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下天の幻器(うつわ)編
第三十二話「黄雀」後編
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伊馬狩 猪親の異様な跳ね返りぶりと脆さ。
思春期によくある危うさと片付けるにしても、あまりにも不安定過ぎる。
コイツはあの、”南阿の英雄”と近隣諸国に恐れられた男、伊馬狩 春親の一粒種だ。
普通の、同年代の子供達とは訳が違うのだ。
仮にも一国の跡取りとして教育されてきたと考えれば、この危うさは……
――主な原因は偉大な父への劣等感と南阿を背負う責任への重圧か
猪親が必要以上に虚勢を張っていたのは多分そういう理由が大きいだろうと、実は最初に会った時から感じていた。
それは”この少年”の掌を一瞥しただけで理解出来たからだ。
長い修練により潰れたマメ、何度も擦り剥けて厚くなった皮……
いつまでも形にならぬ努力の渦中で、溺れる少年の胸中は如何許りだろうと。
生まれた国や年齢は違えど、同じ一国の統治に関わる立場として曾ての俺と同種の匂いを感じていたのだ。
「…………」
だが俺は……
そうと解っていて、あの時は同じ程度の、子供の態度で応戦してしまった。
それは雪白のこととか、色々と余裕が無かったからだが……
――穂邑も呆れるはずだ
正直、思い出しても恥ずかしい。
「…………猪親殿、取りあえず”ソレ”を拾ったらどうだ」
実は心中では反省しきりであった俺の声にも、猪親は下を向いて唇を噛みしめたままだ。
「その刀は俺が十五の時に戦で手柄を立て、現在は亡き父から賜った宝刀、”黄雀丸”だ」
――っ!?
その台詞に、場の全員が俺の顔に注目する。
勿論、伊馬狩 猪親もだ。
「東南の風が吹く頃、海魚が変じて黄雀になるという逸話を模して打たれた名刀、”黄雀丸”。制作者は当時十四の小僧だが、その年で既に名匠級だと保証できる男だし、少々小振りの刀だが、お前にはちょうど取り回しが良いだろう?」
「こ……な、なんで?」
猪親が、皆が驚くのも無理も無い。
経緯から”黄雀丸”は俺にとって父の形見と言える品だが……
「最嘉さま、よろしいので?」
隣に控えた真琴がそっと囁く声で俺に問う。
――さすが真琴……俺の本意をよく理解している
この黄雀丸は、十五の時に鈴原 最嘉が父である鈴原 太夫から送られた物。
だが、それ以上に俺にとって”意味”がある事は……
その時、論功行賞を受けた場には京極 陽子の存在があって、それは二人の出会いの場でもあり、また多少浪漫主義的に表現するならば、そう言う意味で”想い出の品”でもあるからだ。
「猪親殿、貴殿は”王”たる、また”将”たり得る資質とはどう考える?」
俺は隣に控える真琴に無言で頷いてから、困った顔で立ち尽くしたままの猪親に問うた。
「そ……それは……」
突然の問答に少年は更に狼狽える。
「へ、兵を率いて戦果を得るのが将で……そ、その将を適材適所に使いこなすのが……王の……し、仕事だと……」
だが、狼狽えながらも少年はなんとか答えた。
――成る程ね、確かにそれは正論で教科書通りだ
俺は頷きながらも一歩前に出て、そして地面に落ちたままの宝刀を掴んだ。
「そうだな、だが……それは俺が聞いた”資質”とはちょっと質が違う」
「っ!?」
そして掴んだ宝刀をそのまま少年の前に差し出してから続けた。
「兵を良く率いるのも、将を良く束ねるのも、それは王の才覚であって、そう言うものは生まれ持った才能と積み重なった努力と経験の賜だが……国というのは人で成される」
「……なにを?」
自身に提示された宝剣と言葉に、猪親は戸惑いの視線を向けたまま。
「国は人なり、人とは心の器なり……とどのつまり、人民一人一人を配慮する心無くして王は務まらない」
「だから何を言って……!」
「御園砦でのお前の行動、それは正にそれだ。それ無くしても或いは王は務まるが、鈴原 最嘉は絶対認めない」
「そ、そんな綺麗事っ!!能力の在り余る人間じゃから言えるがじゃ!努力してもしても結果が出ない雑魚にはそんな理屈は……」
「努力さえすれば結果が伴うとでも思っているのか?猪親」
「うっ!」
「努力は決して裏切らないと、都合の良いお伽話をお前は信じているのか?」
「く……じゃから……」
――信じてはいないだろう
「じゃから……世の中は才能が……不公平で……」
――その短いながらも猪親なりの必死な半生で、”それ”を痛い程味わって来ただろうから……
「き、貴様らのような才能の在る奴らにはわからん……」
「才能は関係無い」
「なにを!……そん訳がある……」
「努力は過程だ、方法の一つに過ぎない。信じるに値しない」
「な、ならっ!!さいの……」
「才能もまた完成品の一部に過ぎない」
「だ、だったらなにがっ!なにが僕にっ!!」
――足りないと言うのか?
望むなにかを成すには……伊馬狩 猪親には、才能への探求が欠けている。
望むなにかを成すには……伊馬狩 猪親には、未だ努力の総量が及んでいない。
だが、圧倒的に足りないのは……
「いいか?猪親、決して”裏切らない”のは努力じゃ無い!努力を怠らない”自分”だ!」
「っ!?」
「在るべき自身を探求する”自分”だっ!!」
「……う……うぅ」
「猪親、自分を裏切らないことこそが大道への一歩で在り、其処を歩み続けるために寸暇を惜しんで研鑽すること、それがやがて果てに在る”なにか”を得る最も近道にして唯一の道だっ!!」
「…………」
――と、少しばかり熱くなりすぎた……か?
すっかり言葉を失ってしまった猪親を見て、俺は短い呼吸を入れ、気を取り直して続ける。
「まぁ……どっちにしろ、お前は猪親の資質を信じ、在るべき自分を見つけるのが先だな」
「ぼ、僕に資質……なんて……」
――はぁ……まだ解らないのか?このお子ちゃまは……
偉大な父への劣等感、その父を亡くした喪失感と南阿を背負っているという過度な責任感から来る未来への不安。
十三歳の子供には色々と荷が重かろうが……
ここは戦国の世だ。
そういう甘えは一切通じない。
その境遇に同情する人間よりも、それこそ……
「……」
俺はグッと猪親の肩を掴み、そして震える頼りないその手に長袋を握らせる。
――っ!?
「お前は俺に命を助けられたと引け目に感じているかもしれんが……それもまた、俺にお前を助けたいと思わせた”資質”……そう思わないか?」
「……あっ」
俺の言葉に少年の瞳の奥が揺れる。
「もう一度言う、伊馬狩 猪親、お前には確かに”資質”が在る。後はそれを磨く経験と努力が必要なだけだ」
よほど予想外の言葉だったのだろうか……
猪親は俺に向けていた顔を唐突に伏せ、
「う……うぅ……」
後はただ、小刻みに肩を揺らせていた。
「…………」
そして、今の今まで成り行きを見守る様に少年の後ろで控えていた風格在る髭の将は、ウンウンと言うように頷いてから俺に深々と頭を下げるのだった。
――少年期の終わり……か
誰しも少年は夢を見、初めての理不尽に叩きのめされ、やがてそれに対峙する覚悟を得る。
「”黄雀丸”を取れ、伊馬狩 猪親。お前にその覚悟が在るのなら、俺の麾下でどこに出しても恥ずかしくない男として鍛えてやる」
「う……う……す、鈴原……最嘉……様」
未だ震えを消し去れないままにも、俺が握らせた宝剣をしっかりと受け取る少年。
――そうだ
「よ、よろしく……おねが……う……」
――俺は、こういうヤツが嫌いじゃ無い
「今更”様”は止めろよ、背中がむずがゆくなる」
俺はそれを渡してから笑い、少年の肩をポンと軽く叩いた。
「感謝ばかりしてる場合じゃ無いぞ、お前の言うところでは俺は詐欺師なんだろ?」
「う……それは……すみません」
涙と鼻水に塗れた……男の顔で言葉を詰まらせる猪親。
「はは、悪い悪い冗談だ……だが俺の教育方針はスパルタだからな、覚悟はしておけ」
「…………はい……しょ、精進致します」
少々照れた俺が茶化すのを有馬 道己は親の如く終始温かく見守り、鈴原 真琴は俺の傍で優しく微笑んでいた。
――”黄雀丸”
”黄雀”とは雀。
つまり……少年の俺が日頃から鳳を標榜していた事への戒めとして、父の太夫が送った皮肉であったのだろうが、
俺はこの少年に対しては、水下の魚がいずれ大空へと羽ばたく翼を得るだろうという期待の証として送ろう。
――”東南風吹かば、海魚変じて黄雀となる”
鈴原 最嘉は、少年の東南の風となれたのだろうか。
伊馬狩 猪親は、いずれ大空へと羽ばたけるのだろうか。
――未来のことは誰にもわからない
だが確かなことは……
今日という日が臨海国の一員として”小さな矜恃”を得た少年の新たな日で、彼にとって現在はそれが充分過ぎるという事実なのだった。
第三十二話「黄雀」後編END
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