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奈落の麗姫(うるわしひめ)編
第十一話「鉄の棺桶」中編
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――”尾宇美決戦”が始まる少し前の事である
京極 陽子が率いる新政・天都原に敗れた旺帝は、その後は北方の陸狗という一領土を有するのみになっていた。
そして程なく、その陸狗領内でも内乱が勃発する。
廣崎城・不来方城と所領内の城が相次いで奪われる状況下で、領内西部へと追いやられた燐堂 天成の旺帝は九戸城に居を変えて反乱軍と睨み合う状況であった。
嘗て”暁”最強国家とまで恐れられた大国、旺帝だが――
この短期間でここまで衰退し、内にも問題を抱え身動きも出来ない滅亡一歩手前になろうとは……
臨海軍が那古葉を攻略中に彼の地にて、本州最北端に位置する旺帝領土”陸狗”陥落の報告を受けた鈴原 最嘉は、その侵略者が海を挟んだ北の大地、”北来”を統一した可夢偉連合部族王である紗句遮允だと直ぐに察した。
それは臨海と正統・旺帝連合軍が、旺帝との那古葉決戦のために敵本国からの援軍をできる限り阻止出来るよう兵力分断を狙い最北の覇者である可夢偉を利用する算段で予め策を仕込んであったからなのだが……
――予想外なほど早々にこの結果
あまりにも易々と得た大果に、策を仕込んだ本人も疑問を抱いたものだった。
――如何な北の王狼とて、最強国家旺帝の領土をこうもアッサリと切り取れるのか?
現に彼が仕込んでいた諜報工作部隊、その指揮官であった花房 清奈からは、その時点で未だ紗句遮允と直接的な接触までは至っていないと報告されていたのだ。
つまり……
策半ばだった臨海以外に何処か他の勢力が介入していたという事になるだろう。
言わずもがな、状況からそれは、新政・天都原を率いる京極 陽子しか……該当者はいない。
そして、その京極 陽子の仕込んだ謀略とは……
彼女は旺帝にとって北の要衝である陸狗の領主、難武 蔵人が配下の一人を籠絡した。
具体的には、難武 蔵人が居城であった廣崎城に攻め寄せた可夢偉連合部族王、紗句遮允と内応させ、内外から城を陥落せしめたこと。
この流れで京極 陽子の用意した策は上首尾に進み、陸狗領はアッサリと紗句遮允の手に落ちた。
その後に臨海、正統・旺帝連合軍と可夢偉の侵攻で多大な被害を受けた旺帝を最終的に倒したのは、漁夫の利を得た彼女の新政・天都原軍であった。
さらに周到な事に京極 陽子は後の処理も怠らない。
同様に戦にて多大な傷を負った紗句遮允の可夢偉をも北の地へと撤退させたのだ。
全ては新政・天都原が京極 陽子、”無垢なる深淵”の描いた筋書き通りだった。
そして――
利用される形になった旺帝内部の造反者、可夢偉部族連合に内通し城を落とすのに加担した”元”旺帝家臣は”宇良津 為信”という男で、可夢偉軍が撤退したその後も、廣崎・不来方城を占拠したまま、この機に落ち目の旺帝から独立して自らの立身を画策する梟雄であった。
宇良津 為信の如き代表的な野心多き梟雄の存在が示すように、この後も落日の旺帝軍からは多数の家臣が離散して行く。
その理由はそれぞれ、自己保身であったり、野望を燃やした結果であったり。
或いは……
――
そんな状況の中、現在は新政・天都原領土となった志那野領の植田城を独りの男が訪れる。
「今まで頑なに首を縦に振らなかった彼の大英雄が、何故今更に陽子様との面会を受け入れたのでしょう……充分にお気をつけ下さい」
給仕姿の腹心が城内の廊下を先導しながら主君に具申する。
「問題ないわ。”もうそろそろ”だと思っていたところよ」
その忠告に主君たる希なる美少女は事も無げに応えて歩く。
この見目麗しき黒髪の美姫は、毎回どこまで見通しておられるのだろうか?と……給仕姿の腹心は思う。
そうして二人は暫し歩く、そして……
「……既にお待ちです」
――ガラ
”会見の間”入り口前に控えていた使用人が、場に到着した二人の姿を確認して傅き挨拶してから部屋への扉を引く。
「……」
そこには――
人数に対しては些か広すぎる部屋の中央付近に、ポツンと座した独りの大柄な男の姿。
がっちりとした肩幅に鍛えられた太い腕、厚い胸板と真に以て均整の取れた完成した肉体の男の表情は、意気が漲る自信に満ちた双眸としっかりとした鼻筋の下にある大きめの口をキリリと精悍に結んでいた。
誠に陽とした風貌にして実に見事な男ぶり!
三十歳そこそこの実に堂々とした”武人”は……
「お初にお目にかかる。我が名は木場 武春」
上座に立ち見下ろす黒髪の少女に対し、床に座して”しっかり”と美姫を見据えた男は、志那野の”咲き誇る武神”と畏怖されし将軍、木場 武春であった!
「急な申し出に時間を割いて頂き恐悦至極」
嘗ての最強国”旺帝”に在って地上最強と名高い武将であり、旺帝八竜が一竜であった英雄中の英雄だ。
「いいえ、”最強無敗”と名高い木場 武春将軍に会えて光栄だわ。私は京極 陽子、この新政・天都原を統べる者よ」
多くの旺帝家臣が自己保身のために離散する中で、彼は違う事情で国を出奔し故郷であるこの志那野、植田に隠者としてその身を置いていたのだったが……
「……」
英雄は堂々と名乗り、感謝の言葉を述べた後で暫し陽子を見据えていた。
「木場将軍?」
それを不審に思ったお付きの給仕……七山 七子が彼に問う。
「……」
「木場 武春将軍っ!」
「はっ……」
美姫の従者である七子の言葉に”はっ”と我に返る男。
「どうかしたかしら?」
その理由を見透かしているかの如き美姫の微笑みは目も眩むほどに美しい。
――英雄は魅入られたかの如く、不意に意識を持って行かれていたのだ
「い、いや……噂に違わぬ美しさに……その御姿、我が旺帝の雅彌様にも、確かに……」
そして、思わず素直に不躾な感想を述べてしまう。
因みに彼が言うところの雅彌様とは無論……正統・旺帝の代表、燐堂 雅彌の事である。
旺帝王家の正統なる血筋である燐堂 雅彌と天都原王家縁の京極 陽子は母親を姉妹とする従姉妹同士であるのだからそれも納得なのだが……
「そ、それよりも……この身は既に将軍では無い」
木場 武春は軽く頭を振って仕切り直す。
「そう、解ったわ。それよりも、こうして貴方から会見を願い出て来たという事は……そういう事と考えて良いのかしら?」
陽子にとって魅蕩れられるのも、呆けられるのも、然も当然の事象で在り、日常茶飯事の些末事である。
故に英雄の反応を特に気にかけることも無く本題へ入った。
「その件に関しては……”三つ”ばかり条件を頂きたい」
自らの容姿の美麗さを甘受した不貞不貞しいまでの自信に満ちた才媛。
至上の美姫を前にして、英雄はそれでも肝心なところはしっかりと口にする。
「控えて下さい、将ぐ……木場様」
ここに来て自らの立場を弁えぬ男の、主君に対する物言いに、従者である七子が即座に窘めようとするが……
「三つ……随分と欲をかくものだけれど。良いわ、七子」
それを軽く制する陽子。
「言ってみなさい」
そして英雄を足下に見下ろした美姫は、暗黒の双瞳を冷たく光らせてそう促す。
「……感謝する」
英雄は軽く頷くと続けた。
「我が主君……”元”主君である燐堂 天成公の御子息、天房殿は未だ新政・天都原に捕虜となっていると聞き及んでいるが、その解放を願いたい」
「……」
敗者として命がけで挑んだ会見にて――
自身や自領であったこの地への願い入れで無く、他ならぬ自分を閑職へと追いやった親子への融通とは……
「讒言を真に受けた挙げ句に貴方の叔父に責めを負わせ、貴方を閑職に追いやった主君とその跡継ぎだと思うけれど?」
世論を代弁する様な尤もな疑問を口にする陽子だが、木場 武春もそれを裏で仕込んだ張本人には言われたくないだろう。
「是非に」
それは扨措き、男の応えは一切揺るがない様子だ。
「その件は……残る旺帝領土を差し出して陽子様に完全恭順する事が条件であると、天成公には伝えております。それを拒否されたのは向こうの都合ではないでしょうか?」
透かさず、七子が主人の意を汲み取って割って入る。
「是非、御願い申し上げる」
「木場様!」
「良いわ、七子。それで残りは?」
頑固な男に美姫の従者が声を荒げるが、陽子はまたもそれを制する。
「重ねて感謝する。それと我が身は故郷と祖国に捧げた……そして故国亡き現在は引退した身でもある。故に貴公の麾下に降るのは今回これ一度だけと考え頂きたい」
――主君親子に対する温情と、事成った後の自らの身の自由と……
敗戦国の将が願い出にしては、中々に図太い申し入れだが……
「……」
陽子は黙って頷き、そして誰にも知れずに小さく溜息を吐いた。
彼女がそれを甘受するほどに今回敵対する臨海国……
鈴原 最嘉を相手にするのは京極 陽子であっても、この”英雄”の助力が欠かせない要素であるのだろう。
――にしても……
”忠臣は二君に仕えず”と言うが、この男の場合はそれとはまた違った意味での意地になるのだろう。
――”武人”と自らを誇る人種の矜恃とは……
誠に以て下らない事に拘るだけの無価値な勲章であると。
同じく武人の気質をも併せ持つ”鈴原 最嘉”ならぬ京極 陽子は、この時再認識したからの軽い嘲りに似た溜息であったのだろう。
「それと最後の一つは……我が身を最前線の要にて、あの”王覇の英雄”が喉元に迫る死地にて、存分にこの命を捨て石に活用頂きたいっ!」
打って変わり、巨体を乗り出し熱い言葉を吐く男は……
「き、木場 武春……将軍!?」
敗残者として半強制された、本人にとっては決して望まぬ戦のはずが……
それでもこの鬼気迫る迫力と意図せず口角の上がった口元は……
それはやはり”武人”として!戦場に残してきた矜恃を再び拾える喜び!
七子は生粋の戦人たる目前の武人が存在に気圧され、思わずその名を口にしてしまっていた。
「……ふ」
――ほんとうに……度し難い
唯、麗しき暗黒の美姫だけはその光景を悪し様に嗤う。
結果が全ての世界で、執拗なほど過程に価値を見いだす者達……
そしてそれに引き摺られ、要らない荷物を抱えてしまう……鈴原 最嘉。
「良いわ、木場 武春。一度きりの生を私の捨て駒として存分に全うなさい」
一粒の聖邪も混入されない純粋なる暗黒の双瞳。
見る者の尽く全てを奈落へと吸い寄せ魅了する至上の美姫が微笑みは、それこそ真に……
――”無垢なる深淵”
その時、暗黒の美姫が可憐な口元は口にした冷徹な内容とは正反対に、”そっと”優雅に美しく綻んで至高の美を体現していた。
ババッ!
暁一と謳われし大英雄はここまで来て初めて深く深く頭を下げた。
そして――
自らも大きな口の口角を上げ力強く応じたのだった。
「委細承知っ!」
第十一話「鉄の棺桶」中編 END
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