放課後・怪異体験クラブ

佐原古一

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2章 旧校舎の怪・または七不思議

夢か幻か

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 帰宅してすぐベッドの上に転がった。さっきまで旧校舎の中を探検していたのが夢だったように思えてくる。ついさっきまであの場所に居たとは思えない、不思議な心地がした。
 確か残りの七不思議は「トイレの花子さん」「体育館に響くバスケットボールの音」「二階の廊下に浮かぶ人魂」「夜動く美術室の石膏像」だったか。けれどもう確かめようがない。今後、旧校舎の警備はいっそう厳重になるだろう。それにもう二度とこんな思いをするのはごめんだ。
 想像していたのとは全然違うスリルを味わったな……。緊張から解放されたせいか、僕は案外すぐ眠りに落ちることができた。人間は案外丈夫というか、打たれ強いというか。怪異体験クラブに出入りするようになって神経が太くなったのかもしれない。
 次の日、僕はなるべく平静を装って登校した。幸い、廊下ですれ違う生徒や教室でくつろぐクラスメイトの口から旧校舎の話が出ることはなかった。けれど朝のHRで先生が開口一番
「昨日の夜、何者かが旧校舎に侵入したとの報告がありました」
 これは予想していたことなので驚かなかった。周りは少しざわついていたけれど、僕のように関心がなさそうな生徒もいる。だから僕の反応は自然だったはずだ。そう、そのつもりだった。次の言葉を聞くまでは。
「特に旧校舎は西階段が崩れていて大変危険です。決していたずら半分に忍び込んだりしないように。この件は警察に届け出る予定ですが、もし名乗り出る生徒がいれば……」
 その先はもう聞こえなかった。周囲のどよめきも耳に入らない。僕の頭の中を同じ言葉が、ただぐるぐると駆け巡る。『旧校舎の西階段は崩れていて大変危険です』
 ばかな。僕は浅場先輩と一緒に西階段を上がって二階へ行った。そこで音楽室と理科室の七不思議の真相を確かめて、そして……。
 それじゃあ、あいつは何者だったんだ? 明かりを持って旧校舎をうろついていたあいつは。
 HRはもちろん、授業中も全て上の空だった。すぐそばで音がしていることは分かるけれど内容までは分からない。先生の声や黒板をかすめるチョークの音を意識がシャットアウトしている。幸い名前を呼ばれることもなかったので大人しく座っていることができた。
 そして放課後――今日は部活がない日だったので僕は直接会いに行くことにした。三年D組。真咲先輩のいる教室へ。僕が教室の入り口で先輩の姿を探すと、彼は窓際の一番後ろの席にいた。僕の青ざめた顔を見て笑っている。まるでここへ来るのを知っていたように。先輩は僕を見ると何も言わずに近づいてきた。そしてすれ違いざまにたった一言
「部室へ行こう」
 部活はないけれど鍵は先輩が持っているのでいつでも入れる。今日も呪いの本を見つけた時のような、雲が空を覆い尽くすどんよりした天気だった。誰もいない部室の電気をつけて入口に一番近い椅子に座る。先輩はいつもの一番奥の中央の席だ。遮蔽物のない空間で先輩の視線がまっすぐ刺さってくる。他に誰もいない部室は普段より広く見えて、居心地が悪かった。小動物は外敵から身を隠せるものがない場所へ行くと不安になるというけれど同じようなものだろうか。
「先輩は知っていたんですか。旧校舎の二階のこと」
 言葉を選んでいる余裕がないので単刀直入に言った。
「浅場くんの調書を見た時にね。これは、と思ったのさ。旧校舎の西階段は過去に崩落事故が起きて放置されているし東階段も封鎖されたからね。東階段は使えないこともないが、わざわざ『崩落危険』という立札がある木造の階段を使う人間がいるとは考えづらい」
 ということは先輩も旧校舎に入ったことがあるのだろう。彼でさえ二階の調査は諦めたのだ。
「けれど調書に『二階の廊下に浮かぶ人魂』なんて噂が書かれているじゃないか。これは確かめる価値があると思った」
「危険だと分かっていて僕たちを旧校舎へ行かせたんですか」
「浅場くんはそんなヘマをしないさ。注意深い彼と一緒なら君も無事に帰ってこられると思った。けれどずいぶん怖い思いをさせたね。申し訳ない」
 それに、あれは凶悪な霊ではないと先輩は言った。
「昔、空襲に遭って旧校舎は全焼してしまった。幸い夜だったから被害は最小限にとどまったけど、宿直で見回りをしていた先生が犠牲になったと言われている」
「でも旧校舎は今もありますよ」
「あれは焼けた後に新しく建てられた校舎なんだ。だから僕たちの通っている学び舎は三代目というわけだね」
 つまり今校庭の隅にある旧校舎は二代目なのか。
「前に話した『自分が死んだことに気づかない』タイプの幽霊だろうね。戦後からずっと、彼はああして見回りをしているんだと思う」
 僕と浅場先輩は、かつて先生のいた一代目校舎へ迷い込んでしまったのだろうか。暗闇にたたずむ旧校舎の姿を思い出す。校舎の中央にある小さな昇降口は、文字通り口だったのかもしれない。木造の古びた校舎が、静かに口を開けて獲物を誘い込む怪物のように思えてきた。
「戦後のゴタゴタで先生は弔われなかったのかも知れないね。身よりがなかったという話もあるし」
 ということは……先生も好きでさまよっているわけではないのだ。まだ自分は生きている、戦争は続いていると思っているから勤めを果たそうとしている。空襲のあった夜を何度も繰り返して。
「だとすると保科くんたちの体験は興味深いね。幽霊が出るだけならともかく、無くなったはずの校舎へ迷い込んだのだから。もしかすると校舎自体が幽霊なのかもしれない」
 先輩の見解は新しくて面白かった。建物の幽霊なんて聞いたことがない。けれど……それよりもっと重要なことがあるんじゃないか? そう思った僕は、おずおずと切り出した。
「あの……もう今日で終わりにしてあげませんか?」
 誰にも知られずに、ただの噂として七十年以上も一人で見回りをしている当直の先生。彼がこれからも――毎夜毎夜灯りを持ってさまよう姿を想像するとそれは酷なことのように思えた。
 僕がそう言うと、先輩は満足そうに笑った。まるでその言葉を待っていたというように。少し時間が欲しいといって先輩は席を外した。先に旧校舎の前へ行けというのでカバンを持って立ち上がる。昨日あんなことがあったばかりだけど、まだ日の出ているうちに見る旧校舎はあちこち傷んでいてみすぼらしく、哀れにすら思えてきた。そして、今もこの中でさまよっている人がいる。
 しばらくすると真咲先輩がやってきた。隣には知らない――袈裟を来た男の人が立っている。お坊さんだろうか。僕が軽く頭を下げるとお坊さんは柔らかく微笑んだ。
「神木くんに紹介してもらったんだ。後は彼に任せよう」
 神木先輩? お坊さんは僕に目礼すると旧校舎の前に立った。数珠を掲げ、念仏を唱え始める。真咲先輩いわく弔いの儀式だという。そして、きっと彼は手抜かりなくやってくれるはずだと言った。現世に強い未練のある霊ではないから安らかにあの世へ逝くことができるだろう、とも。
 昨日の夜のことを思い出す。埃っぽくてすえた匂いのする旧校舎の中は冷たい。そして誰からも忘れられたように、校庭の隅にぽつんと寂しく建っている。けれどそこには確かにいたのだ。何十年も昔からずっと。誰にも気づかれないまま見回りを続けていた人が。
 ようやく終わるのだ。先生の見回りも、恐ろしい空襲の夜の記憶も。そこにはとても言葉にできない痛みがあっただろう。
 僕はもう一度旧校舎を見上げた。これであの先生も旧校舎も、やっと眠りにつくことができるだろう。七十年以上もの間、お疲れ様でした。もう大丈夫ですよ。おやすみなさい。
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