負社員

葵むらさき

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第16話 社の看板、背負うか、掲げるか、掌の上で転がすか

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 こつこつ
 こつこつ
 こつこつこつ

 岩を叩く音は続いていた。

 こつこつ
 こつこつこつ
 こつこつこつこつ
 こつこつ
 こつこつこつ
 ひょんひょんひょんひょん

 しん、と音が止んだ。皆、無言だった。“音”を再開させたのは、時中だった。彼はもう一度ハンマーを岩壁に打ちつけ始めたのだ。

 ひょんひょんひょんひょん

「何だ、この音は」時中が眉をひそめる。
「ありましたね」天津が微笑んで告げる。
「え、これ、あれっすか」結城が時中のハンマーの叩いた箇所を指差す。
 本原は特に何も言わず、同所を――彼女の身長からすると、見上げていた。

 ひょん

 時中が叩くのを止め、天津に振り向く。「つまりここが岩の“眼”だと、いうわけですか」
「はい」天津は頷き、ウエストベルトのポケットから何かを取り出した。「結城さん、これを」
「え」結城は眉を上げ、差し出されたものをひとまず受け取った。
 それは、掌ほどの長さで径三センチほどの、枯れた古木の枝だった。
「これは、何すか」結城はその古木のかさかさした表面を親指の腹で撫でながら訊いた。
「それが、ローターです」天津が答える。
「え」結城は眼を丸くして天津を見た。「これが?」
「はい」天津は頷く。「覚えてますか」
「これあの、臍(へそ)のゴマーとか叫んで突っ込むっていう」結城は古木を握り込み、上下にぶんぶんと振りながら確認する。
「『開け、我がゴマよ』です」天津が眉を下げて拠所なく笑いながら答える。
「ああそう、それ」
「貴様、ばちが当たるぞそのうちに」
「神の逆鱗に触れるのではないですか」三人の新入社員たちはそれぞれ口にした。
「よし、では“眼”が見つかったので、早速イベントの練習をしてみましょう」天津はぽんと手を打ち鳴らした。「まずはその眼の箇所に、ローター設置用の穴を穿ちます」
「これですね」時中が、自分のベルトのポケットから二十センチ長さほどの懐中電灯に似た器具と、細い穿孔パーツを抜き出した。「これで穴を開けながら、あの呪文を唱えるわけですか」穿孔パーツを取り付けながら問う。
「ああ、それでもいいです」天津は軽く頷く。「気持ちさえ籠めていただければ」
「気持ち、というと」時中がまた問う。
「つまり鉱物粒子の間に挟まっている有機物を完全に排除したいという、気持ちです」天津はにっこりと微笑む。「穴を開けながら、心からそれを願うことができるのであれば」
「――」時中はそう言われ、少しの間考えた。
「別々の方がいいよ、時中君」結城が口出しする。「ドリルで穴開けながら、なんだっけ、何々せよー、わが何々ー、とかは、やっぱ気が散っちゃうでしょ」
「――閃け」時中は眉をひそめて言い直しかけたが、ぷいと岩壁の方を向き口を閉ざした。
「天津さん」本原が出し抜けに発言する。「禊(みそぎ)などは、しなくて良いのですか」
「ああ」天津は眉を上げ、またにっこりと微笑んだ。「これを行うのが“人間ならば”、禊や潔斎が必要なんですが、我が社の執り行うイベントでは、そういうのは不要です」
「人間ならば……でも私たちは、人間ですけれど」本原は小首を傾げて訊き返す。
「ああ、仕事を離れれば勿論そうですが、我が社の看板の下で働いてもらう時は、そうではなくなりますのでね」天津は説明しながら、岩天井の方に手を向け“我が社”を示した。
「えっ、てことは」結城が食いつく。「会社の看板の下にいるときは我々、人間じゃなくなるってことですか」
「はい」天津は肯定した。
「じゃあ何になるんですか、猿とか、犬とか? あ、社畜? 社畜ですか」結城は自分の思いつきに興奮したかのように身を乗り出し声を張り上げた。
「いえ、そうでは」天津は両耳を塞ぎ眼をそばめた。
「貴様、黙れ」時中が、自身も叫びたいのだろうがぐっと声を殺しつつ結城を非難した。
「うるさい」本原も、それまでの鈴の音のようなソプラノ声をかなぐり捨て、唸りを挙げた。
「ええと皆さんは、社畜ではなく、つまり我々と同じく“岩の子”になる、ということです」
「岩の子」時中が言い、
「岩鋸?」結城が訊き、
「岩の精霊ですか」本原が差し替えた表現をした。
「岩の子です」天津はその表現から動かさなかった。「穢れというものの本質は、皆さん何だと思いますか」
「穢れの」時中が言い、
「本質?」結城が訊き、
「人間の本能とか欲望とかではないのですか」本原が回答する。
「それが眼に見える形で存在する時は、何になりますか」天津の質問は続いた。
「行動……行為、ですか」時中が言い、
「食ったり寝たり、あとあれか、性欲の行為とか」
「――」本原は顔をしかめ、結城からそれを逸らした。
「では物質として存在する時は?」天津の問いは核心を突いた。「本能や欲望による行動や行為が行われる時、そこには何の物質がありますか?」
「食物、とか」時中が言い、
「布団とか、あとティ」結城が言いかけ、
「分泌物」本原が低く吐き捨てるように回答した。
「そうです」天津は人差し指を本原に向けて振った。「汗とか涙とか唾液とか、皮脂とか血液とか、ですね。そういったものが、いわゆる“穢れ”の本質になるんです」
「えーっ」結城が眼を見開く。「だってそんなの、普通に生きてるだけで分泌されちゃうもんじゃないですか。じゃあ人間って、生きてるだけで穢れてるってことなんですか」
「もちろん我々はそんな風には思ってません、基本的にはね」天津は両手を振って笑った。「そういうのが穢れになる、と考えてくれたのは、古代の人間たちの方です」
「なるほど」時中がドリルを握ったまま腕組みをする。「神事を行う際には自分たち人間の俗に塗れた体を洗い清めなければならないと考えたのは、人間自身の方だったと」
「じゃあ私たちは」本原は自分の胸に手をあてがった。「今は“岩の子”だから、そういう分泌物を出さないという設定になっているのですか」
「設定?」結城が驚いて本原に振り向く。「ステータス“岩状態”みたいな?」
「貴様、呪われるぞ」時中が批判する。
「まあわかりやすく言えば、そうです」天津は否定しなかった。「実際岩は汗や涙や血を流すこと、ないですからね」
「でもこの洞窟内の岩って全員濡れてますよ」結城がぐるりを見渡す。「汗掻いてる」
「それは結露です」天津も周りを見渡す。「水蒸気が岩にくっついて水滴になったやつですよ」
「そうか」結城はぽんと手を打った。「岩が泣いたりおもらししたりしてるわけじゃあないんですね」
「はい」天津は眉を下げて拠所なく笑った。「では時中さん、ドリルで軽く岩に触れて下さい」
「はい」時中はドリルの電源スイッチを入れた。
 予測したよりも遥かに静かな振動音が起き、それは結城の声よりも遥かに静かなものだった。
「しかしこんなレベルのもので、岩に穴が開くのですか」不審げな顔で時中は訊く。「今更ですが」
「まあ、イベントですからね」天津は頷く。「本格的に、大きな穴をがっつり穿つことはしないです。いわば形だけといってもいい感じです」
「形だけ、ですか」時中は確認し、穿孔パーツの先端を言われた通り軽く岩面に触れさせた。

「いたっ」

 突如甲高い声が聞こえた。時中ははっと息を呑んでドリルを引っ込めると同時に電源を切った。
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