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第十章
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その日届いた文は、クローディア宛のものだった。執事のバートンは、朝餉の席でそれを渡したから、ローレンスにもわかっただろう。そもそもクローディアに文が届くなど稀である。
封蝋を確かめるまでもなく、ひと目見た封書の様式だけでわかった。
文は生家の父からだった。
「ありがとう。お食事のあとで見るわ」
生まれてこの方、父から文をもらうなどというのは初めてのことだった。
同じ邸に住んでいたのだから、それは当然なのだろうが、それにしても、とクローディアは受け取った封書に記された父の手の文字を見つめた。
父がクローディアの名前を記すのに、こんな文字を書くのだなと思った。
侍女に頼んで、文は自室に届けてもらった。食事の席で気も漫ろになるのは避けたかった。目に触れるところにあったなら、料理を味わうこともできないだろう。それに、何も言わないローレンスや、こちらを青い瞳でじっと見るアンネマリーの視線も気になった。
たった一通、文が届いただけだった。しかも生家の実父からだ。
なのになぜだろう、文からは幸せの小さな欠片も見つけ出せそうになかった。
不思議だったのは、ローレンスとアンネマリーに、自分が実父から文を送られるような愛されている娘だと、そんなふうに思われたくなかった。それは誤解だ。
「手紙、読んだの?」
案の定、妙に勘の働くアンネマリーは、マナー教本のページを開いたクローディアに尋ねてきた。
「後から読むからよいのよ」
「急ぎかもよ?」
「私に急ぎの用など無いでしょう。大切な用であれば旦那様宛に書くでしょうし」
「ふうん」と言ったアンネマリーは、だが、それで納得したようではなかった。
ただ、自分が踏み込む話ではないと諦めたらしく、大人しく教本に視線を落とした。
アンネマリーにマナーの指南をして、それから休憩のティータイムにお茶の淹れ方を見本となって見せて、アンネマリーと二人きりでお茶を飲んだ。
その後、老教師が訪れてアンネマリーが個別授業を受ける頃になって、漸くクローディアはペーパーナイフを手に取った。
生まれて初めて父からもらった文は、生まれて初めて家族からもらう文だった。
小さな喜びと期待が胸の奥の更に奥底にあることを、クローディアは自分に認めなければならなかった。
用心しながら確かな期待を抱いている。
もしかしたら、一人嫁いだ娘の暮らしを案じてくれたのだろうか。
クラウスがセリーヌ王女に恋をしてから、婚約者の茶会でその恋心を平気で吐露してクローディアに聞かせるようになってから。
あの中庭の騒動を引き起こしてからも、戦場に赴くことを決めた時にも、そのクラウスが戦場に散ってしまった時にも、父がクローディアの心情に寄り添ってくれたことはなかった。
クラウスが亡くなって、クローディアの嫁ぎ先が無くなって、次兄がリリベットを望んで、クローディアの行き場が無くなって。
そうなってからも、父はクローディアに特別何かを言うことはなかった。
父がクローディアを呼び寄せたのは、王家からローレンスとの婚姻を提示されたときだった。いやそうではない、もっと後だ。
王家からの提案を受けて、ローレンスとの婚姻が正式に纏まったその後で、クローディアは父に呼ばれたのだった。
それはクローディアの意思を確かめるものではなくて、決まったことを伝達する、そんな呼び出しだった。
用心しなくては。
微かに弾む気持ちに蓋をするように、父親に対して不可思議な防衛本能を感じる自分を、薄情なようにも思った。
封筒は、薄かった。
それは、十も年上の、よく知りもしない男の下へ嫁いだ娘を案ずる文ではないのだと、封を開ける前から予感させた。案の定、開いた中には最低限の時候の言葉と、その後にごく短い言葉で要件が記されていた。
『リリベットがそちらへ訪問する』
その下には、日付と時間。
先触れを、父はリリベットの為に文という形で出したに過ぎなかった。
邸の主であるローレンスへの配慮も、クローディアの都合も何も考慮していない。
十歳になる娘の為に、伯爵家当主が自らペンを取り用意したその文を、クローディアはもし暖炉に火がついていたのなら、そのまま焚べてしまっていたかもしれない。
生家にいたのは、ほんの数ヶ月前。数ヶ月前まで、クローディアも父の下に暮らす娘だった。
「お姉様の婚約者様って素敵だわ」
ローレンスとの婚約の顔合わせ以降、リリベットは度々そんなことを口にした。
親子ほど歳の離れたローレンスに、幼いリリベットが興味を示すことが不思議だった。多分、童話に飽きて読み始めた、少女向けの物語に出る「騎士様」への憧れなのだろう。
「貴女の婚約者様だって、素敵な方だわ」
それはお世辞ではなかった。
クラウスの次兄、リリベットの婚約者は見目良い青年だ。
侯爵家のスペアとして長兄と変わらぬ教育を施され、淡い金髪を長くして背中に結んでいるのも、長い睫毛に縁取られた翠色の瞳も、貴族らしく優美な姿をしている。
「ジョセフ様は素敵なお方よ。でも、ローレンス様も素敵だわ」
リリベットは無邪気なことを言ったが、クローディアはそこで後ろに控えるリリベットの侍女を見た。
ジョセフの前で滅多なことを言わせぬように、侍女に釘を刺したつもりだ。俯き加減になった侍女には伝わっただろう。
「女の子がいるんでしょう?」
誰が教えたのか、リリベットはアンネマリーの存在を知ったようだった。
「私と同じ年なのでしょう?」
リリベットが次に何を言うのかは、聞かずともわかった。
「会ってみたい」
その言葉を思い出して、クローディアは父から届けられた文を、文机の引き出しに滑り込ませて引き出しを閉じた。
封蝋を確かめるまでもなく、ひと目見た封書の様式だけでわかった。
文は生家の父からだった。
「ありがとう。お食事のあとで見るわ」
生まれてこの方、父から文をもらうなどというのは初めてのことだった。
同じ邸に住んでいたのだから、それは当然なのだろうが、それにしても、とクローディアは受け取った封書に記された父の手の文字を見つめた。
父がクローディアの名前を記すのに、こんな文字を書くのだなと思った。
侍女に頼んで、文は自室に届けてもらった。食事の席で気も漫ろになるのは避けたかった。目に触れるところにあったなら、料理を味わうこともできないだろう。それに、何も言わないローレンスや、こちらを青い瞳でじっと見るアンネマリーの視線も気になった。
たった一通、文が届いただけだった。しかも生家の実父からだ。
なのになぜだろう、文からは幸せの小さな欠片も見つけ出せそうになかった。
不思議だったのは、ローレンスとアンネマリーに、自分が実父から文を送られるような愛されている娘だと、そんなふうに思われたくなかった。それは誤解だ。
「手紙、読んだの?」
案の定、妙に勘の働くアンネマリーは、マナー教本のページを開いたクローディアに尋ねてきた。
「後から読むからよいのよ」
「急ぎかもよ?」
「私に急ぎの用など無いでしょう。大切な用であれば旦那様宛に書くでしょうし」
「ふうん」と言ったアンネマリーは、だが、それで納得したようではなかった。
ただ、自分が踏み込む話ではないと諦めたらしく、大人しく教本に視線を落とした。
アンネマリーにマナーの指南をして、それから休憩のティータイムにお茶の淹れ方を見本となって見せて、アンネマリーと二人きりでお茶を飲んだ。
その後、老教師が訪れてアンネマリーが個別授業を受ける頃になって、漸くクローディアはペーパーナイフを手に取った。
生まれて初めて父からもらった文は、生まれて初めて家族からもらう文だった。
小さな喜びと期待が胸の奥の更に奥底にあることを、クローディアは自分に認めなければならなかった。
用心しながら確かな期待を抱いている。
もしかしたら、一人嫁いだ娘の暮らしを案じてくれたのだろうか。
クラウスがセリーヌ王女に恋をしてから、婚約者の茶会でその恋心を平気で吐露してクローディアに聞かせるようになってから。
あの中庭の騒動を引き起こしてからも、戦場に赴くことを決めた時にも、そのクラウスが戦場に散ってしまった時にも、父がクローディアの心情に寄り添ってくれたことはなかった。
クラウスが亡くなって、クローディアの嫁ぎ先が無くなって、次兄がリリベットを望んで、クローディアの行き場が無くなって。
そうなってからも、父はクローディアに特別何かを言うことはなかった。
父がクローディアを呼び寄せたのは、王家からローレンスとの婚姻を提示されたときだった。いやそうではない、もっと後だ。
王家からの提案を受けて、ローレンスとの婚姻が正式に纏まったその後で、クローディアは父に呼ばれたのだった。
それはクローディアの意思を確かめるものではなくて、決まったことを伝達する、そんな呼び出しだった。
用心しなくては。
微かに弾む気持ちに蓋をするように、父親に対して不可思議な防衛本能を感じる自分を、薄情なようにも思った。
封筒は、薄かった。
それは、十も年上の、よく知りもしない男の下へ嫁いだ娘を案ずる文ではないのだと、封を開ける前から予感させた。案の定、開いた中には最低限の時候の言葉と、その後にごく短い言葉で要件が記されていた。
『リリベットがそちらへ訪問する』
その下には、日付と時間。
先触れを、父はリリベットの為に文という形で出したに過ぎなかった。
邸の主であるローレンスへの配慮も、クローディアの都合も何も考慮していない。
十歳になる娘の為に、伯爵家当主が自らペンを取り用意したその文を、クローディアはもし暖炉に火がついていたのなら、そのまま焚べてしまっていたかもしれない。
生家にいたのは、ほんの数ヶ月前。数ヶ月前まで、クローディアも父の下に暮らす娘だった。
「お姉様の婚約者様って素敵だわ」
ローレンスとの婚約の顔合わせ以降、リリベットは度々そんなことを口にした。
親子ほど歳の離れたローレンスに、幼いリリベットが興味を示すことが不思議だった。多分、童話に飽きて読み始めた、少女向けの物語に出る「騎士様」への憧れなのだろう。
「貴女の婚約者様だって、素敵な方だわ」
それはお世辞ではなかった。
クラウスの次兄、リリベットの婚約者は見目良い青年だ。
侯爵家のスペアとして長兄と変わらぬ教育を施され、淡い金髪を長くして背中に結んでいるのも、長い睫毛に縁取られた翠色の瞳も、貴族らしく優美な姿をしている。
「ジョセフ様は素敵なお方よ。でも、ローレンス様も素敵だわ」
リリベットは無邪気なことを言ったが、クローディアはそこで後ろに控えるリリベットの侍女を見た。
ジョセフの前で滅多なことを言わせぬように、侍女に釘を刺したつもりだ。俯き加減になった侍女には伝わっただろう。
「女の子がいるんでしょう?」
誰が教えたのか、リリベットはアンネマリーの存在を知ったようだった。
「私と同じ年なのでしょう?」
リリベットが次に何を言うのかは、聞かずともわかった。
「会ってみたい」
その言葉を思い出して、クローディアは父から届けられた文を、文机の引き出しに滑り込ませて引き出しを閉じた。
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