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私の婚約者、セドリック・ハートフィールドは今日も絶好調である。
今宵は仮面舞踏会。仮面で顔の上半分を覆っても、彼の美しい顔立ちは隠しきれない。エメラルドを埋め込んだような緑の瞳、燃えるような赤い髪。その色香に誘われて、夜の蝶が次々と群がっていく。その中の一人、彼が紅色の"蝶"とホールを抜け出していくのを、確かに目撃した。――お相手は、未亡人・ティアニー侯爵夫人。社交界でも"有名"な貴婦人である。
私メリッサ・ワトソンは、自慢のプラチナブロンドを染め粉で真っ黒に染め、仮面に少し細工をし真っ青な瞳をより暗い色に見せ変装している。目立たないダークブルーのドレスを身にまとい、夜闇に紛れ彼を尾行した。廊下の柱に隠れ、二人の様子を事細かにメモに取る。彼らが別棟の休憩室に入るところを確認し本日の任務は終了。その走り書きを手に、ホールに戻ろうとした時だった。
「ご令嬢、大丈夫ですか?」
「あ、こちらこそすみません。」
薄暗い廊下の角で、銀髪に菫色の瞳の貴公子とぶつかった。彼は親切にも床に散らばったメモを集めてくれた。その紙の一枚を凝視して、彼は言った。
「……も、もしかして、あなたは『令嬢Mの婚約者観察日記』の作者様ですか?」
令嬢M――それは私のペンネームだ。
元々、新聞社勤めの私の従兄、クリストファー・ワトソンに婚約者・セドリックの浮気の証拠を見せ、有能な弁護士を紹介してもらおうとしたのが事の始まりである。彼は私のメモを見るなり、これをもとに新聞のコラム欄を書いて欲しいと、懇願してきた。
それから毎週末、私は新聞に『令嬢Mの婚約者観察日記』を掲載している。なかなか好評だと従兄からは聞いてはいたが、所詮三文コラムである。現実世界でその話題に出す人を初めて見たので、かなり面食らってしまった。
「え、ええ!?令嬢Mなんのことでしょうか?」
「"今日のSは紅色の蝶に目を付けた。彼女は社交界きっての移り気な方、最近Sをことのほか気に入っている。蝶の群れをすり抜け、近づいてきた彼女の手を取り、Sは別棟の休憩室へと消えていった。"――私は、毎週『令嬢Mの婚約者観察日記』をスクラップして、集めているんです。この独特な語り口、見誤る訳がない。」
貴公子はメモを握りしめ、恍惚と私を見つめる。これはもう逃げ切れないと悟った。
「……そうですね。私が新聞で連載コラムを書いている『令嬢M』です。まさか、あの三文コラムをそこまでご愛読されている方がいるとは思いもよりませんでした。」
「なんと、やはり!三文コラムなんて卑下なさらないで下さい。これも何かの縁です。中庭で少し話をしませんか?」
彼に促されて、中庭に移動する。彼は仮面舞踏会だというのに、仮面を取って、律儀に挨拶をしてくれた。
「私は、ライナス・ブラッドフォードと申します。どうか、ライナスと。」
「え、まさかブラッドフォード公爵家の御令息ですか?お名前でお呼びするなど、とんでもないです。」
「そんな、かしこまらないで下さい。先生には、ぜひ私のことを名前で呼んで欲しいのです。」
「は、はい。分かりました。それと先生なんて恐れ多いです、私のことはメリッサとお呼び下さい。ライナス様のことは、新聞で度々お名前を拝見しております。領政改革がとても上手くいっていると、話題になっておられますよね。」
「ああ、あれは、父と一緒に考えたものです。ここのところ父は体調が悪くて、いつ私が家督を継いでも大丈夫なように、色々気を回してくれているのです。」
私もマスクを取り、彼に自己紹介と、少し身の上話をした。元々、セドリックの家とは同じ伯爵家同士、家族ぐるみで仲が良かったこと。小さい頃から婚約者と決められていたこともあり、彼とよく遊んだこと。彼が初恋だったこと。
だがある時、私たち二人の関係は、変わってしまった。セドリックが父親のハートフィールド伯爵に言われて、王都の騎士団に入った直後だ。
「見目のいい方です。貴婦人、ご令嬢たちから人気があるのは分かります……。」
騎士団でも剣の腕が立つセドリックは常に女性に囲まれるようになった。その誘惑に年頃の青年が耐えられるわけもなく……。
「うちは父が厳格で婚前交渉は禁止なんです。だから……。」
初めての浮気は男爵令嬢とだった。彼女はある日、私のところにやってきて、セドリックとの婚約を解消するように迫った。慌てたのはセドリックと彼の家の方だった。セドリックは私に平謝りで詫びた。そして男爵令嬢にはそれなりの額のお金を渡して別れた。
「でも、Sはそれで懲りなかった。」
「ええ。」
一度女の味を知った彼はそれで止まらなかった。今度は彼の娼館通いが始まったのだ。
また同じ轍を踏んではいけない。私はひそかに彼と関係を持った娼婦たちを王都の外れの教会に呼び出した。娼館の女主人に少しお金を渡すと、喜んで彼女たちを教会まで連れて来てくれた。
「顔を隠して、会おうなんて、私らは随分信用されていないんだね。」
「こら、ベラ。神の御前ですよ。お行儀よくなさい。」
女主人に叱られても、娼婦たちはどこ吹く風だ。
「はいはい。私らにだってプライドや誇りってものがあるんだ。金をもらっている以上、関係を言いふらしたり、あとで脅したりなんてしないよ。」
「それなら良かったです。」
「セドリックなら、安心しな。婚約者"一筋"で、私らと遊ぶ時も『メリッサ、メリッサ』ってあんたの名前を呼んでいるんだ。ははは。それに絶対に口づけをしない。彼なりにあんたに操を立てているんだよ。」
娼婦たちは「純愛だねえ」と、げらげら笑っていたが、私はその話を聞いても、ちっともうれしくなかった。私と彼の中で積み上げてきた十何年の月日は、こうしてもろくも崩れ落ちたのである。
「それでSは、未亡人や後腐れがない女性を相手に選んでいるんですか。――メリッサ様はSと婚約破棄はされないんですか?あなたほどの女性なら、相手なんて選び放題でしょう。」
一通り話を聞き終えると、興味津々といった様子でライナスが尋ねた。
「それができれば一番なのだけど、セドリックのお母様がご病気なの。色々と良くしてもらったし、今は心配を掛けたくなくて。それに去年うちの領の水害で、彼の実家ハートフィールド家からたくさん支援をして頂きました。だから、うちからは婚約解消を言い出しづらくて。」
セドリックの母はのんびり、おだやかな女性で、刺繍が苦手な私に、うちの母よりも根気強く丁寧に教えてくれた優しい人だ。私が彼の家に嫁ぐことを誰よりも楽しみにしてくれている。
「そうですか……。メリッサ様にとっては気の毒な話だが、一ファンとしてはこれからもあなたのウィットに富んだコラムを拝めるのだから、ありがたい話かもしれない。実は私も少し辛いことがあって、あなたのコラムを読んで元気をもらいました。もし何かあったら、ブラッドフォード公爵家を頼って下さい。悪いようにはしませんから。」
「――ライナス様、ありがとうございます。」
私たちは固く握手をして中庭を後にした。
今宵は仮面舞踏会。仮面で顔の上半分を覆っても、彼の美しい顔立ちは隠しきれない。エメラルドを埋め込んだような緑の瞳、燃えるような赤い髪。その色香に誘われて、夜の蝶が次々と群がっていく。その中の一人、彼が紅色の"蝶"とホールを抜け出していくのを、確かに目撃した。――お相手は、未亡人・ティアニー侯爵夫人。社交界でも"有名"な貴婦人である。
私メリッサ・ワトソンは、自慢のプラチナブロンドを染め粉で真っ黒に染め、仮面に少し細工をし真っ青な瞳をより暗い色に見せ変装している。目立たないダークブルーのドレスを身にまとい、夜闇に紛れ彼を尾行した。廊下の柱に隠れ、二人の様子を事細かにメモに取る。彼らが別棟の休憩室に入るところを確認し本日の任務は終了。その走り書きを手に、ホールに戻ろうとした時だった。
「ご令嬢、大丈夫ですか?」
「あ、こちらこそすみません。」
薄暗い廊下の角で、銀髪に菫色の瞳の貴公子とぶつかった。彼は親切にも床に散らばったメモを集めてくれた。その紙の一枚を凝視して、彼は言った。
「……も、もしかして、あなたは『令嬢Mの婚約者観察日記』の作者様ですか?」
令嬢M――それは私のペンネームだ。
元々、新聞社勤めの私の従兄、クリストファー・ワトソンに婚約者・セドリックの浮気の証拠を見せ、有能な弁護士を紹介してもらおうとしたのが事の始まりである。彼は私のメモを見るなり、これをもとに新聞のコラム欄を書いて欲しいと、懇願してきた。
それから毎週末、私は新聞に『令嬢Mの婚約者観察日記』を掲載している。なかなか好評だと従兄からは聞いてはいたが、所詮三文コラムである。現実世界でその話題に出す人を初めて見たので、かなり面食らってしまった。
「え、ええ!?令嬢Mなんのことでしょうか?」
「"今日のSは紅色の蝶に目を付けた。彼女は社交界きっての移り気な方、最近Sをことのほか気に入っている。蝶の群れをすり抜け、近づいてきた彼女の手を取り、Sは別棟の休憩室へと消えていった。"――私は、毎週『令嬢Mの婚約者観察日記』をスクラップして、集めているんです。この独特な語り口、見誤る訳がない。」
貴公子はメモを握りしめ、恍惚と私を見つめる。これはもう逃げ切れないと悟った。
「……そうですね。私が新聞で連載コラムを書いている『令嬢M』です。まさか、あの三文コラムをそこまでご愛読されている方がいるとは思いもよりませんでした。」
「なんと、やはり!三文コラムなんて卑下なさらないで下さい。これも何かの縁です。中庭で少し話をしませんか?」
彼に促されて、中庭に移動する。彼は仮面舞踏会だというのに、仮面を取って、律儀に挨拶をしてくれた。
「私は、ライナス・ブラッドフォードと申します。どうか、ライナスと。」
「え、まさかブラッドフォード公爵家の御令息ですか?お名前でお呼びするなど、とんでもないです。」
「そんな、かしこまらないで下さい。先生には、ぜひ私のことを名前で呼んで欲しいのです。」
「は、はい。分かりました。それと先生なんて恐れ多いです、私のことはメリッサとお呼び下さい。ライナス様のことは、新聞で度々お名前を拝見しております。領政改革がとても上手くいっていると、話題になっておられますよね。」
「ああ、あれは、父と一緒に考えたものです。ここのところ父は体調が悪くて、いつ私が家督を継いでも大丈夫なように、色々気を回してくれているのです。」
私もマスクを取り、彼に自己紹介と、少し身の上話をした。元々、セドリックの家とは同じ伯爵家同士、家族ぐるみで仲が良かったこと。小さい頃から婚約者と決められていたこともあり、彼とよく遊んだこと。彼が初恋だったこと。
だがある時、私たち二人の関係は、変わってしまった。セドリックが父親のハートフィールド伯爵に言われて、王都の騎士団に入った直後だ。
「見目のいい方です。貴婦人、ご令嬢たちから人気があるのは分かります……。」
騎士団でも剣の腕が立つセドリックは常に女性に囲まれるようになった。その誘惑に年頃の青年が耐えられるわけもなく……。
「うちは父が厳格で婚前交渉は禁止なんです。だから……。」
初めての浮気は男爵令嬢とだった。彼女はある日、私のところにやってきて、セドリックとの婚約を解消するように迫った。慌てたのはセドリックと彼の家の方だった。セドリックは私に平謝りで詫びた。そして男爵令嬢にはそれなりの額のお金を渡して別れた。
「でも、Sはそれで懲りなかった。」
「ええ。」
一度女の味を知った彼はそれで止まらなかった。今度は彼の娼館通いが始まったのだ。
また同じ轍を踏んではいけない。私はひそかに彼と関係を持った娼婦たちを王都の外れの教会に呼び出した。娼館の女主人に少しお金を渡すと、喜んで彼女たちを教会まで連れて来てくれた。
「顔を隠して、会おうなんて、私らは随分信用されていないんだね。」
「こら、ベラ。神の御前ですよ。お行儀よくなさい。」
女主人に叱られても、娼婦たちはどこ吹く風だ。
「はいはい。私らにだってプライドや誇りってものがあるんだ。金をもらっている以上、関係を言いふらしたり、あとで脅したりなんてしないよ。」
「それなら良かったです。」
「セドリックなら、安心しな。婚約者"一筋"で、私らと遊ぶ時も『メリッサ、メリッサ』ってあんたの名前を呼んでいるんだ。ははは。それに絶対に口づけをしない。彼なりにあんたに操を立てているんだよ。」
娼婦たちは「純愛だねえ」と、げらげら笑っていたが、私はその話を聞いても、ちっともうれしくなかった。私と彼の中で積み上げてきた十何年の月日は、こうしてもろくも崩れ落ちたのである。
「それでSは、未亡人や後腐れがない女性を相手に選んでいるんですか。――メリッサ様はSと婚約破棄はされないんですか?あなたほどの女性なら、相手なんて選び放題でしょう。」
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セドリックの母はのんびり、おだやかな女性で、刺繍が苦手な私に、うちの母よりも根気強く丁寧に教えてくれた優しい人だ。私が彼の家に嫁ぐことを誰よりも楽しみにしてくれている。
「そうですか……。メリッサ様にとっては気の毒な話だが、一ファンとしてはこれからもあなたのウィットに富んだコラムを拝めるのだから、ありがたい話かもしれない。実は私も少し辛いことがあって、あなたのコラムを読んで元気をもらいました。もし何かあったら、ブラッドフォード公爵家を頼って下さい。悪いようにはしませんから。」
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