ヘタレな師団長様は麗しの花をひっそり愛でる

野犬 猫兄

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初めてのお触り?  ヘタレにはまだ早い

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 『麗しの花』はいつもの時間になっても姿を現さなかった。

 それは今日が雨だからだ。

 この時間、リズウェン率いる第二師団は内勤だ。

 軒先にあたった雨粒がポタリポタリと音を立てながらレンガで敷かれた石畳を叩いている。

 一日の始まりにリズウェンの姿を見たかった俺は誰もいない訓練場を見つめた。

 ときたま訓練場をどこかの騎士が横切る姿はあるが彼ではないため、その度にがっかりとした気持ちになる。

 副師団長のジルベルトが隣の執務机でひたすら紙を捌いている音がする。

 ポタリポタリ、ペラリ、シャッ、ポタリ、シャッ、雨と書類を捌く不規則な音が聞こえる。

 彼を探してもいないのだと言い聞かせなから、俺はため息を飲み込み仕事に戻った。



 夕暮れを過ぎて夜の帳が落ちてきた頃。窓の外で急ぐような白い影がチラリと見えてからすぐに消えた。

この南の棟は西棟と東棟に繋がっている。東西どちらかを経て北棟へ繋がっており、その北棟から続く先に王城へと渡す回廊がある。

 なにか急ぎの用件でもあったのかもしれない。こちらに声がかからないため、大事には至ってないのだろう。



 本日の仕事を終えて、ジルベルトと執務室からでたところで、慌ただしい足音が近づいてきた。

 どこかへと急ぐ濃緑色の隊服は第三師団の団員もしくは隊員だ。第七師団と同じ棟を使用している関係で顔を合わせることは多い。

 第三師団は王城の地下の警備や、貯水池など水場のある場所の警備をしている師団だ。不届き者に毒や異物を混入されないように見張る大事な役割を担っている。

 王城の地下には大きな水の道がある。

 時々水場に魔物も沸くので、その討伐も兼ねているのだ。それに、沸いたとしても子どもでも倒せる弱いスライムなのでお貴族様でも身の安全が脅かされる事態にはならない。

 ちなみに、スライムは浄化作用を持っているので、増えすぎない限りは放置している。

「騒がしくして申し訳ありません」

「何があった?」

「王城の地下水道からクラーケンが水流を辿り複数体侵入いたしました。警備にあたっていた隊員が一人引きずり込まれ、我が第三師団長と応援にあたっている第二師団長が交戦中です」

 若い隊員がそれに答える。

「えぇー、副師団長はなにしてんのよ。つーか、他の団員は? 師団長に討伐に向かわせちゃうって、おかしくない? ちょ、えぇー、行っちゃうんですかー?! クラウ師団長おおおおおー!」

 走り出す俺の背後から情けないジルベルトの声が響く。

 居ても立ってもいられずに走り出してしまった。

 魔術も得意で剣の腕前もあるリズウェンが強いのは知っている。

 知っているのだが、気になって仕方がない。

 行く先は地下水道に繋がる中庭の端にある一角だ。

 先ほど見えた白い隊服はおそらくリズウェンのものだったのだろう。回廊を抜けて、王城に繋がる道を駆ける。冷たい雨が隊服を濡らし身体の熱を奪っていく。

 地下水道に続く扉を開けて先にと進む。

「リ……っ!」

 到着して早々、それを目にした俺は脱力した。

 既に終わっているようだ。

 そこには2Mほどのクラーケンがいくつも転がっていた。

 地下水道から引き上げられているだけでも10数体はいる。俺が知るクラーケンの体長は10Mはくだらないサイズだったから、ここにいるのは幼体なのだろう。

「なんです? いまさら、第七師団長のおでましですか。一足遅かったようですね。クラーケンは討伐され、引き込まれた隊員は救護室に運ばれましたよ」

 何しに来たのだと言われているような物言いのリズウェンだが、彼の声が聞けるのは正直とても嬉しい。

 濁りのない美しい涼やかな声だ。

 その耳触りの良い声で、状況を説明してくれる。

 ──来たかいがあった!

 クラーケンを倒したからかリズウェンはどこか誇らしげで、微笑ましい気持ちになる。

 ──はぁ、可愛い。

 ほんの少しだけ乱れた息を整え俺は地下へ続く階段を下り、流れる水道を覗く。スライムはクラーケンにでも食べられてしまったのか姿はない。

 流れる水をみつめながら気配を探ったが、大きな脅威は見つからなかった。

「クラウ師団長も悪かったな」

 声をかけてきたのはロイ・エブリ、28歳。第三師団の師団長だ。

 貴族の男で以前、三男だから独りで好きなように暮らしていると言っていた。平民と同じだからと公言しており貴族にしてはかなり気安い男だ。

「いえ、大事にならなくて良かったです。何かあればいつでも呼んでください。多少役には立つでしょう」

「おいおい、我らが第七師団長様にそんなこと言われたら、俺たちは立つ瀬がないぞ。いや、本当にアンタ強いからね?  わかってるよね?!  安売りしちゃダメだよ?!」

 第三師団長のエブリは、心配してくれているのだろう。彼の人隣りは知っている。無闇やたらに人を頼らないことも。今回はこの程度で済んだけれど、次も同じようになるとは限らない。必要な時に呼んでもらえればいい。

「エブリ師団長だから言っているんですよ」

「え?! 本当に? だったら嬉しいなぁ! 肴のつまみも手に入ったしラッキーな日だ」

「地下水道に居たクラーケンを食すのですか?  腹を下すかもしれないのに」

 リズウェンは嫌そうに秀麗な眉根を寄せた。

「そのまま食うわけじゃないからっ!! なに?! ワイルド過ぎでしょ! 俺をどんな目で見てんの?!」

 仲の良さそうな二人が羨ましくて、つい目で追ってしまった。

 ──俺もリズウェンと会話がしたい。

 そんな女々しい事を口にできるはずもなく、リズウェンの隊服を見る。ずぶ濡れだ。

 リズウェンの前髪から滴がポトリと落ちる。

 頬を流れる水滴が艶めかしい。

 なんという色気だ、これは緊急事態かもしれない。

 エブリ師団長は雨にも濡れていない。──水分を飛ばしたのか。

 俺が闇属性の魔術が得意なように、エブリ師団長は水属性の魔術が得意だ。

 他人へ使うには繊細な操作を必要とするので基本は自分のみしか使わない。

 それよりも、リズウェンの濡れた姿は妙に艶っぽくて目のやり場に困った。分厚い隊服が透けている訳では無いが、髪も頬にはりつき俺の目には少しばかり刺激が強い。

「風邪をひく前に戻った方がいい」

 着ていた黒の隊服を脱いでリズウェンの肩にかけるとビクリと肩が跳ねる。

 驚かせてしまったらしい。

 すまんと一言添えて失礼にならない程度に視線をやる。

 不満なのだろう。美麗な眉をよせ、目もとを赤くし怒りをわかせているようだった。

 しかしながら、リズウェンの肢体がスッポリと俺の黒い隊服に包まれているのだ。──イイ。トテモイイ。

「……重いですね。借りておきますけど」

 それは重いだろう。俺もずぶ濡れで水を吸っている隊服をリズウェンに掛けたのだから。リズウェンの隊服と俺の隊服。二倍以上の重さだろう。

 リズウェンの濡れた白い隊服を誰にも見せたくなくて無意識の行動だった。

 相手にとっては嫌がらせ以外に、なにがあるだろうか。

 己がした事に気づき青ざめ恐慄く。

 すぐ傍に『麗しの花』がいる。当然だ。俺が近づいたのだから。

 今さら胸がバクバクドキドキしてきた。

 ──怒って顔を紅潮させていたよな。うっ、目の前にある生リズウェン! か、可愛いすぎかっ、色白っ! まつげながっ!!!

 だが、しかし、こんな接触は二度とないだろう。

 嫌がられはしたが悔いは無い。リズウェンの肩には俺の隊服が今も掛けられている事実に泣きそうた。──グッジョブ俺!

 もう少し距離を縮められないだろうかと俺は考える。

 しかし、無意識下でやらかした行動とは違う。

 緊張し過ぎて吐き気に襲われそうになるのを我慢しながら、震える手でスボンの後ろからハンカチを取り出す。

 奇跡的に濡れていなかったそれをリズウェンの頬に押しつけた。

「……え?」

 目を見開き見つめてきた。

「……と(尊い!)」

 訝しみながらも、ハンカチを受け取ってくれた。なんという優しさだ。

「と? ………………………と、とにかく、早く撤収しましょう。あとは部下が処理してくれますから」

 触れられる場面があるならと、何千回、何万回とシュミレーションを重ねてきた甲斐があった。手は震えるし、喉はカラカラで張りついたように声も出せなかったが、俺にしては上出来だろう。

 4年もの間リズウェンだけを見てきた。

 好きになってから、初めて触れた感触はハンカチ越しで、かじかんだ指先が痺れている。

 きっと寒さだけではなかったと思う。心がこんなにも温かい。

 すぐに追いついてきた出来るチャラ男ことジルベルトが大量のタオルを腕いっぱいに抱えて現れた。

 その優秀さに、小さなハンカチなどいらなかったのでは? と、俺は密かに落ち込むことになった。
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