかがめ、苦しげにあえぐ男はション楽師の恕雲斎だ。咽の渇きに堪えかね、祠の供物から瓢箪ひょうたんを取り上げた彼は、中身が御神酒だと確認するや、ためらわず口をつけた。誰が供えたか知らないが、上質な鬼去酒きこしゅである。恕雲斎は、咽を鳴らして呑み続けた。
 ところが、指先に不可解な感触を捉え、恕雲斎は瓢箪を仰ぎ見た。
 なめらかな表面に、奇怪な彫刻がなされている。一角仙人面いっかくせんにんめんの細工だ。
 恕雲斎は、見覚えのある鬼面に、瞠目どうもくした。
「末期の酒じゃ。さぞ、美味かろう。恕雲斎」
 唐突に声をかけられ、恕雲斎は激しく咳きこんだ。顔を上げるとそこには、恕雲斎を指差し含み嗤う、一角鬼がいた。恕雲斎は絶句。驚愕のあまり、腰を抜かしてあとずさった。
 頭頂部から鋭い一角を突出させた、直綴じきとつ姿の鬼面僧侶……その凶相こそ、瓢箪に彫られた一角仙人面と、まったく同一の物だったのだ。
 長柄の十文字槍じゅうもんじやりを差し向けて、腰砕けの恕雲斎を、ジリジリと追いつめる一角鬼面僧。
「あっ、ああっ……たっ、助けてくれ! 迦楼羅には、もう、二度と手を出さぬ……【鬼寄せ神楽】も、これっきりにする……だから、お願いだ!」
 かすれた声で、両手を合わせ、必死に懇願する恕雲斎だったが……彼の落とした酒瓢箪を拾い、一角鬼面僧は、さも愉快げにうそぶいた。
「それは、無理な相談じゃ。お前さん、もうわしの瓢箪から、毒酒を呑んでしまったしのう
 鬼面僧の一言で、恕雲斎は呼吸が止まった。
 慌てて咽に指を突っこみ、吐き出そうと懸命にもがく。
 しかし一滴も吐き出せぬまま、恕雲斎の腹部は、恐ろしい早さで膨張し始めた。
ああ、ああっ……あがっ……ぐはぁあっ!」
 恕雲斎は、声を詰まらせ四苦八苦。
 腹をかかえて悶絶し、地べたをのた打ち回った。ふくれた腹腔内を、今にも突き破りそうな勢いで、なにか得体の知れぬ生き物が蠕動ぜんどう、激しく暴れている。
「苦しかろうな。儂の可愛い酒蟲しゅこが、お前さんの内臓を喰い散らし、這い出そうとしとる。なんでも、迦楼羅の体内に呪縛糸をもぐりこませたのは、お前さんらしい喃。ま、命終までの寸刻、精々もだえ苦しんでから逝くことじゃ。おお、そうじゃった。酒蟲をなだめるには、一番、簫の音色が効くそうな。しかしその様子では、もう吹けまいなぁ。それとも儂が、お前さんの尻に、差しこんでやろうか? 上手くすれば、腹を破る前に、酒蟲がそこから這い出してくれるやもしれんぞ? 如何いかがする、恕雲斎!」
 一角鬼面破戒僧の長広舌ちょうこうぜつを、恕雲斎は最後まで聞くことができなかった。彼の体内で急激に成長した肉食寄生蟲は、ついに簫楽師の腹部を喰い破り、外へ這い出してしまった。
「がああぁぁぁああぁぁぁあぁぁぁあっ!」
 阿鼻叫喚の断末魔が、裏山全体に響き渡った。裂けた腹部から血飛沫ちしぶきと内臓を噴出させ、見るも無惨な最期を遂げた簫楽師・恕雲斎。 
 鬼面を外した《一角坊いっかくぼう》は、血まみれで屍肉をむさぼる巨大なムカデを、ため息まじりに踏み殺した。
 恕雲斎の屍骸を検分し、戦利品の簫と、首からブラ提げた【鬼の角笛】を奪う破戒僧だ。
 残る鬼畜はあと二匹。恐怖の鬼戯子は続く。

 古木のうろに身をひそめた十望は、恕雲斎の魂消たまげる絶叫を耳にして、慄然と震え上がった。
「まさか……られたのか!? 恕雲斎!」
 十望は、周辺の闇に目をこらし、怪士どもの接近を警戒していた。
 五感を研ぎ澄まし、とくに自慢の聴力で、充分な注意を払っていた。
 それでも、五殺鬼が仕掛けた死の遊戯から、逃れる術は皆無だった。
 十望もまた、知らず知らずの内に、死門しもんへと誘導されていたのだ。
……ボロン……ボロン……
 突如、森中に木霊こだましたのは、不気味な琵琶ピーパの音階だった。十望は、顔を引きつらせた。
「これは……俺の琵琶……!?」
……ボロン……ボロン……
 深奥しんおうな山中で一人きり、仲間の絶命を察したばかりの十望は、緊張で汗だくだった。
 徐々に近づく怪しい気配と、琵琶の音色。
……ボロン……ボロン……
 十望は到頭、迫り来る恐怖に常軌を逸した。
「やめろ! 誰が弾いてやがるんだ! 殺るならさっさと、とどめを刺しに来いよぉ!」
 辺りかまわず怒声を発する十望の前に、現れた五殺鬼は、喝食かっしき姿の般若面はんにゃめんだった。
 十望の琵琶を巧みに弾きこなし、古木の洞へ歩み寄る。
 鬼面童子を見た途端、十望の防衛本能が働いた。
 彼が対峙する死とは、安易に迎えられる代物ではないのだ。
 危機感をつのらせた十望は、咄嗟に先刻と矛盾する言動を取っていた。
「来るな! それ以上、俺に近づくなぁあ!」
 すると喝食般若面は、古木より六間ほど手前で立ち止まった。
 バシッ……と、四弦を断ち切り、ばちを掲げるや、辛辣しんらつに毒づいたのだ。
「ハッ! 頼まれたって、そんなところに近づくもんかよぅ! まだ命は惜しいからなぁ!」
 そう云われた瞬間、十望はようやく気づいた。
 己が今、身をひそめている古木が、単なる朽木くちきではないことを……致命的な失敗だった。
 慌てて洞から出ようとしたが、時すでに遅し。
 四方八方から伸びた【手根刀】の魔手が、出口をふさぎ、十望を掌握してしまった。
「そういうことだよ、鬼の子宮で永眠しな!」
「ひぃぃっ!」
 いきなり洞の出口上部から、ブランと頭を垂らした癋見面べしみめんに動転し、悲鳴を上げた十望。
 洞の奥へとのけぞって、尻もちをついた。同時に、古木の洞は大きく脈打ち、じわじわと収縮し始めた。十望は両手足を突っ張って、なんとか食い止めようと試みたが、無駄だった。内部の空間はせばまり、十望にかかる圧迫感は、絶望的なものとなっていった。
「嫌だぁぁっ! こんな死に方だけは、嫌だぁぁあっ! ここから出してくれぇぇえっ!」
 強靭な木製檻に幽閉されたまま、少しずつ潰されて逝く十望の、凄絶きわまりない死相。
「ぎゃあああぁぁぁぁぁああぁぁぁあっ!」
 鬼面を外した美男喝食《夜戯よざれの那咤霧なたぎり》と、逆さ吊りの継半纏つぎはんてん座長《癋見べしみ朴澣ほおかん》は、嗤いながらその光景を、最期まで観賞した。

 六角堂まで逃げて来た瑞寵は、渡殿下わたどのしたにもぐりこんで、カチカチと歯を鳴らしていた。
 鬼灯夜ほおずきや忌月いみづきが、境内の雪化粧を、赤々と染めている。
 悪夢を晴らす暁は、果てしなく遠い。 
 いや、二度と訪れないのかもしれぬ。
「十望と、恕雲斎は……どこへ逃げたんだ? 畜生っ、どうしてだ! 今まで、上手く往ってたのに! なんで、こんな目に……啊っ!」
 瑞寵は、頭をかきむしって嗚咽した。
 元結髷もとゆいまげが解け、掌酒族さかびとぞく特有の波打つ縮毛しゅくもうが、青白い顔に暗翳あんえいを差す。
 瑞寵の相貌は、まるで死人のようだった。
「とにかく、なんとか下山して……町の中へでも逃げこめば、助かる可能性だってあるんだ! だが、その前に見つかったら……そこで、お終いだ!」
 逡巡しゅんじゅんする瑞寵も、すでに鬼難きなんの捕虜なのだ。
 ふと、ただならぬ陰惨な気配に、泣き顔を上げた瑞寵は、ある一点を凝視した。
 彼はここが、夜守爺やすじいの遺骸を埋めた場所だと、今頃になって思い出したのだ。
 目前の土饅頭どまんじゅうが、むくむくと隆起し始めたのは、その時だった。
「ま、まさか……嘘だろ……?」
 胆を冷やす瑞寵の懸念通り、土饅頭から物凄い腐臭が漂い出した。
 さらには、骨ばった指先が、土をかいて、地中から現れたのだ。
『お前が、儂に、とどめを、刺したのだ、瑞寵』
 ばらばらと土埃を巻き上げ、朽ちた半身を一挙に起こした老爺ろうや
 腐乱がいちじるしく進み、目のない眼窩がんかからうじをこぼし、一部むき出しになった白骨の凶相で、現世に黄泉還ったのだ。
 瑞寵は、恐怖で声も出ない。膝が震えて動けない。
 夜守爺の亡魄は、怨嗟に満ちたしゃがれ声でうなり、瑞寵を厳しく非難、断罪する。
『儂の、命よりも、大事な、御嬢に、よくも、汚い手で、暴虐を、ふるったな、許さんぞ、地獄へ、引きずり、こんで、殺る、覚悟、しろ』
「ぐわあぁぁぁっ! 化け物おおぉぉぉおっ!」
 瑞寵は、腰帯にはさんだ撥の一本をにぎった。
 にじり寄る夜守爺の額へ、渾身の力で突き刺し、床下から飛び出した。
 倉皇そうこうして、白い庭先を、無様に転がる瑞寵。しかし、乱れた呼吸を整える間もなく、今度は石塔に鬼火が瞬き、妖艶な鵺吟ぬえぎん禍唄まがうたが聞こえて来たのだ。

 ……吾弐真丹儘音萎靡照霊日あにまにままねいびでひび
   天に忌月、地に亡者
   火焔太鼓かえんだいこ鬼帰拍子ききびょうし
   吾弐真丹儘音萎靡照霊日……

 玲瓏れいろうで鈴のような女声に、鞨鼓フーグゥ叩音こうおんがからむ。
 瑞寵は聞き覚えのある女声に、赤くよどんだ目をむいて、もう一本の撥をにぎりしめた。
 石塔の影に、誰かがひそんでいる。
阿礼雛あれびなぁぁっ! お前も、鬼神の仲間だったのかぁぁっ! 俺たちを騙しやがって、許さねぇぞぉぉっ! ぶっ殺してやるぅぅうっ!」
 新月の晩に訪れ、【鬼凪座きなぎざ暗殺】依頼を持ちこんだ、美貌の鵺吟師《阿礼雛》……彼女にたばかられたと推測し、瑞寵は怒り狂った。雄叫び発し、石塔の人影へ突進する。
 一撃で石塔を倒し、鬼火を飛散させ、阿礼雛の姿を探す瑞寵は、まさに狂人さながらだった。
「クソッ! 阿礼雛ぁ! 早く出て来いっ!」
 雪を蹴立てて、撥を振り回し、徘徊する瑞寵の気焔に、阿礼雛の声音が油を注いだ。
「そんなに怒らないで、瑞寵さま。あなたのため、特別に助命嘆願して差し上げるわ。だから……ねぇ、許して」
 怒り心頭の瑞寵は、振り向きざまに、背後の女声を襲撃した。
 撥は、松の木へ突き刺さり、阿礼雛の美貌を、真二つに叩き割った。
 ところがそれは、単なる白面はくめん。本人の姿はない。
 次の瞬間、とどろいたのは、命を削る獣声じゅうせいだった。
『己の所業を棚上げした、不遜な態度は頂けんな。お前にも、命乞いはさせてやらんぞ』
 瑞寵の目前に立ちはだかった巨影は、獰悪どうあくきわまりない鬼神。黒光る八尺巨獣に、豪腕で体をたぐられた瑞寵は、力一杯抱きすくめられ、身の毛もよだつ叫哭きょうこくをほとばしらせた。
「ふぐっ……ぐはああぁぁあぁぁぁあっ!」
 針状に逆立つ無数の獣毛が、瑞寵の全身を、ズブズブと刺しつらぬいた。
 体中から血を噴き暴れる瑞寵の足も、宙に浮いたまま、やがてダラリと動かなくなった。
 血だまりの中へ打ち捨てられた瑞寵は、二度三度と痙攣したのち、針穴だらけの無惨な屍骸と化したのだ。
荊棘鬼けいきょくき】の血を引く半鬼人はんきじんは、素顔で登場《顰篭しかみごめの宿喪すくも》である。
 高名な《吉祥参楽天きっしょうさんがくてん》の衣をかぶった鬼畜三匹、これですべて退治し終えたわけだ。
 夜守爺役の、赤毛道服《夜叉面冠者やしゃめんかじゃ》も、床下で満足そうに鞨鼓を一拍した。
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