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【25】
「お父様から夏休みに貴方の領地に行くことをお許し頂けたわ。見返りは香り高い茶葉よ。母の好物なの。」
「承知した。」
朝、登校すれば、既にエルリックは来ていたから、昼まで待ち切れなかったステファニアは、周りに聴こえない様に小さな声で伝えた。エルリックもまた、それに小さな声で返してくれた。
夏の楽しみが増えた。
旅なんて生まれて初めての事だ。
ラングレイ伯爵家は領地を持たない宮廷貴族であるから、学友達の様に帰省と云う習慣が無い。
「帰省する」とか「領地に帰る」とか、長期休みの度に聞くこの言葉に、ステファニアは実のところ密かな憧れを抱いていた。
「領地に戻るって、一度は言ってみたい言葉よね。」
「それ程?家に戻るだけだよ。寧ろ面倒なくらいだ。」
「面倒なの?」
「遠いだろう。」
「西の辺境伯領まで何日掛かるの?」
「馬で四日、早馬で夜通し駆けて二日半、馬車なら六日から一週間位かな。」
「まあ、そんなに?」
「辺境は遠いよ。ね?面倒だろう?」
「貴方は何で帰っているの?」
「馬だよ。四日は掛からないけどね。」
「凄いわ。馬ね。そう、馬なのね。」
馬ね、馬ね、とステファニアは繰り返す。
「無理しなくていいんだよ。君達が一緒なら、僕も馬車でのんびり旅を楽しむさ。護衛と二人旅だったから馬で帰っていただけだよ。」
「格好良いわ。馬で帰るだなんて。」
「え?」
「格好良いわ。」
「そう、そうだろうか。」
「しかも泳げるだなんて。エルリック様ってとっても格好良いのね。」
ステファニアは案外なんでも万能に熟す。
教えられたものはするする覚えるし、運動神経も悪くない。だがしかし、泳げない。そうして馬にも乗ったことが無い。
馬に乗れないのは訳がある。「危ない」からだ。
物心が付いた頃には姉の側には婚約者の義兄がいたから、ステファニアが馬に興味を示した際にも「危ない」と騎乗を許してくれなかった。義兄は今もどこか幼いステファニアを忘れられない様で、今だに小さな子を諭す様な言い方をする。
そんな幼い頃の思い出を思い浮かべていたから、ステファニアはエルリックの白い頬がほんのり染まっているのに気付かなかった。
「馬って可愛いのでしょう?」
「可愛い、か。相棒だとずっと思っていた。」
「相棒?」
「戦の場で馬は相棒だ。」
「...。エルリック様は、その、戦に出た事があるの?あ、いえ、言いたくなければ答えなくて結構よ。」
聞きづらい事を聞くように、ステファニアはエルリックに尋ねた。
「君も知っているだろう?僕等が幼い頃から王国には大きな戦争は起こっていない。だから僕も戦場には出た事は無いよ。ただ小競り合いはよくある事だ。そう云う場なら経験がある。」
「貴方も剣を持つの?」
「当然だろう?流石に素手では戦えないよ。」
ステファニアは腹の底からぞくりと悪寒が上って来るのを覚えた。これは恐怖だ。エルリックが戦の場にいて傷付く事を恐れる恐怖心だ。
「貴方に傷付いて欲しくは無いわ。」
思わず言ってしまった言葉にエルリックは、
「ふ、君だってついこの前まで騎士の婚約者だったろう。ああ、すまない、無神経な事を言ってしまった。」
そう言ってから、思わずと云う風に詫びた。それから続けて言う。
「覚えておくよ。戦いの場面で君の言葉を。いつも言われていたんだ、無茶をし過ぎると。君に言われた事を思い出したら少しは歯止めになるかも知れない。」
エルリックは辺境の地でどんな暮らしをして来たのだろう。学園では同じ時間を過ごして来たが、婚約者のいたステファニアはエルリックに限らず男子生徒と親しく過ごす事は無かった。会話も挨拶に毛の生えたようなものばかりであったから、三年生になって初めて、エルリックと友情らしい交流を得られる様になった。
当然、彼の過去や領地の話しも多くは聞いた事が無かったのだが、聞けば聞くほど王都と異なる感覚を覚えるのだった。
エルリックの言う通り、自分こそ武の家門に嫁ぐ予定であったのに、騎士の事も戦の事も、何一つ知らぬまま目を向けては来なかった。
第一、ニコラスに対してその身が傷付く事を心配したことがあっただろうか。
王都に於いて騎士とは憧れの存在であり、近衛騎士とはその頂点に君臨する花形であったから、それを目指すニコラスには眩しさは感じても危険が伴う職務であるのだと実感出来ずにいた。
「夏が楽しみだわ。」
「僕もだよ。」
それは本心だった。
賑やかな社交から王都から別れた婚約者から離れて、自然に抱かれた辺境の地を訪う。
早く夏が来れば良いと、ステファニアは思った。
問題はダンスの授業で起こった。
ダンスの授業は男子と女子が組となって習うのだが、その日は女子が多かった。男子生徒が一人休んでいた為に、女子が二人残ってしまった。
ダンス教師が休んだ生徒の代わりに男性パートに入っても、その間は、女子生徒が一人あぶれてしまう。
「先生、宜しければ私が男性パートになります。」
ステファニアはそう申し出た。
ステファニアは男女どちらのパートも踊る事が出来る。
幼い頃から姉と義兄にくっ付いていたステファニアは、彼等のダンスレッスンにも引っ付き虫となってくっ付いていた。
ステファニアは小さな頃から出来る子であった。本気になれば良く出来る。本気で姉と義兄のレッスンに見入っている内に、男性パートを憶えてしまった。
ご令嬢方より少しばかり背が高いステファニアが、女子生徒と向かい合う。
クラスメイトの女の子が頬を染めて「きゃあ」と小さな悲鳴を上げた。
「承知した。」
朝、登校すれば、既にエルリックは来ていたから、昼まで待ち切れなかったステファニアは、周りに聴こえない様に小さな声で伝えた。エルリックもまた、それに小さな声で返してくれた。
夏の楽しみが増えた。
旅なんて生まれて初めての事だ。
ラングレイ伯爵家は領地を持たない宮廷貴族であるから、学友達の様に帰省と云う習慣が無い。
「帰省する」とか「領地に帰る」とか、長期休みの度に聞くこの言葉に、ステファニアは実のところ密かな憧れを抱いていた。
「領地に戻るって、一度は言ってみたい言葉よね。」
「それ程?家に戻るだけだよ。寧ろ面倒なくらいだ。」
「面倒なの?」
「遠いだろう。」
「西の辺境伯領まで何日掛かるの?」
「馬で四日、早馬で夜通し駆けて二日半、馬車なら六日から一週間位かな。」
「まあ、そんなに?」
「辺境は遠いよ。ね?面倒だろう?」
「貴方は何で帰っているの?」
「馬だよ。四日は掛からないけどね。」
「凄いわ。馬ね。そう、馬なのね。」
馬ね、馬ね、とステファニアは繰り返す。
「無理しなくていいんだよ。君達が一緒なら、僕も馬車でのんびり旅を楽しむさ。護衛と二人旅だったから馬で帰っていただけだよ。」
「格好良いわ。馬で帰るだなんて。」
「え?」
「格好良いわ。」
「そう、そうだろうか。」
「しかも泳げるだなんて。エルリック様ってとっても格好良いのね。」
ステファニアは案外なんでも万能に熟す。
教えられたものはするする覚えるし、運動神経も悪くない。だがしかし、泳げない。そうして馬にも乗ったことが無い。
馬に乗れないのは訳がある。「危ない」からだ。
物心が付いた頃には姉の側には婚約者の義兄がいたから、ステファニアが馬に興味を示した際にも「危ない」と騎乗を許してくれなかった。義兄は今もどこか幼いステファニアを忘れられない様で、今だに小さな子を諭す様な言い方をする。
そんな幼い頃の思い出を思い浮かべていたから、ステファニアはエルリックの白い頬がほんのり染まっているのに気付かなかった。
「馬って可愛いのでしょう?」
「可愛い、か。相棒だとずっと思っていた。」
「相棒?」
「戦の場で馬は相棒だ。」
「...。エルリック様は、その、戦に出た事があるの?あ、いえ、言いたくなければ答えなくて結構よ。」
聞きづらい事を聞くように、ステファニアはエルリックに尋ねた。
「君も知っているだろう?僕等が幼い頃から王国には大きな戦争は起こっていない。だから僕も戦場には出た事は無いよ。ただ小競り合いはよくある事だ。そう云う場なら経験がある。」
「貴方も剣を持つの?」
「当然だろう?流石に素手では戦えないよ。」
ステファニアは腹の底からぞくりと悪寒が上って来るのを覚えた。これは恐怖だ。エルリックが戦の場にいて傷付く事を恐れる恐怖心だ。
「貴方に傷付いて欲しくは無いわ。」
思わず言ってしまった言葉にエルリックは、
「ふ、君だってついこの前まで騎士の婚約者だったろう。ああ、すまない、無神経な事を言ってしまった。」
そう言ってから、思わずと云う風に詫びた。それから続けて言う。
「覚えておくよ。戦いの場面で君の言葉を。いつも言われていたんだ、無茶をし過ぎると。君に言われた事を思い出したら少しは歯止めになるかも知れない。」
エルリックは辺境の地でどんな暮らしをして来たのだろう。学園では同じ時間を過ごして来たが、婚約者のいたステファニアはエルリックに限らず男子生徒と親しく過ごす事は無かった。会話も挨拶に毛の生えたようなものばかりであったから、三年生になって初めて、エルリックと友情らしい交流を得られる様になった。
当然、彼の過去や領地の話しも多くは聞いた事が無かったのだが、聞けば聞くほど王都と異なる感覚を覚えるのだった。
エルリックの言う通り、自分こそ武の家門に嫁ぐ予定であったのに、騎士の事も戦の事も、何一つ知らぬまま目を向けては来なかった。
第一、ニコラスに対してその身が傷付く事を心配したことがあっただろうか。
王都に於いて騎士とは憧れの存在であり、近衛騎士とはその頂点に君臨する花形であったから、それを目指すニコラスには眩しさは感じても危険が伴う職務であるのだと実感出来ずにいた。
「夏が楽しみだわ。」
「僕もだよ。」
それは本心だった。
賑やかな社交から王都から別れた婚約者から離れて、自然に抱かれた辺境の地を訪う。
早く夏が来れば良いと、ステファニアは思った。
問題はダンスの授業で起こった。
ダンスの授業は男子と女子が組となって習うのだが、その日は女子が多かった。男子生徒が一人休んでいた為に、女子が二人残ってしまった。
ダンス教師が休んだ生徒の代わりに男性パートに入っても、その間は、女子生徒が一人あぶれてしまう。
「先生、宜しければ私が男性パートになります。」
ステファニアはそう申し出た。
ステファニアは男女どちらのパートも踊る事が出来る。
幼い頃から姉と義兄にくっ付いていたステファニアは、彼等のダンスレッスンにも引っ付き虫となってくっ付いていた。
ステファニアは小さな頃から出来る子であった。本気になれば良く出来る。本気で姉と義兄のレッスンに見入っている内に、男性パートを憶えてしまった。
ご令嬢方より少しばかり背が高いステファニアが、女子生徒と向かい合う。
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