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下天の幻器(うつわ)編
第四話「賭場と剃刀」後編(改訂版)
しおりを挟む第四話「賭場と剃刀」後編
「若様は十四でしたか?見た感じ、どうやら未だ女性を知らないでしょう?」
切れ長の眼をした色白い優男は、屋敷の中央にドッカリと腰を下ろしたままで、左右に侍らせた女のうち右側の女の肩を抱き寄せながら言ったみたいだけど――
「かっ……かか……」
「ん?」
その優男は余裕のある表情を浮かべたまま、スッと視線を動かして私の方を見る。
「かかっ!神反 陽之亮ぇぇぇーーっ!!」
――その時の行動を私は覚えていないっ!!
「う、うわっ!」
ガキィィン!
――その瞬間の出来事をっ!
私は腰の後ろに携えた二本の特殊短剣から咄嗟に”前鬼”を引き抜いて、
そして思い切り斬りつけていたのだ!!
――抱く!?
――その売女を!?
――私の最嘉さまがっ!!?
けれど……
ギギ、ギリリッ
怒りにまかせた私の”前鬼”は辛うじて受け止められていた!
「よ、陽之亮様、お下がりを……っ!」
咄嗟に優男を庇った左脇の女は、何処に隠し持っていたのか小太刀を手に私のそれを受け止めていたのだ。
ギギッ……
腰を抜かしたかのように目前で押し合う刃を眺める優男を庇いながら、女は刃を払うため、更に前に出ようとするが……
――ちっ!小賢しいのよ!
「っ!?」
私はそれを一瞬の脱力で誘い受けて相手の力を逃がし、
ドガッ!
「かはっ!」
前のめりに体勢の崩れた相手の首元を、すれ違い様に肘で叩き落とす!
ドサリ
女は床に張り付いて正体を無くし、
私はそのまま手にした”前鬼”で今度こそ優男の首を――
「っ!」
今度は、私の刃の前にまたもその男を庇う丸腰の女の姿があった。
「……」
唯、両手を広げて刃を阻む一人の女。
――死を賭した瞳
見た目から先ほどの女と違い”武”を嗜んではないだろうが……
「……」
――ちっ、なんでこんな屑男にそこまで……
その女の瞳はまさしく死を賭して主人を護る”武人”のそれであった。
「確か”桔梗”さんだった?退かないとその無礼者ごと斬るわ」
こんな屑男には勿体ない。
一応、私は忠告してみるが、
「ご随意に。けれどそれは貴女様の一存ではないですか?」
――素人のくせに……
思ったより生意気な返事が返ってくる。
武術素人の女が!
屑でたらしの優男が情婦如きが!
正論を吐いて私の行動を咎めようとしてくる。
「違いますか?」
言葉の中身とは裏腹に、震える白くて細い手を大の字に……
大凡、庇う価値の微塵もない屑男の盾になる馬鹿な女。
「……そう」
でも私は二度目は躊躇しないっ!
――っ!
私の刃を握る手に再び力が籠もろうとした瞬間だった――
「わ、若さまぁぁっ!!」
女を盾に、その後ろに居る腰抜けが、情けない声を張り上げたのだ。
「……真琴、もういいだろう?この男も随分と肝が冷えたみたいだ」
それを受けて最嘉さまが私に下がるように指示を出される。
「で、ですが!?我が君!!」
もちろん私は納得がいかない。
「俺が負けなけりゃ良い話だ。真琴は俺が負けると思うのか?」
「うぅ……い、いえ」
――最嘉さまはずるい
そういう言い方をされたら私はもう引き下がるしかない。
「…………」
ゆっくりと、女の後ろから情けない表情で命乞いをする優男に念押しの眼を付けながら、
私は”前鬼”を腰の鞘に納めて、渋々と再び最嘉様の後ろに下がった。
「い、いやぁ……非道いね若様、態とその娘が襲い掛かるのを見過ごしたでしょう?」
優男は大げさに冷や汗を拭う仕草を見せつけながらそう言い、自身の前で緊張から固まったままの桔梗という女の肩を優しく抱いて元の右脇に戻す。
そして、気を失って床に倒れたままの女は他の女達に指示して連れて行かせた。
「別にぃ、それより勝負の方法は?」
一応の後始末を見届けた後で、最嘉さまは優男の抗議を軽く流し事を先に進められる。
「ははは、若いのにとんだ”喰わせ者”だなぁ……まぁいい、しっかりと桔梗を孕むまで抱いて貰って、俺も若様の幼少時に教育指南役だった”比堅 廉高”殿の例にあやかろうか」
――っ!
なんと言うことだ。
この無礼者は!!考えるのも悍ましい!
最嘉さまの……お、お子を利用して!……くっ!
――臨海軍将軍、比堅 廉高様は最嘉さまの幼少よりの教育係
つまり、この屑男はあわよくば……
次々代の当主後見人という比堅様の後釜に座ろうと……
その権力を背景に贅沢三昧、やりたい放題しようと画策しているというのだ!!
「……」
そしてその発言には――
私だけでなく、隣の宗三 壱も思わず腰の刀に手をやりそうになるが……
壱は短い思案の末に、それは寸前で自制した様子だった。
――それは、最嘉さまのご命令だから……
私だって許されるなら今すぐにでもこの無礼者を真っ二つにしたい!
「なら始めるか?さっさと準備しろよ”馬車馬”」
「承知……と言いたいが、それは非道い呼び名だなぁ」
そしてその全ての意図を余裕で聞き流してなおの我が君が言葉に、
無礼者は苦笑いを返しながら女達に用意をさせる。
――
―
「……ぬっ……むむ」
「……」
「ぬぬぬ……」
「唸ってないで早くしろよ”馬車馬”」
最嘉さまと馬車う……神反 陽之亮は、向かい合って座り、
そしてその中央には四角い遊戯の盤面と幾つもの駒達が置かれていた。
「うぬぬぬ!」
「だ・か・らぁ、サッサと……」
そう、無礼な優男が指定した賭けの方法は――
――”ロイ・デ・シュヴァリエ”だったのだ!
よりにもよって”盤面遊戯”
ロイ・デ・シュヴァリエとは……
二つの陣営に別れた白と黒の多様な駒を駆使して優劣を競う定番の盤面遊戯だ。
わりかし一般にも普及された盤面遊戯だけど……
私には”それ”が意外だった。
――何でも指定できる条件なのに、こんな公正な条件を選択するなんて……
「うぅーん、ちょっと今の……”まった”出来ない?」
「真剣勝負だ、あるわけないだろうが!諦めろよ”馬車馬”」
勿論、わざわざ指定するくらいだから、神反 陽之亮も盤面遊戯を得意としていたのだろうけど……
――こういう頭脳戦で”私の最嘉さま”に勝てるわけがないっ!
「く……うう……んんっ!」
「よっと、これで”王は詰み”……終わりだな」
――おおぉぉぉぉーー!!
――すげぇ!小僧、最速で決めやがったっ!!
最嘉さまの、あまりにも見事な指し手に衆人達も思わず簡単の歓声を上げる。
「当然よ」
「当然だ」
それを主君の後ろに控えて静観していた私と壱は、”うんうん”と頷き合う。
こうして――
大袈裟な雰囲気で始まった大勝負はいともアッサリと決着したのだ。
「俺の勝ちだな、神反 陽之亮」
「……」
「で、どうする?此所で話すか?それとも後日、お前が”九郎江”に来るか?」
「……」
けれど、最嘉さまの問いかけにも無言を貫く負け犬の優男は……
――スッ
無言のまま静かに立ち上がり、
「貴公!?」
その往生際の悪さに対して、引き留める壱の声を背にその場から退席しようとする。
「負けたクセに逃げるの!?卑怯者っ!!」
壱に続いて私も直ぐにその男の背を追おうとするが……
「方々、お待ちください」
私達二人の前には先刻、私の前に立ちはだかった桔梗という女が割って入った。
「先ずは……この場にて暫しお待ちください」
そして商売女とは思えぬほどの美しい姿勢で正座をすると、深く深く頭を下げる。
「そうはいかぬ、目前で易々と……」
「何を勝手なことをっ!!今までの態度を見ればそんな与太話信じられるわけがないでしょ!」
当然私達はそんな言葉を真に受ける訳も無い。
「陽之亮様は真剣に交わした約束を違える御方ではありません。必ず戻りますれば、方々には此方で暫しお待ち頂きたく……」
「うるさい端女っ!」
未だ頭を下げたままの女を置いて私は屑男の後を追おうとする!
「壱、真琴……良い」
――っ!?
でも、女を押しのけて男の後を追おうとした私と壱を、悠然と座ったままの最嘉さまが諫めていた。
「で、ですが……」
振り返り、我が君の真意を問う私に……
「待とう……俺は”神反 陽之亮”を信じることにする」
最嘉さまは優しく微笑んでそう応え、
私は……
「はい…………我が君」
そのままその場で傅いた。
「……」
――もしあの優男が我が君のお心を裏切るようなことが有るならば……
――地の果てまでも追い詰めて必ず報いをくれてやるっ!!
そういう誓いを胸に。
――
―
「改めまして……傍衆、神反家当主、神反 陽之亮です。臨海国次期当主、鈴原 最嘉様、数々のご無礼、誠に申し訳ありません」
「……」
「……」
私と壱は、坐した最嘉様の後ろで……
正直、面食らっていた。
「赦されるなら此度の非礼の数々は戦場での功にて埋め合わせさせて頂ければ幸いです」
儀式に出席する様なキッチリとした身なり。
長い髪も綺麗に整え後ろで纏めて縛られ、無精ヒゲもスッキリと剃られている。
この優男が元来持つ端整な顔立ちと別人の様な柔らかい所作は――
この人物の身分と見識の高さを現しているようだ。
「……」
こうして改めて見ると、確かに整った容姿で女ウケするのも理解できる
――私はそうでもないけど……
きっと他の女達からみれば実に良い男ぶりなのだろう。
「で?神反 陽之亮、俺の麾下に入るのは了承するのか?」
「はっ!非才のみなれど……鈴原 最嘉様のお役に立てるよう粉骨砕身、奉公させて頂きます」
先ほどとは一転、神反 陽之亮は最嘉さまの前に跪き、深く深く頭を下げて臣下の礼を取る。
「最嘉様……この者、少々変貌が過ぎます。この男信用しても?」
後ろに控えていた壱が最嘉さまにそう耳打ちをした。
「そうでもないさ……神反 陽之亮。お前さぁ、俺が来ると事前に情報を仕入れていて、それで態とこんな出迎えをしたな?」
最嘉さまはそう言って傅く男を見て軽く笑う。
――わざと?
我が君の後ろに控える私には初耳だ。
そんな事を何故、この男が?
「見た目に翻弄され、呆れて帰るようなら我が主君の資格無し……とはいえ、私はいつ何時も酒も女も嗜みますよ、今日は少しばかり派手にしましたが」
――こ、この優男……
私は絶句する。
最嘉さまと、この優……神反 陽之亮の心理戦は既に屋敷に入る前から始まっていたのだと……
私如きには量れないこの男の偉才を、最嘉さまは既にお見通しだったのだと……
――さすが私の最嘉さまは、ほんとうに素敵
後ろから主君を見詰める私の瞳と頬は熱を帯びて……
「っ……」
それを我が君に気づかれて不真面目だと思われてはと、慌てて視線を逸らした。
ドシャ!
そんな中、宗三 壱の手により傅く神反 陽之亮の目前に、大きさの割に重量感のある音を響かせて革袋が幾つか置かれた。
「……」
中身は金塊だ。
額は――
大体、小国の国家予算二月分は用意してあった。
臨海国とは関係が無い、全て最嘉さまの才覚で用意できた資金で……
「取りあえずで、それ以外にその十倍ほどはある。当主では無い俺に用意できる軍資金はこの程度だが……これで七峰領土の”坂居湊”に潜入し、彼の地で商いを起こして二年以内に商業組合の長と昵懇に、取り入れるか?」
最嘉さまはそう言うと目の前にひれ伏す新しき偉才の家臣を見る。
資金が潤沢でも、この潜入工作は非常に困難で……
だけど、それでもこの神反 陽之亮の才覚を信じている瞳。
「我が主よ、お任せ下さい。得意分野なれば……おおっと、一番ですよ?”盤面遊戯”は二番目に過ぎませんので、ご心配無く」
「……」
一応は見直したけど……
どうやらこの優男の性格と軽口は生まれ付いたものみたいだった。
――
―
「…………」
休暇中の”鈴原 真琴”はなんとなく……
そう、なんとなく……
そんな過ぎ去りし日を思いだしていた。
「……ふぅ」
――なんとなく?
いいえ……違う。
――その”坂居湊”での戦で”あんな為体”だったから……
今更、こんなことを思いだしていたんだと思う。
「…………駄目だ、私」
長州門と共闘した”坂居湊”攻略戦は上首尾に終わったけれど、
――あの戦いで私は……
鈴原 真琴は鈴原 最嘉さまの片腕として全く誇れない有様だったのだ。
――焦って、想いばかりが先行して……
最嘉さまに、あんな、あんな無様な姿を!
「……」
それに比べて今回も……
神反さん。
あの人の率いる”闇刀”は申し分ない活躍だった。
――神反 陽之亮
彼と彼の統率する部隊は、毎回毎回、我が臨海軍の裏方として本当に良い仕事をして……
――そうだ!だからこそ……
最嘉さまはあの時、あれほどまでに神反 陽之亮を欲したのだろう。
「うぅ……」
――それに比べて鈴原 真琴は……
結局、その後お暇を言い渡された私は、坂居湊”から帰っても赤目の小津まで強引に最嘉さまについて来て……
そして、この保養地の別荘にて時間と気持ちを持て余していたのだ。
「…………ほんとうにだめだぁ、わたしぃ」
――
「真琴様、お客様がお見えですが、如何致しましょう?」
――?
そんな涙目で”抜け殻”真っ只中の私を、使用人の声が目覚めさせる。
「客……だれ?」
思わず条件反射にそう聞いた私にその使用人はこう答えたのだ。
「”宮郷 弥代”様と名乗られていますが、あの宮郷の弓姫様でしょうか?」
第四話「賭場と剃刀」後編 END
応援ありがとうございます!
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