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シンゴニウム・20
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「相原、さん?」
「大丈夫、問題ないよ。全部、私が教えてあげるから」
床に尻もちを付いた俺に、猫のような格好で迫る相原の吐息は熱かった。
膝つき指立てて、俺へと近づく彼女は妖艶で、背中が壁に当たり、自分が逃げていた事に気付く。相原は笑顔から真顔へと面持ちを変えて、瞼がすぅと閉じていく。呼吸。相原の唇が俺に寄り、月明かりの下、狭く汚い部屋に吐息が漏れた。
「んっ」
甘いキスの音がした。夜の風が部屋に入り込んできて、二人の髪をゆらゆらと靡かせる。時が止まる程にゆっくりとした時間が流れていく。
「逃げても無駄」
彼女の掠れた声が、俺の心臓を締め付けた。
相原と付き合った日の夜。俺の人生のギアは、1速から2、3、4と変わり、一気に5速へと加速した。恐怖心からブレーキを踏んだ瞬間、心と体の停止装置は吹き飛んだ。
「もう、無理よ?」
俺らはもう止まれない。
○○○
「お待たせ。ちょっと遅くなった」
「お疲れ様、です」
夜の駐車場に、葛城慎吾(かつらぎしんご)君は照れながらもそこに居てくれた。
ファミレスのバイトを終えて、私は大急ぎで着替えて、彼が待っているであろう駐車場へ向かった。バイト中、頭の中ではあれしよう、これしようと今後の事でいっぱいだった。
私は今日、とても素晴らしいパートナー(仮)の人と出会ったのだ。彼は私の寂しいを見つけてくれて、隣で一緒に居てくれると言ってくれた。感動だった。
「これ、お土産。厨房の団さんって人が、余った材料で賄い食作ってくれたのよ。よかったら一緒に食べない? 美味しいよ、って今走ったけど中身大丈夫かな」
「凄いね、そういうの。貰う」
葛城が私の手から賄い食の入った袋を受け取り、中を覗きながら驚いている。何が凄いのかは分からないけれど、彼が驚いているので良しだ。
葛城慎吾の印象は、幾度かの合コンで遠くから見た限り気弱で奥手な子だった。今まで話をしていなかったので、彼の事をあまり知らなかったのは当然だろう。
けれど今日、私に告白してきた彼は、奥手どころかやり手で、気弱というより未経験による緊張がある程度で、要するに度胸がある奴だった。
合コンで面と向かって告白してきて、一度断っても引き下がらなかった。
私はもう、彼が想いを熱く語る子だと知っている。まだまともに話をして数時間しか経っていないけれど、私の中ではすでに、葛城は男子の友達の中では最上級の新密度を持っていると自負している。
正直、下手にエッチした子よりも、彼は私の事を知り、理解してくれているのではないだろうか。
「ファミレスでバイトか。接客とか大変だよな」
「そう? 楽しいよ?」
夜空の下、愛車ミラジーノのカーディナルレッドの車体に背中を預けて、二人並んで私らは語る。車の中に入ってもいいけれど、夜風が気持ち良くて、そのまま少しばかりの談笑をする。彼も別に急かさないので、なおさら心地良い。
彼の事を、私はもっと知りたくなっている。彼はどうして私に気付いてくれたのだろう。いつから私の見る景色を見てみたいなんて思ったんだろう。
バイト中、彼の事が気になってしょうがなかった。
この子は何を見て感動するんだろう。同じ経験をして、私と同じ景色が見えるだろうか。感性が合わなかったらという不安もある。でも同時に、私とは違う、別の感動を教えて貰えるかもしれない、そんな期待もある。
だからこそ、私は自分の経験を一緒に感じてくれる人が現れた事を、本心から嬉しく思っていた。
「バイト楽しい?」
「ええ、いろんな人が来るから飽きないよ。オーダーも機械使うから間違い少ないし、ここは店の人もいい人多いから」
「へえ、今度俺もファミレスでバイトとかしてみようかな」
ふいに彼が言葉を零して、私の胸は恐ろしい程にときめいた。うわ、そうなる? そういう事言っちゃう? 私の中で浮かんだプランは、彼を知るのに丁度良かった。迷うは一瞬、決断も即、が私だ。
「それ本気?」
「あ、いや思いついたから言ってみただけなんだけど」
「うん。男に二言なしね? 接客できる? 問題ないよね?」
私の質問攻めに、葛城が困りつつも嫌そうな顔はしていない。まずい事を言ったな、という顔をしている。しっしっし、君、私の彼氏になった事後悔するぜよ?
どうせ嫌われるなら早い方が良い。どんどん私を曝け出して、彼が折れるか付き合ってくれるか、それを測らないといけない。その程度の権利はあるだろう。
私の欲はどんどんと強まっていく。お願い、私を裏切らないでね。
心で、彼にそう告げる。
「コンビニでバイトしてる。つっても助っ人でやってる感じだから、そろそろ次のバイト探さないととは思ってる感じで」
「充分だよ。バイトも募集中って好都合じゃない。いいバイトがあるの。やる?」
「あー、どんなバイトかを聞いてからで……」
「ファミレスで、私と働かない?」
「あ、やっぱり?」
私の問いに、葛城が煮え切らない態度で逃げようとしている。おっと逃がすか。私は彼の手を取り、ぐいと私の方に引く。賄い食が落ちかける。夜風に私らの声が流れている。
まだ私は彼を知らないはずだ。けれど私は煮え切らない彼に攻め寄った。彼はたぶん、こうすれば決める。そう思ったのだ。
「決めて。やる? やめとく?」
葛城の目は、私の強制のような言葉に対して逃げなかった。私を真っ直ぐに見て、心の中で僅かな葛藤をしている。目が泳がない。そこも良い。
葛城慎吾。やっぱり、いい男だ。
「やる」
「よし」
彼の決断の言葉は短く、けれどはっきりとしたものだった。言い訳をするかと思った私を裏切る、彼の決断力はなかなかに好印象。隣で一緒に居ても、彼とはきっと窮屈にはならない。
そんな予感は最初からした。
彼の持ち味は、なるほど、この決断力か。
《続く》
「大丈夫、問題ないよ。全部、私が教えてあげるから」
床に尻もちを付いた俺に、猫のような格好で迫る相原の吐息は熱かった。
膝つき指立てて、俺へと近づく彼女は妖艶で、背中が壁に当たり、自分が逃げていた事に気付く。相原は笑顔から真顔へと面持ちを変えて、瞼がすぅと閉じていく。呼吸。相原の唇が俺に寄り、月明かりの下、狭く汚い部屋に吐息が漏れた。
「んっ」
甘いキスの音がした。夜の風が部屋に入り込んできて、二人の髪をゆらゆらと靡かせる。時が止まる程にゆっくりとした時間が流れていく。
「逃げても無駄」
彼女の掠れた声が、俺の心臓を締め付けた。
相原と付き合った日の夜。俺の人生のギアは、1速から2、3、4と変わり、一気に5速へと加速した。恐怖心からブレーキを踏んだ瞬間、心と体の停止装置は吹き飛んだ。
「もう、無理よ?」
俺らはもう止まれない。
○○○
「お待たせ。ちょっと遅くなった」
「お疲れ様、です」
夜の駐車場に、葛城慎吾(かつらぎしんご)君は照れながらもそこに居てくれた。
ファミレスのバイトを終えて、私は大急ぎで着替えて、彼が待っているであろう駐車場へ向かった。バイト中、頭の中ではあれしよう、これしようと今後の事でいっぱいだった。
私は今日、とても素晴らしいパートナー(仮)の人と出会ったのだ。彼は私の寂しいを見つけてくれて、隣で一緒に居てくれると言ってくれた。感動だった。
「これ、お土産。厨房の団さんって人が、余った材料で賄い食作ってくれたのよ。よかったら一緒に食べない? 美味しいよ、って今走ったけど中身大丈夫かな」
「凄いね、そういうの。貰う」
葛城が私の手から賄い食の入った袋を受け取り、中を覗きながら驚いている。何が凄いのかは分からないけれど、彼が驚いているので良しだ。
葛城慎吾の印象は、幾度かの合コンで遠くから見た限り気弱で奥手な子だった。今まで話をしていなかったので、彼の事をあまり知らなかったのは当然だろう。
けれど今日、私に告白してきた彼は、奥手どころかやり手で、気弱というより未経験による緊張がある程度で、要するに度胸がある奴だった。
合コンで面と向かって告白してきて、一度断っても引き下がらなかった。
私はもう、彼が想いを熱く語る子だと知っている。まだまともに話をして数時間しか経っていないけれど、私の中ではすでに、葛城は男子の友達の中では最上級の新密度を持っていると自負している。
正直、下手にエッチした子よりも、彼は私の事を知り、理解してくれているのではないだろうか。
「ファミレスでバイトか。接客とか大変だよな」
「そう? 楽しいよ?」
夜空の下、愛車ミラジーノのカーディナルレッドの車体に背中を預けて、二人並んで私らは語る。車の中に入ってもいいけれど、夜風が気持ち良くて、そのまま少しばかりの談笑をする。彼も別に急かさないので、なおさら心地良い。
彼の事を、私はもっと知りたくなっている。彼はどうして私に気付いてくれたのだろう。いつから私の見る景色を見てみたいなんて思ったんだろう。
バイト中、彼の事が気になってしょうがなかった。
この子は何を見て感動するんだろう。同じ経験をして、私と同じ景色が見えるだろうか。感性が合わなかったらという不安もある。でも同時に、私とは違う、別の感動を教えて貰えるかもしれない、そんな期待もある。
だからこそ、私は自分の経験を一緒に感じてくれる人が現れた事を、本心から嬉しく思っていた。
「バイト楽しい?」
「ええ、いろんな人が来るから飽きないよ。オーダーも機械使うから間違い少ないし、ここは店の人もいい人多いから」
「へえ、今度俺もファミレスでバイトとかしてみようかな」
ふいに彼が言葉を零して、私の胸は恐ろしい程にときめいた。うわ、そうなる? そういう事言っちゃう? 私の中で浮かんだプランは、彼を知るのに丁度良かった。迷うは一瞬、決断も即、が私だ。
「それ本気?」
「あ、いや思いついたから言ってみただけなんだけど」
「うん。男に二言なしね? 接客できる? 問題ないよね?」
私の質問攻めに、葛城が困りつつも嫌そうな顔はしていない。まずい事を言ったな、という顔をしている。しっしっし、君、私の彼氏になった事後悔するぜよ?
どうせ嫌われるなら早い方が良い。どんどん私を曝け出して、彼が折れるか付き合ってくれるか、それを測らないといけない。その程度の権利はあるだろう。
私の欲はどんどんと強まっていく。お願い、私を裏切らないでね。
心で、彼にそう告げる。
「コンビニでバイトしてる。つっても助っ人でやってる感じだから、そろそろ次のバイト探さないととは思ってる感じで」
「充分だよ。バイトも募集中って好都合じゃない。いいバイトがあるの。やる?」
「あー、どんなバイトかを聞いてからで……」
「ファミレスで、私と働かない?」
「あ、やっぱり?」
私の問いに、葛城が煮え切らない態度で逃げようとしている。おっと逃がすか。私は彼の手を取り、ぐいと私の方に引く。賄い食が落ちかける。夜風に私らの声が流れている。
まだ私は彼を知らないはずだ。けれど私は煮え切らない彼に攻め寄った。彼はたぶん、こうすれば決める。そう思ったのだ。
「決めて。やる? やめとく?」
葛城の目は、私の強制のような言葉に対して逃げなかった。私を真っ直ぐに見て、心の中で僅かな葛藤をしている。目が泳がない。そこも良い。
葛城慎吾。やっぱり、いい男だ。
「やる」
「よし」
彼の決断の言葉は短く、けれどはっきりとしたものだった。言い訳をするかと思った私を裏切る、彼の決断力はなかなかに好印象。隣で一緒に居ても、彼とはきっと窮屈にはならない。
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彼の持ち味は、なるほど、この決断力か。
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