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【2】
聖女ってなんだろう。
ステファニアはそう思う。
ステファニアも神殿には行ったことがある。
祖母がまだ存命であった頃は、度々付き合わされて、礼拝のために神殿を訪れた。
あの厳かな空気は好きである。
鼻腔をくすぐる香の薫り、遠くから聞こえる詠唱の響き。跪く信者に、すれ違う聖職者たち。
あの司祭服に身を包んだ聖職者は、聖女となにが違うとのだろう。信仰に身を捧げ世の安寧を祈るシスターを、等しく聖女と言わないのか。
黒髪に漆黒の瞳とは、この国では確かに珍しい。そんな聖女の噂が、西の辺境伯領からこの王都まで流れたことには理由がある。
聖女は、ある日突然現れた。国境を警護する兵士が見つけたのだという。
それってもしかして、隣国から越境しただけなのでは?
ステファニアに素朴な疑問が湧くも、「会ってみたい」と遠くを見るような眼差しをする婚約者を前にして、そんなことは言えなかった。
だが、婚約者には言えなかったが姉には言えた。ついでに義兄にも言えた。
三人の考察は「越境者もしくは密入国者」で満場一致であった。
ニコラスは知っているだろうか。
その聖女とやらは、近々王都にやってくる。王城に部屋を与えられるらしく、破格の高待遇を受けるらしい。
文官である義兄から、王城でもっぱら噂になっているのだと聞いたから間違いない。
義兄はその見目からはわかり難いが、実はキレ者なのだ。父が婿に選んだほどであるから、見た目に惑わされてはならない。
この話をニコラスに教えてあげたなら、彼はきっと喜んだだろう。もしかしたら、あの場でステファニアとの婚約解消を願ったかもしれない。
そんな気配をうっすら感じ取って、ステファニアは「いよいよだわ」と覚悟をしたのである。
ニコラスはあの日、馬車が走り出すとすぐに話しかけてきた。
「ステファニア、聞いたか?」
「何をでしょう」
「聖女が王都にやってくるそうだ」
婚約してから、朝はニコラスが邸まで迎えにきてくれていた。放課後は騎士団の訓練に向かう彼とは、朝の通学が二人で語らう時間であった。
「それはよかったですね」
ステファニアがそう言うと、ニコラスは口ごもってしまった。
二年の間、毎朝会っているのに、あまり会話が弾むこともなく、ステファニアは今も彼のことを掴みきれずにいる。多分それは、ニコラスも同じことを感じているのではないだろうか。
喧嘩なんて一度もしたことがない。
友人たちは、婚約者としょっちゅう口喧嘩をしてしまったと話していたが、ステファニアは、ニコラスからなにを言われても彼の言い分を飲むだろう。
もしステファニアが口答えなんてしたなら、ニコラスはどれほど驚くだろう。
「君は聖女に会いたいとは思わないのか?」
「聖女、ですか?神殿には毎月礼拝に行っておりますし、司祭様にもその時にお会いしております」
「司祭と聖女は違うだろう」
「聖女とは、どんなお方なのでしょう」
「わからない。ただ、」
ただ、と言ってニコラスは少しの間なにかを考えるふうであった。それから、
「きっと美しいのだろうな」と言った。
聖女とは、確かに清く美しいものなのだろう。聖職者と聖女の違いはわからずとも、ニコラスの抱く憧憬に水を差したくなかった。
だからステファニアは答えた。
「きっとそうでしょうね」
ニコラスはそこで、なぜかほっとしたような顔をした。
「いよいよらしいわね」
教室に入って席に着くと、アメリアがやってきた。
アメリアは侯爵家の令嬢であるが、末っ子四女ということで自身の価値をもの凄く低くみている。
そのためか、爵位に拘りを持っておらず、ステファニアとも気さくに接してくれる。
アメリアが言う「いよいよ」とは、聖女が西の辺境伯領から王都へ移ってくることだろう。
「そうらしいわね」
そう答えればアメリアは、
「お父上から聞いたの?」と聞いてきた。
「いいえ、お義兄様よ」
「それは確かな情報だわ」
「お義兄様の言うことに間違いはないの。なにせ、キレッキレの切れ者ですもの」
「貴女くらいよ、あの方をそんな軽口で言うのは」
「そうかしら。母なんて路傍の石くらいに思っているんじゃないかしら。でも、姉が大切にしているから問題ないわね」
アメリアはそこで、姉について尋ねてきた。
「爵位はお姉様がお継ぎになるのでしょう?」
「ええ。お義兄様は姉だけに縛られていたいのよ。姉と王城に縛られるだけで十分なんですって」
「確かに」
「そうそう、お話が逸れてしまったわ」
アメリアはそこで声を潜めた。
「聖女様。どうやら学園に入るらしいわ」
「え、本当に?」
それはステファニアも初耳であった。
「ええ。多分、早ければ来週には」
「そんなに早く?」
聖女が王都に来ると聞いたのは、つい先日のことである。
「学園には西の辺境伯の子息がいるのだもの。彼が聖女様の側付きになるのではないかしら」
「それって」
「そうよ、ステファニア。彼女はこのクラスに編入するのよ」
ステファニアのクラスには、西の辺境伯の令息がいる。彼は辺境伯の次男で、王都のタウンハウスから学園へ通っていると記憶していた。
「なんだか騒がしくなりそうね」
「波乱の予感がするわ」
アメリアは、聖女の編入を波乱だと言った。
きっとこのことをニコラスに教えてあげたら喜ぶだろう。彼は一度も会ったことのない聖女に惹かれている。
「西の辺境伯が絡むとなると……」
王城の騎士たちは、実は辺境伯の兵士とは反りが合わない。かたや野蛮だ、かたや洒落者だと互いに反目するところがある。
「それじゃあ、エルリック様がお側付きになるのね」
「多分、そうでしょうね」
ステファニアの言葉にアメリアも同意した。
エルリックは、件の辺境伯の次男である。
ニコラスが王宮の騎士団に所属してることへの遠慮から、ステファニアはこれまで、エルリックとは挨拶を交わす以上の交流はなかった。
聖女のそばにエルリックが付くのだとしたら、ニコラスはきっと残念に思うだろう。
ステファニアの目の前で、聖女の出現に浮かれるニコラスの顔が思い浮かんだ。
ステファニアはそう思う。
ステファニアも神殿には行ったことがある。
祖母がまだ存命であった頃は、度々付き合わされて、礼拝のために神殿を訪れた。
あの厳かな空気は好きである。
鼻腔をくすぐる香の薫り、遠くから聞こえる詠唱の響き。跪く信者に、すれ違う聖職者たち。
あの司祭服に身を包んだ聖職者は、聖女となにが違うとのだろう。信仰に身を捧げ世の安寧を祈るシスターを、等しく聖女と言わないのか。
黒髪に漆黒の瞳とは、この国では確かに珍しい。そんな聖女の噂が、西の辺境伯領からこの王都まで流れたことには理由がある。
聖女は、ある日突然現れた。国境を警護する兵士が見つけたのだという。
それってもしかして、隣国から越境しただけなのでは?
ステファニアに素朴な疑問が湧くも、「会ってみたい」と遠くを見るような眼差しをする婚約者を前にして、そんなことは言えなかった。
だが、婚約者には言えなかったが姉には言えた。ついでに義兄にも言えた。
三人の考察は「越境者もしくは密入国者」で満場一致であった。
ニコラスは知っているだろうか。
その聖女とやらは、近々王都にやってくる。王城に部屋を与えられるらしく、破格の高待遇を受けるらしい。
文官である義兄から、王城でもっぱら噂になっているのだと聞いたから間違いない。
義兄はその見目からはわかり難いが、実はキレ者なのだ。父が婿に選んだほどであるから、見た目に惑わされてはならない。
この話をニコラスに教えてあげたなら、彼はきっと喜んだだろう。もしかしたら、あの場でステファニアとの婚約解消を願ったかもしれない。
そんな気配をうっすら感じ取って、ステファニアは「いよいよだわ」と覚悟をしたのである。
ニコラスはあの日、馬車が走り出すとすぐに話しかけてきた。
「ステファニア、聞いたか?」
「何をでしょう」
「聖女が王都にやってくるそうだ」
婚約してから、朝はニコラスが邸まで迎えにきてくれていた。放課後は騎士団の訓練に向かう彼とは、朝の通学が二人で語らう時間であった。
「それはよかったですね」
ステファニアがそう言うと、ニコラスは口ごもってしまった。
二年の間、毎朝会っているのに、あまり会話が弾むこともなく、ステファニアは今も彼のことを掴みきれずにいる。多分それは、ニコラスも同じことを感じているのではないだろうか。
喧嘩なんて一度もしたことがない。
友人たちは、婚約者としょっちゅう口喧嘩をしてしまったと話していたが、ステファニアは、ニコラスからなにを言われても彼の言い分を飲むだろう。
もしステファニアが口答えなんてしたなら、ニコラスはどれほど驚くだろう。
「君は聖女に会いたいとは思わないのか?」
「聖女、ですか?神殿には毎月礼拝に行っておりますし、司祭様にもその時にお会いしております」
「司祭と聖女は違うだろう」
「聖女とは、どんなお方なのでしょう」
「わからない。ただ、」
ただ、と言ってニコラスは少しの間なにかを考えるふうであった。それから、
「きっと美しいのだろうな」と言った。
聖女とは、確かに清く美しいものなのだろう。聖職者と聖女の違いはわからずとも、ニコラスの抱く憧憬に水を差したくなかった。
だからステファニアは答えた。
「きっとそうでしょうね」
ニコラスはそこで、なぜかほっとしたような顔をした。
「いよいよらしいわね」
教室に入って席に着くと、アメリアがやってきた。
アメリアは侯爵家の令嬢であるが、末っ子四女ということで自身の価値をもの凄く低くみている。
そのためか、爵位に拘りを持っておらず、ステファニアとも気さくに接してくれる。
アメリアが言う「いよいよ」とは、聖女が西の辺境伯領から王都へ移ってくることだろう。
「そうらしいわね」
そう答えればアメリアは、
「お父上から聞いたの?」と聞いてきた。
「いいえ、お義兄様よ」
「それは確かな情報だわ」
「お義兄様の言うことに間違いはないの。なにせ、キレッキレの切れ者ですもの」
「貴女くらいよ、あの方をそんな軽口で言うのは」
「そうかしら。母なんて路傍の石くらいに思っているんじゃないかしら。でも、姉が大切にしているから問題ないわね」
アメリアはそこで、姉について尋ねてきた。
「爵位はお姉様がお継ぎになるのでしょう?」
「ええ。お義兄様は姉だけに縛られていたいのよ。姉と王城に縛られるだけで十分なんですって」
「確かに」
「そうそう、お話が逸れてしまったわ」
アメリアはそこで声を潜めた。
「聖女様。どうやら学園に入るらしいわ」
「え、本当に?」
それはステファニアも初耳であった。
「ええ。多分、早ければ来週には」
「そんなに早く?」
聖女が王都に来ると聞いたのは、つい先日のことである。
「学園には西の辺境伯の子息がいるのだもの。彼が聖女様の側付きになるのではないかしら」
「それって」
「そうよ、ステファニア。彼女はこのクラスに編入するのよ」
ステファニアのクラスには、西の辺境伯の令息がいる。彼は辺境伯の次男で、王都のタウンハウスから学園へ通っていると記憶していた。
「なんだか騒がしくなりそうね」
「波乱の予感がするわ」
アメリアは、聖女の編入を波乱だと言った。
きっとこのことをニコラスに教えてあげたら喜ぶだろう。彼は一度も会ったことのない聖女に惹かれている。
「西の辺境伯が絡むとなると……」
王城の騎士たちは、実は辺境伯の兵士とは反りが合わない。かたや野蛮だ、かたや洒落者だと互いに反目するところがある。
「それじゃあ、エルリック様がお側付きになるのね」
「多分、そうでしょうね」
ステファニアの言葉にアメリアも同意した。
エルリックは、件の辺境伯の次男である。
ニコラスが王宮の騎士団に所属してることへの遠慮から、ステファニアはこれまで、エルリックとは挨拶を交わす以上の交流はなかった。
聖女のそばにエルリックが付くのだとしたら、ニコラスはきっと残念に思うだろう。
ステファニアの目の前で、聖女の出現に浮かれるニコラスの顔が思い浮かんだ。
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