ふられちゃったら

桃井すもも

文字の大きさ
25 / 60

【25】

しおりを挟む
「お父様から夏休みに貴方の領地に行くことをお許し頂けたわ。見返りは香り高い茶葉よ。母の好物なの。」

「承知した。」

 朝、登校すれば、既にエルリックは来ていたから、昼まで待ち切れなかったステファニアは、周りに聴こえない様に小さな声で伝えた。エルリックもまた、それに小さな声で返してくれた。

 夏の楽しみが増えた。
 旅なんて生まれて初めての事だ。

 ラングレイ伯爵家は領地を持たない宮廷貴族であるから、学友達の様に帰省と云う習慣が無い。

「帰省する」とか「領地に帰る」とか、長期休みの度に聞くこの言葉に、ステファニアは実のところ密かな憧れを抱いていた。

「領地に戻るって、一度は言ってみたい言葉よね。」
「それ程?家に戻るだけだよ。寧ろ面倒なくらいだ。」
「面倒なの?」
「遠いだろう。」
「西の辺境伯領まで何日掛かるの?」
「馬で四日、早馬で夜通し駆けて二日半、馬車なら六日から一週間位かな。」
「まあ、そんなに?」
「辺境は遠いよ。ね?面倒だろう?」
「貴方は何で帰っているの?」
「馬だよ。四日は掛からないけどね。」
「凄いわ。馬ね。そう、馬なのね。」

 馬ね、馬ね、とステファニアは繰り返す。

「無理しなくていいんだよ。君達が一緒なら、僕も馬車でのんびり旅を楽しむさ。護衛と二人旅だったから馬で帰っていただけだよ。」
「格好良いわ。馬で帰るだなんて。」
「え?」
「格好良いわ。」
「そう、そうだろうか。」
「しかも泳げるだなんて。エルリック様ってとっても格好良いのね。」

 ステファニアは案外なんでも万能に熟す。
 教えられたものはするする覚えるし、運動神経も悪くない。だがしかし、泳げない。そうして馬にも乗ったことが無い。
 馬に乗れないのは訳がある。「危ない」からだ。
 物心が付いた頃には姉の側には婚約者の義兄がいたから、ステファニアが馬に興味を示した際にも「危ない」と騎乗を許してくれなかった。義兄は今もどこか幼いステファニアを忘れられない様で、今だに小さな子を諭す様な言い方をする。

 そんな幼い頃の思い出を思い浮かべていたから、ステファニアはエルリックの白い頬がほんのり染まっているのに気付かなかった。

「馬って可愛いのでしょう?」
「可愛い、か。相棒だとずっと思っていた。」
「相棒?」
「戦の場で馬は相棒だ。」

「...。エルリック様は、その、戦に出た事があるの?あ、いえ、言いたくなければ答えなくて結構よ。」

 聞きづらい事を聞くように、ステファニアはエルリックに尋ねた。

「君も知っているだろう?僕等が幼い頃から王国には大きな戦争は起こっていない。だから僕も戦場には出た事は無いよ。ただ小競り合いはよくある事だ。そう云う場なら経験がある。」

「貴方も剣を持つの?」

「当然だろう?流石に素手では戦えないよ。」

 ステファニアは腹の底からぞくりと悪寒が上って来るのを覚えた。これは恐怖だ。エルリックが戦の場にいて傷付く事を恐れる恐怖心だ。

「貴方に傷付いて欲しくは無いわ。」
 思わず言ってしまった言葉にエルリックは、

「ふ、君だってついこの前まで騎士の婚約者だったろう。ああ、すまない、無神経な事を言ってしまった。」

 そう言ってから、思わずと云う風に詫びた。それから続けて言う。

「覚えておくよ。戦いの場面で君の言葉を。いつも言われていたんだ、無茶をし過ぎると。君に言われた事を思い出したら少しは歯止めになるかも知れない。」


 エルリックは辺境の地でどんな暮らしをして来たのだろう。学園では同じ時間を過ごして来たが、婚約者のいたステファニアはエルリックに限らず男子生徒と親しく過ごす事は無かった。会話も挨拶に毛の生えたようなものばかりであったから、三年生になって初めて、エルリックと友情らしい交流を得られる様になった。

 当然、彼の過去や領地の話しも多くは聞いた事が無かったのだが、聞けば聞くほど王都と異なる感覚を覚えるのだった。

 エルリックの言う通り、自分こそ武の家門に嫁ぐ予定であったのに、騎士の事も戦の事も、何一つ知らぬまま目を向けては来なかった。

 第一、ニコラスに対してその身が傷付く事を心配したことがあっただろうか。
 王都に於いて騎士とは憧れの存在であり、近衛騎士とはその頂点に君臨する花形であったから、それを目指すニコラスには眩しさは感じても危険が伴う職務であるのだと実感出来ずにいた。


「夏が楽しみだわ。」
「僕もだよ。」

 それは本心だった。
 賑やかな社交から王都から別れた婚約者から離れて、自然に抱かれた辺境の地を訪う。
 早く夏が来れば良いと、ステファニアは思った。



 問題はダンスの授業で起こった。
 ダンスの授業は男子と女子が組となって習うのだが、その日は女子が多かった。男子生徒が一人休んでいた為に、女子が二人残ってしまった。

 ダンス教師が休んだ生徒の代わりに男性パートに入っても、その間は、女子生徒が一人あぶれてしまう。

「先生、宜しければ私が男性パートになります。」

 ステファニアはそう申し出た。

 ステファニアは男女どちらのパートも踊る事が出来る。
 幼い頃から姉と義兄にくっ付いていたステファニアは、彼等のダンスレッスンにも引っ付き虫となってくっ付いていた。

 ステファニアは小さな頃から出来る子であった。本気になれば良く出来る。本気で姉と義兄のレッスンに見入っている内に、男性パートを憶えてしまった。

 ご令嬢方より少しばかり背が高いステファニアが、女子生徒と向かい合う。

 クラスメイトの女の子が頬を染めて「きゃあ」と小さな悲鳴を上げた。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ 

さら
恋愛
 会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。  ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。  けれど、測定された“能力値”は最低。  「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。  そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。  優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。  彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。  人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。  やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。  不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

踏み台(王女)にも事情はある

mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。 聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。 王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。

処理中です...