50 / 82
幕間 わすれもの
しおりを挟む
義信に急かされ、秀吉は信長の本拠地である岐阜城下を目指していた。
武田家が本拠地を移転するにあたって、家臣は妻子を城下に住まわせるよう厳命された。
もちろんこれは秀吉も例外ではないため、妻を連れてくるべく、秀吉は密かに岐阜城下を訪れていた。
自宅を見つけると、秀吉はこっそり中を覗う。
「寧々は……まだおらぬようじゃな」
ふぅ、と秀吉が息をつく。
義信の命令とはいえ、寧々と会うのは怖かった。
敵に寝返ったなどと知られては、どれだけ怒られるかわかったものではない。
(まあ、遅かれ早かれバレるのじゃが……)
自宅に戻るべきか、外で待っているべきか。
その場をうろうろ彷徨っていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「お前様!」
「寧々……」
寧々が駆け寄ると、秀吉に抱きついた。
秀吉のことが余程心配だったのか、目尻には涙が浮かんでいる。
「心配したんですよ! 戦から帰ってこないから、お前様が死んだんじゃないかって……」
秀吉の胸に顔を埋め、えづく寧々。
いたたまれなさを感じながら、寧々を優しく引き剥がした。
「寧々、お前に話しておきたいことがある」
「お話、ですか?」
秀吉の雰囲気から悪い想像をしたのか、寧々の顔色が曇っていく。
「実はな──」
岡崎に戻った秀吉を見て、曽根虎盛がギョッとした。
「木下殿、その顔は……」
「ああ、家内にやられたのだ。『大恩ある殿を裏切るなんて』と……」
秀吉が顔をさする。
顔中に残る生傷が、見ていてなんとも痛々しい。
「それは災難でしたなあ……」
曽根虎盛が憐憫の目で秀吉を見る。
「そういえば、聞きましたか。三河中の城を改築していることを……」
「なに!?」
義信は新たな拠点を三河に定めたとはいえ、目と鼻の先に織田の領地がある状況だ。
当然、三河を攻め落とされれば武田家の政務が麻痺してしまい、家臣の家族も避難を余儀なくされることだろう。
そのため、三河の維持は武田家にとって死活問題となっていた。
「そこで三河中の城を増改築することにしたのだ。来たる織田の侵攻に備えて……」
「そういうことじゃったか……」
秀吉がうんうんと頷く。
と、そこで秀吉はあることに気がついた。
「……しかし、今は家臣の屋敷も造らせていたはず……。こうなっては、改築しようにも人手が足りぬのではないか?」
「それよ。改築を始めたとはいえ、そこまで手の回る者は限られておる。……つまり、今改築を願い出でれば、殿の覚えもめでたくなるというわけだ」
聞けば、既に飯富虎昌や高坂昌信ほか、真田昌幸も改築を願い出でているという。
(これはうかうかしていられぬな……)
築城は秀吉も得意とするところだ。
取れる手柄は積極的に狙っていきたい。
……と、そこまで考えて自分が大事なことを忘れていることに気がついた。
「おや、木下殿。どちらへ?」
「はは、ちと忘れ者を取りに……」
秀吉は愛想笑いで誤魔化してその場を去る。
彼らを連れて行っては、自分の寝返りは決定的となるだろう。
しかし、遅かれ早かれ寝返りはバレるのだ。
それならば、自分の家臣もついでに持ってきた方がいいに決まっている。
(待ってろよ……半兵衛、小六!)
こうして、秀吉は再び美濃に向かうのだった。
武田家が本拠地を移転するにあたって、家臣は妻子を城下に住まわせるよう厳命された。
もちろんこれは秀吉も例外ではないため、妻を連れてくるべく、秀吉は密かに岐阜城下を訪れていた。
自宅を見つけると、秀吉はこっそり中を覗う。
「寧々は……まだおらぬようじゃな」
ふぅ、と秀吉が息をつく。
義信の命令とはいえ、寧々と会うのは怖かった。
敵に寝返ったなどと知られては、どれだけ怒られるかわかったものではない。
(まあ、遅かれ早かれバレるのじゃが……)
自宅に戻るべきか、外で待っているべきか。
その場をうろうろ彷徨っていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「お前様!」
「寧々……」
寧々が駆け寄ると、秀吉に抱きついた。
秀吉のことが余程心配だったのか、目尻には涙が浮かんでいる。
「心配したんですよ! 戦から帰ってこないから、お前様が死んだんじゃないかって……」
秀吉の胸に顔を埋め、えづく寧々。
いたたまれなさを感じながら、寧々を優しく引き剥がした。
「寧々、お前に話しておきたいことがある」
「お話、ですか?」
秀吉の雰囲気から悪い想像をしたのか、寧々の顔色が曇っていく。
「実はな──」
岡崎に戻った秀吉を見て、曽根虎盛がギョッとした。
「木下殿、その顔は……」
「ああ、家内にやられたのだ。『大恩ある殿を裏切るなんて』と……」
秀吉が顔をさする。
顔中に残る生傷が、見ていてなんとも痛々しい。
「それは災難でしたなあ……」
曽根虎盛が憐憫の目で秀吉を見る。
「そういえば、聞きましたか。三河中の城を改築していることを……」
「なに!?」
義信は新たな拠点を三河に定めたとはいえ、目と鼻の先に織田の領地がある状況だ。
当然、三河を攻め落とされれば武田家の政務が麻痺してしまい、家臣の家族も避難を余儀なくされることだろう。
そのため、三河の維持は武田家にとって死活問題となっていた。
「そこで三河中の城を増改築することにしたのだ。来たる織田の侵攻に備えて……」
「そういうことじゃったか……」
秀吉がうんうんと頷く。
と、そこで秀吉はあることに気がついた。
「……しかし、今は家臣の屋敷も造らせていたはず……。こうなっては、改築しようにも人手が足りぬのではないか?」
「それよ。改築を始めたとはいえ、そこまで手の回る者は限られておる。……つまり、今改築を願い出でれば、殿の覚えもめでたくなるというわけだ」
聞けば、既に飯富虎昌や高坂昌信ほか、真田昌幸も改築を願い出でているという。
(これはうかうかしていられぬな……)
築城は秀吉も得意とするところだ。
取れる手柄は積極的に狙っていきたい。
……と、そこまで考えて自分が大事なことを忘れていることに気がついた。
「おや、木下殿。どちらへ?」
「はは、ちと忘れ者を取りに……」
秀吉は愛想笑いで誤魔化してその場を去る。
彼らを連れて行っては、自分の寝返りは決定的となるだろう。
しかし、遅かれ早かれ寝返りはバレるのだ。
それならば、自分の家臣もついでに持ってきた方がいいに決まっている。
(待ってろよ……半兵衛、小六!)
こうして、秀吉は再び美濃に向かうのだった。
1
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる