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【1】
西の辺境伯領に聖女が現れた。
その噂ならステファニアも聞いていた。
だから、婚約者の口から噂話が出た時には、少しばかり驚いた。彼がそんな噂に興味を引かれたのを意外に思ったのである。
「黒髪に漆黒の瞳なんだという。珍しいな」
珍しいとは聖女の出現なのか、それとも髪と瞳の色なのか。
「そんなもの、本当にいるんだろうか」
噂話に興味を示すあまり、彼はいつもより多弁になっていた。
「本当にいるのなら会ってみたいものだな」
ニコラス・コール・ロンフォルドはステファニアの婚約者である。
明るい金の髪に淡い翠の瞳。
ニコラスは、ブルネットの髪に紺碧の瞳を持つステファニアとは対極にいるような、整った見目の青年である。
同い年の二人は、王立の貴族学園へ入学してすぐに婚約した。互いに伯爵家の子女であり、生家の家格は同格、派閥も同じ王党派である。
違うとすれば、ステファニアの生家は代々王城に出仕する文官の家系で、ニコラスは騎士の家門ということだった。文と武が両家の違いであった。
ステファニア・カニンガム・ラングレイはラングレイ伯爵家の次女である。三つ上の姉がおり、すでに婿を取っている姉が後継となっている。
領地を持たない宮廷貴族であるから、姉は自身を称して「名ばかり伯爵だ」などと言っている。
ステファニアは将来、嫡男であるニコラスの元に嫁ぐ。将来と言っても、それは来春のことで、学園の三年生に上がったばかりの二人は、一年の後には婚姻する予定となっていた。
父も義兄も王城勤めの文官であるのに対して、ニコラスの父は近衛騎士団の副団長で、ニコラスも騎士を目指して予備役部隊に所属して剣術を学んでいる。
近衛は花形騎士である。王都育ちのニコラスには、父の隊服姿とともに幼い頃からの憧れがあったのだろう。
学園ではクラスが違っていたから、二人が会うのは朝の登校時間のほかは半月に一度の茶会だった。
幼い頃から互いに顔だけは知っていたから、学園に入って直ぐに婚約した際にも、気恥ずかしさはあれど堅苦しさはなかった。
騎士にありがちな無口とか寡黙とか無愛想とかは、そういうものだと思っていた。思春期の照れもあって、初めから慣れ親しむという雰囲気はなかった。
少々華やかさに欠けるステファニアにしても饒舌という気質でもなく、弾む会話がないのは仕方のないことだと思っていた。
ニコラスは金髪に薄翠という貴族らしい見目に、上背のある恵まれた体躯の青年であるが、日々の鍛錬が身体を作りあげて、この頃は、どこからどう見ても立派な騎士のようである。
彼ならきっと、卒業後には近衛騎士の資格を得られるだろう。だろうというのは、実のところステファニアは騎士の事情に疎かった。
そんなことで映えある騎士の家系に嫁げるのかと言われそうだが、疎いものは疎いのだからしようがない。
ステファニアは思う。
多分それは、ステファニアに興味を抱く様子のないニコラスへの、ほんのささやかな反発なのだろう。
ニコラスは、初めからステファニアには興味を示さなかった。
婚約の挨拶の時に、彼はじっとこちらを見つめて、だが数秒の間に、薄翠の瞳が色褪せていくように興味を失うのがわかった。
あの数秒は、ステファニアを彼の価値観で検証していたのだろう。
ステファニアはそこで、ああこの婚約は、きっと上手く行かないのだろうと覚悟した。
初見で覚悟したことを姉に話せば、そんなのは辞めときなさい、よいわ、いよいよ離縁となったら私が手を貸すからと、まだ婚約して一日しか経っていないのに離縁の話を持ち出された。
ニコラスは所謂「硬派」なのだろう。
整った面立ちは精悍であるし、筋肉に包まれた厚みのある体躯も凛々しい佇まいも、これぞ騎士の見本という姿である。
婚約したばかりの頃は、襟足を短く切って前髪ばかりがほんの少し長めであった。その髪の間から薄翠の瞳がちらちら覗いて綺麗だと思った。
その髪も二年の内に肩まで伸びて、今は髪先を綺麗に切り揃えている。多分、近衛騎士たちが長髪を背中で結う姿への憧れなのだろうとステファニアは思っている。
姿ばかりでなく、ニコラスは気質も無骨なところがあって言葉もそれほど多くない。
折角の婚約者同士の茶会でも、ぷつりぷつりと会話が途絶えるのは、もうそういうものだと思っている。
ステファニアと言えば、そんな硬派で美丈夫で令嬢からの人気も高い婚約者から、この一年の内には婚約解消されるのだろうなと思っている。
義兄が良い人物を紹介するから無理はしなくてよいと言ってくれるが、婿殿が父の決めた縁談を破談にできるのかは甚だ疑問である。
おっとりした母などは、夫とは数年経てば誰が夫でも大差ないと言っていた。それを聞いた義兄が切なそうな表情をして、見ているこちらまで切なくなった。
そんな熱気に欠ける二人であったが、この二年間は決して没交渉というわけではなかった。
ただニコラスが、いつか婚約解消を願うだろうと思っていたから、ステファニアはそれが今日なのだとわかったのである。
ニコラスは、噂の「聖女」に会いたいと言った。
それってそういうことよね。
ニコラスは、いるかいないかわからぬ聖女に恋をしたのだろう。
その噂ならステファニアも聞いていた。
だから、婚約者の口から噂話が出た時には、少しばかり驚いた。彼がそんな噂に興味を引かれたのを意外に思ったのである。
「黒髪に漆黒の瞳なんだという。珍しいな」
珍しいとは聖女の出現なのか、それとも髪と瞳の色なのか。
「そんなもの、本当にいるんだろうか」
噂話に興味を示すあまり、彼はいつもより多弁になっていた。
「本当にいるのなら会ってみたいものだな」
ニコラス・コール・ロンフォルドはステファニアの婚約者である。
明るい金の髪に淡い翠の瞳。
ニコラスは、ブルネットの髪に紺碧の瞳を持つステファニアとは対極にいるような、整った見目の青年である。
同い年の二人は、王立の貴族学園へ入学してすぐに婚約した。互いに伯爵家の子女であり、生家の家格は同格、派閥も同じ王党派である。
違うとすれば、ステファニアの生家は代々王城に出仕する文官の家系で、ニコラスは騎士の家門ということだった。文と武が両家の違いであった。
ステファニア・カニンガム・ラングレイはラングレイ伯爵家の次女である。三つ上の姉がおり、すでに婿を取っている姉が後継となっている。
領地を持たない宮廷貴族であるから、姉は自身を称して「名ばかり伯爵だ」などと言っている。
ステファニアは将来、嫡男であるニコラスの元に嫁ぐ。将来と言っても、それは来春のことで、学園の三年生に上がったばかりの二人は、一年の後には婚姻する予定となっていた。
父も義兄も王城勤めの文官であるのに対して、ニコラスの父は近衛騎士団の副団長で、ニコラスも騎士を目指して予備役部隊に所属して剣術を学んでいる。
近衛は花形騎士である。王都育ちのニコラスには、父の隊服姿とともに幼い頃からの憧れがあったのだろう。
学園ではクラスが違っていたから、二人が会うのは朝の登校時間のほかは半月に一度の茶会だった。
幼い頃から互いに顔だけは知っていたから、学園に入って直ぐに婚約した際にも、気恥ずかしさはあれど堅苦しさはなかった。
騎士にありがちな無口とか寡黙とか無愛想とかは、そういうものだと思っていた。思春期の照れもあって、初めから慣れ親しむという雰囲気はなかった。
少々華やかさに欠けるステファニアにしても饒舌という気質でもなく、弾む会話がないのは仕方のないことだと思っていた。
ニコラスは金髪に薄翠という貴族らしい見目に、上背のある恵まれた体躯の青年であるが、日々の鍛錬が身体を作りあげて、この頃は、どこからどう見ても立派な騎士のようである。
彼ならきっと、卒業後には近衛騎士の資格を得られるだろう。だろうというのは、実のところステファニアは騎士の事情に疎かった。
そんなことで映えある騎士の家系に嫁げるのかと言われそうだが、疎いものは疎いのだからしようがない。
ステファニアは思う。
多分それは、ステファニアに興味を抱く様子のないニコラスへの、ほんのささやかな反発なのだろう。
ニコラスは、初めからステファニアには興味を示さなかった。
婚約の挨拶の時に、彼はじっとこちらを見つめて、だが数秒の間に、薄翠の瞳が色褪せていくように興味を失うのがわかった。
あの数秒は、ステファニアを彼の価値観で検証していたのだろう。
ステファニアはそこで、ああこの婚約は、きっと上手く行かないのだろうと覚悟した。
初見で覚悟したことを姉に話せば、そんなのは辞めときなさい、よいわ、いよいよ離縁となったら私が手を貸すからと、まだ婚約して一日しか経っていないのに離縁の話を持ち出された。
ニコラスは所謂「硬派」なのだろう。
整った面立ちは精悍であるし、筋肉に包まれた厚みのある体躯も凛々しい佇まいも、これぞ騎士の見本という姿である。
婚約したばかりの頃は、襟足を短く切って前髪ばかりがほんの少し長めであった。その髪の間から薄翠の瞳がちらちら覗いて綺麗だと思った。
その髪も二年の内に肩まで伸びて、今は髪先を綺麗に切り揃えている。多分、近衛騎士たちが長髪を背中で結う姿への憧れなのだろうとステファニアは思っている。
姿ばかりでなく、ニコラスは気質も無骨なところがあって言葉もそれほど多くない。
折角の婚約者同士の茶会でも、ぷつりぷつりと会話が途絶えるのは、もうそういうものだと思っている。
ステファニアと言えば、そんな硬派で美丈夫で令嬢からの人気も高い婚約者から、この一年の内には婚約解消されるのだろうなと思っている。
義兄が良い人物を紹介するから無理はしなくてよいと言ってくれるが、婿殿が父の決めた縁談を破談にできるのかは甚だ疑問である。
おっとりした母などは、夫とは数年経てば誰が夫でも大差ないと言っていた。それを聞いた義兄が切なそうな表情をして、見ているこちらまで切なくなった。
そんな熱気に欠ける二人であったが、この二年間は決して没交渉というわけではなかった。
ただニコラスが、いつか婚約解消を願うだろうと思っていたから、ステファニアはそれが今日なのだとわかったのである。
ニコラスは、噂の「聖女」に会いたいと言った。
それってそういうことよね。
ニコラスは、いるかいないかわからぬ聖女に恋をしたのだろう。
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