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7章 私の親友、香ちゃん
たとえ親友でなくても
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日が沈む前に同級生が帰って、父が帰宅してきたその日の夜。夕食が済んだ後のリビングで私は思い切って母に尋ねた。
「香ちゃんって、どこの家の子か知ってる?」
家事が終わり一息ついてテレビを見ていた母は、予想もしなかった私の質問に驚いているようだった。振り返ったその顔に困惑の色がありありと浮かんでいる。父もはっとしたように読んでいた本から顔を上げた。
「どうしたの? 急に」
なんとも言えない返事だった。
「香ちゃんだよ、いつも遊びに来てるでしょ」
母の口から聞きたかった。香ちゃんはいる。彼女は昔からずっと一緒にいた、私の親友だと。けれどいくら待っても母は私の望んだような言葉をくれない。代わりに、諭すような口調でこう言った。
「そう……。いつかあなたに話さないといけないと思っていたけど」
どういう意味だろう。私が返事をできずにいると母はリビングを出て行った。けれどすぐに戻ってくる。母の両手には見慣れない小さな手帳のようなものが収まっていた。母はリビングのソファに座って、机の上にそれを並べた。二つの、そっくり同じデザインの手帳。けれどそこに書かれている名前が違う。「和知 薫」と「和知 香」。表紙には母子手帳と書かれていた。二人の子どもの生年月日は同じだ。母は伏し目がちに言った。
「本当はね、双子だったのよあなたたち」
けれど運命は気まぐれというか理不尽だった。一卵性双生児として同時に生を受けたのに、香だけは生まれてすぐ亡くなった。医者に説明を求めても納得できるような答えは一つも得られなかった。たとえどんな説明があったとしても到底受け入れられなかっただろう。どんな理由があれ「死んでも仕方がない」なんて思えない。まして我が子なのだから。
その後、母は私が赤ん坊の頃の写真を見せてくれた。とても大きなベビーベッドで小さな私が昼寝をしている写真を見ながら「双子の予定だったら大きいベッドを買ったのよ」と言う。私はあえて母の顔は見なかったけど、彼女の声はかすれて切れ切れになっていた。
「初めてあなたが香の話をした時、とても驚いたわ。イマジナリーフレンドっていって、子どもが想像上の友達を作ることがあるけど……あなたは香のことを知らないはずだもの。なのに『次は香ちゃん、いつ遊びに来るの?』なんて突然言い出したんだから」
そう、私は母や父に香ちゃんの話をしている。「今日は香ちゃんとこんなことをして遊んだ」、「香ちゃんとブラウンの新しい服を買いに行ったよ」とか、その日にあった取り留めのないことを。だから、両親は昔から知っていたのだ。私がいるはずのない友達と遊んでいたことを。
「でもこれって何かの縁……神様の思し召しじゃないかと思ってずっと黙ってたの。いつかはあなたも大きくなって本当のことに気づくと分かっていたけど、言い出すタイミングが見つからなかったの。ごめんなさい」
どうして母が謝るのだろう。私は泣き崩れる母の肩に手をかけた。そのあと、父から全てを聞いた。私が香ちゃんの話をした時に両親は驚いたけど、何か問題が起きるまでは黙っておくことにしたと。何より母も父も、あまりに幼い娘の死にまだ心を痛めていて落ち着いて話せる状態ではなかったこと。
そして、私は自分が周りの人たちに奇異の目で見られていたことにやっと気が付いた。見えない誰かとしゃべっている私を遠巻きにして、まるで腫物にでも触るかのようによそよそしい目で見ていた人たち。彼らがおかしいのではなく、私が正常でなかったのだ。いや、私というより私の目に見えているものが。
けれど何より私が辛かったのは、両親はそんな私を気に病みつつ、それでも香ちゃんのことを黙っていてくれたことだ。彼らは私に良かれと思ってやっていたことで自分たちを苦しめていたのだ。香ちゃんが実在しなかったことは私にとってこの世の全てが嘘だったかのような衝撃だったけれど、一番辛かったのは両親が真実と悲しみをずっとひた隠しにしてくれていたことだった。
「香ちゃんって、どこの家の子か知ってる?」
家事が終わり一息ついてテレビを見ていた母は、予想もしなかった私の質問に驚いているようだった。振り返ったその顔に困惑の色がありありと浮かんでいる。父もはっとしたように読んでいた本から顔を上げた。
「どうしたの? 急に」
なんとも言えない返事だった。
「香ちゃんだよ、いつも遊びに来てるでしょ」
母の口から聞きたかった。香ちゃんはいる。彼女は昔からずっと一緒にいた、私の親友だと。けれどいくら待っても母は私の望んだような言葉をくれない。代わりに、諭すような口調でこう言った。
「そう……。いつかあなたに話さないといけないと思っていたけど」
どういう意味だろう。私が返事をできずにいると母はリビングを出て行った。けれどすぐに戻ってくる。母の両手には見慣れない小さな手帳のようなものが収まっていた。母はリビングのソファに座って、机の上にそれを並べた。二つの、そっくり同じデザインの手帳。けれどそこに書かれている名前が違う。「和知 薫」と「和知 香」。表紙には母子手帳と書かれていた。二人の子どもの生年月日は同じだ。母は伏し目がちに言った。
「本当はね、双子だったのよあなたたち」
けれど運命は気まぐれというか理不尽だった。一卵性双生児として同時に生を受けたのに、香だけは生まれてすぐ亡くなった。医者に説明を求めても納得できるような答えは一つも得られなかった。たとえどんな説明があったとしても到底受け入れられなかっただろう。どんな理由があれ「死んでも仕方がない」なんて思えない。まして我が子なのだから。
その後、母は私が赤ん坊の頃の写真を見せてくれた。とても大きなベビーベッドで小さな私が昼寝をしている写真を見ながら「双子の予定だったら大きいベッドを買ったのよ」と言う。私はあえて母の顔は見なかったけど、彼女の声はかすれて切れ切れになっていた。
「初めてあなたが香の話をした時、とても驚いたわ。イマジナリーフレンドっていって、子どもが想像上の友達を作ることがあるけど……あなたは香のことを知らないはずだもの。なのに『次は香ちゃん、いつ遊びに来るの?』なんて突然言い出したんだから」
そう、私は母や父に香ちゃんの話をしている。「今日は香ちゃんとこんなことをして遊んだ」、「香ちゃんとブラウンの新しい服を買いに行ったよ」とか、その日にあった取り留めのないことを。だから、両親は昔から知っていたのだ。私がいるはずのない友達と遊んでいたことを。
「でもこれって何かの縁……神様の思し召しじゃないかと思ってずっと黙ってたの。いつかはあなたも大きくなって本当のことに気づくと分かっていたけど、言い出すタイミングが見つからなかったの。ごめんなさい」
どうして母が謝るのだろう。私は泣き崩れる母の肩に手をかけた。そのあと、父から全てを聞いた。私が香ちゃんの話をした時に両親は驚いたけど、何か問題が起きるまでは黙っておくことにしたと。何より母も父も、あまりに幼い娘の死にまだ心を痛めていて落ち着いて話せる状態ではなかったこと。
そして、私は自分が周りの人たちに奇異の目で見られていたことにやっと気が付いた。見えない誰かとしゃべっている私を遠巻きにして、まるで腫物にでも触るかのようによそよそしい目で見ていた人たち。彼らがおかしいのではなく、私が正常でなかったのだ。いや、私というより私の目に見えているものが。
けれど何より私が辛かったのは、両親はそんな私を気に病みつつ、それでも香ちゃんのことを黙っていてくれたことだ。彼らは私に良かれと思ってやっていたことで自分たちを苦しめていたのだ。香ちゃんが実在しなかったことは私にとってこの世の全てが嘘だったかのような衝撃だったけれど、一番辛かったのは両親が真実と悲しみをずっとひた隠しにしてくれていたことだった。
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