負社員

葵むらさき

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第49話 ご注文を承りました。商品のお届けまで今しばらくお待ち下さい

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 ――なんだってスサノオはこんなところに“空洞”を作ったんだろう――
 地球はつい、そんな事を思ってしまうのだった。そこは、深い、深い海の底にある、煙突のような突起からマグマに温められた熱水が噴出している場所だった。その真下に、スサノオは“対話”の場を設けたのだ。
 ――なんだってまた、こんなところに――
 しかしそう思いながらも地球は同時に、そうか、ここでこそ“対話”が行われるべきだというのも、確かにうなずける――そのようにも思うのだった。
 何故ならそこは、神たちが最初に“手を入れた”場所だからだ。言い方を変えると、そこは最初に“生命体”が生まれたところだからだ。
 しかし今、スサノオのその“野望”も、阻まれているようだった。
 ――マヨイ、ガ……?
 地球は、神たちがそれをそのように呼んでいるのを聞いた。そのものの存在は、知っている。時折気まぐれに、そちらこちらに“出現”する“物体”だからだ。とはいえ、ああそこにいるな、位の意識でしかそのものを見たこともなかったので、そのものがどういう目的で何をしに現れているのかなど、詳しいことは知らなかった。神たちに、任せていたのだ。
 そのマヨイガは、スサノオが新人たちを連れて行こうとしていた“生命発祥地”まであと少しのところに突如現れ、新人たちをスサノオから引き離してしまい、自分の中に取り込んでしまった。
 ――どうするつもりなのだろう――
 地球は、“対話”の準備ができるまでのんびり待っていようと思ってはいたのだが、自分にとっても予想外の出来事に、つい気を向けてしまうのだった。

     ◇◆◇

「どういうつもりだ」時中が茫然と呟く。
 三人の新人たちは土間に立ち竦んだまま、板の間に置かれた座卓の上に並ぶ茶菓を見つめるばかりだった。
「え、これ、マヨイガさんが淹れてくれたってこと?」結城が板の間に両手を突き、体を床の上に乗り出しながら問いかける。「だよね?」
「どうするつもりだ」時中が眉をしかめ結城の背に問い返す。
「いただくのですか」本原が確認する。
「毒が盛られているかも知れないぞ」時中が眉をしかめたまま本原に警告する。
「えっ毒?」結城が床の上に突いた両手を離して胸の前で交差させ鎖骨を押さえる。「本気で俺らを殺る気なわけ?」
「先ほど、ここへ来る前に私たちが『お茶を出してもらえるかも』と話していたのをお聞きになっていたのではないでしょうか」本原が推測する。
「あー」結城は頷き、両手を鎖骨から離した。「じゃこれって、俺らの発注したものを納品してくれたって事か」再び体を床の上に乗り出し、さらに片足の膝を床の上に乗せて今にも上がり込みそうな勢いとなる。
「そうだとしたら何か対価を要求されるはずだろう」時中が推測する。「我々の生命で支払えといわれたらどうする気だ」
「えー」結城は上がり込みかけた足をもう一度下に降ろす。
「なぜマヨイガさまが私たちを殺すつもりでいると決めてかかるのですか」本原は異議を唱えた。「マヨイガさまは、私たちを歓迎しようとして下さっているのかも知れないではないですか」
「最悪の事態を想定すべきだと言っているんだ」時中は自論を曲げなかった。「殺す気だと思って用心していた結果歓迎されたというのなら問題はないだろう」
「あると思います」本原もまた反論を止めることはしなかった。「マヨイガさまのお気持ちを害してしまうと思います」
「相手の気持ちを尊重した結果殺されたら話にならないだろう」時中もさらなる反論をつなげた。
「あっいいこと思いついたよ俺!」結城が仲介の言葉を叫んだ。「馬馬! あいつにさ」厩を親指で指す。「この饅頭とお茶、やってみようよ。毒味係で」
 時中と本原は言葉を失った。
「はいはい、では早速」結城は飛び上がるように板の間に上がり込み、茶の入った湯呑と饅頭の乗った小皿を両手にそれぞれ取って再び土間に降りた。
 厩の中の馬は、新人たちの騒ぎに特に関心も示さず、大人しく佇んでいた。
「ほい、馬くん」結城は飼葉桶の中、馬の餌である草や雑穀類の上に、湯呑と小皿を無造作に置き呼びかけた。「おやつだよー。さあ召し上がれ」馬に向かい手を差し出す。
 馬は、微動だにしなかった。結城は、片手を差し出した格好のまましばらく待った。馬は、時折瞬きをする以外特に目立った動きもせず、佇み続けていた。
「あれ」結城はついに口にした。「食べないのかな? てことは」振り向く。「毒入りって事なのかな、やっぱし」推論を述べる。
「そもそも馬は茶や饅頭を食べないだろう」時中が批判し、
「お馬さんはお茶やお饅頭は食べないと思います」本原が批判した。
「えー」結城は片眉を寄せて馬を見た。「そっか、君は草と水しか食わない奴かあ。えーと、じゃあ」飼葉桶の中の湯呑と皿を見下ろす。「これ、どうしよう」
「気分を害したかも知れないぞ」時中が危惧する。「せっかく淹れた茶を馬に与えるとは」
「マヨイガさまは傷ついたかも知れません」本原は頬を手で押さえ嘆いた。
「えー」結城は二人を見、また馬を見た。

 ぶるるっ

 馬は一度だけ、首を振り鼻を鳴らし、その後また静かに佇み続けた。

     ◇◆◇

「申請したわ」木之花が告げた。「少し待機してみて。“向こう”から、近くに来るはずだから」
「了解」天津は答えた。
「ついでに、天津君の依代も追加発注しといたから、受け取りお願いね」木之花の声が続けて告げた。
「あ、……ありがとう」声だけの天津はどこか照れ臭そうに礼を言った。「大事に使います」
「これで、新人たちと再会できる」蛇から人間の姿に変わった酒林がふうと息をつきながら言う。
「無事ならな」スサノオは笑いを含んだ声で言った。「もうマヨイガに食われてたりして」
「馬鹿言うな」酒林は否定する。「今度の新人たちはちょっとやそっとじゃやられないよ」
「なんでわかる」スサノオは面白くなさげに問う。「何が違うってんだ」
「だって今度の新人は」酒林が言いかけるが、
「“スサノオ”じゃあ、ないよな」スサノオが先立って否定する。「だろ」
「――」酒林は口をつぐみ、依代なき天津の声の方にちらりと目配せする。
「まあ、とにかく待とう」天津は声だけでそう告げ、「お前も、新人たちと地球に“対話”させたいんだろ」少し間を開けて「スサノオ」と呼んだ。
 天津顔のスサノオは、頭の後ろに両手を組んで面白くもなさそうに前方を睨みつけた。そこは相変わらずの、暗闇だった。

     ◇◆◇

 がたがたがた

 突如として、部屋の奥の方から物音が聞えた。三人は土間で飛び上がった。
「何だ」
「何の音?」
「何でしょうか」

 がたがた ばたん ごとん しゅるしゅるしゅる ぱちん

 物音は、決して大きくはないがしばらく続いた。それは、茶菓の置かれてある板の間の奥にある襖の向こうから聞えていた。
「誰だ」結城が叫ぶ。

 かたかた かたん

 最後にそういう音が聞え、そして静けさがやって来た。三人はしばし物も言わずに様子をうかがった。
「よし」やがて結城が言葉を発した。「上がってみよう」
「危険だぞ」時中が警告する。
「結城さんが行くのですか」本原が役割をなかば指定する。
「え、皆で行こうよ」結城は自分を含め三人をぐるりと指で指し回した。「いっせーのせ、でさ」
「危険だ」時中が拒否する。
「結城さんが行く方がいいと思います」本原が役割をなかば強制する。
「いー」結城は歯を噛み締めて眉を寄せながらも靴を脱ぎ板の間に再び上がり込んだ。「あ、じゃあそっと中覗いて、危険そうでなかったら皆で乗り込むっていうのでどう?」
「危険でないのならばそれでいい」時中が承諾し、
「危険でなければ大丈夫です」本原が『一たす一は二』と同類の理論を述べた。
「じゃあ、開けます」結城は宣言し、板の間の奥側の襖に手をかけ数センチほど開いた。
 襖の向こうは畳敷きの和室で、薄暗く、奥の方に押入れと、掛け軸を飾った床の間が見える。青畳の香りが漂ってくる。そして畳敷きの床の真ん中に、長さ二メートル、幅六~七十センチ、高さ四~五十センチほどの木箱が置かれてあった。
「うわ」結城はそれを見て思わず身を引いた。「棺桶?」
「何だと」時中が強く眉をしかめる。
「まあ」本原は口を押える。
「誰もいないよ」結城は彼にしては声をひそめて和室の中をぐるりと見渡す。「皆、上がっといでよ」手を背後に伸ばして手招きする。
 結城の誘いに時中と本原は顔を見合わせ、まず首を振りながら時中が靴を脱いで板の間に上がり、次に本原が続いた。
 結城が棺桶と呼んだ木箱にはしかし、蓋がされていなかった。
「開けるね」そう言うと結城は、襖を左右に大きく開いた。
 畳の香りが一層強く感じられる。和室は薄暗く、空気はひんやりとしていたが、人の気配もなく怪しい瘴気がとぐろを巻いているという雰囲気もなかった。田舎の民家の一室にしか、それは見えない空間だったのだ。
「天津さん」かすれた声でその名を口にしたのは、時中だった。
「え」結城が時中を見、
「天津さんがいらっしゃるのですか」本原が時中を見た。
「あの箱の中を見ろ」時中が箱を恐ろしげに指差す。
 言葉通り、その木箱の中には天津が目を閉じて、仰向けに静かに横たわっていたのだった。
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