最強の職業は勇者でも賢者でもなく鑑定士(仮)らしいですよ?

あてきち

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2巻

2-6


「今にゃ! リリアンちゃん、ジュエル!」

 リリアンとジュエルさんは俺の前に立ち、すかさず水魔法を使った。

「クロさん、正気に戻って! 水魔法『冷水の滝コールドカスケード』!」
「この、変態ギルマスがっ! 水魔法『冷水の滝』!」
「がぼおおおおおおおおおお!?」
「ぐばああああああああああ!?」

 硬直していた二人は抵抗する素振そぶりも見せず、あっさり酒場の中へ押し流されていく。

「ぎゃあああああああああああ! 俺の酒場がああああああ!」

 酒場の店主の悲痛な叫びが……しばらく完全に営業停止だな。ご愁傷様です……。

「これでとりあえず頭は冷えたんじゃないかにゃ?」
「クロさん、大丈夫かな?」

 一件落着という顔のヴェネくんと、心配そうなリリアン。ようやく落ち着いた俺はゆっくり起き上がると、リリアン達を素通りしてクロード達の方へ向かった。

「どしたにゃ? ご主人さま」
「お兄ちゃん?」
「……ちょっとね」

 何も告げずに酒場へ向かう。俺の意図を理解したのか、ジュエルさんが同行した。

「……ヒビキ様。バルス様は私にお任せ願いますわ」
「……分かりました。じゃあ、俺はクロードに――お仕置きをするよ」

 いつになく真剣な俺……いや、いつも真面目にやってるよ? でもさ、何なのこれ?
 突然俺に突進してきたバルス兄貴と、それを殺気全開で迎え撃ったクロード。
 周囲への迷惑など無視して戦い続ける二人――その結果、大変な恥辱ちじょくを衆目に晒すことになった俺……許せるわけがない!
 微妙にヴェネくんのせいとも言えるけど、元を正せば二人が悪い! 報いを受けさせてやる!
 酒場に入ると、二人は気がついたところのようで、仲良く並んで膝をついていた。ようやく正気に戻ったのかさっきまでの殺気が感じられない。今更遅いけどね!

「――はっ! ヒビキ様! ……ヒビキ……様?」
「――うお? ヒビキ! ……ヒ、ヒビキ?」

 我に返った二人は俺を見るなり顔に喜色を浮かべたが、俺の冷めた表情を見てすぐにこおり付いた。そしてバルス兄貴は――本当に凍り付くこととなる。

「…………バルス様」
「――え? ジュエ……ル……ひいい!?」

 ジュエルさんは満面の笑みを浮かべていた。だが、その笑顔に慈悲じひや優しさなどは一切見受けられない。彼女の笑みから感じられるもの――それは、ただただ、ひたすらに純粋な怒りだった。

「一体、何をなさっておいでなのかしら?」
「いや、これはだな! し、仕事が早く終わって、ヒビキに会えると思って……だな……」

 バルス兄貴の声がどんどんしぼんでいく。

「まあまあ……お仕事が早く終わって? ギルドに報告にいらっしゃる前にヒビキ様にお会いしたくなって……? それで、Eランク冒険者と死闘を繰り広げたうえに、周囲の建造物を壊しまくったと? ふふふ、面白いお話ですこと……」
「いや、あの……」
「ふふふふ、私、そろそろ我慢の限界ですわ」
「ひいいっ! ゆ、許してくれ、ジュエル! お、俺が悪かっ――」
「しばらく本気で頭を冷やしてくださいませ! 氷魔法『氷河期の封殺水晶クリスタルオブアイスエイジ』!」
「ぎゃああああああああああああああああああああ……ああ……あ――」
「ひいいいいいい!?」

 今悲鳴を上げたのはクロードだ。すぐ隣で、バルス兄貴が突然巨大な氷の中に閉じ込められたからだ。バルス兄貴を中心に霜柱しもばしらが立ち、酒場内の温度が急激に低下していく。

「これ、大丈夫なの?」
「大丈夫ですわ。バルス様は常に微弱な回復魔法を纏っていますの。私程度の魔法では殺しきることはできませんのよ? つまり、全力で、殺すつもりで魔法を使っても問題ありませんの。まあ、それでも三日は閉じ込めておけるでしょうね。ふふふふ……」

 氷漬けにされたバルス兄貴を前に、ジュエルさんは楽しげな笑みを浮かべていた。
 さて、次は俺の番だ。このドデカイ氷を見て震える駄犬に、どんなお仕置きをしようか。

『サポちゃんより報告。技能スキル『医学書』に以下の医薬品の調合方法が記載されております。内容は――――』

 ……ほう? それは興味深い。狼獣人のクロードにぴったりのお仕置きだ。では早速――。

「ヒ、ヒビキ様……大変申し訳ございませんでした! 気がついたら気持ちを抑えきれず……」

 クロードが今更ながら、真摯しんしな土下座を俺の前に披露するが――無視である。

【技能スキル『医学書』を行使します】

「…………ヒ、ヒビキ様?」

 クロードが土下座をしながら視線をこちらに向けた。

「あ、あの……ヒビキ様……」

『サポちゃんより報告。以下の性能も追加することを推奨します。詳細は――――』

 ……確かにそれは必要かも。周りに迷惑が掛からないようしっかり配慮しておかないとね。駄犬とは違うのだよ、駄犬とは!

「ヒ、ヒビキ様……」

 俺にずっと無視され続け、クロードは体を震わせ、再び土下座をして俺の名を呼んだ。
 ――知らん。さっき俺が何度も名前を呼んだのに、無視して暴れ続けた駄犬に返す言葉などないのだ。
 そして、とうとうクロードお仕置き用の薬が完成した。

「……クロード」
「――!? はい! ヒビキさ――うわっぷ!?」

 顔を上げたクロードの鼻先に、調合した液体を掛ける。思わず目を閉じたクロードは……これでもかと言うほどに、目を見開くこととなった。

「こ、これはいった――ひぐ? ひぐ、ひぎぎ、ひぎゃあああああああああああああああああああああああああ! は、鼻が! ハナがああああああああああああああああああああああああ!」

 先ほど地面に転がり回った俺をはるかに凌駕りょうがする勢いで、大悶絶するクロード。
 両手で鼻を押さえて耐えようとするが、何の意味もない。クロードを苦しめるそれは、既に鼻先にベタリと付着してしまっているのだから……。
 クロードが意識を保っていられたのはほんの十秒ほど。
 酒場中をゴロゴロと転げ回り、最終的にバルス兄貴の氷の前に戻ってきた彼は――ブクブクと口から大量の泡を噴き、白目をむいて気絶してしまった。そして今も、ビクビクと痙攣けいれんを続けている。

「なかなか壮絶なお仕置きですわね? 一体何をなさいましたの?」

 不思議そうなジュエルさんに、俺は空瓶を差し出した。

「これだよ? あんまり近づかないでね。ジュエルさんもこの臭いはかなりきついと思うから」
「……特に何も臭いませんが? それは一体……」
「これは『アンモニア水』だよ。臭気百倍濃縮バージョンのね」
「……鼻がく狼の獣人相手に、臭気百倍のアンモニア水を……さすがですわ、ヒビキ様」

 ジュエルさんの喉がゴクリと鳴った。日本では『特定悪臭物質』に指定される劇薬だ。
 ヒト種より嗅覚に優れる獣人種にとっては最高のお仕置きになるだろう。実際、クロードはあの強烈な臭いに耐えられなかった。サポちゃん、教えてくれてありがとう!
 さすがにあそこまで完全にダウンさせられるとは思ってなかったけど……ま、いいでしょ。

「でも、ここからでも全く臭いがしませんわ。どうなっておりますの?」
「このアンモニア水は周囲一センチの距離までしか臭いが拡散しないようになってるんだ」

 先ほどサポちゃんから提案されたのはこれだ。臭気百倍のアンモニア水がばら撒かれたら周りへの被害も甚大じんだいだ。普通のアンモニア水でさえかなりの範囲に臭いが広がるっていうのに、それが臭気百倍だなんて、最早公害レベルである。
『医学書』内にそういう機能を付与できる知識があったので、それを使わせてもらった。おかげでクロードがいくら臭いを振り払おうとしても効果はなく、あの結果に繋がるわけだ。

「そのおかげで三日くらいは臭いが残るから、クロードはこれから三日間、起きて気絶のエンドレスお仕置き状態だね」

 俺は倒れ伏すクロードを見ながらニコリと微笑んだ。

「……ヒビキ様、私が思っていたよりずっとお怒りでしたのね」

 その後、ジュエルさんが話をつけて、バルス兄貴とクロードはこの酒場に三日ほど放置することになった。どのみちバルス兄貴は動かせないし、クロードの顔はしばらく見たくないし……。
 営業再開まで、バルス兄貴が店を借り切ったことにするそうだ。もちろん修繕費も兄貴持ちだ。というか、この件で被害を受けた人達全員の補償が兄貴持ちになった。
 ジュエルさんによれば、冒険者時代の資産がたっぷりあるから全然問題ないらしい。
 もちろん俺達の方でも慰謝料を支払うと言ったんだけど、聞いてもらえなかった。

「クロード様にはギルドからきっちりぺナルティを与えますので、お気になさらず」

 というわけで、ジュエルさんの厚意に甘えさせてもらった。実際、支払うとなったら手持ちの資金は全額没収間違いなしだ。それくらいの被害をあの二人はもたらしていた……。


 クロードが戻るまでの三日間、俺とリリアンで楽しい休日を過ごした。リリアンはクロードを心配していたけど、自業自得じごうじとくだとは分かっていたので深く言及することはなかった。
 三日後の深夜、泣きじゃくるような狼の遠吠えが聞こえた気がしたが、俺はそれを無視してぐっすり眠った。
 翌朝、プルプルと震えながら土下座をして謝るクロードが宿に来たものの、俺が許してやったのは、それから更に三日後のことだった。

「お、お許しください! これからは何でもきちんとお言いつけを守ります! で、ですから……おそばに、おそばにいさせてください! 捨てないでくださいいいいいいいいいいい!」

 耳を垂らし、しっぽを丸め、プルプルと体を震わせながら俺に懇願し続けるクロード。捨て犬みたいでちょっとだけ可愛いと思ったことは、絶対に内緒だ。
 その姿を見たいがために三日間粘ったわけじゃないから。……ホントに違うからね!
 ちなみに、ギルドが科したクロードへのペナルティは破壊した建造物の修繕手伝いだった。これのおかげで更に五日ほど休みを追加できた。さすがジュエルさん! 分かってる!
 ――え? バルス兄貴? 兄貴なら……まだ酒場で氷と格闘中です……ジュエルさんの怒りは俺の想像以上だったようです。頑張れ、バルス兄貴!

「おかしいですわねぇ。まさか、氷の中で事切れているのかしら……?」

 不思議そうに氷の前で首を傾げるジュエルさんは、ちょっと怖かった……。
 氷漬け生活七日後、ヘロヘロになりながらようやく氷から解放された兄貴だが、その日のうちにジュエルさんから、破壊した建造物の修繕手伝いを言い渡されたことは言うまでもない。

「自分でなさったことの落とし前は、きっちりつけてくださいませ」
「は、はひっ!」

 氷から出て、立ち上がることもできず這いつくばっていたバルス兄貴に、ジュエルさんは満面に冷笑を浮かべて告げたそうだ。
 プルプル震え、涙目になって即答した兄貴を見て、なぜかキュンとしたとギルドの女性職員達が話していたそうな。メアトさんの証言だ。
 ……冒険者ギルドって、変な人が多くないかな? 大丈夫なの?


 それからおよそ三週間後。俺がこの世界に来て約三ヶ月半くらい経ったかな?
 ペナルティは解除され、気を取り直したクロードはスパルタデスマーチを再開させていた。
 大変だけど冒険者稼業も順調で、もう少し頑張ればDランクへ昇格できるそうだ。

「……『死者殺し』ですか?」
「うん。そういう名前の冒険者パーティーがいるらしいよ。メアトさんが言ってた」
「冒険者になって二ヶ月でもうBランクにゃ? なかなかやるパーティーにゃ」
「凄いの……」

 いつも通り、微笑の女神亭で夕食を取る俺達。
 今日のメニューはライ麦の黒パンと山菜のポタージュスープだ。パンをスープに浸して食べると、しっとりしつつも歯ごたえがあって大変美味しい。
 もらったおまけのパンは、当然のようにヴェネくんに取られて――って、それはいいんだけど。
 話のネタになっているのは『死者殺し』という二つ名を持つ、新進気鋭の冒険者パーティーだ。
 俺達がいる大陸最東端の『ハバラスティア王国』とは正反対に位置する国、大陸最西端『クリューヌ王国』で冒険者になった人達らしい。
 ゾンビやレイスと呼ばれる不死の魔物『アンデッド』の討伐依頼を中心にこなしていることから、『死者殺し』の二つ名が付いたそうだ。なんか恥ずかしい二つ名だな……ちょっと可哀相。
 俺達も一時いっとき話題になったけど、今はこの『死者殺し』がギルドで注目されている。
 彼らは西から東へ旅を続けているらしく、いずれこの国にも来るのではないかということで、よく話題に上がるんだとか。どんな人達なんだろう?

「ちょっと前まではヒビキ達が噂のまとだったのにな。さすがに最速のBランク昇格パーティーが相手じゃ、我がギルドの『森喰もりぐい』も形無しってか。ハハハハッ!」
「その呼び名、やめてよね、バルス兄貴……」

 俺の左隣を陣取り、豪快にエールを飲むバルス兄貴がニヤニヤしてからかってきた。
 そんな兄貴を、俺の右隣に座るクロードが睨みつけていたが、まあ気にしないでおこう。
 この二ヶ月近く、俺達はずっと東の森で依頼をこなしてきた。
 毎日十個以上の討伐依頼を受ければ、持ち帰る証明部位の数もそれだけ多くなる。
 その様子を見たバルス兄貴が「お前ら、東の森の魔物を食い尽くす気か?」などと軽口をたたいたのを切っ掛けに、気がつけば『森喰い』と呼ばれていた。
 ホントにやめてほしいよ。恥ずかしすぎる! 俺はキッと兄貴を強く睨んだが、怯むどころかなぜか喜ばれてしまった。
 うわっ、ちょっ、頭ワシワシしないで! ほら、クロード唸ってるから!
 先日の死闘以来、バルス兄貴は頻繁に俺達の夕食に混ざるようになった。
 しっかり謝罪をしてもらって俺が許したところで「じゃあ、いつ酒を飲みに行く!?」と聞かれた時は、本当に反省しているのかコイツ? と、思ったものだが。
 もちろん酒はお断りした。俺は日本人だからね。お酒は二十歳になってから!
 その代わりとしてバルス兄貴は二日に一回……いや、ここのところは毎日、俺達と夕食を共にしている。日暮れに俺達がギルドに来るタイミングを見計らって待ち構えているので、断ることもできやしない。ま、別に断る理由も特にないから俺はいいんだけどね……俺は。
 それに、ここ数日ずっと続いているし、今日もそろそろ……。

「まあ! やっぱりこちらにいらしたのね、バルス様!」
「げっ! ジュエル!?」

 不機嫌そうな顔をしたジュエルさんが食堂に現れた。

「今日は夜に会議があると言っておいたでしょう! 何を飲んだくれておりますの!」
「そ、そうだっけ? でも、ほら……もう飲んじまったし、明日にでも……」
「……それが通るとお思いで?」
「いや……うん、すまん。すぐ行く」

 冷淡な視線を送るジュエルさんに勝つことなどできず、バルス兄貴は渋々ギルドへ帰っていった。

「おじちゃん、りないの……逆にすごいの!」
「もうどうしようもないにゃ。諦めるしかないにゃ。きっと治らないにゃ」
「ようやく帰りましたか。バルス殿もいい加減自重していただきたいのですが……」
「……そうだね」

 驚くリリアンとジト目のヴェネくんとクロード。そしてなぜか疲れてため息をつく、俺。
 そして聞こえる歓声と悲鳴。もはや食堂の恒例行事となった二人のやり取りは、とうとういつジュエルさんがバルス兄貴を連れ戻しに来るのかという賭けのネタに発展していた。
 今日も兄貴達が食堂を去った後、ハイタッチする人と舌打ちする人に食堂は二分された。
 ちなみにターニャさんはハイタッチする側だったらしい。厨房の奥で喜ぶターニャさんの声と、悪態をつく男性の低い声がこちらまで聞こえてきた。一体いくら賭けていたのやら……。
 そういえば、クロードとバルス兄貴はようやく意味不明な喧嘩をやめてくれたようだ。
 初めて兄貴が夕食の席に加わった日など、思い出すのもはばかられるほどのいがみ合いっぷりで、この二人は謝罪の意味を理解しているのだろうかと、うっかりアンモニア水を調合しそうになった。
 最近は俺達が寝静まった頃に二人で酒を飲んでいるらしい。
 ジュエルさんから聞いた。

「あれは友誼ゆうぎを結んでいるのではなく、街中で見つけた不穏分子の割り出しと制裁について話し合っているのですわ。『敵の敵は味方』という奴です……たまに私もご一緒しておりますのよ?」

 ま、まあ、一緒にお酒が飲める程度には仲良くなったということで……不穏分子って何?


       ◆ ◆ ◆


 彼女は――闇夜を照らす月のように美しく、優しい人だった。
 月をでるのが好きで、満月の夜には必ず、眠ることも忘れて愛おしげに月を眺めていた。
 その夜も、いつもと同じだと思った。
 深夜の草原に佇む彼女は、淡い月の光を浴び、きらめく白金の髪を風になびかせる。
 その後ろ姿は神秘的にしてはかなげで、きっと誰もが見惚みとれるだろう――私とて、母のように、姉のように慕った彼女の姿に、全く胸を弾ませることがなかったとは言い切れない。
 私が名を呼ぶと、彼女は振り向き私に優しく微笑む。
 そして聞くのだ――「こんな時間にどうしたの?」――と。そして私も返す――「お前がいつまでも月に囚われているから取り返しに来たんだ」――と。
 彼女はクスクスと笑い、私が差し出した手を取る――はずだった。

「アナスタシア」

 彼女の名を呼ぶ。私の声に気づき、振り返った彼女は私へ月光のように優しい微笑みを――。

「……アナスタシア?」

 その笑顔に――優しさなどどこにも見当たらなかった。ただただ、歪んだ嗤笑ししょうがそこにあった。

「来てくれてありがとう、クロード。……じゃあ、死にましょうか?」
「――――――ぁっ!」

 唐突に意識が覚醒し、悪夢から目覚める。呼吸は荒く、頭の中にうるさいくらい、心臓の鼓動が鳴り響く。まるで酷い頭痛のようだ……。
 呼吸を整えながらゆっくり起き上がると、まだヒビキ様達は眠っていた。窓へ目を向ければ、黎明れいめいの光が差し込み始めたばかり――少々早く目が覚めてしまったようだ。
 だが、もう眠りたくなかった。眠って、再びあのいびつな笑顔を見るのが怖かった。

「……最近は、見ていなかったんだがな」

 奴隷であった頃、ほぼ毎日のように見ていた悪夢。私の全てが、何もかもが変わってしまったあの日の夢……。ヒビキ様に助けていただいて以来、見なくなっていたというのに。

「もう、忘れてもいいではないか。今更、どうしてあんな夢を……」

 両手で顔を覆い、夢の光景を思い出す。あんな笑い方をする女ではなかった。私が知っている彼女は、安らぎに満ちた聖母のような優しい笑顔だったはずなのに……。
 一体いつ、ああなってしまったのか。それとも最初から……? 私の知るあの笑顔は初めから存在しない偽りの笑顔だったのだろうか? 分からない、答えが見つからない。

「……今でも分からない。なぜ、なぜ私を、私達を裏切ったんだ……アナスタシア」

 私の問いに答える者は、当然だがどこにもいない。

「当然だ。仲間は皆死んだ。彼女でさえ、もうこの世にはいない。……私が殺したのだから」
「……んん」

 バッと首を振る。どうやらヒビキ様が寝返りをうっただけのようだ。私はベッドを降り、外着に着替えると静かに部屋を出た。
 今の私の顔を、誰にも見られたくなかった。
 私はまだ知らなかった。この悪夢が……ただの……夢で終わりはしないということを。


       ◆ ◆ ◆


「ヒビキ様、Dランクへ昇格できたら狩場を変更しませんか?」
「狩場を変更? 何でまた……」

 ある日の朝、いつものように食堂で朝食を取る俺に、クロードがそんな提案をした。
 急にどうしたんだろう? ここ最近のクロードは今まで以上に積極的というか、一心不乱というか。依頼数も更に増やして、毎朝俺達が目覚める前にランニングもしているそうだ。
 でも精力的な割に……今ひとつ元気がないというか、覇気はきがないというか……気のせいかな?

「そろそろヒビキ様のレベルが頭打ちになっております。ヒビキ様もリリアンも魔物との戦闘に慣れてきましたし、次の段階に進んでもよいのではないかと思いまして」
「ああ、そういうこと」

 この三週間ほどで俺はレベル12になった。およそ一ヶ月前がレベル10だったことを考えれば、確かにレベルアップの速度が落ちている。東の森ではそろそろ不足なのかもしれない。

「……よし、昇格したらローウェルの街を出よう」
「街を出るにゃ? ご主人さま」
「元々ある程度目途が立ったら街を出るつもりだったんだ。できれば魔法に詳しい賢者に会いたいんだけど……リリアン以外にもいるよね? 賢者」
「リリアン以外ですと、私が知る限りでは『三界の賢者』のみですが……」
「『三界の賢者』?」
「在位五百年以上の大賢者様です。確かリリアンが現れるまで、五十年近くこのお三方だけで賢者の職を守り続けていたはずです。神選職者の中でも、ここまで長く在位されている方は稀かと」
「五百年とは凄いね。全員エルフとか?」
「エルフが二人で、魔族が一人だったはずにゃ。なかなか優秀な奴らにゃよ?」

 熱々スープを躊躇ちゅうちょなく飲んでいたヴェネくんが顔を上げた。またニャンコ成分が……じゃなく!

「ヴェネくん、知ってるの?」
「知ってるも何も、賢者を選ぶのは魔神様の仕事にゃよ?」
「あ、そうか。賢者は確か、魔導士系最強の職業だから……」
「『魔導の原初』たる魔神様が選ぶに相応ふさわしい職業にゃ。ヴェネが知らないはずないのにゃ」
「じゃ、彼らがどこにいるのかも知ってる?」
「ヒビキ様、それでしたら私も存じております。彼らは迷宮都市にお住まいだそうです」
「迷宮都市?」

【技能スキル『辞書レベル2』を行使します】

『迷宮都市』
 世界に点在する、ダンジョンの攻略者だけが到達可能な三つの都市の総称。
『地底ダンジョン』の先にある地底都市『テラダイナス』、『海底ダンジョン』の先にある海底都市『マリンベル』、『天空ダンジョン』の先にある天空都市『エランスカイ』を指す。
 到達難易度の高さ故に、実在こそしているが世間一般の認識としては都市伝説扱い。

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