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下天の幻器(うつわ)編

第五十七話「Outbreak of War And Down of Despair」後編

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別小説「神がかり!」ヒロインの六花 蛍イラスト


 第五十七話「Outbreak of War And Down of Despair」後編

 ――七峰しちほう宗都、鶴賀つるが

 宗教国家が信仰する七神しちがみの総本山”慈瑠院じりゅういん”近くの山林にて――

 「これからみそぎを始めます」

 木漏れ日に透ける栗色の髪の毛先をカールさせたショートボブが、愛らしい容姿によく似合っている少女。

 彼女の大きめの潤んだ瞳は少し垂れぎみであり、そこから上目遣いに護衛の面々に言葉少なくそう伝える姿はなんとも男の保護的欲求がそそられる。

 その少女は、そういう不思議な魅力に溢れる美少女だった。

 「てる、この前の一件もあるのだからくれぐれも注意を怠らないでね、それから何か異変を感じたら直ぐに私たちを呼……」

 「大丈夫だよ、嬰美えいみちゃん。悪の親玉がそう簡単にポンポン出てきたら値打ちが下がるから、あはは……」

 「……」

 「!?……うぅ……はい」

 と、一転して年相応の明るい表情になった美少女だが、刀を装備した艶やかな長い黒髪の近衛隊長、波紫野はしの 嬰美えいみに睨まれ怖ず怖ずおずおずとして頷く。

 「とにかく、てる。私達護衛は何時いつも通り離れた場所で警戒待機しているから、何かあれば直ぐに呼ぶのよ」

 そしてもう一度念を押し、波紫野はしの 嬰美えいみは部下を連れて一旦その場を去った。

 ――七神しちがみ信仰最高神たる”光輪神”の御業みわざを体現する”神代じんだいの巫女”

 その六花むつのはな てるは”天啓を得た”という理由でこの森の泉に足を運んでいた。

 この場所自体は普段から神事のために巫女姫たる彼女がみそぎに利用する場所だ。

 だが彼女は今日、特別な理由でここに足を運んだ。

 側近の、六神道ろくしんどうにも偽りの理由を告げて、彼女は密かに独りになれるこの場所を選んだのだ。

 「……」

 複数人の足音が遠ざかるのを慎重に確認し、周囲を念入りに見回した少女は、白い指先をそっと胸元へと滑らせ、そして前襟の合わせ目に――

 みそぎのため衣服を脱ぐかと思わせた少女はその指先をピタリと止め、そして素っ気なく呟く。

 「…………そろそろ出てきても良いけど?それともうら若き美少女の脱衣を覗く趣味があるのかなぁ、怪人さん」

 六花むつのはな てるは手を止め、そして誰も居ない湖の畔へと冷めた声を発していた。

 ――

 当然と言えば当然、人どころか猫の子一匹居ないのだから返事は無い。

 「はぁ、私ねぇ……暇じゃないんだよ?嬰美えいみちゃん達を誤魔化すにも限りがあるんだから」

 ――

 それでも返事は無い。

 「ああそうっ!本気で乙女の柔肌、覗き見する気なんだっ!ばぁかっ!嬰美えいみちゃん達呼んで切り刻んでもらうかなぁ?」

 ――

 「このっ変態っ!!あ・の・ね、良い?私の身体からだはねぇ、朔太郎さくたろうくん以外には見せないし触れさせないんだからっ!このっ……」

 ブォォォォーーーーン

 業を煮やした巫女少女が切れ始めた時だった!

 畔の草むら上の半径二メートルほどの景色が揺らぎ、まるでそこだけ度の強いレンズのように景色が拉げたかと思うと――

 ズズズズズズ……

 何も無い虚空から腕がにょっきり生え、そして続いてそれに続く”本体”が現れた。

 「”かめ”扱いとは非道いでガスねぇ、うひゃひゃ、猫かぶりにゃおぉん!お嬢ちゃん」

 少し厚手の旅人装束の極々一般的な体格の男?

 平々凡々な市民、只人ただびとだ。

 「それに他人様を呼びつけておいてぇ、そりはナッシング、フィッシングでやすよほぉーー湖畔だけにぃ、ひょほほ」

 ただ一点、顔をグルグル巻きの包帯で覆っていなければ……

 「本当に聞いてた通り、お馬鹿な喋り方するんだ?いく、いくま……ええと」

 しかしてるはその異人が何者かは承知の様に落ち着いたまま、いや、この変人が口走った言葉が本当なら、彼を呼び出したのは六花むつのはな てると言うことになる。

 ――偽って人払いしてまで

 ぐるぐるに巻かれた包帯から僅かに覗く二つの目がキョトンと開き、そして――

 「我が名は幾万いくま 目貫めぬきでガスよ、しがない旅の歴史学者にして、どこの国の者でも無い、農民でも商人でも兵士でもない、全くもって時勢に関与しない自由人アイム・フリーダム傍観者バイスタンダー!……ですから歴史嗜好者アナザー・ワンと名乗っても良いですかにゃあ?」

 ――ふざけた口調、自己紹介しているはずが何故か疑問形の存在自体が巫山戯ふざけた超変人

  ズズズズズズ……

 しかしその変人後ろの空間で、未だ閉じていなかった空間の歪みから新たな人物が姿を現す。

 「あら、まだ交渉はお済みでないのですか?幾万いくま様」

 そこには――

  肩まである黒髪と白い肌、そして細い腕、華奢で清楚な十代半ばの少女が立っていたのだ。

 ――!

 今度は招待していない予想外の人物の登場にいっそう眉をひそめるてる

 儚そうな背格好、そしてその顔には呪符のような、幾つもの目の如き奇妙な文様を施した黒い布を巻いて目隠しをしている彼女は盲人だ。

 少女の腰には右に三本、左に二本、計五振りの刀が連なって下げられている。

 ”単身ひとりの剣士”に”五振りの刀”……

 「……けん君の言ってたとおり」

 無意識に呟くてる

 「ああ!?わたくしとしたことが大変失礼致しました。わたくし現在いまは……浅い深いの深いと姫君という姫で”深姫しき”とだけ名乗ってお……」

 睨むように自分を観察するてるに気づいた盲目の少女は、そう名乗って五振りの凶器を従えた革製ベルト下でスカート調になった上着の裾を貴婦人の様に摘まみ、優雅に会釈しようとするが……

 「幾万いくまさんだったかなぁ!この気持ち悪い”泥人形”を直ぐにどっかにやって!!」

 六花むつのはな てるは”深姫しき”と名乗りかけた少女の自己紹介を待たずにそう怒鳴る。

 「ほほぅ?ほっほーー!!さすがは”神代じんだいの巫女”ですにゃーー!!泥人形と?このお嬢ちゃんを泥んこロコンコの人形さんってかぁぁ?ですが、彼女は人畜無害の天地無用!居ても良いんでないですかねぇへぇ!?」

 「なんだか気持ち悪いから!消さないと約束の交渉はしないからっ!」

 「ほ……ほほぅ」

 あくまで言い張るてるに怪人の両眼がギョロリと光った。

 「…………う」

 顔面をグルグル巻きの包帯で覆った隙間から、洞穴のような伽藍洞がらんどうの二つの奈落の底が口を開けるかの如くに闇が増す!

 「”神代じんだいの巫女”とはいえ、人如きが我との交渉に条件をつけると?」

 「う、うぅ……」

 その異質な迫力に!

 突然周りの空気を凍らせるほどの場違いな恐怖に!

 てるは全身が突っ張って動けなくなる。

 「ひゃひゃひゃ、冗談でガスよ?商談でヤンスよほぉ!うひゃひゃ……」

 「……」

 どこまでが冗談でどこまでが本気なのか。

 こんな怪人相手にそれを推し量るのは誰にも不可能だろう。

 「でもまぁ、よくもまあ、この身を呼び出してくれたでヤンすねぇ?”祝詞のりと”まで使いやがりまして……ほぅほぉぉ!そんな知識をどちら様からぁぁぁ?」

 もう既に”深姫しき”の事は蒸し返せ無い有無を言わせぬ空気の中で、てるは渋々と答える。

 「あ、貴方が……魔眼の大元なら……み、巫女の私なら……魔眼の異能を持つ私なら出来るかもって……」

 立場が完全に逆転した状況に、か細い声のてる

 「にゃあぁぁるほど!六花むつのはな てる!てめぇ様は無知なふりして中々の策士でガスねぇ?いいや!いやん!むしろ腹黒の”猫かぶりっこ”じゃけん辿り着いたですたいのぉぉぉっ」

 「くっ――」

 言われたい放題、だがてるは我慢する。

 「まぁかっ!面白そうにゃらそれも有り有りっ!それでぇ?条件は我が輩わがはいに自ら最後の魔眼を差し出すとぉぉかぁぁ?」

 すっかり大人しくなったてるに、幾万いくま 目貫めぬきは事前に持ちかけられていた”とんでもない条件”の確認を迫る!

 「そ、そうです……か、代わりに、私だけは魔眼の姫が支払う”代償”を負わなくても良いようにして……」

 それに若干震えながらも頷くてる

 「ほっほぉぉ!!とぉぉんでもない娘っこじゃけん!!己の保身がほしいん!ひゃっはぁぁ!欲しいためにぃ!世界を犠牲にするのかにゃぁぁ!?最悪の最低っ!!災厄の裁定っ!!うっひょぉぉっ!!このひと、恩を仇でご返却の恥知らずっでしょうがぁぁ!!」

 自身が世界を散々にかき回す存在で在りながら、ソレをすっかり棚に上げてゲラゲラと大声であざ笑うトコトン趣味の悪い頬っ被りほっかむり怪人、幾万いくま 目貫めぬき

 だが――

 「そ、そうよ!私、世界なんて割とどうでも良いから!それより約束は……」

 六花むつのはな てるは気丈にも、こんな最悪の人外に嘲笑われようとも、顔を上げて言い返す。

 「あら?そうでもないですわよ、幾万いくま様」

 だがそこに割り込んだのは――

 その六花むつのはな てるに”気持ち悪い泥人形”と侮蔑された盲目の少女剣士だった。

 「代償を支払わなくて良いと言うことは、いては自らが愛する命を守るため。代償に最も大切な存在の命かそれに値するモノを要求する悪趣味な変人様から恋人の命を守るために全てを捨てるなんてまさに純愛!献身という女にある最も尊い美点ですわ」

 「――――くっ!!」

 その言葉に六花むつのはな てるの顔は赤く染まって引きつる。

 悪趣味な怪人にトコトンあざ笑われても耐えていたてるだが、深姫しきの見透かしたような、核心を突いた言葉には”違う意味”で耐えられなかったのだろう。

 「あ、アンタみたいな”泥人形”になにがわか……」

 「わたくしも!」

 ――っ!!

 此度こたび、言葉を遮ったのは深姫しきの方だった。

 「わたくしにも経験があるのです……愛しい殿方のためにこの身を……全てが潰えても、それでも……そんな想いを信じて疑わなかった、かけがえのない愛しい日々が……」

 初めて声を荒げた盲目の少女は、その後はとても穏やかに、そして優しい声で最早誰に言うでも無くそう呟いたのだった。

 「…………」

 その物憂げな表情かおに、それでいて後悔の念は感じられない表情かおに、

 てるは自然に黙ってしまっていた。

 そして心に想い男おもいびとを偲ばせただろう二人の少女は、その後お互いに言葉を交わすことは無く……

 ――

 「まぁ良いでガス。”魔眼”が揃うのは都合が……」

 「っ!?」

 怪人、幾万いくま 目貫めぬきはいつの間にかてるの直ぐそば、息もかかるほどの距離に存在して――

 ――

 枯れ木の如きカサカサの腕を彼女の両頬に伸ばしていた。

 「……第五位真眼しんがん、転写」

 間もなく、怪人のグルグルと乱雑に巻かれた汚い布きれの間から露出した双眼が、汚染された”碧藍ラピス・ラズリ色”に染まって爛々と光るのだ。



 戦国の世で在ろうと破滅を呼ぶ”人外”……

 幾万いくま 目貫めぬき邪眼魔獣バシルガウは世界共通の脅威だ!

 それが藤桐ふじきり 光友みつともであろうと京極きょうごく 陽子はるこであろうと、

 無論、鈴原すずはら 最嘉さいかであろうとも、

 相容れる王はいないだろうと、信じて疑う余地の無い人類かれらは……


 「ほっほぅ!最後の我が欠片、第五位”観世音菩薩アヴァロ・キテシュヴァラ”。確かに頂いたでガスよぉ」


 ――だが、”得てして物語は賢者の予期せぬ展開を好む”


 「朔太郎さくたろうくん……ほんと……なんでこうなっちゃうんだろうね、私って……ねぇ、朔太郎さくたろうくん……」

 望みが叶ったはずの彼女は……

 なのに切なさで瞬間いまにも崩れてしまいそうな頼りない表情かおで……

 何時いつの間にか二人の異端な訪問者の姿は消失し、唯独り泉のほとりに佇む少女の大きく垂れ気味の優しげな瞳だけが――

 いつまでもいつまでも、そこに空っぽの光を反射していたのだった。

 第五十七話「Outbreak of War And Down of Despair」後編 END
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